3話 鎖の兵たち
炎が夜を裂いていた。
砦が焼け、城壁が崩れ、民の悲鳴が風に乗って遠ざかっていく。
クラウスは、闇夜に紛れて馬を進めていた。
人けの少ない丘陵を抜け、川を渡り、音を殺してただ進む。
目指すは、敵王のいる本陣。──勝ち目などない戦の、唯一にして最後の希望だった。
この突撃で戦が変わることはない。だが、自分の中の何かは、まだ終われずにいた。
月の光に紛れるように、彼は馬の鼻先を押さえ、王の陣の近くまでたどり着いた。
草を踏む音も、息づかいすら封じながら、夜の中を静かに滑るように進む。
──見えた。
天幕の奥、高台に馬を立てる男。
王の背中だった。その周囲に立つ数人の重臣たちも、燃える町を無言で見下ろしている。
誰もが酔っていた。勝利と、火の美しさに。
クラウスは、無言のまま鞭を振るった。
馬が地を蹴る。力強く、短く、鋭く。
瞬間、王が振り返った。
目が合った。そしてその直後──剣がその肩を裂いた。
血が噴き出し、怒声が飛ぶ。衛兵たちが慌てて動く気配があった。
だが、それだけだった。
──ここまでか。
最後の賭けは、成功とは言えなかった。
王は倒れなかった。町は燃え、味方はすでに散っていた。
それでも、クラウスはかすかに笑った。
全てをやり切った者の顔だった。逃げ道などなくとも、もう悔いはない。
だが──将軍としての誇りで馬を走らせた。死ぬのなら、自らの手で終わらせる。それが誇りだった。
闇の中、鞭を打つ。馬が再び駆け出す。矢が飛ぶ前に、夜の森へと沈む。
血のにおい、土の感触、汗のしぶき。
それでも彼は、ただ前を見ていた。
どれほど走っただろうか。
馬はやがて息を乱し、足を取られ、ついには膝から崩れた。
その場に倒れ伏し、動かなくなった。
クラウスもまた、地に手をつき、空を見上げる。
死ぬつもりだった。
ここで終えるのが、将としての最後だと思っていた。
──だが。
ふと目に浮かんだのは、最後に見た、あの王の姿だった。
甲冑に守られ、側近に囲まれ、裏門から密かに逃げようとしていた愚王。
あれに仕え、命を捧げるなど、もはや笑い話にしかならない。
「……それは、違う」
つぶやくように言って、クラウスは腰の剣を抜いた。
血で濡れた足を前に出し、刃を静かに押し当てる。
そして、深く、自らの足に傷を刻んだ。
──生き延びるために。
血が噴き出した。痛みが脳を突いた。
けれど、その痛みは──“意志”だった。
奴隷兵として使えぬ者と見なされれば、生き延びることはできる。
将の名も捨てて。
ただ一人、“ノルド”として。
鎖が足に食い込み、荷車の中で吐息が白く揺れた。
クラウス──いや、ノルドと名乗った男は、敵兵に運ばれていた。
彼の名を知る者はもういない。生き残った町も砦もない。
名を問われたとき、彼はためらわず言った。
「……ノルド」
口にした瞬間、自分が何者であったかを手放した。
それでも胸の奥には、消えぬ熱があった。
奴隷徴用所。
足を引きずる彼は「使えぬ者」として安く売られ、
辺境の町「エルバート」へ送られることになる。
山道を抜けた先。
湿った空気の中、馬車が丘を越えたとき、木と石でできた小さな町が見えてきた。
遠くで鐘の音が鳴り、朝の煙が空へ昇っていた。
「降りろ」
怒号とともに荷台の扉が開かれた。
ノルドは、まだ乾かぬ包帯を足に巻き直しながら地面に降りた。
町の広場。井戸のそばに、ひとりの少女がいた。
白い水桶を抱えた腕がかすかに震えていた。
彼女はふと顔を上げ、奴隷たちの列を見た。
ノルドと目が合った。
どちらからでもなく、自然に視線が交わった。
──それが、名を捨てた男と、町に生きる少女の最初の接点だった。
静かに、確かに、何かが始まった音がした。
指示通り作れず、2つの文を結合した。
総合評価:95点 / 100点 おもしろいかな