デートと覚悟
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「すーっはー」
ハロウは深呼吸する。これからアストロに誘いの電話をかけるから緊張しているので、それをほぐそうと思ってだ。全く効果はなかったが、いつまでもこうしてはいられないので、アストロに電話をかける。
「プルルルッ! プルルルッ! プルルルッ! ガチャ」
つながった。
受話器の向こうにいるであろうアストロのことを思うと、緊張でハロウの声が上ずる。
『もしもし! ハロウです!』
『はい。前に留守電にこの番号で君のメッセージが入っていたから理解していますよ? それで今日はなんの用ですか?』
『デートの件についてです!』
ハロウは非常に焦る。今までは会話は目の前でしてきた。なので現在どう思われているか鼻ですぐにわかったのだが、電話越しでは流石にわからない。今までにない状況にアストロにどう思われているのか不安で仕方なかった。
『どこか行きたいところは決まりましたか?』
『え、映画館で映画を見て、そのあと喫茶店で話しませんか?』
『もちろんいいですよ。……ところでなぜそんなに緊張しているんです?』
『いや、その、電話とか慣れてなくて』
指摘されてハロウはいつもどおりの話し方にしようと心がける。
『そう言えば友達いなかったと言っていましたね。……まあ、いずれ慣れるでしょう』
『ふひ』
アストロの言葉で彼女がデートを一回だけではないだろうと考えてくれていると理解したハロウから気持ちの悪い笑いが漏れる。
『ん? なにかいいました?』
『いや! はあはあ言ってるだけだよ?』
『興奮を抑えてください。ところでどんな映画を見たいですか? 私は映画には疎くて、どれがいいとかはないのですが』
『あ、映画あんま好きじゃなかったらべつのところ……水族館とかどう?』
アストロの映画に疎いという言葉に教えられたとおり第二案の水族館を提案するハロウ。
『いえ、映画は普通に好きですよ? ただ映画館に行くことがあまりなかっただけで。なので映画館に行くのは全く問題ありません』
『そ、そっか。ならよかった。それで見る映画なんだけど、「正直は微得」って映画が面白いって聞いたんだ、コメディ系の。嘘がつけなくなった男が色々苦労するけど最後には少しだけいい思いができるっていう話らしいよ。もしコメディ系はあまり好みじゃなかったら、見たいジャンル言ってくれたら映画に詳しい友達に聞くから言って!』
『いえ、嫌いではありませんよ。その「正直は微得」を見ましょう。あとそんなに気を遣わなくていいですよ?』
電話越しに伝わってくるあまりの必死さに、少しハロウを心配しただろうアストロが言う。
『う、うん。じゃあそれで決まりで。アストロはいつが休みなの?』
『騎士は休もうと思えばいつでも休めます。その分貴族を捕まえるときなどの大仕事のときは連続で働きますが。幸い今は暇なのでいつでも大丈夫ですよ』
『そうなんだ。じゃあ……』
ハロウは映画館で目的の映画がいつやっているのかをしっかり調べていたので、いくつか候補を出し、アストロがその中から選ぶ。
『ではその日にしましょう』
『うん』
『…………』
『…………』
――これどう言って電話切ったらいいんだ?
ここで問題が発生する。ハロウは言わずもがなだが、アストロも電話になれていなかった。正確に言うと仕事関係の電話は慣れているが、プライベートな電話は長いこと親しい相手としかしていなかったので、会って間もない相手との接し方がよくわからなくなっていた。
『……な、なにかまだ言いたいことはありますか?』
『いや、ただ電話に不慣れで、切るタイミングわかんなかっただけなんだけど……』
『電話の最後に悲しいことを言わないでください。普通にじゃあ、とか、またとかでいいのでは?』
『成程!』
『では、デート楽しみにしてますからね?』
『! うん! じゃあ!』
ハロウは電話を切り、一瞬置いて叫び出す。
「いえええええええええええええええい!」
最後にアストロに楽しみにしていると言われて大はしゃぎするハロウ。
「はっ! こんなことしえる場合じゃねえ!」
ハロウは予定時間の映画の券を予約するために走った。
■
ハロウとアストロがデートの約束をした後日。王の執務室に三人の人物がいた。王、宰相、アストロだ。王と宰相はいつものことだ。アストロは王に招かれて来ていた。
