研修・二
「おう! ハロウ! 待っとったぞ!」
モンドが笑顔でハロウを出迎える。
「お待たせ。これからどうするの? ……おえ」
「どうしたんじゃ? 顔色悪いぞ?」
ハロウは当たり屋の臭さで気分が悪くなっていた。それが顔色にも表れていた。
「いや、こいつの臭いがマジ苦手で……。普通の悪臭くらいだと我慢できるんだけど」
「ん? ……確かに臭うのう。じゃが、こんぐらい臭いのは、確かにまあまあおるな。たんに臭いが苦手なんじゃろう」
「だろうな。しかし都会にはこんな変な臭いの香水があるんだな」
「うん? 香水? これ香水じゃのうて煙草じゃろう?」
「煙草? あの漫画でヤクザのボスとかが吸ってるドラッグの親戚みたいなやつ?」
ハロウは煙草を漫画でしか知らなかった。彼の住む鉄木島は人狼の島だ。煙草は好まれずに入荷していなかったからだ。なので実際に煙草を見たことのないハロウの中では、煙草の位置はドラッグに似ているものになっていた。漫画で悪者が吸っているので、そういう認識になってしまっていた。
「ドラッグではないがな。まあ、害の大きいもんじゃから吸わんほうがええじゃろう」
「おう。しかしこの臭いが煙草か……おえ」
ハロウは臭さのあまり吐きそうになる。
「超苦手みたいじゃな。……さて、当たり屋の処分じゃが、まずは縄で縛る予定じゃったんじゃが……もうやっとるな」
「安心してくれ。……ホームセンターで買ったケッバケバの麻の縄だ」
ハロウが良い笑顔で親指を立てながら言う。
「なにがどう安心してくれなのか、全くわからんな」
「茹でたりして、適切な処理がされていない縄だから、縛られると毛羽立って痛いぞ?」
「お、おう。ようわからんが、なんか専門的なこと言っておらんか?」
モンドはハロウの口からなにやら専門的な話を聞かされて戸惑う。
「いや、初歩的なこと言ってるけど?」
全くの素人からしたら専門的なことでも、嗜んでいる者からすれば初歩的なことというのはよくある。
「……まあ、ええわい。そいつをトゥクトゥクに括り付けてくれ」
モンドは深く追求しないことにした。
「任せてくれ」
ハロウは熟練かと思わせる手つきで縄をトゥクトゥクに縛り付ける。
「いやああああ! 犯されるうううう!」
「お前は罪を犯してんだけどな。おえっ……括り付け終わったけど、こっからどうするの?」
「どうするって、言ったとおりじゃが?」
「……なんか言ってたっけ?」
「おいおい。ちゃんと聞いとけ。逃げたら引きずり回す言うたじゃないか? 罰としてのう」
「あー! 言ってた言ってた。どんくらい引きずるの?」
「いつもは逃げた距離ほど引きずっとるよ? じゃが今日はお前さんに捕まえてもらったからの。おおざっぱに一キロでええじゃろう」
「成程。ところでなんでここに来たの?」
辺りは砂利の道があるだけで、他にはなにもない。
「見りゃわかるじゃろう? ええ感じの砂利道じゃからのう。引きずるのに打ってつけじゃ。それに綺麗に舗装されとる道路は人が使うからの。こんくらいの場所がええんじゃ」
「やっぱそうか。じゃあ行こうぜ」
「おう! トゥクトゥク、発進!!」
「いいいいいいっやあああああ!」
トゥクトゥクが当たり屋を引きずりながら砂利道を走る。当たり屋の悲鳴が耳に響く。
「……なあモンド。遅くない? もっとアクセル踏まない?」
しかしハロウはトゥクトゥクの遅さが不満だった。トゥクトゥクが今出しているスピードはスクーターにも抜かれそうなほどだった。
「馬鹿者。このスピードが満遍なく痛めつけられる最高の早さじゃ。もっとスピード出すと、足の方しか痛めつけられんぞ? 過ぎたるは猶及ばざるが如しってやつじゃ」
モンドが今出している絶妙なスピードを解説する。
「へー。そうなんだ。よく考えれば早すぎると上半身とか引っ張られるだけだから、胴体は傷つかないか」
「そうじゃ。このトゥクトゥクのエンジン音と引きずられとる悲鳴が明瞭に聞こえるくらいの早さがええんじゃ」
「成程。勉強になるな。……でも俺トゥクトゥク持ってないから、その判断基準使えないな」
「ガーッハッハッハ! そうだったのう! まあ、本当の勉強はこっからじゃ」
モンドは決めていた距離を走ったトゥクトゥクを止めて、当たり屋の方に歩いていく。当たり屋は元気なく呻いている。
「犯罪者用のポーションは持っとるな?」
