第13話 ひとひらの炎、宮廷を舞う
春の宵。
未だ水の王国との戦闘状態は続いていたが、
その重苦しい現実を帝国内に持ち込ませぬよう、皇帝ノアの意向によって――
あえて、平時と変わらぬ穏やかさを保つための社交の宴が、帝都の城にて催されていた。
煌びやかな装飾に彩られた大広間には、帝国中の有力貴族たちが集い、
床に響く軽やかな足音と笑い声が穏やかな音楽に溶け合って、
まるで遠いどこかの平和な国の夜のような静けさが漂っていた。
外では剣が交わされ、民は不安に怯えているかもしれない。
けれど、この宮廷に集う者たちは、その現実に影を落とさぬよう――
ひとときの優雅を装い、あたかも平和の中にいるかのように振る舞っていた。
そんな中――
一人の少女が、そっと広間の敷居をまたぐ。
初めての社交の場に足を踏み入れた彼女は、わずかに緊張した面持ちで立ち尽くしていた。
肩にかかる深紅のドレスは、紅い髪と金の瞳を一層引き立て、
動くたびにその存在感を自然と際立たせていく。
その姿に、周囲の貴族たちが思わず視線を向ける。
誰とも言葉を交わさずとも、ただそこに佇んでいるだけで、静かな気品が滲み出ていた。
――今日、彼女は初めて、帝国の社交の舞台に姿を現したのだった。
「どうかしたか?」
声をかけてきたのは、もちろんノアだった。
黒を基調とした正装は、彼の銀髪と透き通るような青の瞳に、より一層の威厳を添えていた。
「いえ、ただ…こういう場は、慣れていないので…」
シャルはほんの少し視線を伏せ、息を整えようとした。
その様子を見たノアは、ごく自然に右手を差し出す。
「ならば、俺と一曲、踊らないか? リードは任せてくれ」
「……えっ、で、でも私……久しぶりですし……」
思わず遠慮がちに返すシャルだったが、ノアの微笑みと伸ばされた手に――抗う理由はなかった。
「大丈夫。君は美しい。自信を持てばいい」
そのひと言に背を押され、シャルはそっと手を重ねた。
優雅な旋律が流れる。
ノアの導きに従いながら、シャルの身体は自然と舞うように動き出していた。
彼の手は決して強引ではなく、けれど確かに彼女を支え、導いていた。
ただ、それだけなのに――
彼女の中の緊張は、まるで氷が陽に溶けるように、静かにほどけていった。
その光景に、周囲の貴族たちは驚きと戸惑いを隠せなかった。
「陛下が……あんなに穏やかな表情で……?」
「あの女性、誰かしら……見たことがないわ……」
「……なんて綺麗な髪……」
中でも、皇帝ノアを長年思慕してきた貴族の令嬢たちの視線は、嫉妬と警戒に満ちていた。
だが当の本人たちは、そんな周囲の空気などどこ吹く風。
シャルは、自分が微笑んでいることにさえ気づかないまま――
ノアの手の中で、春の一夜に優雅に踊っていた。
それは、ただの舞踏ではなかった。
ふたりの間に育まれた絆が、静かに、けれど確かに形になった瞬間だった。




