PART12 継がれ得ぬ絶望
深紅の瞳に炎が宿っている。
黒髪に宇宙の輝きを纏わせて、少女が義憤のままに拳を握っている。
「何をやっているんですか、あなたは……!」
教皇のいる広間へと突入したマリアは、即座に広間の位相を現実世界からズラした。
あるいはそれは、『誰にも邪魔されたくない』という彼女の願望が実現した、と言い換えていい。
「……観測したのか。『大和』による因果への干渉を」
「分かりません。仕組みとか、そういうのは全然。でもあなたは今……誰かの運命を捻じ曲げた!」
そこでマリアは教皇が手に持っていた書類に視線を向けた。
目を通すまでもなく、文字すら認識していないのに一瞬で内容が頭に入る。
当然だ、ここは既にマリアの宇宙と言っていい領域。内部にあるものを理解できるのは自然である。
「その人は、誰ですか」
「……教会とは関係のない人間だ」
椅子のひじ掛けに仕込んだ非常事態用の呼び出し装置が作動しないのを確認しつつ、教皇はなんてことはないように告げる。
だがそのような欺瞞は、今のマリアには通じない。
「その人の因果を捻じ曲げましたね?」
「……『大和』がそれほど万能な力だと思うかね?」
マリアは無言で教皇へと近づきながら、指をくいと曲げる。
途端に、広間の隅にあった椅子が見えない糸に引かれるようにして教皇の眼前までスライドし、彼女はそこに腰かけた。
「正直言って、分かりません……でも、できる理由が分からないだけで、できない理由もないと思うんです」
乱入してきた瞬間と比べて幾分か落ち着いたのか、マリアは息を吐いて答えた。
「……一応聞いておくが、ここにどうやって来た? 護衛を常に連れているわけではないが、ここはれっきとした教会の総本山。易々と侵入を許す場所では決してないはずだが」
「それはその……ズルを、しました」
マリアが顔を上げる。つられて教皇も視線をそちらへ向けた。
宇宙が在った。宇宙を無理矢理ヒトガタに変形させ、極光の鎧を上から装着した存在がいた。
「……っ!!」
「おとめ座? っていう人らしいんですけど。この人が、私の姿を隠してくれたんです」
マリアンヌ・ピースラウンドが『天覚装甲』という形で引き出している、原初の十三領域が一つに存する権能。
今回は自らの感覚を拡張する方向ではなく、他者から発見されないよう自らを隠蔽する形で行使したらしい。
厳密に言えば引き出したという仮定を観測することで現実に引き出しているのだが、その辺りの理解は本人はしていない。
「なる、ほど。であれば誰にも気づかれずここまで来るのはたやすいか……」
「はい。それで……」
頷いて、教皇は手に持っていた書類をひらひらとかざした。
「無下にするわけにもいかん。確かにワシは『大和』の権能の一部を使い、この書類に記された者の因果に干渉した」
「……っ」
「この者は実に優秀でな……一神父でありながらも、ワシやアーサーが到達した領域が何なのかを知りつつあった。故に、信仰心を持つきっかけとなった出来事をこの者の人生から排除した」
実際問題として──教皇の発言の全てを理解できたかはわからない。
だがマリアは、目の前にいる老人が人間には過ぎたる権能を持ち、それを十全に行使していることだけは察知することができた。
「そんなことが、できるんですか?」
「秘密にしてくれるかな」
唇に人差し指を当てて、教皇は薄く笑った。
「本来は逆、絆を束ねて力とするのが正当な使い方なのだがな……初代大和にして初代聖女であるユキ様は、初代でありながらも、この力を反転した形で行使することに思い至ったらしい」
反則も反則だ、とマリアは頬をひきつらせた。
例えば戦場で厄介な敵がいた場合に、その者の過去に干渉すれば、戦場から消し去ってしまうことができるだろう。
「とはいえ限界はある。単に消えただけでは辻褄が合わなくなる以上、今回は補填する形で別の神父がいたことになっている」
「……今までもずっと、その力を使ってきたんですか」
「ワシは凡人だよ。凡人だからこそ、選ばれることで精いっぱいだった。この形での行使はここ十年ほどでやっと扱えるようになってきた」
スケールの大きさを飲み込めたわけではないが、徐々に本質的なところをマリアは理解しつつあった。
