第8話 雪解けの日常
彼女はノアに手を引かれるまま、城下の通りを歩いていた。
いくつかのブティックを巡ってみたものの、なかなか満足のいく服が見つからない。
結局、最後に立ち寄ったオーダーメイドの店で、元の形はあるものの、
自身が動きやすいようにデザインを変えたものをたものを何着か仕立ててもらうことになった。
皇帝自らが店に現れたこともあり、店主は張り切り、すぐに新しい服が届けられる運びとなった。
――こんなふうに権力を使ってしまっても、いいのだろうか。
ふとそんな思いがよぎるが、隣のノアが楽しそうにしているのを見て、
反論もできず、人生で味わったことのない、別の種類の“諦め”が胸に満ちた。
けれど、初めて自分のために誂えられた新品の服。
それを手にした瞬間、不思議な高揚感が心に芽生える。
生まれて初めて、“自分で選び取ったもの”に袖を通す喜びを知った。
新しい服をまとい、最初に見せるのはやはりノアだ。
「ど、どうかな……似合いますか?」
ほんの少しだけ声が震える。照れと期待とが入り混じった、彼女にしては珍しい表情だった。
返事がない。ノアの方を見ると、彼は固まったようにじっとこちらを見ていた。
「あ、あの……?」
近づいて肩にそっと触れると、はっと我に返り、慌てて視線を逸らす。
やがて、微かに震える声が耳に届いた。
「……か、可愛い……」
思いもよらぬ言葉に、二人して動きを止めてしまう。
彼女の選んだ服は、機能美を重視しながらも、随所に女性らしいフリルや飾りがあしらわれていた。
そのデザインは彼女の美しさをいっそう引き立て、まるで人形のような気品をまとわせている。
今まで戦場の姿ばかりを見てきたノアにとって、こうして新しい装いをまとった彼女の姿は、
どこか眩しくて、現実とは思えなかった。
実際、皇帝となって以来、周囲には美しい女性も多く、身分や立場を問わず、彼に近づこうとする者も後を絶たない。
だが、ノアは誰にも心を動かされることはなかった。
――半年前、戦場で出会った少女。
炎の精霊の加護を受け、燃えるような紅い髪と、月の光を湛えた金色の瞳。
その少女が、今こうして、目の前で自分のためだけに微笑んでいる。
剣を交えたとき、精霊を通して彼女の心の痛みを知り、どうしようもなく救いたいと思った。
そして、いつしか恋い慕うようになっていた。
戦場での過酷な日々を経て、ようやく手にした平穏。
本当は、もっと彼女に触れたい。傍にいたい。
でも、ようやく得た彼女の自由を、自分の欲で縛りたくない――
そんな葛藤を、ノアは静かに胸の奥に隠していた。
寡黙で滅多に感情を表に出さなかった彼も、シャルと過ごすようになってからは、
側近たちも驚くほど柔らかい表情を見せることが増えた。
だが、その変化に気づく者もまた少なくはない。
そして――やがて、そのことが思わぬ波紋を呼ぶことになるのだった。