PART3 王子はイケメン(後編)
日が沈み、空が茜色に染め上げられたころ。
ユイは土産の茶葉を片手に、とぼとぼと女子寮への道を歩いていた。
(……婚約者がいらっしゃっただなんて)
どうして自分に教えてくれなかったのだろうという嘆きと、そんなの思い上がりも甚だしいという自分の糾弾が、ユイの中で渦巻いていた。
短い時間ではあったが、それなりに仲良くしてくれているという自信があった。他の皆よりも距離が近いという優越感すらあった。
(……そんなことなかった)
嘆息して、道に伸びる自分の影を見つめる。
ぼうっと歩を進めていると、不意に別の影と自分の影が交錯した。
顔を上げると、どうも町で買い物をした帰りらしい、同じ魔法学園の女子生徒がいた。
「それにしても最近はどのメーカーもだめねえ。芸術性ってものがないわ」
「まったくよ。フリルをつけるだけつけてればいいと思ってるんじゃないのかしら」
「ほんとアクシーズファム着てる女許せねえ」
いかにもな女子生徒たちだった。
三人目は特定のメーカーにキレ散らかしていたが、何かうらみでもあるんだろうか。
(とりあえず回り道しよっかな……)
「ん? あらあら、タガハラさんでしたっけ? 十数年ぶりの、庶民出の入学生」
嘲笑する声色。
目をつむって深呼吸して、ユイは尊敬する令嬢の顔を思い浮かべた。
彼女ならどうするか。
「──失礼します」
胸を張って、大股にずんずんと歩き。
ユイはその三人組の眼前を横切って、堂々と立ち去っていった。
「……ッ、貴女ねえ、失礼だと!」
一人が食って掛かろうとして、だがユイが手に持つ小包を見て息を詰まらせた。
「その袋」
「え?」
「ミリオンアーク様の家の袋じゃない?」
あ、と間抜けな声をあげて、それからしまったと顔をしかめた。
「何? あんたなんかが何をもらったというのかしら」
一人が手を伸ばし、小包をむんずと掴む。
ユイは思わず手を払いのけた。
「やめてください!」
声に出してから、ハッと気づく。
三人の空気がもう違う。ユイが抵抗することを予想していなかったのだ。
おもちゃだと思っていた相手に、手を振り払われたこと。それは貴族にとっては、ユイの想像を超えた屈辱を意味する。
「庶民のくせに────」
ぞわりと、ユイの背筋を悪寒が走った。
相手の体内で《魔力》が膨れ上がる感覚。マリアンヌが見せてくれるものよりやや遅いが、間違いなく魔法発動の前兆。
だがそれを読み取れたところで意味はない。自衛用の簡易魔法すらユイは満足に放てないのだ。
(……ッ!)
両目をつむり、自分の身体を守ろうと両腕を前に突き出して。
「そこまでだ」
雷が迸った。
魔力の充填も、形成も、発動も、何もかもが速過ぎた。
発動された魔力、炎が矢を象って射出されたそれを、黄金色の光が砕いた。
恐る恐るユイが目を開けば、破壊された魔法の残片が空中に漂い、夕日に煌めている。
その輝き越し。
ただ一人で、制服の上に、金色に縁どられた純白のコートを翻し。
ロイ・ミリオンアークが歩いてきていた。
「……ッ、ミリオンアーク様……!?」
「彼女は私の婚約者である、マリアンヌ・ピースラウンドの客人だ。手に持っているのは、マリアンヌへの土産だよ」
彼の言葉に、女子生徒たちの顔がさぁっと青ざめる。
男子寮と女子寮の中間地点であり、ここは町へ連なる馬車道でもあった。かのミリオンアーク家の嫡男がいるだけでも十二分、加えて庶民出の少女までいるとあって、学生たちが何事かと見物を始めている。
「彼女、ユイ・タガハラへの侮辱は、私とマリアンヌへの侮辱と思っていただこう」
「そんな……!?」
ビッグネーム2つが並び、思わず足から力が抜けそうになった。
「ちょ、ちょっとミリオンアークさん! ピースラウンドさんの名前を勝手に使っていいんですか……!?」
「別にいいんだよ。家柄としては僕の方が格上だし」
「なんか突然貴族っぽいこと言い始めましたね!?」
なるほど確かに、彼女をかばい立てするのも分かるほどには砕けた口調で会話をしている。
そんな馬鹿な、と呻きたくなった。
あんな庶民出の女相手にどうして、新入生の二大巨頭が心を開いているのだと。
ロイ・ミリオンアークと。
そしてもう一人。
「────なんの騒ぎかしら」
音が、消えた。
雑踏が静寂に包まれ、次の瞬間、人混みが真っ二つに裂ける。
道が出来上がった。彼女が歩く道、何人たりとも邪魔できない、王の進む道。
開けた道の向こう側には、腕を組み、沈みゆく陽を背にした、マリアンヌ・ピースラウンドが佇んでいた。
おかしい。
タガハラさんがよく分かんねえ女子に絡まれるとこまでは見ていた。
これはチャンスだと思ったのだ。うまいことタガハラさんが……そう、服剥かれる程度のとこまでいって、それから止めればいいと思った。善人として止めるのではなく、イイ感じに巨悪として「シケた遊びしてんじゃねーよ三下が……」みたいな感じで悪役令嬢アピールできると思ったのだ。
それがなぜ、わたくしの婚約者くんがこんなに出張っているんだ?
