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「メアリー嬢、僕と一緒にキャンベル子爵領まで来てくれないかな? できれば今から」
「えっ、今からですか!?」
いつものように朝食を食べに来たのかと思ったら、開口一番にそう告げられた。相も変わらずに唐突なアシュレイの申し出にびっくり仰天だ。
「ああ。キャンベル子爵領は馬車を飛ばせば一日で着く。今から行けば夕暮れにはたどり着いて、現場に居合わせることができるよ」
現場という言葉に、不穏な響きを感じ取る。
湖のほとりでデートしてからまだ三日ほどしか経っていないのだが、もう叔父夫婦の逮捕に動いているのだろうか?
ちょっと事態が動くのが早すぎやしないだろうか。
「そういうわけなので、ココットさん。メアリー嬢を数日お借りしたい」
「ええ、どうぞどうぞ。数日と言わずひと月でもふた月でもどうぞ」
「ちょ、ココットさん!?」
「ありがたい。帰りが遅くなるときには早馬で手紙を出そう」
「店の方は全く問題ないですよ、遠慮せずに連れて行ってください」
「ちょっと!?」
どこかで聞いたようなセリフを繰り返した二人は、相変わらずメアリーの意見を無視したままにメアリーの数日の外出を決め込んだ。
「さあさあ!」
「そうと決まればお支度を!」
「伯爵様のお隣に並ぶにふさわしいご令嬢に仕上げてご覧に入れます!」
またも現れた召使い三人組がメアリーを綺麗に飾り立て、再びメアリーは令嬢スタイルになって馬車の中へとすっぽり収まっていた。
ガタゴトと揺れる馬車で向かうのは、十一年間帰っていない懐かしの故郷のはずで、いきなりのことすぎて全く心の準備ができていない。
「あの、伯爵様」
「何だろう」
「キャンベル子爵領って、馬車で一日で着く距離でしたっけ? 確か三日はかかった気が……」
「普通の馬車ならそうだろうけどね。我が家の馬車なら一日で着く」
にこりと笑うアシュレイの言葉の意味がわからない。
「我が家の家紋を掲げた馬車なら関所も検閲もフリーパスで、他には知られていない交通路を使用することができる。主要な交通要所を押さえている貴族諸侯には、それなりの額を支払っているから」
「それって賄賂じゃないんですか!?」
「立派な外交的手段だよ」
優雅に足を組んだアシュレイは事も無げに言った。
ということは、この馬車に違法品がわんさか積まれていようが、犯罪人を輸送しようが見咎められることはないということだ。
アシュレイ・ベルナール伯爵に対する絶大な信頼であり、同時に莫大な資産がなければ到底できる技ではない。
この人と会話してるといちいち驚かされるな、と常識の違いにメアリーは戦慄した。
「ところで、現場というのは……」
「決まっている。君の叔父夫婦の逮捕の瞬間を目の当たりにしに行くんだ」
「ほ、本当にあの二人を捕まえられるんですか?」
「ああ」
「この短期間で一体、どうやって……」
まだ出会ってひと月ほどしか経っていないのに、どうやって叔父夫婦の悪事を暴いて証拠を集め、逮捕までこぎつけたというのだろう。メアリーには想像もつかない。
「そこはだね、僕の持てる力を振るえばどうってことのない事だ」
「つまり、お金ですか?」
「有り体に言えばそうなる」
「私なんかのために、そんなにお金使わないでくださいよ……! 本当に、一生かかっても返しきれませんから!」
「そんな卑屈な言い方をしないでほしい。僕は愛する女性の幸せのためならいくら金貨が飛んで行こうが全く気にしないし、まあ正直にいうと今までに使ったお金では僕の総資産はびくともしないから気にしないでくれ」
「金銭感覚が違いすぎる!」
「でもね、メアリー嬢も慣れておかないといけないよ。何せ叔父夫婦がいなくなれば君がキャンベル子爵領の領主だ。今までとは動く金の規模は全く違ってくる」
「それは、全くもってその通りですけど」
「大丈夫、僕が手取り足取り教えてあげよう」
どこまでが本気でどこからが冗談だかわからないアシュレイの言葉に、メアリーは黙ってただただ首をコクリと縦に振った。
+++
アシュレイの宣言通り、馬の交換と小休憩以外はぶっ続けで走り通した馬車は日が傾く頃にはメアリーの見知ったキャンベル子爵領へとたどり着いた。
領主の館がある街へとたどり着くとメアリーの心はいやが上にも落ち着かなくなる。
速度をやや落とした馬車の窓から覗くと記憶の底に眠っていた景色が目の前に広がり、懐かしさに胸がいっぱいになった。
ただ心なしか道で平伏する領民の姿が以前よりみすぼらしく、生気がないように見えるのが気になる。
領主の館の庭先に馬車を停めて降りてみるとそこは物々しい雰囲気だった。
他にも何台もの馬や馬車が停まっており、玄関の扉は開け放たれていて中からは怒声が聞こえてくる。
どう考えてもお取り込み中の様子だ。
「怖いかい」
「いえ、大丈夫です」
ここまで全てのことをやってもらっておいて、今更尻込みするわけにはいかない。
メアリーは七歳まで自分が暮らしていた館に、十一年ぶりに足を踏み入れた。
「――だから、儂等が前子爵夫妻を殺した証拠はあるのかと聞いている!」
「先ほどから何度も言っているように、あなたたちの指示で毒入りワインを盛ったと言う使用人がおります」
