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上京狼  作者: 鳥片 吟人
33/34

討伐




 ハロウは今、聖水を身にまとった人狼形態で、呪人がいる層の一つ上の層のに立っている。上を見ると、今は吹き抜けの状態になっている。そして一番上の床に騎士達が銃を持って待機しているのが見える。そこにはハロウの思い人のアストロも当然いる。


「準備完了だ! いつでもいいぞ!」


「よし! 開始だ!」


 ハロウの合図の後で、階層の中心部にある、エレベーターの床が開いていく。それと同時に天井にあるスプリンクラーが聖水を撒き始める。


開いた床から障壁を球状に纏った呪人が出てくる。


「「「がああああああ!」」」


 聖水から解放されたことで勢いよく叫ぶ呪人。顔がいくつもあるからか、声が重なっている。その呪人を待ち構えていた騎士達による攻撃が襲う。


「「「が?」」」


 アストロが聖水を操り、呪人にまとわりつかせる。その瞬間、ハロウが手甲鉤で障壁を切り裂こうとする。


「ちっ」


 しかし障壁は切り裂けなかった。呪人は聖水の中にいるときは、更新型の障壁で耐えていたのだ。呪素で強化された障壁は、ハロウの手甲鉤では壊せなかった。


「シッ!」


 手甲鉤では切り裂けないのを悟ったハロウは、すぐに左手で障壁を攻撃する。左手には手甲鉤はないので、素手だ。呪素関係の物を素手で触るのは危険だが、魔素で強化したハロウの爪は、手甲鉤より強力になる。このまま障壁が壊れないとどうしようもないので、仕方なくハロウは素手で攻撃することにした。もちろん、素手といっても聖水を纏っている。


 聖水を纏ったハロウの爪が、障壁を切り裂く。


手甲鉤では壊せなかった呪人の障壁とはいえ、ハロウ自身の爪に耐えられるものではなかった。


「撃て!」


 障壁が切り裂かれて消えたと同時に、待機していた騎士たちが一斉に発砲する。


「「「ああああああ!」」」


 頭や胸に銃弾が当たるが、致命傷には程遠く、呪人の核に当たることはなかった。呪人は目の前にいるハロウに殴りかかる。上からの攻撃に気づいているはずだが、障壁を切り裂いたハロウの方が危険度が高いと判断したのだろう。


 ハロウはしっかりと反応し、パンチを避ける。そのまま突き出された呪人の拳を手甲鉤で切りつける。


「!?」


 しかし呪人の拳は傷ついたものの、拳を切り飛ばすには至らなかった。過去の呪人とは明らかに違う頑丈さに驚くハロウ。これがサーベルタイガーの呪人であれば確実に手から先を切り飛ばせたはずだった。


 そのまま、呪人から少し距離を取るハロウ。そのまま呪人の近くにいては銃撃の邪魔になるからだ。しかし、呪人を野放しにはできないので、少しだけ距離を取ることにした。


 射撃は続けられているが、弾丸は呪人の体にはじかれていた。スプリンクラーの対策か、体全体にうっすら継続型の障壁を纏っている。なので初めての銃撃以外呪人に傷をつけれていない。しかも銃撃で呪人の核を傷つけられていないので、状況は良くなっていなかった。


「アストロ! 下の聖水で呪人を覆ってくれ!」


 銃撃が効果がないので、ハロウは聖水で攻めることにした。アストロがハロウが声を上げてすぐに聖水を下の階から呪人にけしかける。


「「「効くかあ!」」」


 呪人が聖水を更新型の障壁を張って防ごうとする。しかしハロウが手甲鉤で切りつけるなど邪魔をして、更新型の障壁が張られるのを妨害する。それに加え、スプリンクラーにより撒かれている聖水のせいで呪素が操りにくいので、呪人は更新型の障壁を張れない。


結果として、呪人は継続型の障壁しか張れずに聖水を受けることになる。


「お前話せたの!?」


 呪人がまともに話すところを初めて聞いたハロウは驚く。


「「「ぐううう! お前もおおお!」」」


 言葉は発した呪人だったが、まともな会話ができる状態ではなかった。


 呪人は障壁の中から、貯めていた呪素を体についている顔の一つから、消火器のように噴射する。それは当たれば、たとえ聖水を纏っていたとしても、たちどころに呪素に侵され、体調が悪化する攻撃だった。しかも普通の人間には、呪素は感じることはできても見えないので回避は難しい。


