PART9 オー!リバル
ナイトエデンの両眼に荘厳な輝きが宿っていた。
そこから世界が始まったのではないかと錯覚しそうになる、原初にして唯一のヒカリだ。
「それが七聖使の完全解号ですか」
「違う、冠絶完了だ」
一緒にするな、と向こうは吐き捨てる。
それはこっちの台詞だ。お前らみたいな虐殺者と同じネーミングだったらもう改名するしかない。
「正直言って、これを使うことになるとは思っていなかったよ……しかしもう、なりふり構っていられなくなった」
「あらあら、そんなにもわたくしを脅威だと思ってくれているのですか。怖いなら帰っても大丈夫ですわよ?」
こちらの挑発に、しかし救世主は首を横に振った。
その動作だけで神威の余波に火花が散り、周囲の市民たちが呼吸を詰まらせて倒れていく。
「違う。君は……マリアンヌ、君だけは。ぼくがこの手で、全身全霊をかけて殺さなきゃいけない。そうじゃなきゃ、もう、ぼくは……!」
「前には進めない? 偶然ですわね! こちらも同じ気分でしたわ!」
ナイトエデン対策は理論上完成されている。
しかし実際に運用するのは今回が初めて、ぶっつけ本番だ。
つまりはいつも通り! いつも通りにわたくしが勝つ!
「押し潰す!」
「やれるものならァッ!」
開戦の火蓋は刹那に切られた。
ナイトエデンが腕を振り下ろし、直後に太陽と見まごうほどの光球が上空で膨れ上がり、こちらへと落下してくる。
恐らくは純粋に神秘を凝固させただけの、何の工夫もない砲撃。こちらが対応できる範囲を探っているのだろう。だったらその期待に応えてやるのが情けってもんだ!
「バンバンバーン!!」
三節分の詠唱を無詠唱で行使しながら、口頭で三節詠唱を重ねる。
計六節分の威力を撃発。かつて文化祭でも行った、わたくしの宇宙の中でのみ許される完全無詠唱の応用だ。
本来なら意味言語と発音言語の組み合わせによって根源へとアクセスし、記録されている現象を現実に再現させる――こうしたプロセスを経て魔法は発動する。
しかし今ここは、わたくしが展開したわたくしの宇宙。
即ち、いちいち根源にアクセスする必要なんてない! この場所ではわたくしが宇宙で、わたくしこそが根源そのものなんだからなァ!
「それは……ッ!?」
ふざけた叫び声とは裏腹に、ナイトエデンの光球にいくつもの大きな風穴が空いた。反動が巻き起こす大気の振動が王都中を揺らす。
こちらも上空に『流星』を顕現させ、それをぶち込んでやつの元気玉モドキをぶち抜かせてもらった。ヌルいな、ダーツの丸いボードの方が硬かったぜ? わたくしダーツ苦手だけど。
「なるほど出力は十分か! だったら技巧の高い方が勝つ!」
上空に出現させた神秘がかき消えるのを確認して、ナイトエデンがその両手に光の剣を出現させた。
やっぱ強いやつって近接戦闘大好きだよねえ。わたくしもその一人。
「わざわざ敗北宣言ですかァ!?」
拳を握って構える。
既にナイトエデンは戦闘モードだ。先ほどの小手調べが終わった以上、光速戦闘が始まると見て間違いない。
「どこが――忘れたのか、君ではぼくには勝てないッ」
わたくしは、決して忘れてなどいなかった。
真面目な戦闘モードに突入したナイトエデンは、速度域だけではなく彼自身の精神状態も大きく変わる。
端的に、言葉を選ぶことなく表現するのなら、とんでもない塩試合野郎になる。
もちろんわたくしだっていつも塩試合と言われたっていいぐらいの気持ちで圧勝劇を目指しているのだが、なぜか毎回相手に覚醒されたりこっちが覚醒しなきゃいけなくなったりと悲惨な目に遭っている。
比較するなら、彼は多分覚醒する必要なんてないぐらい既に覚醒済みだし、相手には覚醒の隙を与えない。
だから当然の結果として。
