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「メアリー嬢、今日こそ君に……僕の気持ちが本気であることを証明しよう」


 メアリーの狭苦しい部屋の中、きらきらと美貌を撒き散らす伯爵様は至極真剣にそう告げると、懐から皮袋を取り出した。パンパンに中身の入ったそれはどさりと重そうな音を立ててところどころ割れている木机に置かれる。

 

「あの、伯爵様。なんどもお話ししておりますがこの件は……」


「待ってくれ」


 メアリーの言葉をアシュレイ伯爵は手で制し、おもむろにもう一度、懐に手を伸ばす。

 どさり。

 もう一袋、袋が出てきた。

 どさり。

 もう一袋。


 メアリーは息を呑んだ。


「は、伯爵様。なんのご冗談で……」


「まだまだだ」


 どさり。

 どさりどさり。

 どさりどさりどさり。


「締めて金貨百枚……これでどうだろうか、メアリー嬢。僕との結婚を受けてくれるね?」


 ニヤリと端正な顔立ちの口の端を持ち上げ、その美しい青い瞳に勝利の色を宿すアシュレイ・ベルナール伯爵。

 目の眩むような金貨の山に、古臭い机はその重みに耐えきれずに唸りを上げていた。

 心なしか机の中央が凹んでいる。

 メアリーは拳を震わせた。


「い……い……」


「おお、『良いですよ』と? ついに結婚に頷いてくれるのか!」


「いらないって言ってんでしょうがー!!!!」


 誰もが羨む美しい顔立ちの伯爵に金貨を山積みにされて求婚されたメアリーはしかし、その皮袋を乱暴に弾き飛ばして怒鳴りつけた。


「ど、どうしてだ!?」


 心底理由がわからないという顔をしている伯爵にメアリーは人差し指を突きつけた。


「人を! お金で買えると思ったら大間違いよ!!」


「そんなつもりは毛頭ない!」


「じゃあどういうつもりで、毎日のように大金持って私のところへやって来るのよ!」


「いつも言っているだろう、君と結婚するためだ!」


「だから、金貨をいくら積まれたって結婚なんてお断りよ! だいたいこんな量の金貨、どうやって懐にしまってあったの!? 持ち上げるのも一苦労だわ!」


 メアリーは伯爵の胸元にその皮袋を押し付け返した。


「さあ、さあさあ! お引き取りください!」


「待っ……」


「だいたい、伯爵様のようなキラキラした方がうちへ来ると目立って迷惑なんです。勘違いした輩に目をつけられて、強盗でも入ったらたまったものではないわ。というわけで、今後一切、うちへ近寄らないでいただけますか。伯爵様は伯爵様のいるべき世界へ、お帰りください」


「待ってくれ、メアリー嬢!」


「さようなら!」


 バァァン、と扉を勢いよく閉めたメアリー。


「全く、冗談じゃないわよ」


 カネの権化のようなアシュレイ・ベルナール伯爵がメアリーの家に来るようになって、はや二十日。

 きっかけはひと月前にさかのぼる。


 メアリーは元令嬢だった。

 七歳の時に両親が病気で他界し、幼いメアリーの代わりに叔父夫婦が屋敷へとやってきたのだが、この叔父夫婦はメアリーの面倒を見ることを嫌がって屋敷からメアリーを追い出したのだ。

 馬車に乗せられて領地から王都へと連れてこられ、そこの下町で降ろされて捨て置かれた。 

 疑うことを知らなかったメアリーは何が何だかわからずに去っていく馬車を見つめ、呆然とした。

 幸いにも下町のパン屋のおかみさんがメアリーを拾ってくれ、住み込みで働かせてくれたので命拾いしたわけなのだが、そんなわけで現在十八のメアリーはとうに令嬢ではなく下町に生きるパン屋の娘となっているわけだ。

 

 なのに、なぜ伯爵様に求婚されているのかというと、それはひと月前のある秋の日の森でのことだった。

 森の中にあるキノコを採りに出かけたところ、そこには倒れている青年の姿。


「あら大変、この症状はキノコを食べた急性中毒だわ!」


 身につけている衣服から一目見ていい身分だとわかる二十代後半の青年は、共もつけずになぜか一人倒れている。メアリーは応急処置をし、なんとか歩けるようになった彼を町医者のところへと連れて行った。

 下町の医者は人手が足りない。回復するまでの間にちょこちょこと様子を見に行き、何かと世話を焼いたのだ。


「ありがとう、君は僕の命の恩人だ」


 そう言って手を握る青年は間近で見れば見るほどにその長いまつ毛も、澄んだ青い瞳も、形のいい唇も美しくメアリーも多少赤面した。流れる金髪までもがサラサラで、下町育ちで軋んだ亜麻色の髪のメアリーとは大違いだ

