第18話 誓いの祝火
南中庭の奥――普段は使われることのない一室の前で、ノアは足を止めた。
扉には簡素な封印魔法が施されている。
強力ではないが、正式な手順で解呪すれば、それなりの手間がかかるだろう。
だが、彼に迷いはなかった。
掌に魔力を込めると、空気が揺れ、次の瞬間――扉は轟音とともに吹き飛んだ。
「シャル!」
鋭い声が静寂を破る。
だが、返ってきたのは助けを呼ぶ声でも、叫びでもなかった。
ただ静かに――穏やかな寝息だけが返ってきた。
ソファにもたれ、シャルは安らかな表情で眠っていた。
「……寝てるのか?」
あれだけ派手に扉を吹き飛ばしても目覚めないとは、どれほど疲れていたのだろうか。
ノアは静かに歩み寄り、そっと肩に手を置いた。
「シャル……起きろ」
軽く揺さぶると、彼女のまぶたがわずかに開き、ぼんやりとした金色の瞳がノアを映した。
「ん……?」
その無防備な表情に、ノアの胸にふっと温かなものが灯る。
彼はくすりと笑い、唇を近づけた。
そっと唇を重ねると、シャルは一気に目を見開き、頬を染めながら視線を逸らした。
「お姫様の目を覚ますには、キスだって昔から言うだろう?」
「……『陛下』は、おとぎ話の王子様ですか?」
その反応に、ノアは愉しげに目を細めた。
「いや――君を愛する、一人の男だよ」
再び唇を寄せようとした瞬間、背後から控えめな咳払いが聞こえる。
振り返ると、腕を組んだミシェルが無言で立っていた。
「陛下、祝賀の“本番”が始まります」
冷静そのものの声だったが、ノアは悪びれる様子もなく口元を上げた。
「ミシェル、祝賀の余興の内容――決めたぞ」
宰相は、もうやめてくれと言いたげに額に手を当て、深いため息をついた。
やがて、シャルを連れて祝賀の広間へと戻ったノアは、迷うことなく玉座の壇上へと堂々と歩を進めた。
貴族や民衆の注視を一身に浴びながら玉座の前に立ち、静かに口を開く。
「本日、我がニグルムネブラ帝国は建国百五十年を迎えた」
その声は静かでありながら、確かな威厳を帯びていた。
「この大陸はかつて、戦乱にまみれた混沌の地だった。
だが、我が帝国は平和と繁栄を築き上げた。それは誇るべき歴史だ。
これからも、その平和を守っていくつもりだ」
会場には拍手と歓声が湧き上がる。
だがノアは、すぐに表情を引き締めて続けた。
「……しかし、南の地では、いまだ戦が続いている。だが、その戦も終わりが近い。
俺自身、明日再び南へ向かう。この戦に終止符を打ち、大陸に真の平和をもたらすために」
ざわめきが広がる中、ノアはシャルへと視線を向け、そっと手を差し伸べた。
シャルは戸惑いながらも、その手を取り、ノアの隣へと立った。
「この平和を祝して、皆に祝ってもらいたいことがある」
ミシェルはすでに頭を抱えていた。
それはもはや予感ではなく、確信だった。
ノアは誇らしげに壇上を見渡し、はっきりと告げた。
「隣に立つ彼女は、炎の国・ルーデルフレアの第二王女、シャルロッテ・リーディア・ルーデルフレア。
彼女もまた、精霊の加護を持つ者であり、その加護は“平和を導く”。
この新たな時代にこそ、ふさわしい存在だ」
静まり返った会場に、ノアの声がはっきりと響く。
「そして――このシャルロッテこそが、俺の皇后となる女性だ」
一瞬の沈黙の後、会場は嵐のような歓声に包まれた。
その光景を階下で見守っていたミシェルは、重いため息をついて小さく呟いた。
「……ああ、とうとう言ってしまったか」