「そんなのは言いがかりに決まっている。儂等を陥れようとする罠だ!」
「そうよ、あたくし達は正統に爵位とこの領地を継いだのよ! そんな不躾な言いがかりをつけられたらたまらないわ!」
絶叫を上げているのは行政府の官吏に取り囲まれている叔父夫婦だ。久々に会う叔父夫婦は華美な服を身に纏い、これでもかと宝飾品で全身を飾り立てている。
質実剛健を旨としていたメアリーの両親とは似ても似つかず、かといって同じ派手でも下品さは決して感じさせないアシュレイとも異なる。
見る者を不快にさせる、成金趣味な出で立ちだった。
「正統な爵位とおっしゃいましたか。しかし我々の調べでは、キャンベル子爵の一人娘メアリー・キャンベルはまだ生きていることが判明しました。事実であれば、あなた方の襲爵はとんだ犯罪行為です」
「それこそデタラメだ!」
「夫とあたくしは間違いなくメアリーの死を看取ったわ。両親と同じお墓にだって埋めたのよ!」
「嘘よ」
絶叫する二人に堪りかね、メアリーは無意識で声を出していた。
しん、とする館内でメアリーに視線が集中する。
一歩前に踏み出して叔父夫婦の前に立ちはだかった。
「お久しぶりです、叔父上、叔母上。七歳の冬の日にあなた達が王都の下町に打ち捨てた、メアリー・キャンベルが帰ってきました」
「な……な……!」
「もうとっくに死んだと思っていましたか? 幸運にも親切な人に助けられて、今日まで生きてこられました。短絡的に始末せず、遠い地に放置するという選択肢を取った叔父上と叔母上には感謝を申し上げます」
震える拳を抑えきれないままに、それでも口調だけは丁寧に言ってやる。
幽霊を見るかのような表情でメアリー見ていた二人だったが、やがて我を取り戻して再び雄叫びをあげた。
「この娘がメアリー・キャンベルだという証拠がどこにあると言うんだ」
「そ、そうよ。こんな小娘一人、どこにでもいるわ!」
「おい、いい加減にしたまえ。何を言っても君たちの罪状は変わらない」
「いいえ、いいえ。無実の罪で捕まってたまるものですか!」
「証拠をお見せすればいいんですか?」
自分たちの無実を声高に主張し続ける叔父夫婦に、メアリーは挑発的に言い放った。後ろからアシュレイがそっと自分の肩を抱いたのがわかったが、メアリーは加勢を頼む気はさらさらなかった。
自分一人の力では、叔父夫婦をここまで追い詰めることなどできなかっただろう。
メアリーがメアリー・キャンベル子爵令嬢その人であると言う証拠を見せられるのは、もうこの場において自分自身だけだ。
久々に入った生家を見回し、メアリーはその場に集まった面々を見つめた。
叔父夫婦と官吏のやり取りを遠巻きに見つめる使用人の面々をじっと見つめ、見知った顔を見つけてメアリーはホッとした。
「リリア侍女長、まだ働いていたんですね。持病の腰痛の具合はいかがですか」
「メアリー様……! 今の私は侍女長ではなく、下働きの身でございます。旦那様と奥方様のお屋敷をこの不届き者に好き放題されるのを指をくわえて見ているのは、とても辛うございました。よくぞご無事でいらっしゃって……!」
「ジョセフ庭師、先ほどちらりと見た、庭の金色樫が今年もきれいに色づいていました。きっと剪定に励んでくださったんですね」
「ええ、あの樫の木陰でお嬢様が昼寝をしていたのがつい昨日のことのように感じられます」
「ついつい寝すぎて、夜眠れなくなって叱られたこともあったっけ」
それから、とメアリーは周囲を見回す。
「ヘンリー執事の姿が見えませんが……」
「彼ならば、この悪辣な二人の手にかかってクビになりました」
侍女長から下働きに降格させられたリリアが怒りをにじませた声で言う。
「この方は、まごうことなきメアリー・キャンベル令嬢ですわ! お顔立ちに面影がありますし、何よりここまで屋敷の者に詳しい方は、ご本人を差し置いておりません!」
「デタラメだ! 儂等をグルになって追い出そうとする、くだらない茶番だ!!」
口角泡を飛ばしながら反論する叔父にとどめの一言をメアリーは放った。
「くだらない茶番を演じているのはあなた方の方でしょう。もういい加減諦めてください」
「儂は、儂等は認めんぞ!」
「ではその言い分は、どうぞ行政府の官吏にしてください。誰が正しいかはすぐにわかることになるわ」
口角泡を撒き散らしながら無実を主張し続ける二人は、官吏の手により捕縛されて連れ去られていく。
騒がしい二人の声はやがて馬車に押し込められたことで聞こえなくなり、後にはメアリーとアシュレイ、そして官吏が数名と領主館の使用人達が残った。
「……往生際の悪い二人だったね。大丈夫だったかい」
後ろから支え続けてくれたアシュレイがそっと肩越しに耳打ちをしてくる。
「はい。あの、ありがとうございます」
「むしろ連れてきてしまって申し訳ない気持ちになった。あれほどまでに厚かましい人間だったとは思いもよらなかったよ」
「いえ、自分でも一言言えてスッキリしました」
首を巡らせてアシュレイと視線を合わせ、にこりと微笑む。
「本当は、思いっきり殴り倒したかったところですけどね!」
「今からでもできると思うが」
ニヤリとその美しい顔立ちに凄みのある笑みを浮かべたアシュレイを見て、ああこの人はなんて罪作りなんだろうとメアリーは思った。