目で追うことすらできなかった。
人間が未だ理解しえない理屈、生物ではなく純粋な光のみが有する法則。
加減速なしに最高速へと到達したそのスピードは、1秒で約30万kmを直進する。
気づけば光の剣の切っ先が、目と鼻の先まで迫っていた。
◇
故に、それに対応するために力を再構築した。
故に、光の速さで動く敵を真剣に仮想敵として想定した。
生まれて初めての経験だった。
わたくしはいつも……もっと強くなりたいから、理想の自分を突き詰めていた。
ああなりたい、こうなりたいっていう気持ちが原動力だった。
そりゃあ、身内のクソみたいな新技相手にメタを考えることはあったけど、そのためだけの何かを作ったりはしていなかった。
だって最終的には、その技を使えなくさせるのではなく、わたくしの方が強いんだぞってことを認めさせるのが目的だったから。
だけど今回は違った。
わたくしはナイトエデンと戦って勝つために……相手の強みを封殺するために、この新たな力を組み上げてきた。
どっちが強いのかを決めるための、いつもの新形態ではなく。
ただ相手を無力化し、必ず勝つための権能。
完成したとき、ちょっと悲しかった。
今までで一番の代物のはずなのに、なぜかそれは、今までで一番わたくしに似合っていないものだったから。
◇
「は……?」
切っ先は目と鼻の先まで迫っていた。
だけど、それ以上は進んでこなかった。震えもせず完全に静止している。
「何を、何をした……!?」
自分で止めたわけでもないのに、急に身体が停止したんだ。
狼狽にナイトエデンが声を震わせるのも無理はない。
「別に何も。アナタができもしないことをしようしただけでしょう」
あと数ミリでも押し込まれたら、光の剣がわたくしの顔にでっかい穴を開けるだろう。キレイな顔を文字通りに吹っ飛ばされてしまう。
だがその数ミリが遠い。いやナイトエデン視点だと遠いという表現ではピンとこないのか。実際は遠いで合ってるんだけどな。
「くっ……!」
想定外の事態に面食らいながらも、ナイトエデンは素早く間合いを取り直した。
それからヒュンと姿がかき消え、気づけばわたくしの背後で、またもピタリと止まっている。
緩慢な動作で振り向くと、やはり先ほどと同様に切っ先が寸前で静止していた。
「目に見えないバリアを張っているのか!?」
その表現は50点ぐらいだ。
相手の新技に対する認識なんて、やられた側は理解しやすいよう好きに落とし込んでいい。わたくしだってそうしている、普段は。
だけど今回は、単なるバリアとして認識している限り、突破することは絶対にできない。
「最大出力でなら……!」
数歩後ろへと下がったナイトエデンが、その両手に握った剣を頭上で重ね合わせる。お前プログラムアドバンスできんの!?
「砕け散れッ!!」
「…………」
内心ではかなりびっくりしたものの、やつの攻撃は結局、単なる出力の増大だった。
余波で周辺の廃墟が溶かされていくほどの高熱。収束させた光の束は、世界を救うというよりは世界を焼き払うためのものだ。
そんなものは――わたくしの宇宙にはいらない。
「失せなさい」
彼がそれを振り下ろす前、周りの人々へと影響が出る前。
わたくしが呟いた直後、巨大な柱じみたその剣は、ぱっと霧散した。
「…………は?」
何が起きたのか分からず、驚愕に言葉を失うナイトエデン。
戦場でお前の間抜け面が見れるなんて気持ち良すぎるだろ。こんなシチュエーションじゃなかったら、腹が千切れてただろうな。
「分かりましたか、ナイトエデン。アナタではわたくしには勝てません」
「……な、にを。何をした、何をしたんだマリアンヌッ! 救世のヒカリが! 人々を救い闇を祓うヒカリが! こんな風に消し去られることなんてあっていいはずがないッ!!」