 しかしそれはハロウには当てはまらなかった。彼は呪素が見える――正確には視覚的に捉えられる――ので、呪人の呪素の噴射を完璧に避けきることができた。


「危なっ!?」


「「「殺してやるうううう!」」」


「それはこっちの台詞だ」


 呪素の噴射を避けられた呪人は、それでもなお呪素の噴射を続ける。呪人とも距離を一定に保つため、ハロウは横に避ける。その隙に、呪人は更新型の障壁をだす。しかしすぐさま、アストロが障壁を聖水で覆う。ハロウは呪素の噴射を避けながら、障壁を切り裂き破壊する。直後に障壁を覆っていた聖水が呪人を襲う。そして騎士達の射撃もすぐに呪人に命中する。さきほどは傷がつかなかったので、聖水で呪人を弱める作戦だったのだろう。結果は呪人に傷を与えることはできた。しかし、それは表面的なもので、体を貫通したりはしていない。体の奥にある核を狙うのは明らかに威力不足だった。


「おい! もっと威力のあるやつないのか!? 効いてないぞ!」


ハロウの要求どおりの威力の高いものはある。しかしそれは携帯式のミサイルで、爆撃の範囲が広い。なので不用意に撃てばハロウを巻き込んでしまう。


 騎士長にアストロが小声で話しかける。


「騎士長。ハロウは私が一声かければ深く考えずに反射的に動いてくれます。事前の打ち合わせはなくても大丈夫だと思います」


「本当だな?」


「はい。大丈夫です」


 言い切るアストロから不安は微塵も伝わってこない。


「よし、それでいこう。モンドがミサイルだ。ガカクと、射撃に自信がある順に針で撃て」


「「「了解」」」


 騎士長が言った『針』は注射器を打ち出す銃のことだ。その注射器に聖水を入れて呪人に発射すると、撃たれた呪人に聖水が流れ込み、弱体化するというものだ。体内に直接聖水を注入するので、普通に聖水をかけるより効果が高い。しかし、銃弾より遅いので、能力が高い相手には避けられる可能性が高い。銃弾があまり効かずに、呪人の注意が向いていない今が使うのには絶好の機会だった。


 騎士達が準備を完了してから、騎士長が大声で叫ぶ。


「もう一回頼む!」


「わかった!」


 アストロが聖水で呪人を襲う。呪人が更新型の障壁を張ろうとするが、ハロウが手甲鉤で攻撃して、それを妨害する。


次の瞬間、アストロが叫ぶ。


「水の中へ!!」


 アストロの声が聞こえて、ハロウは反射的に中心部付近に大量にある水――呪人がハロウ達が来るまで封じられていた聖水――に飛び込む。


 聖水、銃弾、注射器が呪人に放たれる。聖水で囲まれ回避ができない呪人に銃弾と注射器が命中する。そして一瞬遅れてミサイルが迫る。


「「「!?」」」


 本来の呪人ならミサイルを避けられたかもしれないが、今は注射器が命中している。そのせいで呪人の力の源である呪素が消されて、力が入りにくく避けきれない。


「「「あああ!」」」


 避けきれないと悟ったのか、呪人はミサイルを殴りつけた。殴られたミサイルが爆発する。呪人は腕が一本が焼けたが、致命傷にはほど遠かった。ミサイルの爆発で呪人が吹き飛ばされ、壁にぶつかる。


