17
「来い!」
放った彼が声を出した。彼自身もこちらへ歩んでくる。顔を見合わせるクラウスくんとアナスタシアより先に、ぼくは彼のほうへ歩み寄った。
「ここには王さま……魔王さまがくださった箱がある。ドラゴンを操ることのできる装置だ。王さまはこれを使い、ドラゴンの主を従えればぼくたちに新天地が拓かれるだろうと仰った」
「箱は、どこに?」
それには答えず、魔物は続ける。
「でも、主は病に伏せっていた。ぼくたちの世界の闇竜も偉大な存在で、こんな憐れなことがあるかとぼくらは思ったんだ。看病しつつ、周囲の人類の駆逐を願った。だが、説いてもけしかけても、ドラゴンは人間を襲いやしないんだ」
「あの里の人間は、ドラゴンを敬っている。賢いドラゴンはそれくらい理解するだろう」
クラウスくんが言った。
「ぼくたちは箱を使った。王さまが仰ったようにドラゴンはぼくたちの意のままになった。ぼくたちに安全が約束されたはずだった」
魔物は悔しそうな顔をする。
「でも、王さまが強いように、人間にもドラゴンを打ち破るくらい、強いヤツがいるんだな。……ぼくたちの住処はここにもなかった」
魔物の述懐を聞いて、ぼくは口を開いていた。
「ここじゃダメなのか」
魔物はぽかんと口を開いた。
「主は主だけでは満足に生きられない、竜の里が許されたのはきっとそういうことだろう。でも、人間は山に入らなかった。主を救ったのは君たちだ。この山には他にもドラゴンがいるだろう。君らは共存できることを証明した」
魔物がじっと、ぼくの顔を見る。
「次は里の人間だ。人間は山に入らなかったけれど、山を神聖なまま保てたのは入り口を守る彼らがいたからだ。君らは共にあるべきだ。……箱を破壊しろ。きっと、もうそれは不要なものだ」
魔物の目が泳いだ。彼が振り返る。集った魔物たちの顔にも不安が走る。
「お前たちがドラゴンに利用価値を残しておいて、彼らが正常にお前たちを守ってくれると思うのか? いざという時に操れると思えるのかも知れないが、その余地を残してドラゴンがお前たちを始末しないとなぜ言える。あるいは主が回復して意のままに操った状態に置こうというのなら、お前たちはドラゴンの敵だ。私たちにとってもな」
アナスタシアが言った。厳しい内容だったのに、声は優しかった。
年長者らしい魔物が主の裏へ回って戻ってきた。闇の大地に生える木で作られたらしい、黒い箱を持っている。
「……本物だな」
アナスタシアがうなずいた。壊すぞ、と聞いた上で彼女が箱に魔力を込めた。箱が圧迫され、扁平になった。圧力で、もう元の素材も分からない。
みんなで地面に転がった元、箱を眺めた。魔物にとっては安全を保証する、大切なものだったかも知れない。ぼくは時聖法をかけた。箱だったソイツから鉱物が抜け落ち、木でできていた部分が種に戻った。
「君たちの故郷の木だ。……この地に根付くかは分からないが、植えるといい。根付けばきっと君たちを守る聖域になるだろう」
魔物たちの顔がぱっと明らんだ。
アナスタシアが主の前に跪く。
「人はあなたの不調に気づけませんでした。どうか、ご回復を。あなた方竜と、人と、魔物と、未来へ進むことはできるのでしょうか」
目を閉じて頭を垂れるアナスタシアの前で、大きく瞳が開かれた。
「未来など、分からぬ。分かっているのは、作っていかねば、作られぬということだ」
竜の瞳が魔物の青年を捉える。
「箱はなくなったな。私の憂いも、憎悪も、もはや意味を持たぬ。竜は誇れど、お前たちのように地に増えることはできぬ。我らは大地の飾りに過ぎんのだ。元より人も、魔物も、絶やすつもりなどない」
アナスタシアが頭を下げた。ぼくらも膝をついて、頭を下げる。
「もう、ドラゴンが村を襲うことはないでしょう。じゃ、帰りましょ」
アナスタシアの言葉でぼくらはきびすを返した。別れ際、ぼくは魔物に声をかけた。
「竜の里の人には言っておくよ。君ら魔物が主の守り人になったって」
振り返って歩き出すと、主の声だろう……低く落ち着いた音が、ぼくの胸に浸透してきた。
「未来は分からない。……だが、異物だったものと相互関係を結び、思いやろうすることで常に先は拓かれてきた。お前たちのようにな」
暖かい声だった。アナスタシアを見ると、彼女にも声は聞こえたのだろう。目を見開いて、胸の辺りを見ていた。声が止んでお互い視線を交わすと、自然と笑みはこぼれてきた。