 お礼に、と言って金貨十枚を握らせようとした青年であったが、メアリーは「多すぎます、せめて半分に」と言って逆に値切った。

 金貨一枚で庶民の生活が半年はまかなえるのだ。それを十枚も貰ったとあっては恐れ多すぎて萎縮してしまう。


「君はなんて謙虚な女性なんだ! 名前はなんと?」


「メアリーと申します」


「名字も聞かせてくれないか」


 メアリーは戸惑い、打ち明けた。


「名字は……キャンベル」


「というと、あのキャンベル子爵家と何か関係が?」


「ええ、実は一人娘だったのですが、両親の病死後に色々あって王都の下町で住むようになったんです」


「そうか。それにしてもなんと奥ゆかしい」


 青年は瞳を輝かせてますますメアリーの手を強く握りしめた。


「ありがとう、この恩は決して忘れないよ」


 そうして去って行ったこの美貌の青年が、実は王国随一の資産家と名高いアシュレイ・ベルナール伯爵その人だと知ったのは実に十日も経ってからの出来事だった。


 十日後の昼下がり。

 下町はちょっとした騒ぎとなっており、何事かと気になったメアリーとパン屋のおかみであるココットは扉から顔をのぞかせた。

 すると、庶民が集う下町にはおよそ不釣り合いな豪華絢爛な馬車がやってくるではないか。


「あらあ、お貴族様かねえ」


「こんなすごい馬車に乗ったお貴族様が、こんな大通りから外れた下町に何の用でしょうね?」


「もしかしたらあれじゃないかい? この間メアリーが助けたお貴族様がまたやって来たとか」


「あの方からは十分なお礼をいただきましたよ。もうお会いする理由なんてないと思いますけど」


「そりゃああれだよ、ほれ」


 おかみさんは恰幅のいい体の前で両手をポンと合わせてさも楽しそうに言った。


「命の恩人のメアリーに一目惚れして、求婚にやって来たとか!」


「やだぁ、ココットさん。そんなおとぎ話みたいなこと、起こるわけないじゃないですか」


 そんな軽口を叩きながら扉の隙間から様子を窺っていると、二頭立ての素晴らしい馬車がぐんぐんと近づいて来て――店の前で停まった。

 御者が降り、パカッと扉が開き、そこから出て来たのは大輪の薔薇の花束を持った先日助けた青年。


「お久しぶりです、メアリー嬢! 先日は助けていただいたにもかかわらず名乗りもせずに大変な無礼をいたしました」


 馬車に負けないほどに絢爛豪華な笑顔を振りまきながらタラップを降りると、店前にてスマートに跪いてメアリーに花束を差し出した。


「僕の名前は、アシュレイ・ベルナール。命の恩人であるメアリー嬢。ぜひこの僕と結婚していただけないでしょうか」


「えっ」


「まあまあー! メアリーちゃん、アタシの言った通りじゃないのよ!!」


 興奮したココットはバシンバシンとメアリーの背を叩き、メアリーとしては唐突すぎるこの求婚にどうしていいかわからずに呆然と立ち尽くした。

 当然、この騒ぎは馬車の見学に来ていた下町の人々も目撃するところとなり、大騒ぎであった。


「おい、メアリーちゃんがお貴族様に求婚されてるぞ!」


「アシュレイ・ベルナールっつったか?」


「それってあれじゃないか? 西のベルナール伯爵領の名前!」


「国一の資産家だっつー話の?」


「おっと失礼、興奮しすぎてぶつかっちまった」


 ざわめく人々の中には興奮のあまり道を歩く人間を突き飛ばしている輩までいた。尻餅をついたキャスケットを被った中年男はギロリと突き飛ばした親父を睨みつけると、その凄まじいまでの豪華な馬車をギョッとしたように見つめてそそくさとその場をさって行く。

 背中を叩き続けるココット。

 跪いた状態で花束を差し出し、ニッコリと微笑み続けるアシュレイ・ベルナールなる青年。

 混乱の極地にいたメアリーは、残った理性を総動員して「とりあえず、中に入ってお話を聞いてもいいですか?」と尋ねた。


「突然のことで申し訳ない。メアリー嬢に会えたことで興奮してしまって、つい」


「はあ……」


 パン屋の二階はココットとメアリーの自宅となっており、あてがわれているメアリーの自室に案内してひとまず話を聞くことにした。

 古めかしいソファに豪華な衣装を身にまとって眩しい笑顔を振りまきながら座るアシュレイ・ベルナールの姿ははっきり言って異質だ。

 花瓶に生けた薔薇の花束によって、部屋の中はむせ返るほど薔薇の香りで満たされていて自室なのに全く落ち着かない。

 向かいに座ったメアリーは、ひとまず話を聞くことにした。


「それで、先ほどのご冗談は一体……」


「冗談? いやいや、僕はいたって真面目ですよ」


 長いまつ毛に縁取られた青い瞳をめいいっぱい見開いたアシュレイは、ものすごい勢いでメアリーの言葉を否定した。


「森で倒れた僕を助けてくれた心の優しさだけでなく、お礼さえも半分でいいとおっしゃる謙虚な心を持つ貴女とぜひ結婚をしたいんです」


「ええっと、倒れている人を助けるのはごく普通のことだと思いますし、お礼は金貨五枚でも多すぎると思いますけど」


「そんなことはない」


 アシュレイは力強く反論した。


「伯爵をやっていますと、周りには心無い輩が集まってくるんですよ。どいつもこいつも僕の資産目当てでね、辟易としていました。実を言うとそうした煩わしさから逃れるために森を散策していたのですが……まさか口にしたキノコで食あたりを起こすなんて思いもよらなかった。まあ、おかげでメアリー嬢に出会えたので良しとしましょう。