ハロウは水の中に入っていたので爆発に巻き込まれずに済んだ。


「やったか!?」


 ハロウは急いで呪人の被害を確認する。


 呪人は吹き飛ばされ、呪人の発生させる部屋の前の扉にぶつかっている。その左腕は途中からちぎれ、焼き焦げているのが見える。


「「「ぐああああ!」」」


 呪人はすぐに起き上がり、後ろに逃げる。そこには扉があるはずだが、さきほどの呪人の衝突で壊れており、呪人を部屋の中に通してしまう。


「…………」


 すぐに追撃をかけたいハロウだったが、断念する。部屋の中は狭く、自由に身動きができない。そこで呪素の噴射をされれば、避けようがないと思ったからだ。


 どうしたものかと思案していると上から怒鳴り声が聞こえる。


「おい! なぜ扉が壊れている!? ミサイルの威力でも壊れない設計のはずだろう!?」


 騎士長が失神男に怒っている。


「ひいいいいい! 私に言われても! ……あ!」


「どうした!?」


「よく考えたら、あの階はまだ点検してないので問題があったんでしょう!」


「そういうことを言ってるんじゃない!」


「すみません!」


 失神男は扉が壊れたことに関しては悪くない。騎士長の八つ当たりだった。


 呪人が部屋に入ってしまったので、上からでは銃で狙えない。なのでアストロが聖水を部屋の中に放つ。しかしハロウの妨害がない今は、更新型の障壁で防御される。


 このままだと状況が悪化しただけだな、と思ったハロウは呪人が変な行動を始めたのを見つける。


「なあ! なんか呪人が、部屋にあった呪人の残骸食べてるんだけど!?」


「呪人は食らいあって強くなるんです! 残骸盗めますか!?」


 残骸が残っているのは撤去することをせずに逃げ出した失神男のせいだ。


「無理!」


 ハロウは即座に断る。アストロのお願いといえども、できないことはできない。


「ハロウ! これを撃て!」


 モンドがハロウにミサイルランチャーを投げ渡す。


「あんがと! くらえや!」


 ハロウが呪人にミサイルを放つ。ミサイルは呪人の呪素を探知して、呪人に突っ込む。ミサイルがどうなるか見る前に、ハロウはランチャーをモンドに放り返して、水の中に隠れる。ミサイルが命中し、辺りに爆音が響く。


しかしすぐに別の音が響き始める。


「「「ひゃーははははは!」」」


 呪人が高笑いしながら部屋から出てくる。ミサイルが効果がなかったのが明らかだった。しかも左腕が再生している。


「「「さっきの礼だあ! 受け取れ!」」」


 呪人が意味のある言葉を発しながらハロウに右腕で殴りかかる。


「いら――ん!」


 ハロウは左に避ける。しかしそこに呪人は腕についている顔から高濃度の呪素を吐く。ハロウは全力で後ろに跳び、なんとか呪素を食らうことをさける。これで呪人と距離ができてしまった。


「「「いいのかあ!? 俺を自由にして?」」」


 そう言うと、呪人は近くにある呪人を発生させる部屋に体当たりし、扉を破壊しようとする。中に入ってさきほどと同様に核を食らってパワーアップする気だろう。


「おい、これまずいぞ!? ジリ貧だ!」


 このままでは呪人が一方的に力をつけてしまう。


 銃撃は効果がなくなっている。注射器もささらない。


 ハロウが打つべき手を考えていると、上から声が聞こえる。


「仕方ない。これより接近戦でいく! 呪素を食らったものは速やかに一時離脱せよ」


「「「了解」」」


 騎士達は呪素に弱いアストロなど数名を上に残して飛び降りてくる。そして呪人に襲いかかる。彼らの武器はミシルシ博士が魔法薬を改造して、水を簡単に切り裂けるようになっていた。


「僕には花が似合う。しかし呪人にはこれがお似合いだよ」


 まず、ガカクが仕掛ける。彼は懐から植物の種を取り出し、魔術を使う。すると、人の腕ほどもある蔦が生えて、まるで血のにおいを嗅ぎつけたピラニアのように呪人へと殺到する。エルフに伝わる秘術だ。


「「「んい!?」」」


蔦は呪人に絡まり動きが鈍る。ガカクはその蔦をモンドに渡す。


「っしゃらあああ!」


 モンドは気合いの掛け声とともに全力で蔦を引っ張る。ドワーフは力に優れている。一般人でもトラックを引きずれるほどだ。その中でも鍛えているモンドのパワーには、さすがの呪人も、全身が蔦に絡められて力が出せない状態では敵わない。呪人は開けようとしていた扉から引き離され尻もちをつく。


「――!!」


 そこに騎士長が上の階から跳躍して天井を蹴り、襲い掛かる。槍を突き出し、一直線に呪人に向かう。騎士長は全体的に身体能力に優れる獣人だ。しかもその中でも力と跳躍が優れる虎の獣人だ。その能力と長年の研鑽による槍の技術が合わさり、呪人を上から刺し貫く。


