ニ百万円
「でもまさか本当に亮が女の子になってるなんてな。姿も変わってるしびっくりしたぞ」
「そういう割には普通に見えるけど」
「まあ、多分最初っから亮……じゃないか、凛に会ってたら信じられなかったと思うな。ただアメリカで色々あってさ、それがあって今こんなに落ち着けてるのかな? そんな気がする」
姉さんは笑いながらそんな事を言う。アメリカで色々あった。研究を手伝ったみたいな事は知ってるけど具体的にどんな事をしたのかは知らない。一体何があったのだろうか。
「そうねえ、凛はさ世界でどのくらいの患者がいるか知ってる?」
「確か一万人とか言われてるけど実際は十万人以上いるとか言われてて具体的な数字は分からないんじゃなかったっけ」
「まあ、そうね。大人になるとさあんまり顔とか変わらないから体が痛くなったり熱っぽくなるとかいう症状があっても気づかない例もあるらしいのね。それで後から髪を切っても直ぐに戻ったり怪我しても治ったりして気付く事も多いらしいんだ」
「そうなんだ……知らなかった」
言われてみれば確かに、そんな事もあるだろうなと思える。入院中に医者だったり看護婦さんから若返り病について勉強してたけどそういう話は聞いた事がなかった。
「あとは宗教上の理由だとかね。私にはよく分からないけど海外って日本と違って宗教に熱心だからさ、難しい所もあるみたい。そんな表立って批判されてる訳じゃないけどね」
「そっか……ねえ、アメリカで研究に協力したって何があったの?」
恐らくそこに色々あったのほぼ全てがあるに違いない。そう思って聞いてみれば姉さんは難しい顔をして父さんと母さんに目配せしている。母さんは困ったように笑い、父さんは運転しているから顔はこっちに向けられないけど困ったような顔をしていた。
「どうなんだろう、凛になら言ってもいいのかな?」
「私はそういうの苦手だからねえ。パパはどう思う?」
「そうだなあ……そういえば茜。クリスさんと連絡先を交換していただろう? 帰る時にりょ、凛と会って何か分かったら連絡してくれと言われてなかったか? 今から序に聞いてみたらどうだ?」
「あ、それ天才じゃん。ちょやってみるわ」
姉さんは慌ててスマホを取り出すと誰かに掛け始める。クリス。名前は男女両方に使われてそうな名前でどんな人物なのか想像できない。脳内で筋肉ムキムキマッチョマンとグラマラスボディの美人を想像していると姉さんは突然笑顔になって話し出した。
「……何を言ってるのか分からん」
ペラペラの英語を話す姉さん。まるでネイティブのような話し方は日本人じゃないみたいで、正直俺からすると姉さんの方が別人に思えた。日本にいた時は多少の英語は話せたけど拙かったのに。アメリカに行ったのが二年前、私が一年生の夏頃に飛んでそれから二年とちょっとくらい。
人は変わるんだなあ。
なんて、そんな事を思っていると世間話みたいにテンション上げて話していた姉さんは通話を終えると笑顔で振り向いて来る。
「いいってさ。ただ他の人には言ったら駄目だから気を付けてね」
「そ、そうなんだ。良かった」
あの楽しそうな会話の中で聞いていたらしい。取り敢えず話を聞けて良かったと思う反面、何でそんなに気にしているのかと思ったらどうやら口止め料みたいなのも貰っていてそれが途方もない金額だったらしい。貰ったお金を全部合わせたら贅沢しなければ一生四人で暮らせるくらいだとか。え、それマジ?
「それじゃあ話すけど、先ずアメリカの発症数は世界で一番らしいの。公表されている数の十倍、全体で十万人の患者がいるらしいわ」
俺は開いた口が塞がらなかった。ああ、違う。私、私だ。気を抜くと直ぐに戻ってしまう。ええっと世間で言われてる患者数が多くて十万人だけど、アメリカで見つかってる数が十万人。これもしかしなくても想像よりも遥かに多いんじゃないか?
