5
「アシュレイ様、行政府の長官殿から連絡がありまして例の件で報告したいことがあると」
「すぐに行こう」
アシュレイ・ベルナールの日々は忙しい。今現在は社交シーズンで領地を留守にしてこうして王都に滞在しているが、領主としての仕事をおろそかにしているわけでは断じてなかった。
朝は早くからメアリーのいる店へと行き、そこで愛情たっぷりの朝食をとって一日の元気をチャージした後は執務室で日々の作業に追われる。
領地から送られてくる日報やアシュレイにしか処理できない仕事、陳情に目を通し、返信を書けばそれだけで大体午前いっぱいが終わる。
昼食の後も執務室にこもりきりになり、夜ともなれば社交会へと足を向ける。
アシュレイが行く先はもっぱらサロンだ。コーヒーサロンと呼ばれる場所で紳士諸君と談義を交わして旧交を温め、新たな繋がりを作る。
貴族にとって繋がりとは金と同じくらい強力な武器であり、疎かにできるものではなかった。
本日は昼食後の執務のひと時に執事にそう告げられ、アシュレイは取り掛かっていた仕事を恐るべき勢いで終わらせると颯爽と馬車に乗り込んだ。
「ああ、ベルナール伯爵殿。随分とお早いお着きで」
「一刻も早く聞きたかったものでしてね。それで、どうでした?」
長官の執務室ソファにゆったり腰掛けたアシュレイは開口一番にそうたずねる。長官は神妙な面持ちを作り、報告書を机に置いて話を切り出した。
「キャンベル子爵とそのご婦人はほとんど同時期に亡くなられたみたいでして、書面の上では病死となっておりました。二人は一年前から病を患い、寝込みがちになり、やがて息を引き取ったと」
「ふむ」
「ですが、その前までは健康そのもので病の兆しは見られず。ご夫妻揃って同じような症状に見舞われるというのは少々不可解であると断じます。流行病があったわけではなく、他に似たような症状の人間はいなかったそうで」
ここで長官はぐっと声をひそめた。
「……実は探ったところ、古参の使用人の話では襲爵した叔父夫妻が頻繁にワインを差し入れしていたようでして、それが怪しいのではないかと」
アシュレイは顔をしかめた。思っていた通り、話がきな臭い。
「夫妻の話では娘もやがて息を引き取ったということでね。いやいや、随分と都合がいいことだなと」
「娘はまだ生きていますよ」
「なんですと?」
「娘のメアリー・キャンベル嬢はまだ生きています。ここ王都の下町にね」
「それが本当なら、この叔父夫妻のやっていることは詐欺になりますぞ。正統な爵位継承者をないがしろにして、その座をかっさらったんですから」
「全くその通りです。キャンベル子爵夫妻のワインに毒が盛ってあったという証拠もあれば尚いいのですが」
「ああ、それも全くの偶然なのですが、当時屋敷にて給仕をしていた使用人がこの王都の下町にどうも隠れ住んでいるようなのですよ」
「何ですと?」
「中年の男らしいんですが、如何せん下町は広い上に手がかりが少なすぎて。もう少し金貨の方を弾んでいただけたら……捜査の手も早くなるかもしれません」
最後の言葉をアシュレイは聞いていなかった。中年の男、下町に隠れ住んでいる。
「その男の名前を教えていただけませんか」
「ジャック・ウィルソンという名前です」
「ありがとう」
いうが早いが立ち上がったアシュレイは、長官を置き去りに部屋を出た。
「馬車を出してくれ」
「行き先はどちらに?」
「メアリー嬢のいるパン屋だ。今日は少し手前で停めてくれないか」
「かしこまりました」
あっという間に下町まで向かったアシュレイは、指示通りに少し手前で停まった馬車を降り、いつものパン屋へと向かう。
あちこちにゴミが散らかり、石畳も粗雑でボコボコとした通りにひしめく商店の一角にメアリーの勤めるパン屋がある。そしてその窓から中の様子を覗くキャスケットを被った中年男が一人。
アシュレイは音もなくその男に近寄ると、ぽん、と肩に手を置いた。
「失礼、ジャック・ウィルソンさん」
「ひっ……」
男はあからさまに動揺の声をあげ、振り返るなり泡を食って尻餅をついた。
「お、お貴族様! 俺はジャック・ウィルソンなんて名前じゃねえです! 誓って!」
壁際でヒイヒイ言いながらそう言い訳をする男は、見ているこちらが哀れに感じるほどに狼狽しきっていた。
アシュレイはなるべく優しげな声音を出し、這いつくばるジャック・ウィルソンに話しかける。
「とって食おうだなんて思っていないから安心してくれ。……少し話を聞かせてくれないか」
「ひっ、ひいい!」
