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「またいらっしゃったんですか」


「僕は結婚を了承してもらえるまで何度でも来るよ」


 爽やかな笑顔を浮かべてそう言うアシュレイにメアリーはげんなりした。

 戸口に陣取って壁にもたれ、頭二つぶん低いメアリーを見下ろす様は大層絵になっているが迷惑千万である。

 この傍迷惑な伯爵様が何か厄介なことを言い出す前に叩き出そう。そう心に決めていたメアリーだったが、アシュレイは意外な言葉を口にした。


「パンをもらおう」


「お断りで……えっ?」


「君が焼いたパンを食べてみたい」


 断る気満々で、否定の言葉を口にしていたメアリーだったが予想外の言葉にアシュレイの顔を二度見した。


「えっと、パンを、ですか?」


「ああ。見ればそこにカフェスペースがあるじゃないか。そこで頂いていってもいいかな」

 

 店の隅には買ったパンを食べられるようにちょっとしたスペースを作ってあった。

 朝などには焼きたてパンとコーヒーでくつろぐ大工さんや肉屋のおじさんの姿があり、憩いの場所となっている。パンを買うとなればお客様であり、お客様を断る必要はないがこの伯爵様のお願いははっきり言って無謀だ。

 ここで出すパンは、普段上流階級の人々が口にするものとは大きく異なる。


「そりゃ構いませんけど、伯爵様のお口に合うものはお出しできないと思います。小麦ではなくライ麦を、上白糖ではなく粗製糖を使っていますし、ミルクの品質だって……」


「僕はそんなこと気にしない」


 そう言うとさっさと店内に上がり込み、一角にある丸テーブルに陣取った。

 長い足を組んで物珍しそうに店内を見回し、それからこちらを向いて手を振った。


「!」


 アシュレイの見た目は破壊力がある。黙っていれば絵になる美青年にメアリーは少し動揺し、慌てて引っ込んでパンとコーヒーの準備を始めた。


「おやぁ、伯爵様、今日はパンを食べていってくれるのかい? 色男が店にいると華やいでいいねえ! 見てごらん、窓から中を伺う娘さんがちらほらいるよ。こりゃ売上が上がるってもんだよ」


「ココットさん、もう! 冷やかすのはやめてくださいよ!」


 ミルでコーヒー豆をガリガリと砕きながらメアリーは反論する。


「メアリーの焼いたパンを出しておやりよ。クロワッサンがいい出来だったよ。温めてお出しするんだよ」


 なんやかんやと口出ししだすココットの指示に従い、メアリーは淹れたてのコーヒーと温め直したクロワッサンをアシュレイの元へと持っていく。


「どうぞ。お待たせしました」


「ありがとう」


 ゆっくりとカップを持ち上げたアシュレイは香りを堪能してからコーヒーに口をつける。

 続いてクロワッサンを口に運ぶ。 

 サクッ。

 こんがりと焼けたクロワッサンはいい音を立てて噛みちぎられ、その形のいい唇がもぐもぐと動いて咀嚼した。

 さあ、どういう感想が出るか。

 もしかしたら吐き出されるかもしれないな、と半ば覚悟したメアリーだったがその心配は杞憂に終わりそうだった。


「……うん、美味しい。コーヒーも君が淹れたのか?」


「はい。お貴族様の口には紅茶の方が合うのかもしれませんが、あいにくうちにはコーヒーしか置いてありませんので」


 下町の人々は紅茶よりコーヒーを好む。

 このパン屋はテイクアウトが基本なので、そこまで充実した飲み物を取り揃えていなかった。このコーヒーだって、常連さんが「コーヒー飲みたい」と言うので始めたものだ。


「実を言うと紅茶よりコーヒーが好きなんだ。朝は特に、目が覚めてスッキリするから」


 そう言ってコーヒーとクロワッサンを楽しむ。ただ食べているだけなのに絵になる人で、ココットさんの言う通り窓からはこちらを覗く人がちらほらいて店に入ってくる若い女性もいた。