「「「あああああ!」」」


 呪人は騎士長を捕まえようと手を伸ばす。同時に呪素の噴射も行う。


しかし、騎士長は槍を手放し、呪人を蹴りつける。その反動で元居た層まで跳ねて、呪人の手や呪素の噴射を避ける。騎士長は呪素は見えていないが、ハロウが戦っているのを見ていたので、危険を予想することはできた。


「手応えがあった。核は一つ砕けたぞ!」


「「「おおー!」」」


 勇ましく威厳のある声で、そう宣言する。それを聞いて呪人の討伐に希望が出たのか、騎士達の士気が上がる。


「アストロ君! すまないが聖水を足にかけてくれ。呪素が水虫に障る」


「……はい」


 小声で騎士長にそう言われたアストロを除いて。皆士気が上がっている中、彼女だけ元気がなかった。


「いけるぞ」


 騎士の誰かがそう呟く。核は一つ砕けて最初の状態に戻っただけだが、その状態ならハロウ一人で対抗できていたのだ。そう判断するのは自然だった。


「「「くそがあああ!!」」」


 しかし、そう判断できるのは、なにも騎士だけではなかった。少しだが話せるほどの呪人も、そう判断したのだろう。今までと行動が変わる。


呪素を全身に纏い始めた。呪素による身体能力を上げる魔術の強化だ。


今までは必要なときに呪素の噴射をするなど、効率のことを考えていた。しかしこの使い方はそうではない。常に呪人が強化されるが、呪素が発生するそばから使っているので、普通の方法では噴射などはできない。しかも体に多く呪素を纏っているということは、それだけ聖水に当たれば呪素が削られるのだ。


「「「おおおおおお!」」」


 しかし力は格段に上がる。


「なに!?」


その力を生かして、呪人は自分に絡まっていた蔦を掴み、振り回す。蔦を掴んでいたモンドと一緒に。


呪人は振り回していた蔦を引きちぎる。すると、モンドがアストロへ一直線に吹き飛ぶ。


「――!」


 しかしアストロは自身の前に水を出し、モンドを受け止める。


「え? なんでいるんです?」


 アストロの隣にはいつのまにかハロウがいた。


「いや、危ないかなって思って。それと聖水頂戴」


「はい」


 ハロウはせっかくアストロの近くに来たのだから、聖水を補充してもらうことにした。呪人の近くにいたので聖水の効き目が落ちてきていたのだ。


「ありがとう」


「いえ、ところで呪人倒せそうですか?」


 アストロは、騎士長――モンドが離脱した穴を埋めるために、下に降りて予備の槍で呪人と戦っている――を見ながら尋ねる。


「たぶんいけそうかな」


「安全を優先してくださいね?」


「おう。ちょっと聖水用意しといてね」


 ハロウは手甲鉤ではなく、自分の爪――アストロの聖水を纏っている――を伸ばして、呪人の脇をすり抜けるように移動する。その際、呪人を引っ掻き、通り過ぎる。


「「「!?」」」


予備とはいえ、騎士長の槍でも薄っすらとしか傷がついていない呪人に傷を与えた。そのことに呪人も驚いたのだろう、ハロウを注視する。


「……うん。いけそうだな」


 ハロウは自分の爪を確認しながら独り言つ。障壁を破壊したことからもわかるように、ハロウの爪は全力だと武器の手甲鉤より鋭い。しかし今までは、安全のことを考えて、自分の爪で呪人を攻撃しなかった。呪素は浴びてしまうと体調が悪くなる。なので自分の爪ではなく手甲鉤で攻撃していたのだ。


だが、今はそんな心配をしている余裕はない。危険かもしれないが、自分の爪で攻撃するしかない、とハロウは判断した。そして今試してみると、爪で攻撃したくらいではなにも感じないことがわかった。もちろん聖水を纏っているからだろうが、ハロウは有効な攻撃手段を発見した。