もつれる足で何とか立ち上がったジャックは、キャスケットがズレ落ちるのもかまわずその場から逃げ出そうとするも、アシュレイはその腕を一足早く掴んで捕縛した。
「ここだと人目が気になるから、行政府まで同行願おうか」
「後生ですから勘弁してくだせえ!」
もはや泣きじゃくるジャックを尻目に、アシュレイは自身の乗ってきた豪奢な馬車まで半ば引きずるように連れて行き、逃げ出さないように閉じ込めた。
+++
行政府長官の執務室は今や渾然とした状況となっていた。
長官と高位の官吏、国一の資産家であるアシュレイ・ベルナール伯爵、そして伯爵が連れてきた小汚い中年の男が机を囲んで四方に座り、机の上には伯爵が積み上げた金貨の塔が何本もそびえ立っている。
「……さて」
人差し指と中指で尚も金貨を積み上げながら、美貌の伯爵アシュレイ・ベルナールが努めて冷静な声でそう切り出す。
「知っていることを正直に全てを話してもらいたいんだが」
パチリパチリと音がして、アシュレイは金貨の塔を高くすることを止めない。
この視界に対する暴力的な行為に一体何の意味があるのか、聞きたい気持ちがうずうずするも問いかける勇気のある人間はこの場にはいなかった。
実際、この行為には何の意味もない。
強いていうのであればアシュレイのストレス解消法だった。
感情が昂った時、気を鎮めるために金貨でタワーを作るのはアシュレイの癖であり、執務室では度々こうしてうず高い冒涜的な金色の塔を作り上げては執事を呆れさせている。
ジャックはソファの上で縮こまってガタガタと震えており、冷や汗をだらだらと垂らしている。そんな彼に冷ややかな一瞥を送って、アシュレイは言葉を続けた。
「君がキャンベル子爵夫妻に毒を持って殺害したばかりに、一人下町に放り出された娘のことが気になって、あそこに毎日のように張り付いて見ていたのかな」
「ち、ちげえます! 毒だと知っていれば、あんなこと……!」
「しなかった、と言い切れるのかい?」
「……! ……っ!」
ジャックは全身が左右に揺れるほどに小刻みに震え、過呼吸になりそうなほど浅い呼吸を繰り返している。
「ジャック・ウィルソン。僕は今非常に怒っている。僕の愛する人の両親が罪なく殺され、そしてその令嬢は不当な仕打ちを受けて下町に放り出されたと言うんだから、これを怒らない男はいないだろう」
アシュレイは金貨を積む手はそのままに目線をジャックに固定して、静かな怒気をにじませた声で淡々と語った。
「どうだろう? 僕はなるべく穏便に事を運びたいと思っているんだ。暴力的な手段で自白させるのは、趣味ではなくてね。何事も対話が大切だ。そうだと思わないか?」
どの口がそれを言う、と満場一致で皆が思った。
この視界いっぱいの金貨は、自身にこれだけの財力があると見せつけていることに他ならない。逆らえばどうなるか。想像するのも恐ろしい。
観念したジャックは上半身を二つに折り曲げ、苦悶の声をあげた。
「しがない使用人の俺に、どうできたっていうんです! アレを飲み始めてから旦那様と奥方様の具合が悪くなったことなんて、重々承知です。でも、止めたり誰かにバラしたりしたら殺すと脅されて……!」
ヒイヒイと悲痛な声を上げるジャックの言い分に、アシュレイを筆頭とするその場にいる全員が嘆息した。
どこまでが本当かはわからない。もしかしたら金をもらって嬉々として毒を盛っていた可能性もある。しかし、身分を盾にしてそうした横暴を働く貴族がいるのもまた事実だった。
「下へ連れて行って、もっと詳しい取り調べを受けさせろ」
己の執務室内だというのに全く存在感のなかった長官がそう命じると、官吏の二人が頷いてジャックの両脇をがっちり掴み、部屋から出て行った。
「違う、俺は断じて、自分の意思であんなことしたわけじゃねえ!!」
貴族の毒殺に加担したとあれば、最悪死刑も免れない。ジャックの嘆願は扉を閉めた後も廊下中に響き渡りアシュレイの耳に届いた。
行政府の長官はため息をつくとアシュレイへと向き直る。
「これで叔父夫妻は爵位を手に入れるためにキャンベル子爵夫妻の毒殺を促し、娘をも追い出したという罪が確定したな」
「大至急でこの件に取り掛かっていただけませんか」
「それはもう、勿論でございます」
「助かる」
金貨を積む手を止めたアシュレイはソファからすっと立ち上がる。
「ではこの金貨は、この件に対するちょっとした心づもりということでお受け取りいただけますか?」
「あ、ええ!」
顔面に喜色を輝かせる長官を見て、あの湖のほとりで涙を流したメアリーの顔を思い出し、一刻も早くこの事件を解明しなければと心に誓った。