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理解に苦しむ。理論を身につけるのに、考えさせないような記述をしている。触れる、感じる、身を捧ぐ、そのようなことばかりだ。理論書が理論を説明しないでなんなのだ。
頭痛がしてきて本をひっくり返した。後ろからめくって後付けを見る。名前からするに東洋人自身が書いている本なのだろう。それはそうだと思った。こちらの大陸の人間が常識的にこんな理論書を著すわけがない。
西洋人の手による呪術書に切り替えようかと思いつつページを繰ると、後書きが記されていた。それもずいぶんとページが多い。後書きの頭を繰り出して眺めていると、そもそも東洋の学問というものがおおよそ口伝によって為されてきたことが分かった。著者のこの後書きによれば、そも呪術を究めるには肌感覚による感知の妙技が必須で、書物で学ぶことを勧めていない。この本は西洋人の要求に従って書かれたもので、本質の周知のほうを主眼に置き、習得に際しては師を求めるべき、とのことだった。ぼくはその後に記された文字列を指でなぞった。「呪術に関しては精神の養成を進めることなしに取得を目指すべからず。さもなくば呪術を使うことなく呪術に使われる身となる。」
呪術に使われる身というものがどういうものか、あまり理解できていない。しかし、こここそが呪いへの理解に大事な点と、ぼくは思った。