部活動紹介
「はぁ〜極楽極楽」
湯船に浸かり立ち上る湯気に上半身をウィットさせた私はあまりの心地良さに思わず声を漏らしていた。お風呂はとても素晴らしいものだと日本人である私は男の頃から知ってはいたけど性転換してから、正確には女になってから今まで以上に心地良く感じるようになった。
「やばい。長風呂になっちゃいそうだ」
お湯を掌に一掬い、顔に叩きつけて流れた汗を洗い落として立ち上がる。まだまだ余裕はあるけど入り過ぎてものぼせてしまうだけだ。軽くシャワーで全身を洗い流して扉に手を掛ければふと鏡が目に入った。
「……昔はまともに見れなかったけど、人って慣れるものだな」
以前は裸になることすら抵抗感があって、トイレも我慢していたくらいだけど今は特に気にすることなく淡々と済ませていられる。
「多分、あれがなければここまで慣れることはなかったんだろうなぁ」
大きなタオルで体を拭きながら私は思い返す。あれはいつだったか、定期検診に行った際に聞いた話だ。
「大切な話がある……ですか?」
最早実家のような安心感さえある病院の一室で検査を終えた私が最後に面談をしていると、医者の先生からそんな事を言われた。
すごく真面目な表情で言うものだからおっかなびっくりそう聞けば、先生はこくりと頷いて話し始める。
「これはある程度新しい体に慣れた方に話している内容になります。いずれはネットや社会にも情報が溢れ誰もが知る内容になりますが」
畏まって言う内容は私には想像がつかなかった。姉さんでも知らない話なのか? でも日本よりも患者数も多く研究も進んでいそうなアメリカにいた姉さんが知らないとは思えないから、私には言っていない、若しくは既に知っている話を聞かされるのかもしれない。
「単刀直入に言いますが、若返り病を患った患者から失われるものがあります。それが生殖能力です」
「……へ? 生殖能力……ですか? それってつまり、子供を作れなくなるってことですか?」
「その通りです。男性なら行為に及ぶことはできますが決して子供を作ることは出来ません。何故なら精子を作る事が出来なくなるからです」
先生が話した内容は私が知らなかった話だった。女性の場合は、つまり今の私は月のモノが来ることはないがその代わりに妊娠出来ない。そういう話らしい。
「本来なら入院期間中に話すべき内容なんですが、佐藤さんの場合は前例がなかったもので。確か今は養子として元のご家庭に住んでいるんでしたよね?」
「あ、はい。そうですけど」
「今回の話を切り出す事が出来たのは貴女のご家族の協力があったからなんです。アメリカで発生した性転換した患者の症状から同様の結果が得られたという事実確認が出来たのでこうして話す事が出来ているんです」
色々と辻褄が合う感覚を覚える。恐らくだけど姉さん達は知らなくてアメリカと直接やりとりした結果、確信を得られたのだろう。
「なんか……特にあれですね。ショックとかもなくて、変かもしれないですけど」
「確かにこの話を聞いた方は取り乱してしまうのが殆どではあります。ただ佐藤さんの場合は女性になってしまったという複雑な過程があるので、最初から女性であった方よりも平常心でいられるのは何もおかしいことはありません」
「正直、生理ってのがどんなものなのか分からなくてそっちの方が怖かったから逆に安心したんだよな。まぁ、その所為で女になった感じがしないのかもしれないけど」
女性なら誰しもが経験すること、話に聞けば色々な成長期を迎えることによって女性らしく変化していくらしいが私の場合は最初から完成していて、これ以上良くも悪くもならないと分かってしまっている。
「よし、終わり! それじゃあ寝よう寝よう!」
長い、長すぎる手入れが終わった私は部屋に戻る。どうせ手入れなんてしなくてもこの体は変わらないし、極論髪とか拭かなくても大丈夫らしいけど姉さんとかはそれを許してくれなかった。
肌のお手入れとかは最悪なくても良いと許してはくれたけど、最低でも髪だけはしっかりと乾かすようにと言われてしまった。
もう外は暗い。夜の室内は夏だというのに肌寒く感じて足早に階段を駆け上がり部屋に入る。ベッドに飛び込み布団を頭まで被ってスマホを弄っていると、姉さんから連絡が来ているのに気付く。
