37 このままでいさせて
俺と間宮の関係も、内海がしたことも、この場で収めるのであれば三人の名誉と学校生活が守られる。
内海だって警察のお世話になりたいわけではないだろう。
そして、秘密が他へバレて困るのは俺たちも同じ。
「……でも、僕は間宮さんを傷つけてしまった」
「らしいけど、どうなんだよ」
内海の呟きへの返答は間宮に丸投げした。
すると間宮は考える素振りを見せてから、
「まあ、いいんじゃない? 誰にでも間違いはあるってことで」
優等生の仮面を外した、気楽な口調で間宮は言う。
優等生としての丁寧な雰囲気と口調しか知らなかった内海は目を丸くして、ぱちくりと瞬きを繰り返していた。
「……えっと、間宮さん?」
「ん? ああ、口調のこと? こっちが私の素。学校のは多少作ってるの」
「多少ってレベルじゃないだろ」
「それはいいの。それで、どうかな。私は秘密にしてもらえるならいいけれど」
あざとらしく片目を詰むって瞑って内海に間宮が言えば、彼は困惑したままではあったが俯きがちに視線を右往左往させて、最終的には頷いた。
彼の中で秘密をバラすメリットとデメリットの天秤がこちら側に傾いたのだろう。
それに加えて間宮は普段見せることのない素を内海に見せることで、特別感もプラスして演出している。
怖いくらいに計算高い演出だ。
自分が好きな人が自分に秘密を明かした――その優越感は彼にとって相当な価値があるように思える。
「ありがとね、内海さん。これで今日はなにもなかったし、内海さんも放課後何も見なかった聞かなかった。そうだよね」
「……はい。間宮さんには沢山酷いことをしてしまって、迷惑をかけてしまって、本当にごめんなさい」
「誰にでも間違いはあるんだからさ。私はもういいよ。藍坂くんもいいよね」
「……なんで俺が怒ってる前提なんだよ」
「だって教室に来た時の顔、凄かったし」
間宮のそれに内海もうんうんと頷く。
……そんな顔してたの?
自分の顔をペタペタと触って確かめるが、それでわかるはずもなく俺はまあいいかと思考放棄をすると、
「その……間宮さんと藍坂くんは、付き合っているんですか」
俯いていた顔を上げて、怖いくらいに真剣な眼差しで内海は訊いてくる。
「いや? 俺は間宮と付き合ってないぞ。精々友達止まりだ」
俺は感じているままを内海に答えた。
なにせ、それこそが真実なのだから隠す必要なんてどこにもない。
間宮の方からも否定してくれと横目でちらりと見れば――眉根を寄せて難しい表情をしているのが窺える。
だが、「そうだよ。私と藍坂くんは友達。友達なんだよ」と内海に言い聞かせるような口調で言う。
それを聞いて、内海はどこかほっとしたように息を吐く。
「……こんなことをしておいて言えることじゃないと思うけど、やっぱり僕は間宮さんのことが好きなんだ。だから、これからも好きでいていいですか」
「私が望んだ答えを返せなくてもいいのなら、それでも」
間宮からも直々に赦しを得た内海は満足そうな笑顔を浮かべて、教室から出て行った。
「……あれでよかったのか?」
「内海さんのこと? だって、私も原因の一端を担っている訳だしさ。優等生の仮面は、こういう誤解も生むのはわかってるから。誰にでも優しく平等。そういう態度で勘違いさせちゃった面もあると思ってるし」
内海にあれだけのことをされていながら、間宮は自分も悪いと何でもないように受け止めている。
「俺が来るのが遅かったらどうなってたかはわかるだろ」
「そうだね。情緒も雰囲気もないキスをしたり、服を脱がされてあんなことを仕方なくしていたかも。抵抗したら暴力を振るわれていたかもしれないし……うん、私の選択は最適解だったってことだよね」
「……なんだよ、それ。どうしてそんなに冷静でいられるんだよ」
あまりに冷静だった間宮とは対照的に、俺の方が抑えられなかった。
下手をすれば一生物の傷を負わされることになっていたかもしれないのに、どうして「当たり前でしょ?」みたいな顔を出来るのか、本気で理解できなかった。
自然と強く握られていた拳。
それが、伸びてきた間宮の手に包まれる。
「だって、絶対藍坂くんは止めに来るって信じてたし。それも結構待てずに、私のことが心配で飛び出してくるんじゃないかなあって」
「……いや、別に俺は間宮のことが心配で飛び出してきてない」
心臓が跳ねる。
俺は嫌な予感がしたから、間宮の様子を見に来た。
そりゃあ多少なり心配はしていたけど、飛び出してきたまで言われると否定せざるを得ない。
「その割に到着が早かったよね。十分くらいだし……藍坂くん、私のこと好きすぎない?」
「冗談は休み休み言えよ。大体、なんで俺が間宮を心配して様子を見に来ないといけないんだ」
「二人だけの秘密が誰かにバレるのが我慢ならなかったとか?」
「独占欲強すぎだろ」
彼氏面をしようと思ったことなんて一度もない。
そもそも、女性不信の俺に恋愛は無理だ。
だからこれは、間宮の友達としての行動。
「――でも、ありがと。そろそろ限界かも」
間宮は握っていた手を離したかと思えば、そのまま俺の胸に顔を埋めてくる。
緩く背中に巻き付いた両腕。
僅かに震えていた声には、普段とは違う熱量と呼ぶべきものが宿っている気がした。
「こんなとこ見られたらまた勘違いされるぞ」
「……そうかもね。でも、落ち着くまでこのままでいさせて」
「嫌だって言っても離れる気がないくせによく言うよ」
はあ、と重いため息をつきながらも、俺は間宮に抱き着かれたまま誰も来ないようにと祈り続けた。
幸い廊下から足音がすることはなかったし、窓からは柔らかな午後の日差しが差し込んでくるだけ。
あれだけ異性と関わることを避けていたのに、自分から寄ってくる間宮はどうしても突き放しきれない。
未だ完全に信用出来ている訳ではないと自覚していながら、この不安定で歪な関係も嫌じゃないと感じていた。
この気持ちは、なんだろう。
恋愛感情ではないと思う……というのも、恋というものを経験する前に女性不信になってしまったから、その感覚がわからない。
でも、今は現状維持に努めようと名前の分からない感情を胸の奥にしまい込む。
しばらく間宮の思うままにされ続けていると、不意に間宮は腕を解いて離れていく。
「落ち着いたか?」
なんともなしに聞いてみれば、日差しが当たって明るく染まった間宮の顔がある。
「……ある意味落ち着いてないけど、大丈夫」
「なんだよそれ」
「女の子には人には話せない秘密が沢山あるの」
そう言われれば追及できるはずもない。
「藍坂くん、帰ろっか。気分転換にどこか寄っていかない? 甘いもの食べたい」
「太るぞ」
「女の子ってちょっとぷにってる方がフェチ感あってよくない?」
「……知らん」
「藍坂くんどこを見たのかな? ん?」
スカートの裾を小さく捲る間宮から顔ごと逸らしつつ、これでよかったんだよなと釈然としない気持ちを納得させる。
「……ほら。荷物取りに戻るぞ」
「そうだね」
間宮の返事。
どこか緩んだ笑みの間宮と並んで、帰りに寄る店を調べながら教室へ荷物を取りに戻るのだった。