忍者検定・二
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忍者検定の戦闘試験会場。そこでは第一グループの試験が行われていた。
「ぐっふううう!」
受験生が試験官に腹を殴られ倒れる。
「はー。はい、終わりだ」
相手の四十代ほどに見える無精髭を生やした試験官はため息をついて言う。受験生が立ち上がり礼をして立ち去る。これで第一グループ全ての戦闘試験が終了した。
ため息をついた試験官の周りに他の試験官が集まってくる。
「いやー今回の受験生はなかなかでしたね」
「そうだな」
無精髭試験管はやる気なく答える。
「ですがため息をついていましたよね? どうしました?」
「いや、確かに能力はなかなかのものだったが、気概がなー」
「はて? 最後までしっかりと頑張っていた者は多かったように思いますが?」
「そういうことじゃないんだ。確かにいい結果を出そうと頑張っていた。それは認める。しかしな、もっと試験官を倒してやろうとかの意気込みを持ってほしいんだ」
「それは無茶ですよ。試験官とまともに勝負できる者でさえ、数年に一人現れるかどうかといったところなんですから。それに、そもそも大怪我させるような攻撃は禁止なんですから」
「はっ! そんなぬるいこと言ってるから受験生もぬるくなるんだ。戦闘で怪我するのは当然だろうに。受験生から実力は及ばずとも一矢報いてやろうとか、そう言った意気込みを感じない。最初から心が負けているやつらばかりだ。これでは実戦で強敵と当たったとき使い物にならんだろう」
無精髭試験官は常々試験がぬるいと思っていた。試験がこれだけではないので仕方ないとはいえ、戦闘の試験で骨折などさせないように手加減するのは面倒だった。仕事なのでやってはいるが。
「まあ、忍者は戦い専門ではなく生き残ることが大事な職業ですからな。それで正しいのでは?」
「いや、強敵に対し一矢も報いれないようでは、強敵にとってはただのカモだ。欠片も怖さがないからな。足止めにもなれんのなら使えんだろう」
「それもそうですか。まあこれは下忍用の試験ですからしょうがないのでは?」
「そういうもんかね?」
「そういうものでしょう」
「……はー。次のグループでは少しは気概のあるやつがいるといいな」
■
――さっきの自分をぶん殴りてえ。
それが無精髭試験官の思いだった。なぜそんなことを思ったのか。それは自分が阿呆なことを考えていたことを理解してしまったからだ。
――逃げてえ。
試験官の自分ができないことを受験生に求めるのはあまりにも酷だろう。そのことを理解した。
「受験番号八六番です。お願いします」
無精髭試験官の前には化け物がいた。それはやる気のないジャージを着た覇気のない男だった。無精髭試験官が若手の時代ならもっとシャキッとしろと言われてそうな人物だ。
だが、いくら覇気がなかろうが化け物は化け物だ。無精髭試験官は全身全霊で試験を行うことに決めた。理由は死にたくないからだ。
「えー。試験官である私に十分間倒されなければ満点合格です。もちろん、私を倒した場合も、その時点で満点合格になります。ただ、これは試験なので、後遺症が出そうな攻撃はお互いに無しです。具体的には金的や目潰しなどです。わかりましたか?」
最後の『わかりましたか』には非常に強い悲壮感が込められていた。
「わかりました。……あ、やっぱ質問良いですか?」
「どうぞどうぞ!」
「骨折って後遺症に入りますよね? だったら攻撃して骨折してしまった場合は失格ですか?」
「いや、そんなことはないよ? どうしても戦闘するという試験内容の関係で骨折してしまうことはあるからね。でもできるだけしないように注意しようね!!」
最後の『できるだけしないように注意しようね』には非常に強い悲壮感が込められていた。
「わかりました」
「……ようし、じゃあ、始めますね!」
「はい」
無精髭試験官は試験開始と同時に全力でやる気なしジャージに注目する。動きを一切見逃さないように穴が空くほど見る。
「「…………」」
お互いにらみ合って一分が経過する。
「きいいえええええ!」
突然無精髭試験官が奇声を上げてやる気なしジャージに攻撃する。試験官から攻撃しないのは問題なので仕方なくだ。
顔面を狙ってからの途中で腹に狙いが変化する拳を繰り出す。やる気なしジャージは変化した拳を普通に手のひらで受ける。
「きえい! ――っ!!!」
今度は拳を受け止めさせておいて肘打ちを繰り出す。しかしここで予想外のことが起きる。無精髭試験官は肘を受け止められるか避けられるかと予想していたが、どちらも外れた。やる気なしジャージはおとりの受け止めていた無精髭試験官の拳を強く握り、その肘が自分まで届かないようにしていた。つまり、体重を乗せた試験官渾身の肘打ちを、やる気なしジャージは腕の力のみで止めたのだ。
「……びっくりした」
「その割には余裕そうだな!!」
無精髭試験官は自分の拳をつかんでいるやる気なしジャージの手を、残りの拳も使い挟んで潰そうとする。しかし成功せず、やる気なしジャージは拳を放して後ずさる。
「今の決まってたら指か手の甲の骨折れてなかった?」
「避けると確信していたので問題ない」
「成程」
無精髭試験官はまたも攻撃を再開する。フェイントを織り交ぜながら怒涛のラッシュを繰り出すが、全て受け止められるか躱される。
――なんだこいつは!?
