今世は長生きしたいので悪役令嬢的行動は慎んだのに断罪イベントが発生しました。
「隣に立つのにあなたのような人は相応しくない! 婚約破棄です!」
どうしてこんなことになってしまったのか。
卒業パーティという華やかな場に相応しくない不穏な空気の当事者の一人であり、この世界における悪役令嬢でもある私は額を押さえてため息をもらした。
どうして自分のことを悪役令嬢だなんて言うのかって? 恋敵をいじめたから? 亡き者にしようとしたから? いいえ、いいえ。そんな恐ろしいこと、していません。
前世では地味で目立つことが苦手なゲームをやることだけが楽しみのしがない会社員でしかなかった私にそんな恐ろしいことできるわけがない。
そう――。
令和の日本に生まれ育ち、血の繋がらない妹に婚約者を奪われた挙句に殺され、私を養子として引き取り育ててくれた義母に泣いて謝られながら山中に埋められただけのしがない会社員だった転生者。
それが私。
私が転生したのは『チェンジリング ~妖精のイタズラ~』という死ぬ直前にやっていた乙女ゲーの世界。
ヒロインは東のど田舎で貧乏貴族の長女として育ったソフィー。生まれてすぐに妖精のイタズラで同じ日、同じ晩に生まれた貧乏貴族の子と取り替えられたけれど、本当は大国アリストリアの第一王女、という設定だ。性別にかかわらず第一子が王位につくこの国では次期国王という立場でもある。
ちなみにこのヒロイン・ソフィーというのが――。
「どう考えても女神なのに悪女呼ばわりするなんてとんでもない人!」
私の隣でぷんすこ怒っている筆舌不可な天使様。この国の王族らしくと言うべきか、乙女ゲーのヒロインらしくと言うべきか。薄桃色の髪に空色の瞳をした綿菓子のようにふわっふわで甘くてかわいいを全身で体現している超絶美少女様だ。
やや青みを帯びた白いフリフリのドレスがよく似合っている。まぁ、天使なので何を着ても似合うし、かわいいのだけれど。
そして、そして――。
本当はど田舎の貧乏貴族の長女だけど、大国アリストリアの第一王女・次期国王として育ったのがベアトリス。私が転生した『チェンジリング ~妖精のイタズラ~』の悪役令嬢・ベアトリスというわけだ。
アメジストのような紫色の瞳と紫がかった銀色の髪を持った雪のように凛とした美しさを全身で体現している超絶美少女様。でも、数いる王の子供たちの中で唯一、違う髪の色、目の色をしていれば目立ってしまう。もちろん悪い意味で。
不義を疑われて正妃でありながら軽んじられている母と自分の身を守るため、ベアトリスは幼い頃から完璧であろうとした。陰では血の滲むような努力を続け、人前では涼しい顔で文武両道の優雅な王女を演じ続けた。
そんな状況が一変するのが十五才のとき。明日がゲームの舞台である王立学園の入学式という日の夜に妖精がやってくるのだ。イタズラの――取り替え子のネタ晴らしをしに。寮に入り三年間は王城に戻らないベアトリスに短い別れを告げに来た、ベアトリスを実の娘と信じて愛そうと十数年、努力してきた正妃の目の前で、だ。
あなたはわたくしの自慢の娘。
第一王女らしく、次期国王らしくありなさい。同年代のどの子よりも誰よりも優秀でありなさい。
あなたは間違いなく王とわたくしの子なんですもの。きっとできるわ。えぇ、絶対にできる。
そんな言葉でベアトリスに血の滲むような努力を強い、依存的な愛情を注いできた正妃は妖精の告白を聞くなり手のひらを返し、怒り狂う。
「わたくしの子を……王の血をひいたわたくしの本当の子を返して!」
「お母様、やめてください!」
健気なベアトリスは妖精につかみかかろうとする母を守ろうとしただけだった。怒った妖精は何をするかわからないから。
でも――。
「本当の娘でもないくせに馴れ馴れしく触れないで! 〝お母様〟などと白々しい! わたくしと娘からすべてを奪った泥棒ネコのくせに……!」
怒り狂った正妃はヒステリックに叫んでベアトリスを突き飛ばした。
血が繋がっている。
それはとても重要なことだけれど十数年の月日も努力も一瞬でなかったことになるほどに重要なことなのかしら。
そう静かにベアトリスが語るのは断罪イベントの終盤でのこと。
ベアトリスは生みの母親ではないけれど育ての母親ではあるはずの正妃に拒絶され、衝動的に殺し、妖精と契約して存在すらも消した。
こうして正妃の死という一大事も、王女が取り替え子だという一大事も明るみに出ないまま。ヒロインは王立学園に入学し、ゲームは開幕し、ベアトリスは自分と同じように妖精のイタズラの被害者である本当の第一王女を――ヒロイン・ソフィーをも正妃と同じように殺し、存在を消そうと暗躍するのである。
王の血をひいている。
ただ、それだけで王女としての立場だけでなく母も、家族も、婚約者も……私が死ぬような思いで築き上げてきた十数年間の何もかもを奪っていくあなたこそが泥棒ネコではないのかしら。
大切なモノを守るために火の粉を払おうとする。それの何が悪いの? 私、何かまちがったことを言っているかしら?