 結婚だなんだと押しかけられると迷惑この上ないが、こうして食事を大人しくするだけならむしろいい店の宣伝になるのではないか、とメアリーは密かに考えた。

 調子のいい考えだが、下町では一人でも多くのお客さんを呼び込める方がいい。

 ココットの店は評判も上々で常連も多いが、新たなお客が来るなら大歓迎である。


 あっという間にクロワッサンを平らげ、コーヒーを飲み干したアシュレイ。


「ごちそうさま。明日から朝食はここで頂くことにしようかな」


「えっと、伯爵様を満足させるようなお食事を用意できるとは思えませんが……」


 おぼろげなメアリーの記憶だと、普通貴族というのは朝からパンだけでなくサラダやスープ、肉料理、フルーツなんかを食べていたはずだ。ここで出せるのはパンとコーヒーだけだから、屋敷の食事とは比べるべくもない。

 しかしそんなメアリーの心配をよそに、アシュレイは白い歯を輝かせた実にいい笑顔を浮かべるとごく気軽に言った。


「何、今日と同じクロワッサンとコーヒーだけで全く構わないよ。お代はこれで」


 言って金貨を一枚、人差し指と中指で挟んで差し出してきた。


「ありがとうございます。お釣りをお持ちします」


「お釣りはいらないよ」


「そういうわけには……」


 またも大金を押し付けようとするアシュレイに、メアリーはジト目で返事をする。

 この伯爵様は、隙あらば金をばら撒こうとする。


「僕からすれば、君と淹れたコーヒーとクロワッサンは金貨一枚どころか十枚にも二十枚にも値する。受け取っておいてくれ」


 キラキラと輝く金貨を手のひらに乗せたメアリーは、これ以上何を言ってもきっと無駄だなと悟った。

 短い付き合いであるが、この伯爵様の性格は十分に理解した。要するにこの人はお金の価値が自分とは全然違うのだ。


「わかりました。でも明日からは銅貨一枚たりともいただきませんからね! この金貨一枚で、百回分くらいのお代をいただきましたから!」


 言うと、アシュレイはキョトンとした顔をした後に「ははは!」と大声で笑い始めた。


「いいさ、君がそう言うならばそうしよう。じゃあまた、明日来るよ」


 去り際にメアリーの手をぎゅっと握ったアシュレイは爽やかに去って行く。


「賑やかな人だねぇ」


「本当に……」


 手のひらに握った金貨を見下ろして、ココットに提案をした。


「コーヒー豆、もっといいやつ仕入れましょうか」


「だねぇ。お金もいっぱい貰っちゃったしねぇ」


 そのくらいのサービスはしたほうがいいだろう。



+++


  アシュレイ・ベルナール伯爵は宣言通りにほとんど毎朝やって来てはクロワッサンとコーヒーを注文して食事をするようになった。

 朝のパン屋は忙しい。

 仕事前に立ち寄る客にパンをせっせと売りさばき、あるいはアシュレイのように店内で食べて行く客のために給仕をして、それはもう目の回る勢いだ。

 そんなメアリーを横目で見つつ、アシュレイは実に優雅に朝食を楽しんでいる。

 隣に座るのがもっさりした見た目の大工のおじさんだろうが、どぶさらいを生業としている人間だろうがまるで気にしていない様子だった。


「兄ちゃんみたいなお貴族様がなんだってこんなちっさい店に来てんだ?」


「そうだよぉ、もっといいもんがいくらでも食えるだろうが」


 もしゃもしゃとパンを頬張る男たちがそうたずねると、コーヒー片手に気軽な調子でアシュレイは答えた。


「好きな女性が焼いたパンとコーヒーに勝る食べ物はないだろう?」


「おっ? それってメアリーちゃんのことか」


「へえ、噂は本当だったのか! メアリーちゃんも隅に置けないなぁ!」


 はっはっはー! と笑いながら和気藹々とした雰囲気のカフェコーナー。


「じゃああれか、メアリーちゃんもいずれはナントカ爵夫人ってわけか」


「今のうちにもっとゴマすっとかんとな」


「ゆくゆくはこの店も、貴族様御用達になるのか?」


「もう! そんなんじゃないですよ」


 勝手に盛り上がる男衆にメアリーは喝を入れる。しかしメアリーが何を言おうが御構い無しに盛り上がり、しまいには「じゃ、結婚式には呼んでくれよな!」と言って去っていってしまった。