無精髭試験官は動揺する。自身の攻撃が全く通用しなかったからではない。そんなことはやる気なしジャージが前に立ったときから予感していた。動揺の原因はやる気なしジャージの攻撃への対応だ。やる気なしジャージはフェイントに全く引っかからないのだ。かといって、そのフェイントに対して有効的な対処をすることはしない。普通ではありえないことに無精髭試験官は混乱する。
「ところで、どうして攻撃してこないんだ? チャンスはいくらでもあったろう?」
「練習してないことを本番でするのには勇気が要ってな」
「攻撃の練習くらいしてこいよ!」
「だって骨折しない様にとか聞いてなかったし」
その言葉を聞いて無精髭試験官は安堵する。やる気なしジャージが自分に大きな危害を加える気がないと理解したからだ。
「そうか。手加減が苦手なのか。これが終わったら手加減の練習をすることを勧める。忍者は相手を捕らえて尋問することもあるからな。そんなときに相手を瀕死にしてしまったらまずいだろう?」
「……瀕死でも尋問はできるよな?」
「そうだけども! 瀕死じゃない方がいいでしょう?」
やる気なしジャージの言葉に必死に反論する無精髭試験管。
「まあ、そうだな。じゃあ今練習――」
「試験中は試験にしよう! 全力で合格すること考えよう!」
「そうだな。……でも攻撃とかした方が得点高くなるんだよな?」
「十分間倒れなかったら満点だから攻撃しても意味ないけどね!」
「いやでも十分は暇だから練習したい」
「……なにを?」
やる気なしジャージがいきなり無精髭試験官から距離をとり影に手を入れる。そしてその影から引き抜いた手にはゴム手袋が着けられていた。
「それは影収めの術。そんなものまで使えるのか」
無精髭試験官は驚く。影収めの術は難易度が高く、習得できる者はほんの一握りだ。それがまだ下忍用の試験を受けるような者が使えるの見たからだ。
「ああ。これで好きな人の荷物持ちができるぜ!」
「なんと情けない使い方を。もっと使い道あるだろうに」
無精髭試験管は愕然とする。影収めの術は、使えればかなりちやほやされる術なのだ。決して満面の笑みで荷物持ちをするためではない。
「……おいおい。まさか試験官が盗撮を勧めるとはな。さすが忍者」
やる気なしジャージがにこやかに無精髭試験官に語りかける。
「誤解も甚だしい!」
無精髭試験官は怒る。そんなつもりで言ったのではないからだ。
「確かにローアングルはいいものだが、本人の許可なく撮るなんて最低の行為だ。このエロキャメラマンめ」
「誤解だって言ってるだろう! 人の話を聞け!」
「じゃあ他にどう使うの?」
「緊急時に必要になりそうなものとか入れとけ」
「……おむつとか?」
「漏らしてるよね!? それトイレ我慢できずに漏らすときに要るものだよね!?」
「忍者なら潜入したとき迂闊にトイレいけなくて漏らすしかないときもあるかなって」
「……確かにあるかも知れないけども! 違う違う! 私が言ってるのは敵に見つかったときに役立つ道具とか運べばいいのにって言ってるんだ」
「はい! グレネードランチャーはその中に含まれますか!?」
「う、う~ん。私が思い浮かべてる場面だと役に立たないけど、グレネードランチャーを運ぶのはいいんじゃないかな? 結構使えるし」
「俺の好きな人の荷物、グレネードランチャー混じってるけど?」
「君それ運び屋とかやらされてない!?」
どう聞いても違法な武器の密売に関わっているとしか思えなかった。
「そんなことない。売るとかは聞いてないし、私物だって言ってた」
「グレネードランチャーで私物!? どんな物騒な彼女?」
「おいおい。まだ彼女じゃないんだ」
やる気なしジャージがあからさまに照れる。
「絶対利用されてる」
「利用されたっていい。とにかく近くにいたい」
「八六番」