断罪イベントで攻略対象キャラなイケメンたちに取り囲まれながらほの暗い瞳でヒロインを見つめるベアトリスは妖しく美しく、完璧な悪役令嬢――……。
「だけれども! そんな美少女に転生できてちょっとうれしくなっちゃったけれども! よくよく考えたら断頭台一択じゃん! ベアトリスの結末、断頭台一択じゃん! 断頭台の露と消えるのは困る! そんな恐ろし過ぎる最期、本っっっ当に困る!」
と、叫びつつ前世の記憶を思い出し、ここが乙女ゲー『チェンジリング ~妖精のイタズラ~』の世界で、自分が悪役令嬢・ベアトリスに転生しているのだと気が付いたのは入学式前日の朝。
つまり今夜には妖精がやってきて正妃の前でネタ晴らしをしてベアトリスの悪役令嬢人生、スタート! というタイミングだった。
前世では地味で目立つことが苦手な、ゲームをやることだけが楽しみのしがない会社員でしかなかった私だ。第一王女という立場も次期国王という立場も興味がない。興味がないどころか前世の記憶と人格を取り戻した今となっては全力で遠慮したい。ど田舎の貧乏貴族大歓迎。庶民的暮らし大歓迎だ。一国の王とか国民の生活とかムリムリ。重責過ぎて考えるだけで吐いちゃいそう。前世に引き続き、家族運に恵まれなかったっぽいのは残念だけど、今世こそは長生きしたい。
そんなわけで前世の記憶を思い出してから約半日。頭をフル回転させて妖精のネタ晴らしを聞いて怒り狂う正妃を前にどう立ち回り、何を言うかを考えに考え抜いた。
結果――。
「ど田舎の貧乏貴族として庶民と変わらない環境で育ったアンタの娘には王族どころか貴族としての最低限のマナーも備わっていないぞ!」
緊縛魔法で妖精を吊るしあげた私はソフィーの現状を洗いざらい吐かせた。妖精の答えは予想していた通り。なにせゲーム開始時のソフィーがまさにそういう設定だったからだ。
実の娘の現状を聞いて絶望する正妃に優しく寄り添い、私は耳元で囁いた。
「彼女も王立学園に入学するようです。私が三年間、手取り足取り付きっきりで淑女教育を施します。イイ感じに仕上がったところでお披露目といきましょう。目標は三年後、卒業パーティあたりで!」
三年後の卒業パーティはベアトリスの断罪イベントが発生する日だ。その日をゲームでは存在しないヒロインのお披露目大団円イベントに塗り替え、どうにか断頭台を回避しようという作戦だ。
ど田舎の貧乏貴族大歓迎、庶民的暮らし大歓迎なんて言いながら王立学園に通うのはやめないのかって? たしかに学園を通うのをやめればヒロインと接触しないで済むし断罪イベントが発生する可能性もグーンと低くなる。でも、イイところの学校に学費の心配をすることなく通えるならそれに越したことはない……と、学歴社会・日本で生まれ育った私は思ってしまったのだ。
ちなみに貧乏貴族のはずのソフィーがバカみたいに学費の高い王立学園に通えるのは貴重な聖属性の魔力持ちで学費免除の特待生扱いだから、という設定だ。
うーん、ヒロイン特権。
そんなわけで入学式当日――。
ゲームのシナリオなんて完全無視できょとんとしているソフィーに事情を説明した私はやや強引にルームメイトという立場をもぎ取ると淑女教育を開始した。それこそ寝ても覚めても終わらない詰め込み式教育だ。
