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第51話 キス

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 第51話 キス


 土曜日の午後、結衣と大輔は、期末試験に備えるために参考書を買いに行くことにした。結衣が「一緒に行かない?」と誘うと、大輔は少し照れくさそうに微笑みながらも、しっかりと頷いた。その姿を見て、結衣の心には自然と温かな喜びが広がっていった。


 本屋で目当ての参考書を無事に購入し、二人は充実した気分で帰り道を歩いていた。途中で大輔がふいに「ちょっとトイレに行ってくる」と言い、結衣を少し人通りの少ないベンチのそばで待たせることにした。結衣は大輔が戻るのを待ちながら、穏やかな午後の日差しに包まれた街をぼんやりと眺めていた。



 しかし、その静かな時間は突然、破られた。



「ねえ、君、ちょっといいかな?」



 振り返った結衣の目の前には、二人組の男性が立っていた。軽い笑顔を浮かべているものの、その視線にはどこか強引さが感じられる。結衣は困惑しながらも、「友達を待っているので…」と断りの言葉を口にしたが、相手たちは意に介さず、さらに強引に近づいてきた。



「そんなこと言わないでさ、ちょっとだけでいいから話そうよ。」



 結衣はますます不安を感じ、後ずさりしながら視線を逸らそうとした。しかし、二人はまるで狙いを定めたかのようにじりじりと近寄ってきた。そのとき、不意に背後から安心感のある声が響いた。


「結衣さん、大丈夫?」


 振り返ると、そこには戻ってきた大輔が立っていた。彼は一瞬で状況を理解し、二人組の間に勢いよく割り込んだ。だが、相手たちは大輔を嘲笑うように睨みつけ、まったく引く気配を見せない。


「なんだお前、邪魔すんなよ。」


 大輔は心の中で一瞬戸惑ったものの、結衣を守らなければという思いが彼の勇気を引き出した。



「僕の大事な人に手を出さないでください。」


 毅然とした声で言い放った。


 だが、男たちはその言葉にさらに挑発され、大輔を威圧するように前に出た。大輔は一歩も引かず、結衣の前に立ちはだかる。彼の中で、一つの強い決意が生まれた。


(絶対に、結衣さんを守る…!)


「逃げて…!」大輔は小さく囁いた。その声には、彼女を守り抜くという決意が込められていた。結衣はその言葉に驚きながらも、大輔の真剣な表情に圧され、泣きそうな顔で足を踏み出した。


「ごめんね、大輔君…!」


 胸が締め付けられるような痛みを抱えながら、結衣は全速力で走り出した。ふと後ろを振り返ると、大輔が二人組に囲まれ、肩を殴られる瞬間が見え、胸の奥が強く痛んだ。


(大輔君…どうか無事でいて…!)


 大輔は体を張って相手の進路を遮り、結衣が完全に安全な場所に逃げるまでの時間を稼ごうとしていた。相手の一人が拳を振り上げるのを見て、彼は体を丸めて攻撃を受け止めた。


(結衣さん、絶対に後ろを振り返らないで…早く、逃げてくれ…!)


 痛みが体に走るたびに視界が揺らいだが、それでも彼は耐えた。ぼやけた視界の中、結衣の小さな背中が消えていくのを確認するまで、彼はその場に立ち続けた。



 やがて、数分後――


 結衣は全速力でガードマンを探し、ようやく見つけると息を切らしながら現場に戻ってきた。目の前の光景に一瞬、血の気が引いた。大輔は地面に倒れ込み、顔にはいくつも痛々しい殴られた跡が残っている。


「大輔君!しっかりして!」結衣は涙を浮かべながら大輔のもとに駆け寄った。彼の呼吸は乱れ、意識は朦朧としていたが、彼は結衣の顔をうっすらと見つめると、微かに笑みを浮かべた。


「結衣さん…逃げて、早く…僕は…」


「もう大丈夫だよ、大輔君。」


 結衣は震える声で囁きながら、大輔の頬に優しく手を添えた。彼の頬の温かさを感じ、無意識に涙があふれ出す。彼が無防備なまま自分を守ってくれたことが、結衣の胸を締め付けた。


(どうして、こんなにも私を守ろうとするの…?)


 彼女の心に浮かんだ疑問に、彼は答えることはない。それでも、彼の行動が示した優しさと決意は痛いほど伝わってくる。










 結衣は、そっと唇を彼の頬に近づけた。

 胸が締め付けられるような痛みと愛しさを感じながら、彼の無事を確かめるように優しく口づけをした。










 自分を傷つけても、相手を守り抜く強さ――その覚悟と優しさに、結衣は心から大輔を愛おしいと感じた。彼の温もりが、彼女の心を深く揺さぶり、結衣の思いがさらに強くなった瞬間だった。


 その後、結衣は大輔を抱き起こし、近くの病院へと連れて行った。幸いにも、骨折や大きな怪我はなく、打撲や切り傷の消毒だけで済んだ。医師からは「少しの間、安静にしておくこと」とのアドバイスがあり、二人は病院の待合室で一息つくことにした。


「結衣さんが無事で良かった…」


 大輔は力なく微笑みながら、小さな声で呟いた。


「本当に、ごめんね…私のせいで、大輔君があんな危険な目に遭わせちゃって…」


 結衣は、うつむきながら涙を拭い、何度も謝った。


「そんなことないよ。結衣さんが無事でいてくれるだけで、僕はそれで十分だから。」


 大輔は優しく微笑みながら言った。しかし、結衣の頬が赤くなっているのを見て、大輔は少し心配そうに眉をひそめた。


「結衣さん、顔が赤いけど、大丈夫?もしかして、風邪でも引いたのかな…?」


(ああ〜、さっき恋人でもないのに頬にキスしちゃったから...。 は、恥ずかしい。き、気づいてないよね。)


 結衣はその問いにますます顔を赤くし、視線を逸らしながら小さく首を振った。


「だ、大丈夫…。大輔君が元気になってくれて、それだけで十分だから…」


 二人の間に、しばしの静かな時間が流れた。夕陽が待合室の窓から差し込み、温かな光が二人を包み込んでいる。その光は、まるで新たな一歩を踏み出す二人を祝福するかのように、柔らかく輝いていた。


 その後、大輔と結衣は、お互いに少し照れながらも自然な笑顔を取り戻し、病院を後にした。帰り道、二人は慎重に言葉を選びながら会話を続けていた。結衣は何度も大輔の顔を盗み見し、そのたびに頬が赤く染まるのを感じていた。


「結衣さん、本当にありがとう。僕を助けてくれて。」


 帰り道の途中、大輔はふと立ち止まり、真剣な目で結衣を見つめた。


「ううん、助けてもらったのは、むしろ私の方だよ。」


 結衣もまた、目を合わせながら微笑んで答えた。


 二人の距離は、以前よりもほんの少しだけ近づいているように感じられた。その日は、いつもの通り道を通って帰ったが、二人の心の中には新たな感情が芽生えていた。


 夕暮れの街を歩く二人の後ろ姿は、やがて静かに街の灯に溶け込み、その日の物語は静かな夜へと移り変わっていった。


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