「なら、今のこの世界は」
「やっとの思いでたどり着いている、現状の到達点と言ったところか」
視線を宙に向けて、教皇は首を振った。
「今でもはっきりと覚えているのは……フルグ教による大音波超害、信者の数を減らせば瓦解した。テールヴァルト要塞攻略戦は、司令官をすげ替えれば簡単だった。『焔獄蒼狗』によるロンデンビア壊滅は時期を遅らせるので精いっぱいだったが、それでも阻止に結び付いた。アーサーからやりすぎだと釘を刺されたのはこの直後だったか」
ある時は個人を排除した。
ある時は巨大な組織の方向性を転換させた。
ある時は国家そのものの成り立ちを根底から改変した。
本当にこれでいいのか──内なる声からは耳を閉ざし続けた。
これは最短である。
これは最高率である。
故にこのやり方を否定する術などありはしないのだと。
「全部、知らない単語です……」
「変えてしまえばそう大きな話題にもならんよ。しかしそれでも、やはり排除できない因果というものはあった」
特に君に関連するものはひどかった、とは教皇は口にしなかった。
マリアンヌとかかわった人間の大多数は、この形で干渉しようとしても弾かれてしまう。もちろん、本人は論外だ。
(単なる推測だが、マリアンヌ・ピースラウンドはこうした力に対して異常なまでの耐性を持っているのだろう。時間の逆行に関してもそうだったと報告があった。そしてこれは個人の体質というよりは、持って生まれた……特異点としての性質が成せる事象。深くかかわるほどに、その性質が他人へと伝播しているのなら、説明はつく)
人類にとって不利益なイベントに対して干渉し続けてきた教皇からすれば、数少ない例外である不確定要素。排除しようとしてもできない存在。
どうしたものかと悩みつつ、なるべく干渉しないよう顔を合わせることを避けてきたのだが、まさか記憶を失った状態で二人で話すことになるとは。
「あなたは可能性を削除して、よりよい方向を目指しているんですね」
膝の上でぎゅっと拳を握り、マリアが教皇を睨みつける。
「ワシだけじゃない。多くの者が不幸を限りなく減らし、幸福をもたらそうと戦っている。その結果が今の世界、ギリギリの平穏の中で人々が生きる現状だ。及第点と言いたいが……」
そこまで話して、教皇は目の前の少女が、こちらをより強く睨みつけていることに気づいた。
「君にとっては、不服だったか?」
「はい。可能性を排除して希望を紡ぐなんて……それは、絶対に違うと思います」
分かっている、と言わんばかりに教皇は頷いた。
その態度が気に入らない。マリアは椅子を蹴とばす勢いで立ち上がった。
「あなたはそうやって! いつも観測者で、裁定者だったのかもしれません!! だからこうして、その行いを弾劾されても平然としている! 自分を客観視し過ぎて、自分ですら盤上の駒に見えている……!」
「如何にもそうだ。だからこそ、この椅子を誰かに譲らねばならん。こうなってしまっては、ワシには人を救う資格などない」
「資格!? 資格ってなんですか!? あなたが失ったのは気持ちでしょう!? 本当に全部救いたいのなら背負ってばかりじゃなくて、他の人と共有して、その力をもっと効率よく使えばいいのに!」
今のマリアは単なる町娘に近い感覚の人物だ。
彼女からすれば、別に教会のトップが人知れず世界の命運をかけた戦いをしていたとしても、感謝こそすれど激怒する理由はない。
それでも臓腑の底から苛立ちが、正確に言えば怒りが沸き上がって来る。
彼女という人格の根底の根底にとって認めがたいことなのだと叫んでいる。
「何よりも私が怒ってるのは……! やるんだったら、あなただけはあなたを肯定してあげるべきだっていうところです!!」
「……!」
マリアは前に進み出て、至近距離で教皇の両眼を覗き込んだ。
「自分の力で運命を切り開く人こそが、わたくし……私の考える、勝利すべき人々です! あなただってそう思っているはずですっ」
「……ああ、そうだな。そういう人間が時代を切り拓くための、ワシは捨て石に近い」
「そんな投げやりになってる人が、未来のための戦いに関わる資格なんてあると思いますか!?」
ハッとする教皇の肩をマリアが掴む。
