上京
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異世界の新日本王国という国の首都に灰色の髪をした一人の男が降り立つ。彼は列車から降りてきて、人の流れから抜け出すと、深呼吸しながら辺りのにおいを嗅ぐ。
「くんくん……これが都会のにおい」
男は着流しに雪駄を履いて、背中にリュックを背負うというちぐはぐな格好だ。彼はとある事情により田舎から都会へと出てきた。
「んー森の香りが少ない。やっぱ都会だな」
彼は辺りを見回しながら独り言つ。彼の降り立った駅には多くの人間がいた。一見、彼と同じように見えるが彼とは違う種族だ。
「……人間がいっぱいだな。しかしこれからどうするか。……いや取りあえずホテルか」
彼はなんの予定もなく首都に来ていた。なので泊まるところもない。稼ぐあてはあるが、今は故郷で負った心の傷を癒したかった。
「……あれ? ここって都会だよな? 今考えたら、もしかしてアレがあるのでは?」
彼は心の傷の原因となったものへと思いをはせる。故郷では使い物にならなくなってしまったものが、この都会なら見つかるかも知れない。そんな希望が彼の胸に宿る。
「これは急がなくては!」
彼は急いでホテルを探すことにする。駅から出ると、彼の故郷では見られなかった高いビルがいくつも見える。
「……都会だなー。高いビルがわんさかとある」
彼は急ぐのも忘れて辺りをキョロキョロ見回す。
そこの景色は彼の故郷とは大きく違った。
まず地面。彼の故郷の島では塗装などほとんどしていなく、多くが土の地面がむき出しだった。塗装されているところは港付近だけだった。しかもその塗装は今いる都会の地面と比べて白っぽかった。しかし今いる都会の地面は少し黒っぽい。そしてその塗装が見る限り全ての道路に施されているのだ。土の地面など見えはしない。
次に建物。彼の故郷では木造が主流だったが都会の建物に木造はほぼない。また、彼の故郷では高いビルなど一つもなかったが、都会では数えきれないほどある。
普通の都会の風景は田舎から出てきた彼にとって見るだけで楽しかった。
彼はそのままふらふら歩く。適当に歩いてたらホテルみたいなものが見えるだろうと思っていたからだ。しかし現実はそうはいかなかった。いくら歩いてもホテルの文字が見当たらない。
「仕方ない。誰かに聞くか。……すみません」
彼は三回ほど人に聞いたが、どれもあまり成果はなかった。一人ホテルについて知っている人はいたのだが、遠くにあり、しかも土地勘のない彼にはよくわからなかった。しかし他にあてもないので紙の地図で確認しつつそちらに向かうことにした。この新日本王国にはスマートフォンはおろか携帯電話の類もないので、紙の地図を確認しながらでないとすぐに迷う。
歩いている途中、彼は様々なものを目にする。機能性をどぶに捨てたオシャレな服――ファッションと無縁な彼にはよくわからないが、おそらくそんな感じがする――を着たカップル。店内が空いているのに、なぜか野外でオシャレな飲み物――これまたよくわからないが、無駄に長い名前だったのでおそらくそう――を飲む女性。スーツを着てパチンコをしているおそらくさぼっている男性。どれもこれも彼の故郷ではお目にかかれない存在だ。
――色んな人間がいるなー。しかし皆迷ったときとかどうするんだろう?
そんなことを思いながら歩く。彼の故郷に警察などないので、警察という選択肢はない。漫画などで知っているのだが、現実的な選択肢として思い浮かばないのだ。彼にとって警察は犯罪者を捕まえる人達で自身には無縁の者と心のどこかで思っていた。
そして彼は大きな間違いをする。地図を持っているせいか、してはならないことをしてしまう。目的にまっすぐ行こうと細い路地裏に入っていってしまったのだ。メインストリートならともかく路地裏の細い道では地図がどの道を示しているのかわかりにくい。ショートカットをしようとして迷子になるという田舎者の定番のことを彼はしていた。
――まあ、適当に歩いてたらいつか大きな道に出るか。方角は大体わかるから大丈夫だろう。
そんな風に暢気に歩いていると、彼の前方から車のブレーキ音が聞こえたあとに、女性の叫び声が聞こえる。
「やめて!!」
歩道のわきに止まった車から覆面を被った男が降りてきて、男の子をさらう。母親が必死に抵抗するが、瞬く間に男の子は男に抱きあげられ、車に引きずり込まれる。同時に車は走りだす。
――誘拐!?