「そして匂いをくんかくんかしたい」
「八六番!」
「さてそろそろ時間も少なってきたし、始めますか」
やる気なしジャージはゴム手袋をした手をワキワキさせながら無精髭試験官に近づいてくる。
「な、なにをする気だ?」
「手加減というか、器用になれるような練習だ。これからあんたの無精髭を一本一本抜いていく」
「なんて痛そうなことを言うんだ!?」
無精髭試験管は涙目で尋ねる。
「これならミスっても大怪我させないから安心だ」
「悪魔か」
「おいおい。そんなこと言うなよ。傷つくだろう? 前側の髪の生え際を櫛みたいな感じに抜くことに変更してもいいんだぞ?」
「やめてくれ! そんなことされたら、髪型の選択肢がマルハゲかバーコードみたいなドレッドヘアしかないじゃないか!」
「マルチプルモヒカンもできると思うけど?」
「モヒカンは欠片も格好良くないでしょうが!」
「俺さっきモヒカンの兄弟にあったけど?」
「どうせヒャッハー言いそうな見た目なんだろう? そいつらはいいんだ。だが私は駄目だ。普通顔面の中年のモヒカンはきつい」
正論を吐く無精髭試験管。
「いや、それ言うならドレッドヘアもきついけ……ど!」
やる気なしジャージが無精髭試験管の無精髭を目にもとまらぬ速さで抜く。
「痛! 本当に抜きやがった! なんてことしやがる!」
無精髭試験官は怒る。それは痛みだけが原因ではなかった。
「なんで怒るんだ? 無精髭なくなってるだけなんだから、そんな怒ることないのに」
「この無精髭は無精髭じゃないんだ!」
「……哲学?」
「違う。もっと単純なんだ。この無精髭は毎日ちゃんと剃っているんだ」
「え? それでそんな生えてくるの? 凄いスピードだな。豆苗かなんか?」
「人の髭をお手軽家庭菜園と一緒にするな! 無精髭っぽくなるように剃ってるんだ。剃るのをいい加減にしてこうなってるわけじゃないんだ。こだわりの無精髭なんだ」
無精髭試験官は無精髭に毎日丁寧に無精髭に見えるが不潔に見えない様に計算した剃りを行っていた。もはや無精髭と言っていいのかわからないが、無精髭試験官にとっては髭はこだわっている部分だった。
「なにその堅実なギャンブルみたいなの?」
「なにか問題があるのか?」
「矛盾してない?」
「じゃあ、君はエロエロな清純な女性を夢見ないのか!?」
「いや、俺、二重人格の女性は好みのタイプじゃないから」
「違う違う! ギャップ萌えだよ! わかるだろう?」
「ギャップ萌え自体は理解できるが、エロエロな清純な女性が好みなのは共感できない」
「なん……だと……?」
無精髭試験官はやる気なしジャージの言葉に膝から崩れ落ちた。無精髭試験官は理解した。やる気なしジャージは力だけでなく、その精神も自分の理解から外れていると。
「そんなショック受ける?」
「当然だ。まさかエロエロな清純な女性が好みではないと言われるとは!」
無精髭試験官は万感の思いを込めて叫ぶ。ちなみにそれを聞いた周囲にいる女性からは白い目で見られている。
「だから、なんでそれでショック受けるんだよ?」
「自身の常識が全く通用しないと驚くだろう!?」
「いや、俺田舎から出てきて常識とか全然通用しないけど、膝から崩れ落ちるほどショック受けたことはないな」
「田舎だと? まさか田舎にはエロエロな清純な女性がいっぱいいるのか? 飽きるほどいるのか!? どうなんだ!?」
無精髭試験官は叫ぶ。さきほどまでやる気なしジャージに恐怖していたが今はそんな気持ちは吹き飛んでいた。
周囲の白い目はより白くなる。
「……いなかったと思うな。まあ、俺、嫌われてたから知ってるやつがいないだけかも知れないけど」
「……そうか。いないと知って残念なような、安心するような不思議な気持ちだ」
「テンションの落差怖いな。てか俺がいっぱいいるって言ってたらどうする気だったんだよ?」