 僕は思うんです。これは、運命だと。メアリー嬢も子爵家のご出身ということで、身分を考えてもなんら障害はありません。僕たちは出会うべくして出会った。

 どうか僕と、結婚していただけないでしょうか」


 一息でここまでまくしたてたアシュレイに、メアリーはどこから突っ込んでいいかわからなかった。


「伯爵様だったんですか?」


「ええ」


「で、まさかとは思っていたんですが無防備にキノコを口にしたと」


「ちょっと自棄になっていたんですよ。美味しそうな色をしていましたし」


「私が子爵家の出身なので問題ないと」


「はい。その通りでしょう。キャンベル家といえば由緒正しい家柄でなんら問題はないはずです」


 アシュレイは再び、感極まったように話し出す。


「結納金として、金貨三百枚の支払いをいたしましょう。もしよろしければ仕立てるドレスや宝飾品の類の資金も出させてください。王都一の大聖堂で、陛下もお呼びして豪華な挙式をあげるということでいかがでしょうか」


 ものすごい勢いでしゃべりまくるアシュレイに、メアリーはもうドン引きだった。

 金貨三百枚? 王都一の大聖堂?

 一体この人は何を言っているんだ??


「お待ちください、伯爵様!」


「おや! 何か式についてのいい案がおありですか?」


「いえ、そうではなくて。申し訳ありませんが私、伯爵様のご求婚を受け入れるわけにはいきません」


 メアリーがきっぱりそういうと、アシュレイは端正な顔立ちにキョトンとした表情を浮かべる。


「……結納金の金額が足りませんか?」


「そうではなく」


「ああ、では、式場でしょうか。隣国の神聖国家における大神殿での式の方が――」


「そうではありません!」


 暴走しがちなアシュレイを、メアリーが遮った。


「私は見ての通り、下町のパン屋で働く娘です。貴族社会には七歳までしかいませんでしたし、大富豪の伯爵様の妻など到底勤まりません。住む世界が違いすぎるのです。私のことは忘れて、お帰りいただけませんか」


「ああ、なんだそんなことか」


 メアリーの滔々とした訴えをアシュレイはものすごくあっさりと受け取り、親しみを込めた口調になって説得にかかる。


「心配しなくても令嬢教育ならきちんとした教師を雇って受けてもらうし、君に恥をかかせるような真似はしない。今からでもやれば出来る。元の生まれが生まれなんだ、大丈夫だよ」


 全然大丈夫に聞こえないことを、アシュレイは胸を叩いて請け負った。


「とにかく、無理です! そもそも私、伯爵様のこと好きじゃないですし、到底お受けできません」


「これからゆっくりと距離を縮めて行けばいいさ」


 美貌の伯爵はゆったりとした笑顔を浮かべ、自信に満ちた調子でそう言った。

 なんなんだ? なんでこんなに自信満々なの?

 お金持ちの考えていることはよくわからない。


「メアリー嬢、欲しいものはなんでも言ってくれ。全て僕が用意しよう。この店を伯爵家御用達の店にして中心街に移したっていいし、なんなら従業員を伯爵家で召し上げたって構わない。ドレスも靴も香水も全て揃える。君は僕の隣で微笑んでいてくれれば、それでいい」


「いやっ、愛が重い! たった一回助けただけでどういう事なの!?」


「どうもこうも、僕は心の底から君のことを愛している」


「無理です、無理無理! 私は平凡な生活がいいんです!」


 たまりかねたメアリーは叫んだ。


「慎ましやかに日々を暮らして、そのうち同じ下町の男性と結婚して、小さいけれど幸せな家庭を作れればそれでいいんですよ。だから伯爵様との結婚はお受けできません!」


 メアリーの渾身の叫びを聞いたアシュレイは、穏やかな笑顔のままにソファに身を沈めた。


「……君は僕が思っている以上に慎しみ深い女性なんだな。ますます気に入ったよ。今日のところはこれで失礼するとして……また、会いに来る」


「いえもう本当に、二度と来ないでください」


 メアリーの願いも虚しく、この後アシュレイ・ベルナール伯爵は度々店にやって来ては高価な贈り物と唸るような金貨を見せびらかすようになったのだ。


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