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12 愚かな作戦

クラウスの判断は正しかった。

敵は、十万を超える大軍をもってクスタリカへと押し寄せていた。その進軍は、周囲の森を踏みならし、山の静けさすら呑み込むような圧で迫ってくる。


要塞といえども、守る側の兵が五千では、敵五万を相手取るのが限界だ。しかも敵が決死隊の覚悟で攻めてくれば、二万程度でも落城は避けられない。名将でも現実は変えれない。


すでに一つ、最前線の砦は壊滅していた。火の海と化した石壁が、敗北の予兆を突きつけていた。だが、残る三つの砦の部隊は、どうにか無事にクスタリカまで撤退してきていた。


クラウスの即時の判断がなければ、最前線の先鋭部隊一万五千は失われていただろう。


このクスタリカに残された兵は、鍛え上げられた先鋭が一万五千、戦力にならぬ弱兵が二万。見た目の数こそ多いが、その質の差は、勝敗を左右する決定的な隔たりだった。


対する敵軍は、なおも無傷のままだった。最も恐れられていた、総司令官ガリウス率いる精鋭師団二万は、すでに失われている。


そして、今回の侵攻を率いる総司令官こそ、名将グラディオス・ダルザーンである。幾度も戦で勝利を収めた老将にして、数と地形を支配する才を併せ持つ男だ。悪名ではなく、敬意すら抱かれる戦場の支配者であった。


「……グラディオスか」

地図に眼を落としたまま、クラウスが低く呟く。口元には苦虫を噛み潰したような硬さがあった。歯を食いしばる音すら聞こえそうだった。


まともな策では、この町を守ることはできない──そう、クラウスは悟っていた。いや、悟らざるを得なかった。


クスタリカの町は、防衛のために造られた要塞ではない。民が暮らし、火を焚き、生活の声が響く町だ。火矢を放たれれば、燃え広がる。敵の特殊部隊が潜入すれば、町の内部から崩壊が始まるだろう。


勝つためには、並の策では到底届かない。

一か八かの勝負──成功の確率が万に一つでも、そこに賭けるしかなかった。


その戦いが、たとえ勝利をもたらしたとしても──

兵の多くを失う、壮絶な代償を払うことになるだろう。そして、自らの命さえも。


クラウスの瞳に、燃え落ちる小国の姿がよぎった。かつての祖国。守れなかった故郷の光景が、今もなおまぶたに焼きついて離れない。


もう二度と──この町を、同じ炎に晒してはならない。

だが、この愚かなる策に、自らの命もまた差し出さねばならない。


そうなれば、マルレーネと共に生きるという約束は、果たせぬ未来となる。


(……他に道はないのか?)

思考は空を切り、幾百の策が脳内に生まれては霧のように消えていった。

住民を見捨てて撤退すべきか、それとも、すべてを抱えて共に滅びるのか──。


「……クラウス」


その声は、戦況図に沈み込むように黙していた彼を、ゆるやかに現実へ引き戻した。


マルレーネが、そっと近づいてくる。

燃え残る炉の煤が、まだ頬にかすかについていた。だが、その瞳だけは曇りひとつなく、まっすぐに彼の目を見つめていた。


「私も、この町の人たちを守りたいの」


その言葉に、クラウスはわずかに唇を開いた。

否定の言葉が浮かんだが、それを口にすることはできなかった。


「……この状況で町を守るには、手立てはひとつしかない。俺の命も、兵の命も──すべてを捨てて、勝つしかない」


「それで救えるのなら、かまわないわ」

マルレーネは静かに一歩を踏み出す。

「クラウスも、本当は救いたいのでしょう? 町も、人も……あなた自身も」


クラウスは、言葉を返せなかった。

ただ、まっすぐに向けられるそのまなざしに、自分がかつて持っていた勇気が映っているような気がして、目を逸らすことができなかった。


「……私はね、あなたが死んでも、生きるわ。」


その声は静かだった。だが、穏やかな語調の裏に宿る決意は、叫びよりも鋭く、彼の胸の奥を貫いた。


クラウスには、わかっていた。

マルレーネの言葉が、すべて本心ではないことを──そう言い聞かせなければ、彼女自身が立っていられないのだということを。


だからこそ、彼は応えた。強く、ためらいなく。


「……わかった。君がそう言うのなら、この街は……必ず守る」


「君は──生きてくれ。何があっても、生き延びてくれ」


「……はい」


その一音の返事に、クラウスの胸の迷いは、すっと霧が晴れるように消えていった。


彼は、マルレーネを強く抱きしめた。

まるで、それが最後になると知っているかのように──ただ、静かに、確かに。


マルレーネは、まだ年若い少女だった。

それでも、荒くれ者たちの奴隷兵を相手に日々の世話をこなし、彼らの傷を癒やし、時に心までも支えてきた。


その芯の強さは、戦場に生きるクラウスをして──己よりも強いとさえ思わせるほどだった。


そして、決戦の朝が訪れた。


クラウスは、一万の騎兵を率いて、クスタリカの南門に静かに立った。

目の前に広がる大地の彼方には、十万を超える敵軍が押し寄せてくる。


一万で十万に挑むなど、戦術の世界では愚行と呼ばれるべき策だ。

常識に照らせば、勝利の芽は存在しない。


だが、クラウスは知っていた。

愚かと嘲られようとも、命を賭けてでも守らねばならぬものがある──それがこの町であり、人々であり、そして、マルレーネとの約束だった。


彼は、静かに剣を抜いた。

剣先が曇り空を切り裂き、全軍の視線がその一点に集まる。


「全軍、突撃──!」


その号令は、命を捨てる覚悟の中で選び取った、たったひとつの戦いの始まりだった。

自分で書くいつものやり方に戻した

総合評価:98 / 100点  後半はおもしろいか


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