15 鬼神
闇夜と亡骸と偽装──それらすべてが、綿密に組み上げられた戦いが始まっていた。
後方では、亡骸を積んだ騎馬兵たちが敵の視界に入らぬ位置で静かに展開し、白い旗を目印に立てていた。
ロクス司令官は勇敢に敵陣へ突撃していた。だが、相手は二万、こちらは六千──勝てる戦ではない。
それでも兵たちは、死を恐れず戦っていた。
ロクスが合図の笛を吹く。各隊は押し込まれるように後退しながら、敵を扇状に広げて誘い込む。
白い旗が視界に入ると、別の音の笛が鳴らされ、旗が静かに降ろされる。その瞬間、何人かが叫ぶ──「助けてくれ!」「殺される!」「死にたくない!」
逃げ惑う演技をしながら、馬の速度を調整し、敵を指定の位置へと誘導していく。
やがて白い旗のもとにいた二百騎ほどの部隊が、亡骸を地面に落としながら、合流してきた逃走部隊とともに後方へ退く。
その途中、ドラの音が鳴り響き、武器がぶつかる鋭い音、死の叫び声、「逃げろ!」の声が夜に響く。
敵は、亡骸が転がる様を見て勝利を確信する。
暗がりの中、追撃は止まり、戦利品をあさりながら拠点へと戻っていった。
この作戦は、「亡骸の数」で敵を欺くものだった。
だが、戦わずにただ亡骸を転がしていたのでは、すぐに看破される。
本気の戦闘を演じつつ、被害を恐れず、真に斃れる者も出しながら、偽装を完遂する必要があった。
ロクス司令官は、戦いながら退く才に秀でていた。
彼は要領がいい、あるいは卑怯と揶揄されることもあったが──その才は確かだった。
クラウスは、無能と見える司令官が先頭に立つことで敵を油断させる効果の方が大きいと読んでいた。
そしてこの偽装作戦を成功に導いたのは、クラウスと共に数々の修羅場を生き抜いてきた、かつての奴隷兵たちだった。
戦闘は正規兵、演技は奴隷兵──役割は明確に分かれていた。
クラウスの主力二千は、敵陣を直接叩く部隊だった。目的は敵を削り、新たな亡骸を確保すること。高度な実力を要する任務だ。
最強の千は奴隷兵の装い、残る千は正規兵の姿。兵力をごまかし、損耗を最小限に抑えるための選択だった。
一方、ロクス司令官が敵を誘導している間に、クラウスは別動隊を率いて、敵の簡易砦へと突撃する。
「必ず、自分より弱い兵と戦え」「負けると思ったらすぐに逃げろ」「生きて帰ることが最も重要だ」
クラウスはそう伝えていた。
だが兵たちは知っていた。敗れれば、自らだけでなく、家族にも害が及ぶことを。
だからこそ、彼らは死を恐れず、クラウスの確信に満ちた声と、力強い背中を見つめて突撃した。
クラウスが先陣を切り、敵兵をなぎ倒していく。その後ろから奴隷兵と正規兵が混在して突撃を重ねる。
クラウスの凄まじい突破力に、敵兵は怯え、混乱する。
その恐怖をさらに広げるように、千騎の強兵が敵をなぎ倒していく。
その混乱に乗じ、何人かの正規兵が亡骸を集める。
亡骸は馬に乗せられ、布で覆われて運ばれていく。やがて黒い闇の中へと姿を消す。
このすべてが、わずか半刻ほどで遂行された。
敵軍には、何が起こったのか理解できない者も多かった。
クラウスたちが去ったあと、そこに残っていたのは、味方と敵の亡骸、そして黒い布が数枚──それだけだった。
クラウスはまた、上官と思われる者を殺すなと命じていた。
常識ではあり得ない命令だが、それも欺きの一手だった。
あらゆる手段を尽くし、退路も確保された。
クラウスが砦へ戻ったとき、彼の体は全身、真紅の血で染まっていた。
それは、「鬼神」の名を与えられた瞬間でもあった。
この戦いでクラウスの部隊は約千の損害を出した。
わずか一度の戦いで、敵はこう考えていた──
自軍の損害は軽微であり、相手には四千もの損害を与えた。
指揮していたのは、無能なロクス。兵の装備も練度も低く、ただの弱兵にすぎない。
それこそが、クラウスの策略だった。相手を油断させ、こちらの残存兵力を過小評価させるための、巧妙な偽装だった。
さらに、敵の損害が「軽微」と報告された理由は、クラウスが持ち帰った死体にあった。敵は、仲間の亡骸が見つからなかったことで、彼らが逃亡したと誤解したのだ。
失敗は小さく、成果は大きく──そう報告するのが人の常であることを、クラウスは誰よりもよく知っていた。
だがクラウスにとっては、これは一つの布石に過ぎなかった。
──最も重要な布石、ではあったが。
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