第25話 戦火の終焉
最終防衛ラインでの戦いは、北の帝国の圧勝で幕を下ろした。
だがノアは、胸の奥に重たいものを抱えていた。
――古代兵器の真実を知らなかったとはいえ、あまりにも多くの命が無意味に散ってしまった。
その現実に、彼はただ苦々しく唇を噛むしかなかった。
そんな中、彼の傍らに、今にも消え入りそうな炎の精霊が現れる。
揺らめく小さな灯のような姿で、イグニスがかすれる声を漏らした。
「……シャル様が……死にかけております……時間が……もう……」
最後まで言い切る前にイグニスの身体は霞のように揺らぎ、具現化の力を失って掻き消えた。
「……シャル……!?」
ノアの中で、血が凍るような衝撃が走った。
直後、彼の意識は鋭く研ぎ澄まされる。最終防衛ラインのさらに奥――
いまだ水の王国の残党が潜んでいるはずの危険地帯から、微かに水の精霊の気配を感じ取った。
「テネブラエ!」
その名を呼ぶと同時に、黒き精霊――テネブラエが音もなく姿を現す。
ノアは一切の迷いもなくその背に飛び乗り、漆黒の翼が空を切り裂くと、
戦場の彼方へと疾風のごとく駆け抜けていった。
その直後、水の王国軍の後衛――戦線の後ろで指揮を執っていたエドの目前に、
突如として黒衣の騎士が舞い降りた。重く冷たい空気が一瞬で辺りを支配する。
その姿にエドは反射的に剣に手をかけたが、すぐに敵意のないことに気づき、警戒を解くことなく声を放つ。
「何の用だ、黒衣の騎士!こちらにはもう戦意はない!
これ以上の戦いなど、誰も望んでいない!」
叫ぶように放たれた言葉には、焦りと、そしてどこか切実な思いも滲んでいた。
だがそのとき、黒衣の騎士は無言のまま鎧に手をかけ、静かにその姿を解いていく。
露わになったのは、雪のように白い銀髪と、氷のように澄んだ青い瞳を持つ青年だった。
あまりにも印象の異なる姿に、エドは言葉を失い、息を呑んだ。
そして、その青年――ノアは、苦悶を湛えた表情のまま、まっすぐに彼の元へと歩み寄ってくる。
「……水の精霊の加護を持つ者よ……頼む、シャルが……死にそうなんだ……」
切迫した声でそう告げたノアに、エドの目が見開かれる。
「なぜだ……!“君に託す”と、私はそう言ったはずだ……!」
「……俺のいない間に起きたことだ。責任は、あとでいくらでも受ける……
だが今は、彼女を助けてほしい。頼む、どうか……!」
ノアはその場で片膝をつき、頭を下げた。
皇帝としての威厳も立場も捨て、ただ一人の男として、シャルの命を乞う姿だった。
「もう、時間がないんだ……!」
悲願の声が、空気を震わせる。
その必死な姿に、エドもまた目を伏せ、静かに頷いた。
「……わかった。私を、彼女のもとへ連れて行ってくれ」
その言葉を聞いた瞬間、ノアは一切の迷いなく彼の手を取った。
返事も待たず、エドをテネブラエの背へと引き上げると、風のように帝都へ向かって飛び立つ。
空を裂いて駆けるその影に、ただ一つの願いがこめられていた。
――どうか、間に合ってくれ――と。