 後に残ったのは楽しげな顔をしているアシュレイだけだ。


「何かな?」


 じっと見つめていると声をかけられた。


「……伯爵様って、労働者階級の人とあんなに気さくにお話しするんですね」


 普通の貴族というのは大抵平民を見下しているものなので、このアシュレイもてっきりそういうタイプの人間だと思っていた。大金持ちだし、いかにも貴族然としている見た目で平民と話し込む姿はちょっと異質だ。


「民の努力なくして領地の発展はありえないからな。貴族だ庶民だと関係なく話を聞くのは大切なことだと思っている」


「!」


 その言葉にメアリーは目を見開いた。


「僕のことを、ただカネをばらまく人間だと思っていたかい?」


「ええ、まあ」


「心外だ」


「だって私、伯爵様のことよく知りませんもん」


「そうだったな」


 組んだ手の上に顎を乗せたアシュレイは、青い瞳でまっすぐにメアリーを見つめた。


「どうだろう、僕とデートしてくれないだろうか」


「ええっ、デートですか? 嫌です」


「即答だね」


「だってお貴族様が行くような店に私なんかと行ったら、きっと伯爵様が恥をかきます。やめたほうがいいです」


「安心してくれ、君が気後れするような場所には行かないから。外はどうかな? 湖のほとりでピクニックなら周りを気にする必要もないだろう」


 メアリーは返事に困った。

 以前なら「嫌です」とすぐに言っただろう。

 しかし、お店の常連の気さくに話すアシュレイの姿に親しみを覚えてしまった。

 それに先ほどの台詞――『民の努力なくして領地の発展はありえないからな。貴族だ庶民だと関係なく話を聞くのは大切なことだと思っている』。これには正直、度肝を抜かれた。

 昔まだ父が元気だった頃、メアリーに言っていた言葉とそっくりだったからだ。

 沈黙を肯定と受け取ったらしいアシュレイは、金貨そっくりの輝く金髪をさらっとなびかせて立ち上がった。


「そういうわけなので、ココットさん。メアリー嬢を数時間ほどおかりしたい」


「ええ、どうぞどうぞ。数時間と言わず一日でも二日でもどうぞ」


「ちょ、ココットさん!?」


「ありがたい。明後日の午後でどうだろうか、もちろん店の都合が悪ければ日にちは延期する」


「店の方は全く問題ないですよ、遠慮せずに連れて行ってください」


「ちょっと! 私の意見は!?」

 

「では明後日の午後に迎えに来るとしよう」


 当の本人であるメアリーの意見は全く聞き入れられず、ココットとアシュレイの二人の間であっさりとデートの日程が決められてしまった。 

 


「グェッ」

「おや、失礼」


 デートの約束を取り付けたアシュレイが上機嫌で店の外へと出ると、丁度扉を開けたところにある窓に張り付いて中を伺っていた男が窓と扉の間に挟まってカエルが潰れたような声をあげる。


「いえ、こちらこそ申し訳もごぜえません」


 キャスケットを被った埃まみれの男はそう言うなり脱兎のごとく駆け出した。

 無理もないだろう。

 貴族の中には身分をかさに平民に無茶苦茶を吹っかける人間も少なくない。

 扉にぶつかったから鞭打ち。

 行く手をさえぎったから投獄。

 夜伽を断ったから死刑。

 少なくなったとはいえ、そんなことを言い出す古臭い貴族が未だに存在しているのも事実だ。 

 身分にとらわれることのない平等主義が代々ベルナール伯爵領が栄えてきた理由であるからして、アシュレイからすればこうした貴族連中の考え方はどうかしている、と思わずにはいられなかった。

 

「帰るぞ、馬車を出してくれ」


「御意に」


 去って行くキャスケットの男を見送ってから、アシュレイは御者にそう命じた。


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