「移住」
「怖いな。いきなり移住ってのがより怖い。普通旅行くらいまでじゃないの?」
「なんだ!? 俺がおかしいとでも言いたいのか!? エロエロな清純な女性のためなら移住など厭わない! それが忍者だ!」
「その忍者、ストーカーって読み仮名が要ると思うな」
「なんたる侮蔑! 俺はストーカーじゃない! 愛の追及者だ!」
「いや、移住するのはストーカーくらいじゃないとしないと思う」
「移住しないでどうやってエロエロな清純な女性を落とすんだ!? 言っておくがナンパは駄目だぞ! ナンパに引っかかるのは俺が求める清純な女性じゃないからな!」
もはや周囲の目は銀世界のごとくなっているが、それに気づかずに無精髭試験管は心の内を叫ぶ。
「こだわりが気持ち悪い。てかそれなら、あんたの理想のエロエロな清純な女性って落とすの不可能に近くないか?」
「なぜだ!? 移住すれば近所の親切な人を装って接近できるというのに!」
「さっきから移住って言ってたの、そういう理由かよ。それ間違えてるぞ。移住してきたおっさんは近所の人じゃない。近所の不審者だ」
「なん……だと……?」
「冷静に考えてみろ」
「……た、確かにそうだ。いきなり親切な人と思われるのは無理がある」
「田舎ならなおさらだぞ?」
「そんな……じゃあ私の夢は? 達成不可能なのか? ……くそおおおお! どうすればいいんだ!?」
「……取りあえず、今は試験官の仕事すればいいと思うよ?」
「……あ!」
十分が経過して、やる気なしジャージは満点をとった。
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「え? それマジ?」
王城の執務室。王は報告をしてきた暗部の者に聞き返す。
「はい。マカミ・ハロウの実力は我々を遥かに上回っています。監視をこれ以上続けるのは危険過ぎます」
報告している暗部の者は正直に自分達の力不足を言う。汗が噴き出るほどの恥だが、仕方がない。これ以上監視をすれば、確実に自分たちは殺されると思ったからだ。なぜなら監視者本人にほぼ直接そう示唆されたようなものだからだ。
暗部達はハロウを監視していたが、ハロウはどうやっても気づいた。
そしてある日。ハロウは監視していた暗部の方を見ると指を四本立てた。次に別の暗部の者に対し三本の指を立てた。
ここまでほぼ報告者は確信する。ハロウを監視しているのは全員で五名。なので最初に四本の指を立てた。そして零になると行動を起こす気だろう。
次に別の者が指を二本立てられた報告を聞いて、リーダーである報告者は今回の任務の中止を決断した。
アストロの弱みになるかと思って、王はハロウのことを暗部に調べさせていたのだろう。しかし、その結果がこれだ。弱みになるか調べられずに、無駄に終わってしまった。
「……はー。君達さ、暗部だよね?」
「はい」
「それが監視もできないって、どうなの?」
「しかし対象の実力は異常です。忍者検定でも異常な成績を残しています」
「それでも監視すらできないって、どうなの?」
王からしたら、ハロウはただの田舎者だろう。そんな田舎者の監視が力不足でできないと報告した暗部の者を見る王の目には不信感が募っていた。
「陛下の命を遂行できず、忸怩たる思いでございます」
どう思われようと死ぬよりはマシだ。しかも報告者は部下の命までその肩に乗せているのだ。報告者にとっては任務は諦めるほかなかった。
「……じゃあ、監視の任は解く。地方の貴族の監視に回れ」
「はい」
――どうにか左遷で免れたな。
地方での監視は必要だが、王都での任務と比べるとその重要度は低い。紛れもなく左遷であった。しかし報告者は安堵する。想定していた中でもいい方だからだ。
「下がれ」
「失礼します」
報告者は部下の元へ向かった。