最初こそ私の、私ができる、最っっっ高に厳しい指導に戸惑っていたソフィーもそのうちに王族として、第一王女としての自覚に目覚めたらしい。自主的に学び、学園に通う様々な人たちに教えを請い、相応しい教養を身につけるべく日々、励んだ。
「あなたのためなら私はいくらでもがんばれる。どんな努力も努力じゃないし、どんな苦労も苦労じゃない!」
ヒロイン・ソフィーの決め台詞を生で聞いたときには『チェンジリング ~妖精のイタズラ~』ファンとしても教育係としても目がうるっときてしまった。
本来は攻略対象キャラなイケメンに向けてのセリフなんだけど……と一瞬、思いはしたけどあまり気には留めなかった。なにせ攻略対象キャラなイケメンたちとソフィーとの恋愛イベントはゲームとは少し違う形ではあるものの順調に進行中に見えたからだ。
「ソフィー、今日も愛らしい。まるで天使のようだ」
「……はぁ」
「中庭のバラが咲いたそうだよ。どうだろう、僕といっしょにお昼を……」
「ベアトリス、中庭のバラが咲いてるんだって。今日のお昼は中庭で食べよう!」
「……え、えぇ、ソフィー」
多分、きっと、順調に進行中のようなに……見えないこともなくもないと思ったのだ。
と、いうか――。
ベアトリスが偽りの王女で、ソフィーが本当の王女で、妖精のイタズラで取り替えられた子供だということはまだ私とソフィー、正妃と王立学園の学園長くらいしか知らないというのに――。
ゲームと同じように攻略対象キャラのイケメンのうち一人はベアトリスの婚約者で、二人はベアトリスの護衛を命じられた騎士で、一人は教師だというのに――。
ゲームと違って私とソフィーはルームメイトで、仲が良く、常に行動をともにしているというのに――。
「僕は真実の愛を見つけたんだ。教えてくれたのは……そう、君だよ、ソフィー!」
「騎士の家系に生まれたこの身が憎い。しがらみも命令もすべて無視して君だけを守れたらいいのに」
「……!」
なんてセリフを婚約者であり護衛対象者であるベアトリスの目の前で――私の目の前で言いますか? という話なのである。まぁ、断罪イベントを発生させないためにグッと言葉を呑み込んで聞こえないふりでそっぽを向いてましたが。
唯一の救いは――。
「へえ、はあ、そうですか。それじゃあ、私はベアトリスとお昼を食べるので。ベアトリスと二人で食べるので!」
ソフィーが手を引いてさっさとその場から連れ出してくれることだ。おかげでブチギレることも、うっかり泣き出してしまうようなこともなく卒業の日を迎えることができた。
だから、そう――。
断罪イベントなんて起こるはずない。そう信じていたのに。
王立学園の卒業パーティというゲーム的にも大国アリストリア的にも重要な舞台で妖精のイタズラというとんでも事情を正妃が説明し、偽りの王女であったベアトリスが三年間のソフィーの努力を讃え、本当の王女であるソフィーを大々的にお披露目して大団円! となるはずだったのに――。
「隣に立つのにあなたのような人は相応しくない! 婚約破棄です!」
婚約破棄宣言である。断頭台の露と消えるよりはずっといいけれど、だけど、それはさておき、断罪イベントが発生しちゃったのである。