その場面を見ていた彼は助けようとする。
――待っていろ少年。すぐに助けてやる!
そして彼は服を脱ぐ! 瞬きよりも早く! その脱衣行為を誰も咎めることはできない! なぜなら視認できないほどの早さで脱いでいるから!
――変身!
男の全身から毛が生える。口は鼻ごと伸び、歯は牙になり、手の爪も鋭く伸びる。男の姿は狼のものへと変わった。
男の種族は人狼と言って狼に変身できる能力を持つ種族だ。
人狼は一跳びで誘拐犯の車に追いつく。そして車のドアを爪で切り裂く。ドアはほとんど抵抗なく破壊され、中にいる犯人達と誘拐された男の子の姿が露わになる。
「「「ぎぃやあああ~!!」」」
犯人達は絶叫する。せっかく上手く子どもが攫えたのに、いきなり人間大の狼が現れて自分たちの乗っている車を破壊したのだから当然だ。
「! …………」
男の子は誘拐されたショックと狼への恐怖からか声が出せないでいた。男の子の狼を見る目は助けにきた親切な人を見る目ではない。
――あれ? 怖がられる?
助けにきたのに怖がられたことは腑に落ちないが、人狼は犯人の手から素早く男の子をかっぱらう。彼に自分の狼の姿が怖いという自覚はない。
「がっ!」
男の子を傷つけないように気を遣ったので、結果として誘拐犯の腕が折れた。仕方のないことだ。
そして男の子の救出を優先したので、犯人の車はまだ走っている。無理矢理止めると中にいる男の子が怪我をしてしまうかもしれないと人狼が手加減したからだ。
しかしすでに子どもは救出した。残りの犯人を逃す理由はない。人狼は犯人を捕まえるべく行動を開始する。
「もう大丈夫だ。ちょっと待ってて」
そう言って救出した男の子を歩道に置き、またもや一跳びで走っている車まで追いつく。
「アクセル!! 早く!!」
「ふんどるわ!!」
犯人達は必死で逃げようとしたが、逃走は一瞬で終わる。
「おい待てよショタコンども」
車に追いついた人狼は、車の後ろの部分を上から力を込めて叩く。ちなみに犯人達はショタコンではない。人狼の言いがかりだ。
「「「ああああ!」」」
叩かれた車は跳ね上がり、縦に一回転半して屋根から地面に落ちる。衝撃で犯人達は一人も動けなくなる。これでもう逃走はできない。
犯人の車がひっくり返って間もなく母親が子どものいる場所に到着する。
「ショウヤ!!」
誘拐された子どもの母親が、救出された我が子の名前を呼び抱きしめる。
「……うあああああ!」
母親に抱きしめられて、安心したのであろう男の子は泣きだす。
――怪我とかさせてないよな?
攫われたことなどない人狼は子どもが泣き出したのが怪我によるものかと疑う。しかし自分の行動を振り返って確かに怪我はさせてないはずだと思う。
最初は黙って見ていた人狼だったが、子どもがなかなか泣き止まないので母親に話しかける。
「あー。一応怪我がないように気をつけたけど……」
人狼は子どもが泣いている理由が理解できていないので、言い訳をするように話す。
「あ、ありがとうございます!! 助けていただいて!」
「? ああ。無事でなにより」
人狼は母親から自身に対する恐怖を感じて、わけがわからず返事がいい加減になる。
人狼は種族の能力で相手がどのような感情を抱いているか理解できる。しかし少し感性が人とずれているところがあるので、なぜ怖がられているのかはわからない。
母親が震えながら人狼に話しかける。子どもを助けてくれたお礼はなにがいいか聞こうとしたためだ。
「あの……本当にありがとうございます。なにかお礼を――」
「大丈夫ですか!?」
しかし近くにいた警察官が駆け付けたので話が中断させれる。
母親は警官に事情を説明する。
「わかりました。詳しい事情をお聞きしたいので署までご同行願います」
警官は人狼や母子にそう言う。
「じゃあ、荷物そこに置いてきちゃったんで、取ってくるわ」
人狼は子ども救出のため置いてきてしまった荷物と服を取りに戻ろうとした。しかしここで失敗をする。もう戦闘などはなさそうなので、人狼は元の人間の姿へと戻った。
当然全裸である。
警官は全裸で堂々と街中を闊歩する人狼の肩を掴む。
「……ん?」
そして警官は人狼に無情な言葉を投げかける。
「公然わいせつ罪で逮捕する」
「……なんで!?」
「全裸だからに決まってるだろう!!」