「俺の爪ならいける! 援護してくれ!」


 ハロウは叫んで、他の騎士達に援護を求める。騎士達は呪人の動きを妨害することに専念することにした。


 ハロウは連続で呪人を切り裂く。確かに傷はつくのだが、まだまだ浅くしかない。


「「「がっ!」」」


「うお!?」


そしてハロウの攻撃に慣れたのか、呪人のパンチがハロウに掠る。


「「「死ね!」」」


 タイミングがつかめてきた呪人は、ハロウが攻撃するタイミングで体当たりをする。殴ることは諦め、とにかくハロウにダメージを与えようとしたのだろう。


「「「な!?」」」


しかし、それは失敗に終わった。いつの間にか呪人の左腕に太い蔦が絡まりついている。ガカクの魔術によるものだ。しかもさきほどのモンドを飛ばされた反省を活かして、階層の中央にあるエレベーターに蔦を一度回してから呪人に絡みつかせている。これでは引っ張っても蔦が途中でちぎれてしまい、モンドのようにガカクを飛ばせない。


動きの鈍った呪人の足をハロウは切り裂く。これを続ければ移動力が落ち、呪人はジリ貧になるだろう。


 このままなら倒せる。そうハロウが思うが、そうはいかなかった。


「「「馬鹿が!」」」


 蔦に左腕を絡めとられていた呪人だったが、それを利用してエレベーターに絡まっている蔦に跳びつく。まだ足は一本無事なので、跳ぶことは可能だ。そのまま蔦に絡みつかれる前に、なんと自身の左腕を引きちぎる。


「「「おおおお!」」」


 そしてそのまま左腕をもち、上に向かって跳躍する。自身の力だけでは届かなかったが、蔦が絡まっていた場所からなら最上階に届く。そして呪人が跳躍したさきにはアストロがいた。今までの戦闘でアストロが聖水を操っていることはお見通しだったのだろう。


 アストロは呪人が自分に跳びかかってくるのを見て、すぐさま前面に聖水の塊を出す。そのまま、聖水の塊をできる限り大きくしていく。


「「「――がああああ!」」」


 呪人はそれを見て、このままでは突破できないと悟ったのか。右手で持っていた自分の左腕を聖水の塊に向かって全力で投げつける。左腕は弾丸のような勢いで聖水の塊に突っ込み、大量の聖水を散らすことに成功する。しかし聖水の全てが散ってしまったわけではなく、まだ少量がアストロの前に残っている。このままでは、呪人は聖水の塊に飛び込むことになるだろう。


 そして実際に呪人は聖水に突っ込む。しかしこれで終わりではなかった。


 呪人は聖水の中にある自分の左腕を掴む。呪人は複数の核を持っている。なので、そのうちの一つが消滅するのを覚悟で、急速に呪素を生み出す。そしてその呪素を、左腕に残っていた呪素も含めて、アストロに向けて噴射する。


「「「あああああ!」」」


 聖水を操るアストロを始末しなければ負けると判断したのだろう。捨て身の攻撃だった。


「!?」


 呪人の捨て身の行動に、アストロが目を見開いて驚愕する。呪素が噴射されたのはアストロには見えないが、自分の前に存在する聖水が呪素に激しく反応したことは理解できる。呪素の噴射がアストロの目の前まで迫る。


 しかしそこにハロウが現れる。


「――うっ」


 ハロウはアストロを覆いかぶさるようにして、呪素から守り、押し倒すように呪素の噴射から遠ざかる。


「くっ!!」


 アストロはハロウに庇われたが、少しばかり呪素の影響が出て気分が悪くなる。しかしそれを押し殺して、後先考えず全力で聖水を生成して呪人を閉じ込めようとする。アストロがさきほど出した聖水に突っ込んでしまったせいで動きが鈍っていた呪人は、継続型の障壁を張るのが精いっぱいで聖水に閉じ込められてしまう。


「ハロウ! 大丈夫ですか!?」


 それを確認したアストロはハロウに聖水をかけて、揺さぶりながら尋ねる。


「じゅ、呪素浴びちゃったから離れて。体に悪いよ?」


 ハロウは気分の悪さと背中の痛みに耐えながら、アストロの心配をする。


「聖水が完全に効いていない? ハロウ! 急いで飲んでください!」


「ガボガボッ!」


 アストロは大急ぎでハロウに聖水を飲ませる。聖水の効き具合からハロウの体内に呪素が浸透してしまったと見抜いたのだろう。


「ゴホッ! 楽になってきた」


「……まだ呪素を感じますね」


「でも命に関わるほどじゃないと思う。アストロは呪素に弱いんだし、離れてほしいんだけど?」


「駄目です」


 アストロは懸命にハロウを聖水で治す。


アストロの聖水は呪人を倒すのに必要なものだ。それをこのまま放置していても治るだろうハロウに使うのは、戦力的に無駄に消耗しているように見える。しかし実際は呪人にまともにダメージを与えられるのがハロウしかいないので、アストロの選択は感情を抜いても正しいだろう。