しかも――。
「……どうして私の婚約破棄をあなたが宣言するんですか、ソフィー」
というわけである。
断罪されているのは悪役令嬢な私ではなく攻略対象キャラなイケメン。婚約破棄を言い渡されたのはベアトリスの婚約者である金髪碧眼の貴族なお坊ちゃまくんだ。
「え……、いやだった? こんなやつと結婚したかったの、ベアトリス? 婚約者の目の前で他の女を口説くような男と結婚したかったの? 私じゃなくて、こんな男を選ぶの!?」
「そんなわけないじゃないですか! だから、チワワもびっくりな超絶かわいいうるうるおめめで私の胸をさらっと射抜くのはやめてください、ソフィー!」
腕にしがみつくソフィーから顔を背けて私は思わず絶叫する。直視したら死んじゃう。かわいすぎて死んじゃう。
「つまり……ベアトリスとの婚約を破棄して私と婚約して! ということだね、ソフィー! 喜んで!」
金髪碧眼のいかにも乙女ゲー正統派攻略対象キャラといった容姿の貴族のお坊ちゃまくんが期待に満ちたキラキラな目でソフィーを見つめて叫んだ。彼の耳に私とソフィーの会話はまったく入っていないらしい。
いや――。
「悔しいけれど彼にならソフィーのことを任せられるよ。幸せになってね、ソフィー」
「……!」
「何か困ったことがあったらいつでもこの学園においで。卒業しても、王女になっても、君は私の教え子だよ」
攻略対象キャラなイケメン熱血護衛騎士くんと寡黙護衛騎士くん、王立学園の最年少教師の耳にも私とソフィーの会話はまったく入っていないようだ。
「いやいやいや。だから、婚約者の目の前で他の女を口説くような男と婚約も結婚もしないし」
「そ、そんな!?」
ひらひらと手を振るソフィーの前に金髪碧眼の貴族なお坊ちゃまくんは膝から崩れ落ちた。
「そ、それはつまり……!」
「……!」
「学園に通っているあいだは教師と生徒という関係だが、今日は卒業式。明日からはただの男と女……!」
攻略対象キャラなイケメンの熱血護衛騎士くんと寡黙護衛騎士くん、王立学園の最年少教師は〝もしや本命は自分!?〟とこれまた期待に満ちたキラキラな目でソフィーを見つめた。
でも――。
「いやいやいや。護衛対象者を放って他の女を口説くような男とも教師でありながら私的感情でえこひいきするような男とも婚約も結婚もしないから」
「……っ」
「……っ」
「……っ」
これまた一蹴。ソフィーの前に熱血護衛騎士くんも寡黙護衛騎士くんも王立学園の最年少教師も膝から崩れ落ちた。ガックリと膝をついてうなだれる攻略対象キャラなイケメンたちを乙女ゲーのヒロインなはずのソフィーは仁王立ちでにらみ下ろした。
「私の女神なベアトリスを傷つけておいて図々しい。あなたたちの誰一人としてベアトリスの隣に立つには相応しくない」
「いや、俺たちが立ちたいのはソフィーの隣……」
「ベアトリスの隣に立つなんて許さないし、私とベアトリスのあいだに立つことも許さない! 邪魔をするな、挟まるな! 婚約? 論外です、論外。ベアトリスは私だけの女神です!」
「……ソフィー、やめて」
衆人環視の中、女神女神と大真面目な顔で連呼しないでもらいたい。気持ちはうれしいけど……恥ずかしい!!