「何を考えてるか想像つくけどアメリカだけが特に異常らしいわ。多民族国家、世界中から沢山の人達が集まって出来た国だからって言われてるみたい。実際多民族国家は単一民族に比べて発症数が多いみたいね」
「それは……どうしてだろう?」
「分からないけど一説には人類の進化だとか言われてるわね。色んな人種、民族が合わさって進化を促したとかなんとか。知ってた? 日本って人口に比べての患者数が世界で一番少ないらしいわよ。勿論患者数だけで見てもワーストに入るとか」
日本での患者数が少ない。実際の発症数を知っていそうな姉さんがそういうならきっと正しいのだろう。公的に発表された百人を上回る事はあれどそこまで違いはないのかもしれない。
「アメリカではね、凛みたいに性転換した患者が実は数人だけいるの。私も会った事があってその人は三十代の女性がティーンエイジャー……ああっと、十歳を少し過ぎた位の男性になったのよ。小学生から中学生くらいね。見た目は日本人よりも濃い感じだからそこまででもないけど、でも一生子供のままの姿で生きなければいけないっていうのは大変な事だわ」
姉さんはそれ以外にも沢山の人を見てきたと言った。アメリカでは日本みたいに病院に入院するという形はとらないらしい。沢山の人が同じ施設、とはいっても規模が違くて最早一つの町みたいな場所に過ごしているらしい。
「悲しい事だけどね、海外ではカルト宗教が流行ってて最近では若返り病の人を……その、食べると不老不死になれるって信じてる人達がいるの。そこには被害者の人もいたわ。腕がなかったり足がなかったり中には四肢がない人もいた。幸いと言っていいのか分からないけど時間を掛ければ体も再生するみたいで研究所ではその再生技術の研究も行ってたわね」
欠損した部位の再生が出来る。そんなこと信じられないし、正直信じたくなかった。だって、そうだろう? そんな力が若返り病患者には、俺にはあって。でもそんなのって……化け物じゃないか。
俺が何を考えているのか、姉さんには分かったのかもしれない。強めに頭を撫でられて文句を言おうとすると悲し気な笑みを浮かべていた。
「研究員の中には確かにそんな事を思う人もいたわ。患者……いえ、祝者の中にもね。でもね、私はそれって素晴らしい事だと思うの。普通の人とは違う、だけど素晴らしい力を持っているのは誇るべきことだと思うわ」
「しゅく……しゃ? アメリカでは患者の事をしゅくしゃって呼んでるの?」
「ああ、そっか。凛は知らないわよね。向こうでは神からの祝福を受けし者で祝者って呼ばれてたりするの。だって患者って、何も悪くないのにそんな呼ばれ方するのは嫌じゃない?」
「そっか……確かに、そっちのほうがいいかも」
「でしょ? あ、そろそろ着くわね。我が家の登場よ」
「……? どういうこと?」
病院があるのは東京。家があるのは千葉県の下の方だ。長い車旅になると思って車用の枕とか用意してたんだけど姉さんは何を言っているんだ?
まあ、大体の察しは付いてたりするが。姉さんたちは返って来て直ぐに病院に来た筈で、今の時間は十二時を過ぎた位。今から帰っても家に着くのは大分遅くなるし疲れ切っているのもあってここら辺の宿に泊まるつもりなんだろう。姉さんはそれを言い方を変えているだけだ。
「住宅街しか見えないけど、どこに宿があるの?」
車の外を見てみればここは一軒家が並ぶ住宅街になっているらしく、宿があるようには見えなかった。もしかしたら都会には一軒家を宿にしたりとかあるのかもしれない。私が都会は凄いなあなんて思ってると車が止まって皆が下りだしたので私も下りてそれを見る。
「……なにこの家」
そこには他の家と比べても大きな一軒家があった。一回り以上大きいかもしれない。広い庭付きのそれは明らかに私達とは不釣り合いな感じがして、こんな家に泊まるなんて宿泊料金が相当掛ったんじゃないか?
「さ、ここが今後私達が暮らす家になるわよ」
「一体幾ら宿泊費払った……え? なんて?」
「私達の新しい家よ? あ、留学は終わって私達も日本に住むことになったから。よろしく」
俺は開いた口が塞がらなかった。いやだって東京の住宅街で、こんなに大きな敷地に家で、一億くらいかかってるんじゃないかっていう存在が目の前にあって、それで此処に住む? いやいやいや、嘘でしょう? 嘘だよね?
「あ、因みに全部で二億位掛かったらしいよ。半分は日本からの補助金で、もう半分はアメリカから貰ったらしいから私達からすればただ同然だけどね。やっぱり性転換した人は珍しいみたいで協力する代わりにって気前よく払ってくれたわよ」
顎が外れるかと思った。いやだって、ええ……そんなことある?
「……? 電話?」
スカートのポケットに入れていたスマホが震える。マナーモードにしてるから着信音とかは鳴らないけどメールではないだろう。取り出してみれば掛けてきたのはお……私が病院との手続きをする際に政府から派遣されたっていう人で、駐車場にいつまでもいるのは暑いから先に家に入って行った三人を追いつつ電話に出る。
「はい、もしもし。いし……じゃない。佐藤凛です」
【あ、凛ちゃん? 元気そうでよかったよ。凛ちゃんのお姉ちゃんのミミだよお】
「お姉ちゃんじゃないですけどね。それで、何の用ですか?」
【あ、実はね。今度の面会の時に言おうと思ってたんだけど凛ちゃんも心配だろうし安心させてあげたくてね。確か引き籠って生きたいんだっけ? その願いが叶いそうだなって思って掛けちゃった】
困惑する。何が言いたいのか分からず扉を開けながら広い玄関に驚きつつ次の言葉を待つ。一拍の間をおいてミミさんは言った。
【なんかアメリカさんとこっちで色々と話し合ったみたいで共同研究っていう形にする代わりに多額の援助金があったみたいなのよね。それで凛ちゃんへの支援金も増額したみたいで大体月に二百万円振り込まれるらしいから、それだけ言っておきたくてね】
ミミさんはそれだけ言うと電話を一方的に切る。後ろから聞こえる扉が閉まる音。ニ百万円。家の中から聞こえる歓喜の声。二百円? 新築の家らしい綺麗で機能的な感じがする内装。やっぱりニ百万円か。
「に、ににに、二百万円?」
つまり……つまり月に二百万円分の研究に協力しなくちゃいけないということ? 俺の脳裏に腕とか足がない人の姿が思い浮かぶ。それが今の俺の姿と重なり。
不思議そうに下に降りてきた姉さんに励まされて、ミミさんとかクリスっていう人に連絡を取った姉さんから非人道的な事はしないという話を聞くまでは生きた心地がしなかった。
「ニ百万かあ……マジで引き籠れそう」
やばい。テンション上がってきたかもしれん。
宗教タグって入れた方が良いのかな?