なんてことはない。
種明かしをすれば、彼をこういう風に封殺するために組んだ新フォームなのだ。
だからこの新フォームを使った以上、わたくしが負けることは絶対にない。
新たなる力、ワザマエフォームプラス最大の武器。
それは最大出力で展開されたわたくしのルールによって運用される領域――これをオールトの雲と名付けた――によって、疑似宇宙を形成することだ。
範囲は調整可能だが、今回は確実性を取り半径5メートルに絞って展開している。
今までの無意識的な流出ではなく、意識的に構築した『わたくしの宇宙』。
そこではあらゆる法則が、事象そのものがわたくしの思い通りとなる。
既にナイトエデンはわたくしの宇宙の中にいる。
どれだけ眩しく輝こうとも、恒星よりエネルギーを持っていようとも、所詮は宇宙の中の現象に過ぎない。
だから、お前の攻撃が届かないのは当然なんだよ。
なにせ――
「アナタの攻撃とわたくしの星間距離を5億光年に設定しました」
「……は?」
ぽかんと口を開けて凍り付くナイトエデンの前で、ゆっくりと拳を握って構える。
「――よって! 光だろうと、わたくしに届くまで5億年かかりますわ!」
「それ、は、どういう――いやそうか世界の法則にまで干渉したのか! 大悪魔の寵愛を受けているだけはある、しかし! 距離をそう設定したのなら、君の攻撃もまた同様ッ!」
揚げ足取りに来てんじゃねーぞカス。
バリア張ってる間は攻撃できない、みたいな頻出弱点を放置してるわけねえだろうが。舐めてるのか。
「いえ距離設定したのは『アナタの攻撃』と『わたくし』なのでわたくしの攻撃は届きますわよ」
わたくしの右の拳から眩い光が漏れ出す。
今度こそ、ナイトエデンは顔をバッキバキに引きつらせて、首を小さく横に振った。
「……ま、て待ってくれ、そんな道理が通るはずがない! 概念干渉系の権能にだって上限がある! そんなの、そんなのはまさしく、神そのものじゃないか!」
「何回言わせますの! 神ではありません、流星ですわ!」
その綺麗な顔をベコベコにしたいってずっと思ってたんだよなあ!
捻った腰から威力を伝導させ、全身を使って拳を打ち出す。
狙い過たず、わたくしの流星色に輝く右ストレートがナイトエデンの頬に突き刺さった。
「ブチ飛べ色男おおおおおおお――――――――――っ!!」
「が、ああぁぁぁぁぁああああっっ!?」
盛大に吹っ飛んでいったナイトエデンの身体が、廃墟と化した家屋をまとめて数十は貫通。
王都の区画を丸ごと一つ引き裂く形で砂煙が上がった。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……」
拳を振り抜いた姿勢で、崩れ落ちる寸前のところをギリギリ堪える。
ぶっつけ本番の新フォームであるためか、過負荷に息が乱れていた。
体力の消耗も激しい。まずいな、こいつ一人倒せば終わりじゃないのに……!
「う、うぅぅぅぅっ……うぐぬうううううっ!」
自分の膝をバシバシと叩き、俯きそうになる顔をキッと前へ向ける。
とにかく市民のいるところから引き離そうと思っていたのだが、調子こいて吹き飛ばしすぎた。走って移動している暇はない。
だから――展開しているオールトの雲を、円状から直線状に変形。
ナイトエデンが吹き飛んでいった先までをわたくしの宇宙として再設定。鼻血がぶしゅっと吹き出て、頭の奥にキィンと鉄の擦れる音が響く。
……薄ぼんやりとしている視界の隅で、巨大な宇宙人間たちが必死にわたくしを制止しているのが見えた。
身振り手振りだが、『その力の使い方はダメだ』と言っている。
うるせえ。ダメだなんて、こっちは百も承知なんだよ……!