「……女神? ベアトリスが女神!? そんなわけない! 君をいじめ抜いていた悪女じゃないか!」
元婚約者な金髪碧眼の貴族のお坊ちゃまくんがビシッ! と私を指さした。
断頭台の露と消えるのが嫌で悪役令嬢的行動はつつしんだはずなのに……悪女? 今度こそ断罪イベント発生!? もしかしてゲームの強制力!!? ……と内心でビクビクしながら首をすくめているとソフィーが半歩前に出た。まるで私のことを背にかばうかのように。
「ソフィーが本当の王女だった。正妃様の話を聞いて確信した。ベアトリス、お前はソフィーに醜くも嫉妬し、教育係という立場をいいことにいじめ抜いていたんだ!」
「夜、寮室の扉の前で警護をしていたときに俺たちは何度も聞きました! ソフィーが泣き叫んでいるのを!」
「……! ……!」
元婚約者な金髪碧眼の貴族のお坊ちゃまくんの言葉を肯定するように熱血護衛騎士くんが言い、寡黙護衛騎士くんがうなずく。話の成り行きを見守っていた人たちも〝泣き叫んでいた〟と聞いてざわざわとざわつき始めた。
たしかにソフィーが泣いてしまうほどに厳しく指導をしたことは何度もある。ソフィーのため、と心を鬼にしてやってきたことだけど――。
「やっぱり厳し過ぎたでしょうか。どうしたって私は悪役令嬢……断頭台の露と消える運命なのでしょうか……」
「自分の罪を認めたな、悪女ベアトリス!」
「あぁ、やっぱり厳し過ぎたんですね! 答えを間違えたら頭なでなでナシなんて鬼畜の所業、悪役令嬢の極みですよね!」
「その通り! まさに鬼畜の所ぎょ……は? 頭なでなで?」
「そうですよね! 問題に挑もうとするその姿勢だけで十分に頭なでなでに値しますよね! なのに……あぁ、私はなんてひどいことをソフィーに!」
「そんなことないよ、ベアトリス! 私のことを思ってしてくれたことだもの! ベアトリスは悪役令嬢なんかじゃないし、断頭台になんて近付けさせもしないから!」
なんて優しいソフィー……さすがはヒロイン、やっぱり天使! と感動で目を潤ませていた私はざわざわざわついていた衆人の皆様がにこにこにやにやし始めたことに気が付かなかった。
それから――。
「なんて優しいソフィー! さすがは僕の天使! そんな悪女すらもかばおうとするなんて!」
金髪碧眼の貴族のお坊ちゃまくんも気が付かなかったよう。衆人の皆様による懲りずに何、挟まろうとしてるんだよ……と言わんばかりの冷ややかな視線にももちろん気が付かない。
「そうやってソフィーの優しさにつけ込み、甘言で丸め込み、第一王女であり次期国王である彼女を操り人形にしようという魂胆なんだな、悪女ベアトリス! そうでなければソフィーがあんなことを言い出すはずがない!」
「……あんなこと?」
きょとんと首をかしげて隣を見るとソフィーはドヤーッ! と言わんばかりの顔で胸を張っている。
「先だって王や大臣、僕たちに事情を説明したとき、妙な法案を提出した上にゴリ押しで通させたんだ!」
「……! ……!」
「まったく話が見えないのですが?」
きょとんと反対方向に首をかしげながら私は脳内で話を整理した。
先だっての……というのは卒業パーティを前に根回し的な意味合いもこめてソフィーを王城に連れて行ったときのことだろう。たしか一か月ほど前のことだ。
王族特有の薄桃色の髪に空色の目をしたソフィーを見た瞬間、国王も大臣たちも正妃が説明する〝妖精のイタズラ〟なんていう突飛な話をあっさりと信じた。そして正妃同様にくるーっと手のひらを返すと国政に関わるべき正しい身分の者だけで話がしたいからと言って私のことを――十数年、実の娘として、次期国王として接してきたベアトリスをさっさと追い出したのだ。
だから、そのあとソフィーが国王や大臣たちとどんな話をしたのか、私はまったく知らない。
知っているとしたらその場に残ったソフィーと正妃。
それから――。
「純真無垢な天使であるソフィーがあんな脅しみたいな方法を思いつくはずがないし、実行するはずがない! お前が無理矢理にやらせたんだろ、ベアトリス! あるいは闇魔法でソフィーの精神を操ったんだ!」