「あぁ、そっか。元の私って病気でアメリカ療養中に死んだ事になったんだよな」
姉さんから届いた連絡は私の……俺の葬式の日程とか詳細についての内容だった。どうやら男だった時の友達とか家族が沢山来るらしくて、生きているのに葬式が行われるという事実に少し複雑なものを覚えたけど、今回の話の肝は恐らく最後の言葉に詰まっているのだろう。
『凛は葬式に参加する?』
たったそれだけの短い文。なのにその言葉に含まれた思いは文字数以上の重みがあった。
「実際問題、そんな簡単に答えが出せるわけないよね」
「なに? なんか悩んでるのさとリン?」
「あ、いや、何でもないんです。ただちょっと……色々と今後の学校生活が不安になって」
「あぁ、そうだよねぇ。それ、実は私もなんだ。高校デビュー! 憧れのJKだぁっ! って意気込んではいたものの今は慣れるので正直精一杯。部活とかも何するか決めてないしさ、やりたいこともどれから手をつけていけばいいか分かんないし迷っちゃうよね」
入学式から今日で丁度一週間が経過した。二日休みを挟んでの月曜日、そろそろ皆学校に慣れて来た頃合いで油断というか学校に慣れたからこその好奇心みたいなのが出てくる。
何故分かるって? 一度経験しているからさ。なんて誰にしているのか分からない自慢をしていると、誰かがこっちに近づいて来た。朝のホームルームが終わった今、幸い一時間目は移動教室じゃないからこうしてメグミンさんと話している時に現れたのは見覚えのある二人の男子生徒。
「二人共おはよう。すっげぇ仲良さそうで羨ましかったから声かけちった。確か中学は一緒じゃないんだよね?」
「うん、そだよー。えっと藤井くんと成島くんだっけ?」
メグミンさんはいきなり現れた二人に対して特に警戒する事なく楽しそうに話している。私はといえば突然割り込んできた二人に警戒心マックスなんだけど、物怖じせずに話せるのはすごいなぁって感心してしまう。
「さとリンも連絡先交換しようよ! 今クラスの皆でレインのグルチャ作ろうって話しててさ、どう?」
スマホを出して男子生徒……あぁっと、藤井? じゃないか、成島さんがそんなことを言う。グルチャとは恐らくグループチャットのことだろう。メグミンさんを見れば知っているようで、ただ連絡先が知りたい為についた嘘ではないのだなと確認する。
「えっと、それじゃあメグミンさん招待してくれる?」
「うん、いいよ。あんましさとリンはレインとかやってないからさ、どうしようかなぁって思ってたんだけど杞憂みたいだね。ほら、このクラスでは私くらいしかフレンドいないみたいだし」
笑ってそう言うメグミンさんに声に出しそうになった感謝を抑える。聞く人によれば馬鹿にしてるなんて思うかもしれないけど、メグミンさんは私を気遣ってそう言ってくれてるんだ。実際効果はあったみたいで。
「あ、そうなんだ? ごめんねさとリン。いきなりは流石に迷惑だったかな?」
「す、すいません。成島さん」
「ははは、気にしないで良いよ。あ、俺は藤井だから名前だけも覚えてくれると嬉しいな」
こっちが藤井ね、と笑って指を指す。私は恥ずかしさから顔に熱が込み上げてくるのを自覚して、顔を隠すように下を向いてしまう。
「ほら二人とも。もう直ぐ授業だから帰った帰った」
「もうそんな時間か。それじゃあまた後でね」
二人が去って行くのを見送ってから漸く息が詰まったのが解放されて思わず安堵のため息を出してしまう。
「ほんとさとリンって男子苦手だよね。ま、そういうところも可愛いんだけどさ」
「もう、うるさいです。ほら、授業始まりますよ」
「はいはーい。あ、そうだ。聞きたかったんだけどさ朝に言われたじゃん? 二週間以内に部活の届出を出してくれって。さとリンは入りたい部活とかあるの?」
「部活? 私は……あるにはあるけ」
教室の扉が開かれる。入って来たのは一時間目の数学を担当する先生で慌てて私達は前に向き直った。用意を進めながらも私は頭の中でメグミンさんが最後に出した話題について考える。
「(部活……かぁ。別に強制じゃないっぽいし二週間後も普通に入れるらしいから焦る必要はないっぽいけど)」