「うん。これだよな?」
騎士はポーションを支給される。その中には犯罪に使用する用のものもあった。
ハロウは犯罪者用ポーションを影から取り出す。その容器は、よく胃腸薬が入れられている容器に似ていた。ハロウはそれをモンドに渡す。
「おう、これじゃ。こいつを、こうやって振りかけるんじゃ」
モンドが犯罪者用ポーションを開けて、当たり屋の全身に振りかける。当たり屋の全身にビチャビチャと緑色の液体がかかる。
「ぎいいいいいいいっ!」
緑色の液体はすぐに浸透するように無くなり、当たり屋の傷が癒えていく。しかし、傷が癒えていくのに当たり屋は大きな悲鳴を上げる。
「めっちゃ苦しんでるけど? これ本当にポーション?」
「ええんじゃ、そういうもんじゃ。傷は治るがめっちゃ痛い。それが犯罪者用ポーションの特徴じゃ。なんでも鎮痛成分とか入ってないらしいからの」
『サディストもにっこり』。それが犯罪者用ポーションの商品名だ。
「へー! あれ? 骨折治ってないよ?」
ハロウの峰打ちキックで折れた足は治ってなかった。
「死ぬのを防ぐためのポーションじゃからの。骨なんて折れとっても問題ない。……で、なんで儂がポーション使ったかというと、これが実は金稼ぎの方法じゃ」
「……ポーション使ってるのに?」
むしろ金がかかっているではないか、とハロウは思った。
「使ったからじゃ。治療費ぼれるぞ?」
「どんくらい?」
「それをかなり自由に決定できるから金稼ぎなんじゃよ。まあ、大体十万から三十万じゃな」
「マジか。自分で怪我させて、それ治療してぼれるとか最強だな」
ハロウは騎士の権力に驚く。
「違う違う。ハロウよ。人聞きの悪いことを言うでない。いいか? 今回はこういうことじゃ」
モンドはハロウに説明する。
騎士は偶然犯罪現場に遭遇した。騎士は犯人に注意するも犯人は聞き入れずに逃走。騎士は犯人を追跡し、捕縛。反省の態度が見えないため、再犯を防ぐべく致し方なく罰を執行。その結果、犯人が怪我をしたので、騎士は慈悲の心を持ってポーションで癒した。そして騎士は治療費を犯人に請求する。以上が今回の顛末であると。
「こういう風に報告したらポーション代が経費で落とせるからさらに得じゃ」
「成程……ん? 俺べつに王城勤めじゃないけど? 報告とか要らなくない?」
ハロウは従騎士の身分を手に入れたが、王城で働くことになったわけではない。
「業務として報告はせんでいいが、この場合はしておいた方がええな」
「なんで?」
「騎士の身分、お前さんは従騎士じゃが、これを利用して罰など与えた場合は報告義務があるんじゃ。さぼると超怒られるぞ」
「マジか。面倒だな」
「まあ、罰を与えた場合じゃから。この当たり屋だと詐欺罪とかで警察に連行したりすれば報告せんでええぞ? 罰を与えたわけじゃないからの」
「そうか。……ん? その場合、俺は金稼ぎできないよね? 罰与えてないんだから」
「そうじゃな。けどまあ、罰じゃのうて捕まえるときに怪我させればええんじゃ」
取り押さえるためとはいえ、警察官は犯人に暴行を加えると問題になる。本当は後遺症が残らないような傷なら、ポーションをかけて治療すれば問題にはならない。しかし警察官は経費でポーションが落とせないので、結果として暴行できない。
「じゃあ、なんでさっき引きずり回したんだ? 意味なくない?」
取り押さえるときに傷つければいいのなら、わざわざトゥクトゥクで引きずり回す必要はない。
「意味はある。さっきの引き回すので当たり屋に関する罰は終わったことになるからじゃ。あと、骨折治らんのに、ポーション使うのは変じゃろう?」
「? 罰が終わることになんの意味が?」
「今回は当たり屋じゃったが、別の犯罪のケースも当然あるじゃろう? そのときにはこうして罰与えた方が便利なんじゃ」
「……どういうこと?」
「捕まえたら禁固以上の刑罰になる犯罪者を考えるんじゃ。普通なら当然そいつは刑務所行きじゃ。じゃがな、ここで問題になるのが、金じゃ。捕まえたやつが金持っとったらええが、ないと困るじゃろう? ぼれんからの」
「うん」
いくら請求できる権利があろうと、請求先に金がなければいつまで経っても金は手に入らない。
「じゃが、刑務所に言ってしもうたら金なんて稼げまい? 結果、治療費の支払いが遅れるんじゃ。それは困るじゃろう?」