王がアストロに軽い感じに話しかける。
「なにがあるの?」
「私用です」
今アストロが王に聞かれたのは、ハロウとデートをする予定の日についてだ。都合の悪いことに今朝、本来休日であるその日に仕事にきてくれないかと担当の者に言われたのだ。当然予定のあるアストロは断った。そうしたら王の執務室に呼びだされたのだ。
「その私用を教えてほしいんだよ」
「言う必要はありません」
アストロの様子から言いたくないことが伺える。
「でもさ、こんなこと初めてじゃない? いつもは二つ返事で承諾してくれるのに」
「いつもは私用がありませんでしたので」
「だからその私用教えてよ」
王がしつこく問う。
「……デートです」
するとしつこい王にアストロは根負けして話す。
「ええええええええ!? ええ!?」
「なにごとですか!?」
王の叫びに警備の者が入ってくる。
「いや、大事ない。さがれ」
今まで黙っていた宰相が威厳のこもった声で、警備に命じた。
「はっ!」
警備が元の配置に戻る。
「……なぜ驚くのですか?」
アストロが養豚場の豚を見る目が優しく見えるほどの目で王を見る。
「だってアストロだよ? まさかデートなんて言葉が出てくるとは思わないじゃん? 余が驚くのも無理ないよ。ね、宰相」
そのような目で見られても気にせず王は話す。
「そうですな。ドラゴンが襲来してきたと聞く方がまだ現実味があります」
「……理解できませんね。これでもかなりの人数に声をかけられますよ?」
「知ってるよ。その声をかけた全員が撃沈してることも」
王宮の誰もアストロをデートに誘うのを成功した者を見たことがない。王が驚くのも無理はなかった。
「そう言えばそうでしたね。まあ、そういうわけで用があるので、その日は他の人に頼んでください。どうせ誰でもいい仕事なんですから」
アストロが頼まれそうになったのは貴族達のお守りだ。会合をするので、そのときの警備として望まれたのだ。しかしこれの実態は会合にかこつけて経費で飲み食いしたいだけなので本来警備など必要ない。
「そうなんだけどさ。その日空いてる騎士はどれも容赦なく貴族ども殺すのばっかだからなー」
騎士になるものは様々な理由でなるが、貴族を恨んでいるような者などは一定数存在する。運悪くその日空いているのがそういった騎士のみなのだ。
会合は王城であるのでなにかあったら王にとっても面倒なことになる。王としては勘弁してほしかった。
「ではその日は無理だと伝えればよろしいのでは?」
「いや、原則申請されたときに空いてたら断らないから。もうその日に決まってるの」
「そうですか……」
「うん。そういうわけだからお願いできない?」
アストロは王にそう言われて考え出した。
王はなんとか了承してくれそうだと思ったが、次の瞬間それが間違いだったと知る。
「では会合に参加予定の貴族を教えてください……この時期に意味のない会合する馬鹿ですから叩けばいくらでも埃は出てくるでしょう」
「それ絶対捕まえる気だよね!? 捕まえて会合無しにする気だよね!?」
「陛下、それは違うと思われます」
ここで宰相が王の誤りを正す。
「なに? 違うの? でも絶対やる気だよね?」
「いえ、捕まえてしまえば取り調べなど時間がかかります。そして責任者は一段落するまで休めなくなります」
「おおう! 確かに。それじゃあ意味ないな。……あれ? じゃあ宰相はアストロがどうすると思うの?」
宰相がキリッとした顔になる。
「おそらく……殺る気です」
「なんでよ!?」
「殺ってしまえば、その件はそこで一旦終わりです。そして、その行為が騎士として認められるものであるかどうか確かめるのは当然別の者。その間彼女は暇になります」
「確かに……。それでどうなの? 殺る気なの?」
王は宰相の推理に賛同する。
「そんなつもりはありません。もしそのようなつもりなら会合に参加予定の者の中に殺しても問題ない者がいない場合困りますよね? 第一会合の日は休みなのでそのようなこと気にする必要はありません」
「じゃあなんで参加予定者聞いたの?」
――絶対殺る気だったよね?
そう思いながら王がアストロに聞く。
「陛下に必要のないことを聞かれることの煩わしさをご理解いただこうと思いまして」
「ぐ……ぬ……」
――めっちゃ腹立つ!