だがハロウはアストロの必死な顔を見て、違う受け取り方をした。


――ああ。そうか。


 ハロウは昔から強かった。同年代では敵どころか比較になる者さえ居なかった。では上の世代はどうかというと、彼らはハロウに近づかなかった。正確には近づいたものもいるが、それは敵としてだった。なので、ある失敗をしてから彼はいつも一人だった。


親という保護者はいる。虐待などはされたことはなく、子ども時代しっかり世話もしてくれた。ただハロウは親からの怯えの感情を感じてしまった。一人になった失敗のとき、親に怯えの感情を向けられた。その後、普通に叱られ、そのまま普通の親子のように振舞った。しかし、怯えられたことは、ハロウの心に棘の様に刺さっていた。


 なので、島にいるとき、ハロウが心の充足を感じたのは人と関わっていないときだけだった。


本の中には楽しそうな世界があった。周囲に比べて強い力を持つ主人公は仲間に囲まれ幸せそうだった。


森の奥深くには安らぎがあった。肉体的にはあまり休めないが、周辺で一番強い魔獣の群れを蹴散らせば、つかの間の楽園が手に入る。そこでは自分しかいない。誰もハロウを意識しないし、ハロウも誰も意識しなくてよい。負の感情はなかった。


そうした生活は都会に出てきて変わった。誰もハロウを知らない。なので怯えの感情を向けられることはない。


リネンのような友人もできた。


そしてなにより、アストロが存在した。


ハロウはにおいで相手の感情がわかる。わかってしまう。知りたくなくとも知ってしまう。そんな中、アストロの匂いは格別だった。他のことがどうでもよくなるほど心地よい匂いだった。しかもアストロがハロウに怯えないので文句なしだ。


そのアストロから心配するにおいがする。彼女はハロウを案じてくれたのだ。本気で案じられることのなかったハロウは今までにない喜びを感じる。


そして同時に理解する。


――俺は、間違っていた。


 ハロウは自分がアストロに言ったことを思い出す。『じゃあ、短命種云々は抜きにして、恋人になってもいいと考えるようになって、俺が覚醒したら付き合ってくれるということですか!?』。


――なんて馬鹿なんだろう。


 違う。ズレている。的外れだ。そんな思いが渦巻く。


 これでは覚醒などできるわけがなかった。


 リネンは覚醒するには人生をかけて成し遂げたいと思えるほどの強い意志を持てばいいだろうと言っていた。


しかし、思い出してみるとハロウはアストロに惚れているが、覚醒するほどではなかった。もしそれほど惚れていたら付き合う云々の条件など考えもしないだろう。


――付き合う、付き合わないとかじゃない。


 さきほどまでなら、ハロウはアストロに嫌われてしまったらどこかに消えていただろう。しかし今、考えを変えた。


――なにがあっても、俺はアストロのためになにかしたい。


 心配されて、ハロウは今、本気でアストロに惚れた。


ハロウの中でアストロの立ち位置が、僅かではあるが明確に変わる。


今まではハロウにとって必要な存在であった。しかし、振られたときにどこぞの森にでも籠もるか、などを考えていた。つまり、アストロのいない人生を頭の隅で考えられていた。


だが今は必要不可欠な存在になった。振られようとも、森に籠もるなど考えられない。


――アストロのいない人生など考えられない。


 その自分の心にハロウは気づいた。


 ハロウは生まれてから今までにないほど頭がすっきりとする。呪素にやられて体は苦しいが、気分は最高に近い。


 冷静に考えられるようになり、ハロウの視界の端に呪人が映る。アストロを狙った大罪人だ。


――ああ、そうだ。アストロを守らないと。


 呪人はまだ聖水に囚われてもがいているが、このままではいずれ出てくるだろう。


――その前に殺さないと。


 ハロウは元々肉体的に魔素を大量に含んでいる。そして今、人生をかけて成し遂げることを見つけた。


 条件は全て満たされた。


 ハロウは覚醒する。



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