周りを見れば皆真剣に授業を受けている。私も真面目に受けていない訳ではないけど正直そんなに集中してもいなかった。男の時は三年生だったし勉強以外特にすることもなかっからかなり成績は良い方だった。正直な話、一年の内容で特に最初期なんて中学の復習みたいなものだから勉強しなくても問題ない自信があった。
真面目に受けてる風を装いつつ私は部活をどうするかを長々と考えていた。
菫高校は生徒数が多いのもあって部活の数も他所に比べて多いらしい。更に部活だけでは収まりきらないから同好会も活発に動いていて、それでも尚少なくない数の帰宅部がいるらしいのだから驚きだ。
「楽しみだねぇ、部活動紹介」
「そうですね。どんな感じなんでしょう」
私達は今、昼休み後の二時間を丸々使って行われる部活動紹介に参加していた。
体育館で行われるそれは本来なら授業を丸ごと使っての会だというのに参加するかどうかは自由で、今も大勢の生徒が出たり入ったりしている。しかも帰宅してもいいらしく昼休みが終わって直ぐに帰りのホームルームが始まった時は驚いたものだ。
兎に角、私達はどうせならと体育館に並べられた椅子に座って舞台で行われようとしているそれを待っているのだけれど、内心ではあまり興味はなかった。
「私は運動部とか苦手だから、ただ見るだけになっちゃうかも」
「いやぁ、実は私もなんだ。一時間後に来れば良かったかな?」
二人して苦笑いを溢しつつ、それでも離れることはしないで漸く始まった部活動紹介に視線を送る。
どうやらプログラムとしては前半一時間を使って運動系の部活を。後半一時間を使って文化系とか同好会の紹介をしていくらしい。
朝に貰ったプラグラム冊子みたいなのに大雑把な流れと活動紹介みたいなのが載ってあった。
いつの時代も運動部が主権を握っているのか。なんて思ってしまうが実際この高校は運動部がかなり強いらしくどれも大会では全国常連が当たり前、悠々と優勝旗を貰ってくるらしく玄関には巨大なガラスケースに収められた幾つものトロフィーが飾ってあるのだから仕方ない。
数だけでいえば運動部の三倍近い数が活動しているようだけれど。
取り敢えずと私達は部活動紹介を見ているけど、やはりと言うべきか私に合いそうな部活はなかった。女子運動部なんてのもあったけど数は男子ほど多くないし、マネージャーなんて以ての外だ。
「やっぱりどちらかといえば文化系がいいかな?」
メグミンさんはふとそんな言葉を溢すが私もそれには賛成だった。今紹介している文化系の部活だけど一切惹かれることのなかった運動部と違い面白そうなのが幾つもあり、中でも特に気になったのが電脳探索部とかいう部活だ。
なんでも各自の家で用意したパソコンとかスマホを使ってネットの海を探索するみたいな部活らしいけど、どう考えてもただのネットサーフィ……んんっ! 家でも行える素晴らしい部活だと思う。
そろそろ終わりも近いかな、なんて時計を見ながら残り少ないだろう同好会の紹介を半ば惰性で聞いている。やっぱり文学部と漫画研究部に料理研究部はどの高校にもあるんだなぁなんて感想で終わりそうだと思っていると、舞台に上がって来た同好会の人達は何やら様子がおかしかった。
周囲から困惑の声が聞こえて来て、メグミンさんもなにあれ? みたいな顔をしている。多分、私も同じような顔をして見ているに違いない。
だって、今舞台に立っているのは四人紹介されているにも関わらず二人しかいないのだから。なら残りの二人はどこにいるのだと言われれば、恐らくというか確実に二人が持っているパソコンに映った二人に違いない。いや、あれを二人と言っていいのか? だって一人は普通にカメラで映像を撮られているけどもう一人は違う、あれは最近流行りのやつに違いなく。
「私達は現代娯楽研究同好会です! こんな風に配信したりvtuber したりして現代におけるありとあらゆるおもしろいを研究してまっす!」
自信満々にそう言い切る女子の制服を着た男子生徒。所謂オカマというやつだろうか、隣には魔法少女みたいな服装をした女子生徒がいて、楽しそうにパソコンを持ったままサムズアップしている。
「……やばいの見つけちゃったかもしれない」
私はこの高校のあれを許容する懐の深さに戦慄を覚えた。