怒りは感じるがどう返していいかわからない王に代わり宰相が話しだす。
「ははっ。一本取られましたな。まあ、なにか事件が起こると決まったわけではありませんし、ここは元々の者でいいではないですか?」
どうやら宰相はアストロを説得することを諦めたようだ。
「くっ……。仕方ない。でももし事件が起きたら休日が終わった後にしっかりと働いてもらうからね!」
「はい。それは元々の職務なので問題ありません」
「じゃあもう戻っていいよ」
「はい。失礼します」
アストロが王の執務室から出ていく。
数秒たち、王が宰相に話しかける。
「なんで裏切ったんだ?」
「それは最後にアストロの肩を持ったことですか?」
「そうだ。なんであんなあっさり諦めたんだ? いつもならそんなことしないだろう?」
そう王が問うと宰相は呆れたようにため息をつく。
「はー。陛下、常にさきのことを考えながら動いてくださいと申したでしょう? これはチャンスですぞ?」
「……なんのだ?」
「いいですか? アストロは優秀ですが、扱いにくいでしょう?」
「そうだな。もうちょっとこっちの都合も考慮してもらいたいものだ」
アストロは王や宰相が生まれる前から騎士をしている。それだけに多大な実績がある。しかも貴重で有用な能力も保持しているので、扱いにくからといってどうこうできる存在ではなかった。
「だからこそ、これはチャンスです。今までその手の話が皆無であったアストロ。彼女がこちらよりも優先するデートの相手……その者を上手く使えば?」
宰相の言葉を聞いて王は理解する。つまり宰相はデートの相手はアストロの弱点になる。その者を脅すなり懐柔するなりすればアストロを自由に駒として扱えるのでは? と言っているのだと。
「成程。それは名案だ。じゃあ、相手を調べといて」
「畏まりました」
王と宰相はほくそ笑む。自分たちの明るい未来を信じて。
■
とある貴族の屋敷。そこに一人の貴族の男にある報告がされた。
「なに!? それは確かだろうな!?」
貴族はその報告の真偽を改めて確認する。それだけ重要な報告だったのだ。
「はい。間違いありません」
報告者が改めて言う。
「……ふ、ふざけるなああああああ!!! 息子を! ヒキニを莫慰奉送りにしておいて自分はデートだとおおおおお!?」
それを聞いて貴族が机を殴りながら激高する。怒りはすぐに収まらず、貴族は連続で机を叩く。しばらくして貴族が落ち着いたのを見計らって報告者は質問する。
「いかがいたしますか?」
「決まっている。殺してやる!!」
そもそも報告者は貴族がアストロを殺すために放った手の者なので、その貴族の言葉は当然だった。しかしそこには問題がある。
「しかしどうなさるので? アストロを殺すのは容易ではありませんが?」
「……呪具を使う」
「!? それではもしアストロを討ち取っても……」
「ああ。私は……いや、ゲオ家は終わりだ」
なぜならこの貴族、ゲオ・アテニは先日唯一の肉親である息子をアストロによって二度と会えない場所に送られてしまった。もうアテニに生きる希望はない。アテニにとってヒキニは生き甲斐だった。可愛い可愛い一人息子だったのだ。それこそ自分の命を擲ってでも救いたいと思うほどに。その息子を喪う原因を作ったアストロに対する恨みは天井知らずだ。
それほどまでに息子が可愛いならアストロに復讐するのではなく、息子を助けることに全力を挙げればいいのではないかと思われそうだが、これには理由がある。アテニは息子のこと以外は優秀であった。そのアテニが調べてみると莫慰奉は監獄とされているが、真実はそうではない。処刑場だ。おそらく入って間もなく殺されるのだ。だから今まで出てきた者がいない。それがアテニの結論だった。感情では認めたくないが、理性では息子が死んでいることを認めるしかなかった。
なのでアテニにできることは復讐だけだ。息子を莫慰奉送りにしたアストロを殺す。そのためにどんな犠牲も払うつもりだった。
「待っていろ、アストロ。……お前に打ってつけの呪具だ」
その犠牲が例え自分の命であっても。
●
とある駅の前。そこに息の荒い不審者がいた。
「ハッハッハッハッハッハッハッ!」
ハロウである。彼はアストロを待っているのだ。今日はアストロと映画に行く日だ。そして息が荒いのは緊張のせいだ。興奮しているせいではない。
「ハッハッハッハッ! ……」
そして自販機に行ってコーヒーを買い飲む。はあはあし過ぎて口臭が気になったからだ。ここに来る前に念入りに歯を磨き、フロスも使い、口臭ケアのガムを噛むなどしていたが万が一臭いなどと思われてはいけないので念には念を入ることにした。ちなみに、というか当然ながら彼は今日アストロとキスを狙っているわけではない。ただ単純に嫌われたくないからだ。
そして考えていた計画が上手くいったときのために、買ってきていたパウダータイプの制汗剤を手にかける。なんどか手を握ったり開いたりして感触を確かめる。
――いける!
