第15話 約束の灯
防衛線の戦いから数日後――
春盛りの空の下、北の帝国では建国祭が華やかに幕を開けた。
三日目が正式な式典日ではあるが、初日から五日間にわたり、帝都は華やかな装飾に包まれ、
城内から城下町まで、祭りの喧騒と活気にあふれていた。
石畳を照らす陽光のもと、街路には色とりどりの旗がはためき、
屋台からは甘い香りと湯気が立ち上る。
子どもたちの笑い声が交差し、楽団の奏でる音楽が通りの空気を彩っていた。
戦時下とは思えぬ賑わいの中で、人々は久方ぶりの平穏なひとときを味わっていた。
その初日、ノアはシャルを城下に誘い出した。
彼女のために仕立てられた、簡素ながらも品のある礼装に身を包み、
シャルはやや緊張した面持ちで彼の隣を歩く。
慣れぬ賑わいに戸惑いつつも、屋台の菓子に目を丸くし、
子どもたちの踊りに思わず笑みを浮かべる姿に、ノアは横顔を見つめながら微笑んだ。
「楽しいか?」
ふと投げかけられた問いに、シャルは小さく頷いた。
「……はい。少し、眩しいですけど……こういう空気、嫌いじゃないです」
その笑みにどこか不安の影を見つけたノアだったが、
それには触れず、きらびやかに並ぶ屋台に視線を移した。
「シャル、あれはどうだ?」
ノアが指さしたのは、飴細工の屋台。獣や花、精霊の姿まで繊細に象られた飴がずらりと並ぶ。
「これ……全部、食べられるんですか?」
シャルの問いに、ノアは思わず笑ってうなずく。
「飾るだけのものかと思ったのか?」
「だって……綺麗すぎて、食べるのがもったいないです」
そう言って、花を模した飴を選んだシャルは、それを手に取り嬉しそうに眺めた。
その横顔を、ノアは黙って見つめる。
その後もふたりは、手作りのアクセサリー店を覗いたり、占い師の言葉に耳を傾けたりと、静かな時を重ねた。
ノアがふと立ち止まり、「何か見たい店はあるか?」と尋ねると、シャルはほんの少し考えてから、
「もう少し……このまま歩いていたいです」と答えた。
「わかった。好きなだけ付き合おう」
その言葉に、シャルは小さく微笑み、ふたりの肩が自然と近づいていく。
王の威厳も、戦場の剣も、ここにはなかった。
ただ、ひとときの平和のなか、ふたりは“普通の時間”を並んで歩いていた。
やがて、日が落ちて街の灯がともり始めた頃――
少し人通りの少ない通りに差しかかったところで、ノアは立ち止まり、ゆっくりと口を開く。
「……三日後。水の王国の最終防衛線を叩く」
その言葉に、シャルの足が止まった。
「また、行くのですね……」
「そうだ。あの城を落とせば、この戦は終わる。帝国にも、君にも……ようやく、安らぎが訪れる」
静かに、けれど確かな意思を帯びた声だった。
それでも、シャルはまっすぐノアを見て言った。
「……私も、行きます」
ノアはすぐに首を振る。
「……駄目だ」
「なぜ?私なら戦ます。戦場で役に立てるはずです――!」
「戦わせたくないんだ。俺の我儘だが、もう……君には、剣を握ってほしくない」
その言葉に込められた想いの重さに、シャルは息を呑み、言葉を失う。
ノアはそっと彼女の手を取り、その瞳を見つめた。
「俺は必ず戻ってくる。それまで、ここで――待っていてくれ」
シャルはしばらく視線をさまよわせ、やがて静かに頷いた。
「……わかりました。でも……絶対に、戻ってきてください。必ず」
「約束する」
ふたりの言葉が重なった瞬間、遠く夜空に花火が打ち上がった。
戦の影をひとときだけ忘れるように、静かに寄り添うふたりの姿は、灯の下で淡く揺れていた。