「……! ……!」
ソフィーの護衛として残っていた熱血護衛騎士くんと寡黙護衛騎士くんだ。どうやら彼ら二人から攻略対象キャラなイケメンたちに話が広まったらしい。
「この国で三本の指に入る闇魔法の使い手なベアトリスくんなら人の精神を操るくらいなんてことないからね。ちなみにあらゆる属性魔法でこの国で三本の指に入る使い手な私も人の精神を操るなんてお茶の子さいさい!」
そんなヤバイ話、自慢げにしていいんですか? って話を王立学園の最年少教師が胸を張って言う。白い目で王立学園の最年少教師を一瞥。一体、どんな法案を通そうとしたのかと尋ねるようにソフィーを見つめる。私の視線に気が付いたソフィーはいたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「ベアトリスを大切にしない人となんて婚約させないし結婚もさせない。ベアトリスはベアトリスのことを誰よりも愛していて大切にする人と婚約するし結婚するの」
「そんなの……」
そんなの、無理に決まってる。
その言葉を呑み込んでうつむこうとしていた私のあごを指で持ち上げ――。
「そう、私しかいない!」
ソフィーは唇の片端をあげて強気な笑みを浮かべた。
「ベアトリスは私のお嫁さんになるの。ベアトリスを誰よりも愛していて大切にする私と婚約して、結婚して、最っっっ高に幸せになるの!」
「「「……は?」」」
金髪碧眼の貴族なお坊ちゃまくんに熱血護衛騎士くんに王立学園の最年少教師。
「……?」
それから寡黙護衛騎士くん。
「「「「「……へ?」」」」」
それからそれから衆人の皆様。
彼ら彼女らと同じように――。
「…………え?」
私もきょとんと目を丸くし、ぽかんと口を開いてソフィーを見つめた。
でも、理解はその場にいる誰よりも早かった。
「ソフィー、まさか、あなた……」
「うん、同性婚を認めさせた!」
この国は王座も爵位も世襲制。だから血の繋がりが重要視されるし、どれほど優秀でも王の血を継いでいないとわかったベアトリスが王族や大臣たちから冷遇されるのは当然のことだった。
血が繋がっている。
それはとても重要なことだけれど十数年という月日も努力も一瞬でなかったことになるほどに重要なことなのかしら。
そうゲームの中のベアトリスは嘆いていたけれど、彼女も心のどこかで思っていたはずだ。仕方がない、と。
なのに――。
「同性婚を認めさせた!?」
「うん。後継者の問題があるから養子縁組制度も通しておいたよ」
ヒロインであるはずの、悪役令嬢とは対立する存在であるはずのソフィーはあっけらかんと笑ってベアトリスが嘆き悲しみながらも〝仕方がない〟と諦めていたものすべてを根底からひっくり返したのだ。
たしかに前世の記憶を元に雑談的に――あるいは夢物語として同性婚という制度があると話したことはある。だけど国王や大臣たちを説得する方法を私は考えつけなかった。今も考えつかない。
一体――……。
「一体、どうやって説得したの?」
「説得って言うかなんていうか……こんな感じ?」
そう言ってソフィーが人差し指を天井に向けて突き上げた瞬間――。
「……!」
その場にいた全員が息を呑んだ。
虹色に輝く透けた六枚の羽を持ち、髪も肌も白く光り輝くような美しい女性がソフィーの背後に現れたのだ。穏やかな、しかし、底知れぬ微笑みを浮かべる彼女が人ならざる者であることは誰もすぐに理解できた。
前世で散々にこのゲームをプレイしていた私は彼女の正体にもすぐに思い当たった。
「妖精王・アリストリア……!」
そうだった。
ゲームでもこうだった。
金髪碧眼の貴族なお坊ちゃまくんはベアトリスの口車に乗せられて自覚がないままソフィーを危険にさらし、国王や正妃の怒りを買う。
熱血護衛騎士くんは父と兄がベアトリスの協力者だったことが発覚して彼自身も処刑の危機に瀕する。
寡黙護衛騎士くんはソフィーを心配するあまり騎士団長の命令を無視して独断で行動し、逆にソフィーを危険にさらしたことで責任を問われる。
王立学園の最年少教師は大国アリストリアが滅ぼした亡国の王子だとわかり拘束される。
