14 偽装
クスタリカの南方丘陵に、灰色の幕が張られたかのように、濃い霧が沈んでいた。陽はまだ昇らず、夜の帳だけが静かに広がっている。
その霧の向こうで、グラディオス・ダルザーンは黙然と地図を見つめていた。幕舎の中、燃えさしの炭が赤く灯り、参謀の報告を受けるその表情は読めなかった。
「街の様子は」
「包囲は完了しました。敵は砦に引きこもり、出てくる気配はありません」
「兵力は」
「およそ四万と見られますが、ほとんどが奴隷兵か弱兵と考えられます」
グラディオスは小さく息を吐いた。
「変わった情報は?」
「王都から新たな司令官が派遣されたとのことです。名はクラウス──かつて“小国の英雄”と呼ばれた人物だと」
その名を聞いた瞬間、グラディオスは鼻で笑った。
「他国出身の者を、すぐに将軍に据える? しかも、最前線に? いや……それほど、あの王は愚かではない」
参謀たちが顔を見合わせる中、彼は地図の上を軽く指先でなぞる。
「名前で揺さぶるしかない時点で、指揮官の質が知れる」
参謀のひとりが口を挟む。
「残り三つの砦を落とし損ねたのは痛手でした」
「それでも、一つ落とせただけ上出来だ。十万の兵を前にすれば、まともな指揮官なら精鋭を即座に引かせる。残したということは……やはり敵将は愚者の様だ」
「密偵の報告は途絶えています。門は閉ざされ、内部の動きは一切不明です」
「ふむ……だが、それも当然か。密偵を断つ程度の警戒は、さすがに取るだろう」
グラディオスは再び地図に目を落とした。
「力攻めでも落とせるが、それなりの被害は覚悟せねばならん。急ぐ理由もない。少し様子を見るか」
「兵には、夜襲に備えた警戒を徹底させておけ」
──その言葉通り、夜はすでに、動き始めていた。
闇に紛れ、音もなく進む一万の騎兵。その先頭にいるのは、くたびれた鎧をまとい、痩せた馬に乗った兵たち。軍勢というより、烏合の衆にも見える光景だった。
その一団の先頭に立つのは、ロクス・ハーリン。大声で、震える声ながらも確かに指示を飛ばしている彼は、かつてクラウスの奴隷部隊の指揮官だった。
そのロクスに命令を下しているのは、粗末な奴隷兵の装いのクラウス将軍だった。
ロクスの指揮している部隊は、約二千が正規兵の装備をまとい、残る八千が粗末な奴隷兵の姿をしていた。
馬はやせ細り、脚を引きずる者すらいた。
だが、それはすべて偽装だった。
武器は研ぎ澄まされ、鎧の内側は最新の鋼鉄で補強されている。
馬には泥と灰が塗られ、老馬のように見せかけているが、その脚筋は鍛え抜かれていた。
そして異様なのは、後方に控える騎馬二千の背後に、それぞれ一体ずつの死体が縛り付けられていたことだった。
それぞれに、正規兵と奴隷兵の装備をつけていた。
その死体は、最前線の砦から傷を負って帰還したものの息絶えた者、あるいは街で病や老衰で命を落とした者たちだった。
クラウスが手を挙げると、ロクスがそれを合図に声を張り上げた。
「突撃っ……!」
その声は震えていたが、恐怖からではない。
クラウス将軍の一言が、胸に焼きついていた。それがロクスを突き動かしていた。
──「街を守れたら、あなたは“名将”と呼ばれます」
その言葉を頭に思い描きながら、ロクス・ハーリンは、敵陣へと騎兵を駆けさせた。
「グラディオス総司令官殿。予想通り、敵襲は南の方角にて確認されました」
「被害は軽微。敵には多大な損害を与えたとの報告です」
グラディオスが目を細める。「……詳しく話せ」
「敵はおよそ八千の騎兵による突撃でした。一部には精鋭と見られる部隊があり、突破を許してしまいましたが軽微のとの報告です。しかしその他の敵兵は脆弱で、四千ほどを討ち取ったとのことです」
「率いていたのは、ロクス・ハーリンという将軍でした。以前の密偵の話では、独裁的な指揮で兵を従わせていた人物とのことです」
「それは確かか?」
「はい。敵兵の死体も確認済みとの報です」
グラディオスは喉の奥で笑った。
「ロクス・ハーリン──滑稽なものだ。夜襲など、このわしに見抜けぬとでも思ったのか」
その顔には、満足げな色が浮かんでいた。
「はい。今回の戦い、我らの大勝利となるかと」
参謀の口元には、相手をさげすんだ笑みが浮かんでいた。
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