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呪術に詳しくはなかったが、概論書を読んでいくと結局術というものの根源はおなじなのだと推測できた。聖術は己に、魔術は他者に、そういう基本姿勢は能力を求める最初にあって、それでそれぞれが術法をつかみ取った。己を守るためにつかみ取った聖法にたまたまこの世界の人間が適した器を持っていただけのことで、きっと向こうにも訓練によって聖術を身につけた魔物はそれなりにありふれたものなんだろう。
呪術に適した器というものの記述はない。ただ、呪術は自然環境と深くつながっていることは理解できた。やたらに肌を露出し、露骨な人造物を嫌い、野に交じって生活すると聞く東洋人が呪術を生んだのも、恐らく自然な成り行きだったのだろう。東洋思想の体系化はまだこちらでは実現されていない。本質的に呪いを知りたければ、彼らの思想も問いたださねばならないのかも知れない。
呪術は我々の理解よりもっと広いものなのだと、手に馴染むくらいの厚みのこの概論書でさえ、分かる。呪術による野焼き、雨降らし、生体の活性化、治癒、破壊……究めれば聖術よりよほどなんでもできそうに見える。いったい、呪術のなにが弱点なんだろう。呪術の結果としてありがちな呪いというものは、他から見てなにに欠けたものなんだろう。
立って書棚へ概論書を戻した。次に読むのは、呪術の導入書籍だ。