「フーッ……!」
息を鋭く一度だけ吐いて、集中。
伸ばしていった宇宙の先には、血を吐いて、膝を震わせながら立ち上がろうともがくナイトエデンの姿があった。
そのすぐ目の前に、わたくしの位置座標を変更。
ピタリと、足音も空気の動きも何もなく、彼の眼前にわたくしは移動した。
「う、っ……!? なんだ今のは、なんでもアリか君は……!」
「本当になんでもアリですわ、今日、ここに限っては」
敵の出現に、彼はとっさに片手を振るった。
大気中に結集した神秘の光が、画一化された光の剣を象って瞬時に射出される。
並大抵の上位存在ぐらいだったら、ハリネズミにされて即死だろう。
「うっさいですわ」
しかしそれらは、わたくしが一瞥するだけでバキリと停止し、すぐにすべて砕け散った。
自分の攻撃があっさりと無効化されたのを見て、ナイトエデンは何度目かも分からぬ驚愕に唇を震わせる。
「ぼくの攻撃を、止めるだけじゃないのかよ……! なんで干渉して、打ち消せるんだ!?」
「説明する義理はありませんわ」
まあ単純に、今の剣群やさっきのドリームソードは現象に過ぎないから、全部無理矢理破壊できるってだけなんだけど。
とりあえずいつまでもかまっている場合じゃない。終わらせるぞ。
「ばん」
指を突き付けて砲撃を放つが、すんでのところでナイトエデンは地面を叩き光速移動。わたくしの斜め後方に転がって回避した。
「ぐっ……しかし、負けるわけにはいかないんだ! 攻撃が通らないだけなら、通せるやり方を探せばいいってことだろう!」
「……無駄なあがきです」
ナイトエデンは戦闘巧者だ。戦場を支配しているロジックを即座に理解し、それに対応できるだけの能力を持っている。
振り向けば彼の瞳から力は失われておらず、今も頭脳を回転させてこの窮地を打破する計算式を導き出そうとしているのだろう。
だけど今回は、相手が悪い。
「歯ァ食いしばりなさい」
「ッ!?」
一度パワーを込めて、それから右の拳を振るう。
見え見えのテレフォンパンチ、回避は容易いどころか、まったく届かない。
しかし。
――『わたくしの右ストレート』と『ナイトエデン』の星間距離をゼロに。
直後、鈍い炸裂音と共に鮮血が舞う。
真正面から鼻っ面に拳を叩きこまれ、ナイトエデンは目を白黒させながら、地面を砕いて沈められた。
「……ッ」
周辺一帯の建物がガゴゴと傾き、ヒビの入った地面が不気味な軋み音を奏でる。
砂煙を腕で払い、わたくしは自分の拳を見た。
今までずっと頼りにしてきた、障害は全部ぶっ壊して、立ちふさがる連中も全部ぶっ倒してきた宇宙最強の拳。
なのに、少しだけ返り血のついた今の拳は……
いや余計なことを考えている暇はないんだ。
頭を振って、改めて彼を見やる。
「……起きなさい、ナイトエデン」
地面に仰向けに倒れたナイトエデンは数秒意識が飛んでいたらしく、まだぼんやりした様子だった。
何度か名前を呼べば、彼は緩やかに目の焦点をこちらへ合わせた。
「遺言とかありますか」
わたくしは無詠唱で数十にも及ぶ『流星』の砲撃を生成し、背負う形で浮遊させた。
当然ながら、ナイトエデンとの星間距離をゼロにすれば確実に直撃し――間違いなく、彼の息の根を止められるだろう。
「……ぼくの、負けか」
「ええ」
あれだけこの男に勝ちたいと思っていたのに。
今はもうそれを喜んでいる場合じゃない。めちゃくちゃになった市街地。行き場のない逃げ遅れた市民たち。背負ったものの重さが唇を縫い留める。
「言い遺すことは……ない。殺すがいい」
それを聞いて、本当に、心の底から悲しくなった。
本気で世界を救おうとしていたら絶対に、まだ抵抗するし、言い遺すことだってたくさんあるはずだから。
「負けたつもりですか、こんなもので……」
「…………」
「何か、言い返しなさいよ……それとも本当に、負けだと認めるつもりですか……ッ」
それでもナイトエデンは何も言わない。
むしろ――これで楽になれると言わんばかりに、少しずつ表情は和らぐばかり。
ああ、分かった。分かってしまった。
こっちが素なんだ。
世界を救うとか、誰かを倒すとか、そういうのはナイトエデンには……いや、目の前の少年には本当は不要で。
例えばそう、魔法学園で一緒に勉強して、テストの点数に一喜一憂するとか。
誰々と誰々が付き合ってるらしいといううわさ話を、面白おかしくみんなで検証したりとか。
趣味だって合うんだ、気になる劇を一緒に見に行くとか。
他にも、もっと、たくさん…………
「――っ」
展開していた『流星』の砲撃を、大気中に霧散させる。
互いの荒い呼吸音だけが、静まり返った市街地にむなしく響いている。
攻撃が消えたのを見て、ナイトエデンが微かに眉根を寄せる。
「……どうして、トドメを刺さないんだ」
「勝負ありましたわ」
わたくしはこいつと殺し合いをするためだけに来たんじゃない。
そこを、間違えてはいけない。わたくしの優先事項はこいつを無力化し、市民たちを避難させ、そしてウルスラグナ一派の他の連中を順次排除していくことだ。
そう自分に言い聞かせた。
「アナタを、わたくしは殺さない……いえ、殺せないのです」
「どうして……」
どうして?