ハロウの準備は完了だ。
そしてとうとう待ちに待ったアストロがやって来る。
「……こういうときは待たせたかどうか確認するべきでしょうか?」
「いや、まだ集合二十分前だから待たせたかとかは聞かなくていいと思うよ? ……はあはあ」
アストロの匂いで会ったばかりで幸せになるハロウ。
「そうですか。……どうして息荒いんですか?」
「ごめん。緊張してて」
「待ち合わせでそんなに?」
「うん。でも大丈夫。深呼吸すれば、すぐに……すー……わっふ」
ハロウはアストロの匂いを至近距離で吸いこんで幸せが加速する。
「顔がにやけてますよ」
「ごめん。良い匂いがしたからつい」
「においのことは言わないように言いましたよね?」
「気をつけるので許してください」
「……いいでしょう。では映画館に行きましょう」
「うん!」
二人は映画館へ向かって歩き始めた。そしてすぐにハロウがアストロへ話しかける。
「ところで聞きたいことあるんだけど、アストロに権力の者のストーカーっている?」
「……? そんなものはいないはずですが、どうしましたか?」
「なんかアストロとデートの約束をした次の日から妙なのが周りをうろちょろするんだよね」
遠くから視線を感じることが多々あったのだ。ハロウは考えがあってその妙なのを見逃していた。
「……約束をしたというのは映画館へ行こうと電話した日のことですか?」
「そう」
「……もしや……いえ、ありえませんね」
「やっぱなにか心当たりあるの?」
「いえ、最初は王の手の者かなとも思いましたが今日は忙しいはずなので、少なくとも今日は違うはずなんですが」
「アストロ、王様にストーキングされてるの?」
「いえ、そうではなくて……」
アストロは王とのやりとりを簡潔にハロウに説明する。
「そっか。じゃあ確かに今日は違いそうだよね」
もしこれで妙な連中が王の手の者なら会合の件をアストロに頼む意味がわからない。アストロをストーキングする余裕があるなら、その者を本日の王城での会合の警備に回せばいいだけだ。ハロウはそう考えた。
「ええ。しかし私は感じ取れませんがいるんですよね?」
「うん。いるね。少なくとも四人」
「そうですか……困りましたね」
アストロの隣でハロウは唾をのむ。心臓の音がうるさい気がする。断られると気まずくなる。だがいくならここしかない。
――言うぞ!
ハロウは少しアストロの前に出てアストロの方を見ながら言う。
「だからさ、デートの邪魔されても困るから撒きたいんだ。そのために走ったり路地裏とか歩きにくい所を通りたいんだけど、いいかな?」
言うと同時にアストロに手を差し出す。心臓の音が煩い。アストロに聞こえているのではと思うくらいだ。
アストロの目が、ハロウの差し出された手を見つめる。一瞬――ハロウには五秒ほどにも感じたが――の後、アストロはふっと微笑んでその手を取る。
「はい」
――やったあああああああああ!!
そう心で叫びながら必死ににやけないように顔を取り繕うハロウ。彼はアストロと手を繋げた嬉しさで満たされていた。
「じゃあ走るね」
「はい」
そしていざ走りだそうというときに気づく。
――しまった!! どのくらいの強さで握ればいいのかわからん!!
しかし戸惑いは一瞬で消え去った。すぐにアストロが強く手を握ってくれたので、同じくらいの力で握り返した。
――今俺が手に握っているもの。それが幸せだ!
あまりにの興奮に脳を侵されながらハロウはアストロと走る。
ハロウが考えていた計画は成功した。彼はアストロの手を握るため自身の周りを嗅ぎまわる妙な連中を放置していたのだ。
二人が映画館へ着くころには妙な連中は撒かれていた。
●
「ぎゃーははははは!」
――どうすればいい!?
無事映画館につき、映画を見始めたハロウだったが、現在悩んでいた。自分たちが見ているのはコメディ系の映画だ。なので笑う客がいてもなんら問題ない。しかしそれはその笑い方が通常のものであった場合だ。客の一人が異常な大声で笑う場合は問題がある。しかも笑い方が妙に鼻につくのだからたまったものではない。その人物の笑い声のせいで、こちらが楽しく笑っているところに水を差されてしまう。これではこちらが楽しめない。では散々練習した魔素を込めた声で気絶させようかとも考えるが、そこは迷ってしまう。その客は声が大きいだけで間違ったことをしているわけではない。大声が迷惑だが、コメディ系の映画に来た客に大声で笑うなというのは酷だろう。そういう思いがあり気絶させるという対処ができないでいた。
――いや、いけるか!?
しかしここで思い至る。ハロウは今の状況にうってつけの練習をしてきたということを。それは蝙蝠魔獣を使った練習だ。あのときは超音波を打ち消すように声の調節をした。同じようにすれば、迷惑客の声も消せるのではと考えた。幸い迷惑客の煩い笑い声は脳裏に焼き付いている。簡単にできるはずだ。意を決して次のお笑いポイントまで待つ。予習のために計三回見たのでお笑いポイントはばっちり覚えている。そしてお笑いポイントがやってきた。
――今だ!
ハロウは吠える。もちろんアストロに気づかれないように指向性を持たせて。そして見事にほぼほぼ迷惑客の声を消すことに成功した。
――やった!
ハロウは成功に喜ぶ。横目で見るとアストロは普通に笑っている。どうやら楽しんでくれているようだ。そのまま気を抜かずに映画終了まで迷惑客の声を消し続けた。