第5話 打ち明けられなかった思い
「あの……聞いてほしいことがあります」
囁くような声で、彼女はゆっくりと語りはじめた。
ずっと胸の奥にしまっていた、誰にも言えなかった“過去”を。
故郷では忌み子として生まれ、家族や兄弟とはまともな関係を築けなかったこと。
人としてではなく、道具として――剣を振るうために育てられたこと。
そして、まだ十二の年で戦場に立ち、地獄のような最前線を渡り歩いてきたこと――。
「最初の戦で……初めて人の命を奪いました」
声は震え、視線は床の一点を見つめたまま。
「その夜は、怖くて……震えて、泣いて、涙が出なくなるまで泣きました」
「でも……次の日もまた、私は人の命を奪ったんです」
語られるのは、誰にも癒せなかった記憶の断片。
そして、彼女を長く苦しめてきた悪夢の存在。
「それから、ある夢を見るようになりました……
血の海の中に立つ私に、誰かの手が伸びてくるんです。
私を、引きずり込もうとする手が――」
命を奪えば奪うほど、その手は増えていき、
やがて夢の中だけではなく、現実にもその影が忍び寄るようになった。
「どれだけ振り払っても、その手は……私を捕まえようとしてきて。
赦しを願っても、その手は決して許してくれなくて、
どんどん深く、深く……私を沈めようとしてくるんです」
その夢から、もう逃れられないと悟ったのは、戦場に立って三年が過ぎた頃だった。
「その頃から……私は、自分の死を願うようになりました。
誰にもこの夢から、現実から、私を救える人なんていないって……そう思ってたんです」
四年が過ぎた頃には、もう涙も出なかった。
血が乾く間もなく、次の血を浴びる日々――。
“わたし”という存在が、ただ、血の海に沈みかけていた。
「でも……そんな時、黒衣の騎士――あなたと出会って、剣を交えて……
やっと、この地獄から解放されるって、そう思ったんです」
けれど、死を目前にしたその瞬間、彼女は初めて振り返った。
自分が歩んできた日々。
そして――“わたし”という存在が、何だったのかを。
「……ほんの僅かだけど……生きたいって、思ってしまったんです」
それが罪なのかさえ、わからなかった。
だが、あの血の夢の中から伸びる手に引き込まれそうになったその瞬間、
今まで誰にも届かなかった“わたし”に、手を伸ばしてくれた人がいた。
「気づいたら……私はここにいました。
夢なのか、現実なのかもわからなかったけど……光の中に、いたんです」
そこまで語り終えると、彼女の体は小さく震えていた。
声は掠れ、最後の言葉は、ほとんど途切れそうになっていた。
彼は静かに、彼女を抱きしめた。
その腕は、ただ優しく、でも決して離さないという意思に満ちていた。
「もう君は、血の海なんかにいない。
今は、ちゃんと光の中にいるんだ」
彼の声は穏やかで、どこまでもまっすぐだった。
「もう二度と、君を血の中になんか戻らせない。
俺は君の手を、絶対に離さない。
だから――安心していい」
「君を道具としてじゃない、“ヒト”として、
いや――一人の女性として、俺は救い出してみせる」
その言葉を聞いた瞬間、彼女を覆っていた何かが――
張り詰めた糸のような何かが、ふっと切れた。
彼の胸に顔を埋め、声を殺して泣く彼女を、
彼はただ、強く、優しく、抱きしめ続けた。