第1話 目覚め
彼女がゆっくりと目を覚ましたのは、豪奢な天蓋付きのベッドだった。
傷は丁寧に手当てされており、
身にまとうのは幼い頃に着たようなフリル付きの柔らかなワンピース。
体が軽い。だが、自分が死んだのか生きているのか、
それすらも判断がつかず、ただ戸惑うばかりだった。
状況がまるで飲み込めない。
目に映るものすべてが、現実とは思えなかった。
部屋の奥には、大きな装飾扉。
ベッドの脇には重厚なテーブルと椅子。
反対側の壁には暖炉があり、炎の灯りが部屋を柔らかく照らしていた。
窓の方へ目を向けた瞬間、彼女は息を呑んだ。
そこには、白く静かに舞い降りる――雪。
生まれて初めて見る、それは幻想のように美しかった。
思わずベッドを降り、窓へ近づき、そっと手を伸ばす。
冷たい感触が指先に触れ、雪が静かに溶けた。
心の奥が、不思議と静かに洗われていく。
――と、そのとき。
扉の方から音がして、彼女ははっと振り返った。
そこに立っていたのは、雪の化身のような青年。
銀の髪に、透き通るような青い瞳を持つその男は、
静かに彼女を見つめていた。
彼女は何かいけないことをしていたような気がして、
慌てて窓を閉め、小さな声で謝った。
「ご、ごめんなさい……」
男は近づきながら、不思議そうに尋ねた。
「なぜ、謝る?」
彼女は答えられず、視線を伏せた。
「まだ立つのはつらいだろう。ベッドに戻るといい」
その声に導かれるように、彼女はベッドへ戻る。
男は椅子に腰掛け、彼女と向かい合った。
「今、温かいものを用意させている。……傷は、痛まないか?」
その言葉に、彼女は一瞬戸惑い、小さく息をのむ。
彼は苦い表情を浮かべて言った。
「すまない。あの時……君を止めるには、あれしかなかった」
言葉の意味がすぐには理解できない。
だが、心のどこかで、彼女は思い当たる節を感じていた。
勇気を出して、口を開く。
「……貴方は、誰なんですか?それに……私は、どうしてここに?」
男はわずかに目を見開いたが、すぐに穏やかな表情で問い返した。
「どこまで、覚えている?」
彼女は記憶を手繰るように言った。
「砦の戦場で……兵器の核を破壊して……
それから、黒衣の騎士と……剣を交えて……」
そして、思い出す。
――あの人は、確かに「仕方なかった」と呟いていた。
「……もしかして、貴方が“黒衣の騎士”?ここは、北の帝国……なんですか?」
男はわずかに目を細めたあと、微笑んだ。
「ああ。俺が“黒衣の騎士”だ。そして、ここは俺の国――北の帝国」
その言葉に、彼女はさらに驚き、声を漏らした。
「……“俺の国”って……」
「そう。俺が、この国の皇帝だ」
彼がそう言った瞬間、傍らに黒き精霊が現れる。
その気配は禍々しさと優しさを併せ持つ、闇の精霊だった。
「君は、炎の精霊の加護を持っているな。
でも、あまり使い慣れていないようだ」
彼女は目を伏せ、やがて肩に寄り添うように現れた
炎の精霊をそっと見つめた。
「……この子が優しい子だって、分かるんです。
だから……力を使いたくなかった」
男は目を細めて微笑み、優しく言った。
「初めて会ったときから、気づいていたよ。君は、とても優しい」
彼女の心が、ふっと揺れる。
「……精霊の力で、そんなことまで分かるんですか?」
「加護を受ける者同士なら、精霊を通じて想いを感じ取れる。
戦場で君の“声”を、俺は確かに聞いていた」
彼の言葉に、彼女は驚きを隠せなかった。
「……精霊って、そんな力もあるんですね」
「そう。力の本質は、破壊でも戦でもない。
信頼し合えば、共に在るものになる」
男は自分の精霊の頭を撫でる。精霊は嬉しそうに身を寄せた。
「……こいつは移動にも使ってる。まあ、相棒みたいなもんさ」
彼の笑顔を見て、彼女は思わず笑みを漏らす。
そして、少しだけ気持ちがほぐれた。
――この人は、たぶん、悪い人じゃない。
けれど、まだ一つだけ、分からないことがあった。
なぜ自分は、今ここにいるのか――その理由だけが。