「成程。でもその問題が罰与えて解決するの? ないもんは払えないよね?」
「じゃから、罰を与えといて自由に身にしといて、金を払えるように素敵なお仕事を紹介してやるんじゃ」
「俺、そんな仕事心当たりないけど?」
むしろ唯一の稼ぐ方法である魔獣で満足に稼げないので困っている。
「あとで教えてやろう。……ここまで質問あるかの?」
「……そもそも騎士って貴族とか金持ちとかの特権階級相手にするんじゃないの?」
「そりゃ相手にできるが、そういうことするんは王城に勤めとる騎士じゃ。お前さんのような身分としての騎士は、そうそうそんなことせんぞ?」
「あ、そうなんだ? まあ個人だと貴族とか捕まえるの大変そうだしね」
「そうじゃ。数がおらんと難しい。……それで、他には質問あるか?」
「さっき罰を与えると報告しないといけないって言ってたけど、行列ができてるところに騎士の身分振りかざして割り込みしても報告しなくてもいいの?」
「……ええけど、たぶんあとで怒られるぞ?」
ハロウの質問にモンドは呆れ顔で答える。今までそんなしょうもないことに騎士の身分を振りかざすのは聞いたことがなかったからだろう。
「騎士の身分ってあんま使えないな」
「お前さん、準騎士の前でそれ言うなよ?」
「準騎士とは?」
「そのくらいは知っといてほしかったの。騎士候補生みたいなやつじゃ」
「それって従騎士とどう違うの?」
「色々違うぞ。準騎士は王城勤めの人間じゃ。騎士の要請で手伝いとか色々仕事をする。そんで、特定の騎士に従事するわけではない。あと、個人でさっきみたく罰を執行することもできん」
「……それって警察でいいのでは?」
ハロウには準騎士と警察の違いがよくわからなかった。
「それだと騎士が増えなくなるんじゃ」
「? 従騎士になって騎士になるんじゃ?」
「違わい。いや、そういう場合もあるがな。ええか? 普通の、騎士を目指す者のルートを教えちゃる」
「そう言うってことは従騎士から騎士になるルートは普通じゃないの?」
「そうじゃ。普通はまず準騎士採用試験を受ける。これに受かって最低三年間、準騎士として働く。そこで優秀じゃったら推薦がもらえるんじゃ」
「それで騎士になると?」
「まだじゃ。もらえる推薦は、騎士試験を受けるための条件になっとる研修の推薦じゃ」
「……騎士になるのって面倒なんだな」
「まだ説明終わってないんじゃが」
「あ、そうだった。それでその研修ってどれくらいかかるの?」
「首都で二年、地方で二年の計四年じゃ。最低な」
「最低?」
「研修中に十分な実績ができれば問題ないんじゃが、そうでなければ期間が延びる」
「地獄かよ」
「ほんで、ようやく騎士試験を受けられるようになる。これが普通のルートじゃ」
「しんど過ぎるな」
「従騎士が楽過ぎるんじゃ」
「そりゃ羨ましがられて当然だわな。コネで最低でも七年短縮してんだから。俺、騎士になる気ないけど」
「じゃから準騎士の前で騎士使えないとか言うなよ?」
「ああ。……けどそもそも俺が準騎士と関わることあるのか?」
「アストロがでかい事件に関わったら、手が足りずに準騎士要請することもあるじゃろう。そうしたら関わると思うぞ?」
「成程。注意しとくわ」
ハロウが覚えていないだけで、署長が不正をしていた警察署で準騎士が視界に入ることはあった。ガカク――アストロの同僚であり、ナルシストなエルフ――が連れてきた応援がおうだ。
「おう。……てかなんの話じゃったっけ?」
「罰を執行したら報告しろよって話だったよ」
「おう、そうじゃ。これから王城に行って報告の仕方を教えちゃる。あと金稼ぎも」
「金稼ぎは今教えてくれたんじゃないの?」
「さっきのお仕事紹介のやつじゃ。王城で手続きとかするんじゃ」
「王城ってそんなことしてくれるの?」
「手続きをの。お前さんじゃと、ミシルシの開発した薬の実験台とかいいんじゃないかの?」
「……おう。容赦ないな」
「まあ、うまくすりゃ骨折とか治るんじゃないかの?」
「運試しか……俺達に見つかった時点で運なさそうだけど」
「運はいつ良くなるかわからんからの。当たって砕けろじゃ」
「もう骨砕けてるけどな」
「ガハハハハ! では行こうかの」
「おう」
ハロウとモンドは、当たり屋をトゥクトゥクに乗せて王城に連れて行くことにした。