……あ! あああーーーー! あーー!!!!!
もしかしてお前、パッケージとかに出てくる主役クラスの攻略対象だったりすんのか!?
確かに王道属性を詰め込みまくったイケメンだとは思っていたけど、さてはメインだなおめー!
「ちょうど良かった、マリアンヌ。兄上がとてもおいしい茶葉を送ってくださってね。何でも西方由来の貴重なお茶らしいんだ」
にこやかな笑みを浮かべて、ロイがわたくしに話しかけてくる。
クソが……したり顔してんじゃねえよ。事態を収拾しきった後特有の全能感やめろ。
「もしよければ、今から一緒にどうかな?」
「おととい来やがれ、ですわ」
ビシリ、と空気が固まった。
周囲の面々の表情が強張っているのを適当に眺め、それからわたくしは踵を返した。
「あの、婚約者なんですよね……?」
「わたくし、雷にはいい思い出がねーんですわよ」
「……え?」
後ろを振り返ると、ロイが苦笑いを浮かべながらわたくしを見つめていた。
適当に肩をすくめておく。
「相変わらず雑な魔力放出──要練習ですわね」
「手厳しいな」
だってそれ金色でメッチャ綺麗で悔しいもん。セイバーみたいで超羨ましいもん。
わたくしもそれが良かった!! キーーー!!!
立ち去っていくマリアンヌの背を追おうとして。
ふと、ユイは隣に佇むロイの掠れた声を聞いた。
「……まだ、だね」
「?」
「まだ、彼女は俺を見ていない」
魔法の発動速度。
かつてとは比べ物にならなくなった。
けれど、入学式では、完璧に対処された。
魔力を練り上げる精度も進歩したと思った。
完璧に制御下に置いたという自負があった。
けれど、彼女の腕の一振りで霧散した。
何よりも、魔力放出の質。
同年代はおろか、王国騎士団の精鋭を吹き飛ばすことが可能になった。
近衛騎士が太鼓判を押したのに、彼女にとっては『雑な魔力放出』らしい。
思わず、乾いた笑みがこぼれた。
それから咳ばらいを挟み、黒髪の少女に笑みを向ける。
「……タガハラさん。送っていこうか?」
「あ、いえ! 大丈夫です!」
ユイは一礼してから、慌ててマリアンヌの背を追いかけ走っていく。
茜色の空の下、マリアンヌとユイの姿が並ぶのを見て、ロイはぎゅっとこぶしを握った。
飲ませた紅茶。自白剤が入っていた。
ロイにしてみれば、ユイのマリアンヌへの接近はあまりに不自然だった。
スパイである疑いをかけていた。その彼女が男子寮に侵入してきたときは、もしスパイならド下手糞だと思った──だがチャンスでもあった。
「自白剤が効かない体質、あるいは胃まで落とさず口内に留めた可能性は?」
「魔法によって液体の重量を重くしておりますので、確実に胃まで届き、脳へと魔力を送信しているはずです」
振り向きもせず、いつの間にかそこに居た使用人へ声をかける。
ロイは両手をポケットに突っ込むと、金縁の施された白いコートを翻して歩き出す。
「警戒レベルは引き下げない。何かあったら俺にすぐ知らせろ」
「御意」
使用人の姿がかき消える。
男子寮に勤める使用人、に擬態させた、ミリオンアーク家お抱えの諜報部隊だった。相変わらずいい仕事をする、とロイは音もなく消えた部下に感嘆する。
一人、帰路を進む。
脳裏によぎるのは入学式の日の無様な敗北。
けれど。
最後の最後。刹那にも満たない時間。
自分を、見てくれていた。
戦っている時しか此方を見てくれないのなら、より長く戦い続けられるように。
瞬殺されるのではなく、永遠に剣を振るい続けられる強靭な肉体と、魔法を防ぎきる鉄壁の防御を身につけなければならない。
あの目に映るのは自分だけでいい。
あの真紅眼に、自分だけを永遠に映しこんでしまいたい。
その、マリアンヌ・ピースラウンドの、真紅の双眸に。
ロイ・ミリオンアークはかつて、そして今もずっと、心を奪われているのだから。