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第42話 お母さん

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 第42話 お母さん


 その日は梅雨の晴れ間、午後の暖かい日差しが降り注いでいた。葵はスーパーに買い物に出かけ、リストを手に必要なものを探していた。買い物かごに野菜やパンを入れながら、ふと遠くに見慣れた顔を見つける。


「あっ、梨香ちゃん!」


 葵は小さく手を振った。


 梨香はお母さんと一緒に、買い物を終えたばかりの様子でニコニコとこちらに歩いてくる。「葵ちゃん~!」と軽やかに声をかけ、梨香のお母さんも微笑んで挨拶をした。


「こんにちは、葵ちゃん。また大輔君と一緒に遊びに来てね。海斗も楽しみにしてるのよ」


 梨香のお母さんが優しく話しかける。


「あ、はい!またお邪魔させていただきます!」


 葵は少し照れながらも答えた。


「でもあんまり兄妹の仲が良すぎると、梨香が焼きもちを焼いちゃうかもね〜」


「もぉ〜、お母さん!余計なこと言わないでよ!」


「ふふ、でも本当にいつでも遊びに来てね。梨香も喜ぶし、海斗も待ってるから」


「はい!兄と一緒に、また遊びに行かせていただきます!」



 ・・・


 買い物を再開した葵は、ふと思い出したように店内を見渡す。


「そういえば、まだ6月だけど、梨って売ってるかな?」


 しかし、探しても梨は見当たらなかった。


(時期じゃないってことか…。なんで梨が売ってないのよ…。)


 葵は心の中でちょっとしたイライラを抱えつつ、スーパーの棚を見渡したが、結局梨は見つからず、そのままお惣菜をいくつかカゴに入れ、夕食の支度を簡単に済ませることにした。


 自宅に戻ると、葵は大輔に向かって少し不機嫌そうに声をかけた。



「お兄!まだお願いした掃除終わってないよ!」


「ごめんごめん、今やるよ」


「本当、いつも役に立たないんだから。早く掃除して!」


 大輔は少しムッとしながらも、「夕食の準備、まだしてないみたいだけど…」と指摘すると、葵はすかさず「何?私だってたまには休みたいの!」と返してきた。


(なんか、今日の葵は機嫌が悪いな…。)


 夕食中も、葵はぶつぶつと文句を言いながら食事を進めていた。


「なんでこんな物流が発展した日本で、梨が売ってないのよ…!」


 大輔は驚いて「えっ?」と答えると、葵は少し苛立った声で「な・し!!」と答えた。


「あれ、梨って夏の終わりくらいじゃなかったっけ?6月だとまだ早いんじゃ…」


「知ってるわよ、そんなこと!」


 葵は少しイライラしながら言い返した。


 夕食はそのまま無言で進み、テレビの音だけが部屋に響いていた。大輔が片付けを始めると、葵がちらっとその様子を見てから、再びテレビに視線を戻した。


 数日後の土曜日、大輔と葵は梨香の家へ遊びに行くことになった。梨香のお母さんと一緒に料理を作るため、葵はキッチンで手伝い、大輔は海斗と遊んでいた。


「梨香もこれだけ積極的に手伝ってくれると嬉しいんだけどなぁ〜」


 梨香のお母さんが冗談めかして言うと、梨香は少しむくれたようにして「もぉ〜。そんなことないでしょ!」と笑顔で返す。


 葵は、梨香とお母さんのやり取りを微笑みながら見ていた。キッチンには、温かい家庭の雰囲気が漂っていて、自然と会話も弾む。


「葵ちゃん、手際が良いわね。肩とか疲れてない?」


 梨香のお母さんが気遣うように声をかけると、葵は「いえ、大丈夫です」と軽く答えた。


 少しの間、料理の手を止めた葵は、何か思いついたように顔を上げた。


「あの…肩もみ、しましょうか?」


 葵が申し出ると、梨香のお母さんは驚いたように目を見開いたが、すぐに柔らかく微笑んだ。


「まぁ、それは嬉しいわ。お願いしようかしら。」


 葵は、少し恥ずかしそうにしながらも、そっと梨香のお母さんの肩に手を置き、優しく揉み始めた。梨香は、葵が普段とは少し違う様子であることに気づき、その真剣な表情をじっと見つめていた。


「葵ちゃん、本当にありがとう。とっても気持ちいいわ。」


 梨香のお母さんが微笑むと、葵は少し照れたように「いえ、どういたしまして」と答えた。その姿に梨香は軽く頷きながら、「葵って、こんなに優しい一面があったんだ…」と心の中で思った。


 その日の夜、家に帰ると、父親が買ってきた梨がテーブルに置かれていた。


「あれ、梨…?」と大輔が呟く。


 その日は、亡くなった母親の命日だった。母親の大好物だった梨。それを目にした瞬間、葵がなぜ梨にこだわっていたのか、そして梨香の母親への肩揉みや料理の手伝いの際に見せた、あの微妙な表情の意味がはっきりと分かった。


「母さん、梨が好きだったもんな…」


 大輔は静かに思い出しながら、テーブルの梨を見つめた。


「親孝行したいときには親はなしって言うけど、まさにその通りだよな…」


 母親を失ってから、兄としてしっかりしなきゃいけないという思いは常にあった。それでも、実際は妹の葵に助けてもらうことが多かった。情けない兄だと自覚しながらも、葵が自分を支えてくれていることを感じていた。


(母さん、本当は僕がしっかりしなきゃいけないのに、いつも葵に頼ってばかりだ。情けない兄でごめんね。)


 大輔は窓の外に広がる星空を見上げ、母親の面影を探すように静かに思い出に浸る。


(でも、少しずつだけど、僕も変わってきてるんだ。友達ができたんだよ。結衣さん、梨香さん、みんな大切な友達だ。初めは何もできなかったけど、葵も僕の変化を喜んでくれてる。それが、すごく嬉しいんだ。)


 梨香のお母さんが葵の肩を優しく揉ませてくれた時、母のことが自然と思い出された。母親もこんなふうに、僕たちを気遣ってくれていたっけ、と。そして、葵もお母さんのことを思い出しながら肩もみをしていたんだろう。きっと、母のような温かさを感じたかったのかもしれない。


(お母さん、今でも寂しいけど、僕たち、前に進んでるよ。情けない兄だけど、僕も頑張ってる。葵も、すごく成長してるよ。)


 大輔は心の中で、亡き母にそう語りかけながら、ゆっくりと自分の胸の内にある感情を整理していく。静かな夜の空が、彼の気持ちを包み込んでくれるように感じられた。


 大輔は窓の外の空を見上げ、母親のことを思い出しながら、静かに感傷に浸っていた。


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