第24話 戦場を裂いていたもの
戦況が激しさを増す中、水の王国軍の前線では、ついに撤退命令が下された。
エドはこの瞬間を待っていたかのように、静かに全軍へと命じる。
「全軍、撤退せよ!」
それは苦渋ではなく、これ以上の無益な犠牲を出さないための判断だった。
この指示で少しでも多くの命が救われることを彼は心から願っていた。
このまま戦い続ければ、兵の命が無駄に散るだけ。
そう見定めたエドの判断は、決して間違ってはいなかった。
だが――その頃、戦場の別の場所では。
ノアが見据えるその視線の先、予期せぬ異変が起きていた。
突如、重く響く轟音が戦場を揺らす。
撤退を開始した水の王国軍の背後に、容赦なき砲撃が叩き込まれたのだ。
「何をやっているッ!」
ノアが怒声を上げて最前線に駆けつける。
古代兵器を操っていたのはドゥーガルだった。
彼は無表情で戦場を見下ろしながら呟く。
「今こそ、水の王国軍を完全に潰す好機ですぞ」
「ふざけるな!もう決着はついている!撤退する兵に砲撃など、意味などない!」
ノアの怒気を孕んだ声にも、ドゥーガルはなお薄ら笑みを浮かべていた。
「陛下も、あの娘も……お優しいことですな」
その言葉に、ノアの表情がぴくりと動いた。
「……どういう意味だ」
一瞬の逡巡の後、ドゥーガルはしまったという顔を見せたが、遅かった。
ノアはドゥーガルの胸ぐらを掴み、剣を首元に突きつける。
「……シャルに、何をした」
問い詰めるその声には、怒りと焦燥が滲んでいた。
ドゥーガルは沈黙を貫こうとしたが、その沈黙こそが答えだった。
ノアの剣がわずかに押し込まれ、血が一筋、彼の首元を伝う。
その時、ノアのすぐそばに、弱々しい炎が揺らめく。
現れたのは、見るも無惨な姿のイグニスだった。
「……イグニス!?その姿……まさか!」
イグニスはかすれた声で、かろうじて言葉を紡ぐ。
「……あの兵器……人の命で動いています……どうか……使わないでください……」
その一言で、すべてを悟ったノアは、静かに、そして深く息を吸った。
「……貴様、今まで人の命を糧に、兵器を使っていたのか」
ノアの声は低く、怒りをかみ殺していた。
だが、ドゥーガルはその問いに、なお狂気をにじませて返す。
その目は正気とは思えぬ色に染まり、口元には不気味な笑みが浮かんでいた。
「甘い、甘すぎますぞ陛下!最強の軍を名乗るならば慈悲など捨てるべき!
命は戦ってこそ価値があるのです!」
叫びながら、ドゥーガルは血に濡れた兵士たちの姿を誇らしげに見渡した。
その様子に、ノアの拳がわずかに震える。
「古代兵器の砲撃は、すべてヒトの生命力から放たれておるのですぞ!」
ドゥーガルの声がさらに高まる。
ノアの眉がひくりと動く。まさか、という予感が喉元までせり上がってきた。
「そして今回のエネルギー源は……」
ドゥーガルは恍惚とした表情を浮かべながら、声を潜め、語る。
「……あの炎の精霊の娘。貴方の未来の皇后の命を使わせていただきました!」
その一言は、まるで冷たい刃のようにノアの胸を突き刺した。
狂気に満ちた声が、戦場の空気を切り裂くように響き渡っていく。
「命を使って命を散らす。彼女は最期まで、人殺しの道具として役に立ちましたぞ!」
その言葉が終わるよりも先に、ノアの怒気が爆ぜた。
「黙れ……!」
ノアの魔力が一気に膨れ上がると、黒衣の皇帝は剣を振るわず、
魔力の奔流をそのまま古代兵器のコアに叩きつけた。
爆音とともに砕ける魔核。ドゥーガルが絶叫する。
「な、なにをするんじゃああああ!貴重なエネルギーがァ!」
「そのような兵器は、北の帝国には不要だ。そして貴様も……不要だ」
ノアは鋭い眼光のまま、声を低く放った。
「命までは奪わん。だが次に俺の前に現れたら、その首を落とす」
ドゥーガルは後ずさりし、身を翻すと、魔力転移で姿を消した。
その場に残されたのは、崩れた兵器と炎の精霊――
そして、怒りに燃える皇帝の背だけだった。