『チェンジリング ~妖精のイタズラ~』はどの攻略対象キャラなイケメンと結ばれることになってもすんなりとエンディングには向かわない。必ず周囲からの強烈な反発がある。その反発すべてを跳ねのけ、状況をひっくり返す飛び道具にして最も気合の入ったスチル絵が登場するシーン。
それが――。
『妖精王の名において我が愛し子が愛する者に祝福を』
強大な力を有し、大国アリストリアの建国にも関わったとされる妖精王からの祝福という名の額への口付けだ。
うーん、ヒロイン特権。妖精王どころか制作陣の寵愛を受けているだけのことはある。
そして今回、ヒロイン特権を享受し、妖精王の祝福を受けたのは――。
「……私?」
「ちょっと妖精王! 私のベアトリスにいつまでキスしてるの!」
『祝福だ、我が愛し子』
「軽く、なんなら触れない程度にチュッってするだけで十分でしょ。ほら、やることやったんだから帰った帰った!」
『ふむ。では、また何かあったら呼ぶといい』
目を丸くしている私をよそにソフィーはひらひらと雑に手を振って妖精王を追い払う。消えていく妖精王がニコニコ顔だからいいようなものの、見ているこっちはひやひやものだ。
「血が繋がってる。それはとても重要なこと」
消えていく妖精王を呆然と見送った私はソフィーの言葉にハッと顔をあげた。その言葉は『チェンジリング ~妖精のイタズラ~』の断罪イベントでベアトリスがほの暗い瞳でつぶやくセリフだ。
顔をあげると空色の瞳が私を――ベアトリスを真っ直ぐに見つめて微笑んでいた。かわいくて優しくて天使で、だけど意志の強さを感じさせるソフィーの瞳がベアトリスのアメジスト色の瞳を真っ直ぐに射抜く。
血が繋がっていないという理由で重ねた時間も努力も一瞬で否定され、なかったことにされた。ゲーム内のベアトリスはそのことに絶望して妖精と契約し、悪役令嬢へと堕ち、断頭台の露と消えた。
私には前世の記憶がある。乙女ゲー『チェンジリング ~妖精のイタズラ~』をプレイしたときの記憶がある。断頭台の露と消えるなんて恐すぎる最期を迎えるのはごめんだから重ねた時間や努力を一瞬で否定され、なかったことにされても嘆き悲しんだりせずに笑ってみせた。ベアトリスのように絶望し、悲しみに我を忘れてヒロインであるソフィーを亡き者にしようなんてことは考えなかった。それどころかソフィーや正妃に言い寄って今世こそは長生きしようとした。
私は――ベアトリスの十数年の月日と努力をなかったことにしたのだ。
だけど――。
「だけど、重ねた時間だって重要。私はそう思ってるよ、ベアトリス」
前世の記憶があるように、ベアトリスとして生きてきた十数年の記憶だって私の中にはある。ゲームの中でベアトリスが抱いていた絶望や悲しみ。でも、それはゲームの中だけのことじゃなくて、今、ここで生きているベアトリスの――私自身の胸の痛みでもあるのだ。
「……今世こそは長生きしたい。長生きさえできればいいって思ってた」
「なあに、コンセって」
くすくすと笑いながらソフィーが私を抱きしめる。
「前世だけじゃなくて今世も家族運に恵まれなかったんだなって。でも、仕方がないってあきらめてた」
ソフィーの温かな腕の中、私の中で声もなく涙を流し続けていたベアトリスが子供のように泣きじゃくり始めた。
それから――。
「でも、だけど、本当は……!」
前世も今世も血が繋がっていないのだから仕方がないとどこかであきらめていた私が子供のように泣きじゃくり始めた。
「血が繋がってる。それはとても重要なこと。だけど、重ねた時間だって重要。だから、今日までの三年間とこれから先、全部の時間を重ねて幸せな家族になろう。ねえ、ベアトリス」
前世の私の話もゲームのベアトリスの話もしたことなんてないはずなのに、ソフィーは全部を見透かしたように私をぎゅっと抱きしめた。私はソフィーの腕の中で泣き続けた。
願わくば今世こそは長生きできますように。
ソフィーと、この先の時間で増えるかもしれない家族とともに長く、長く――幸せな時間を重ねていけますように。
そう願いながら私はソフィーの腕の中で泣きながら笑顔になっていた。