カッと頭に血が上った。
「だってアナタとは、友達になれるかもしれなかったから……!」
言い放ってから、失言に気づく。
ぽかんと口を開けた彼に背を向けて、わたくしは洟をすすった。
すべてが嫌だった。何もかも、こんな少年に戦いを強いる世界も、人々の平和だのなんだの背負って戦って勝利したわたくしも。
「アナタは……! アナタは救世主なんかじゃない! ナイトエデン・ウルスラグナですらない! アナタは、まだ、誰でもない……!」
背後で、息をのむ音が聞こえた。
誰でなくてもよかった。そっちの方がよかった。別の場所で、別のタイミングで出会えていれば、きっと友達になれていたであろう男の子。
もう遅い、そうはならなかった。彼が選んでしまったし、わたくしも迎え撃ってしまった。結論は覆らない、かけられる言葉はもう、ない。
言いたいことを言いきって、わたくしはその場から立ち去ろうとする。
そこで――その時、やっと気づいた。
「ここまで仕上げたナイトエデンを正面から打倒するとは、流石は『流星』の禁呪保有者。いや……『開闢』の元覚醒者にして、最も新しき最小の宇宙と呼ぶべきかな」
わたくしとナイトエデンがいる、廃墟と化した街並みの中。
瓦礫に腰かけ、こちらを見つめる男がいた。
ナイトエデンと同様に黒いスーツに身を包み、蒼い右目と、黄金色の左目でこちらを見つめるその男は、どうしようもないほど既視感を呼び起こした。
「アナタ、は……だけど、その右目は……?」
「この顔に見覚えがある? だとすれば記憶の封印も緩んでいるということか、本当に末恐ろしいな」
ズキリと、頭の奥が痛んだ。
知っている。わたくしは彼を知っている。
やたらと低い視界。
わたくしを庇うように佇む、満身創痍のお父様。
その目の前で神秘を炸裂させ、何かを声高に叫ぶ男。
あの時わたくしは。
ただ、お父様を喪いたくないという一心で、闇の中に輝く光へと手を伸ばして――
平衡感覚がめちゃくちゃになる。維持できなくなったわたくしの宇宙が、あっけなく消失する。
でも今はそれどころじゃない。
そうだ知っている、この男こそが『混沌』の……!
「ちち、うえ…………」
記憶の濁流を、ナイトエデンの一言が強制的に停止させた。
驚愕に息が凍り付き、わたくしは視線をさまよわせた。
「え……?」
「ああ、この体は違うが、魂は確かに彼の父親代わりだった男だ。ウルスラグナ家の先代当主であり、一つ前のナイトエデン・ウルスラグナであり、今は副官を務めている」
燃えさかる王都を見渡して、それからわたくしを見て、男は呟く。
七聖使が一席『混沌』の身体を用いて、かつて『開闢』の覚醒者であったであろう男が。
柔らかく、優しい微笑みで、それはまるで面倒見のいい先生みたいで。
「それじゃあ答え合わせをしようか、マリアンヌ・ピースラウンド。世界を救うなんて言葉が持ってる本当の意味を。罪のない人々を焼き払うことでしか叶わない――大悪魔ルシファーと、天空に坐する神々をすべて誅殺するという、私の簡単でちっぽけな願いのお話だ」