「捨て石だっていうのなら……! あなたは自分の末路に誇りを持つべきだ! じゃないと、誰もあなたを褒めてあげられないでしょう……!?」
世界の果てのように透き通った深紅眼から、雫が零れ落ちる。
「……ほとんど見ず知らずの爺のために、泣く必要はないだろうに」
「分かんないですよ、そんなのっ……勝手に出てきたんですから……」
こうして自分のために泣いてくれる人間など、果たしていただろうか。
(──いた。だが、ワシがこの手で、ワシとの絆を断ち切った……)
彼女の涙を見てやっと思い出した。
自分で切り捨てて、なかったことにしたから、忘れたふりをして胸の奥底にしまい込んでいた。
自分の力の内容を共有して、共に世界をより良くしていこうとする同志が、かつてはいた。
激しい戦いや一向になくならない争乱の種、禁呪と七聖使の因縁に巻き込まれ落命する者。
それらの果てに、教皇はすべてを自分だけで背負い込むことにした。
「世界はあなたが支配しているわけじゃない……あなたが思っているほど、私たちは弱くなんかない……!」
マリアの言葉に対して反論が出てこない。
反論が出てこないことが答えである、と教皇自身も理解している。
「……そうか。もうこのやり方では、いけないんだな」
すべてに納得がいったと、深く椅子に座りなおす。
肩から手を放して、マリアは至近距離でじっと彼を見つめた。
「ありがとう、マリアを名乗る少女。見えていなかったもの……いや。見ないふりをするようになっていたものが、また見えた」
教皇の腹積もりが決まったことを、マリアも察した。
恐らくは彼の中で、誰も信じない、誰も頼らないという意思が固定化していたからこそ、密かに第二候補であるリョウを見つけていたのだろう。
(……私は、リョウさんに悪いことをしたのかもしれない)
次の教会のトップとして選ばれるのが彼ではなくなった、と嫌でも気づいていた。
今までのやり方ではいけないのならば、次に選ばれるのは、他人と手を取り合って力を束ねるやり方のはずだ。
それに近いのはリョウではなく──
「頼みがある……」
「リョウさんには、今日のことは言いません。私は彼の味方だから、最後まで彼の傍にいます。欲しいものをつかみ取れなかったとしても、結果が出るまでは味方です」
言われるまでもなく、マリアは教皇の頼みを理解していた。
涙を拭いながら力強く頷いた後に、少女はふと手を叩いた。
「あっ。一つ、気づいたんですが……あなたが与える加護が弱まっているのは」
「うむ。単に出力が低下しているのは事実だが、それ以上に、因果に干渉する方にリソースを割いていたからだ」
「それでジークフリートさんたちは大変な目にあったんですか……ん? ジークフリートさんって誰……?」
一人でぶつぶつ呟くマリアからは、未だに色濃い神秘を感じる。
先ほど顕現した宇宙人間も、今は姿を消しているが、彼女が望めば即座に顕現するのだろう。
思考を巡らせながらしばらく彼女を見つめた後に、ふと気づく。
「君がここまで純化された力を振るえる理由、それは記憶を失ったからなのかもしれん」
「……どういうことですか」
報告にあったマリアンヌ・ピースラウンドよりも、マリアは力を根源的な段階から引き出している。
精査されているか、構築を工夫しているか、という面では劣る。
だが純度は比べ物にならないだろう。本人の色が混じってないとでもいうべきか。
「記憶を失う前の君は多くの絆を結び、束ね、それを力と成して戦ってきた」
「……いいことに聞こえますが、そうじゃないんですか?」
「なんとなく分かったぞ。君という存在を一人にしておけば、容易く真理へとたどり着いてしまうのだろう。絆は、他人は、君を人間という枠組みの範疇に引き留める楔となっているんじゃないか?」
その言葉に対して、マリアは真剣な表情で首を振る。
「そんなの──関係ないです。私は私が手伝いたいと思った人の味方です。私自身が人間でも、そうじゃなくても、関係ありません。今の私は、今の私でしかないんです」
明確に、マリアとマリアンヌ・ピースラウンドの本質は同じだった。
そのことがおかしくて少し笑い、教皇は口を開こうとする。
だが。
「────ぁ?」
声が出なかった。
代わりに胸の奥が引きつるようなしびれを起こして、呼吸が止まる。
神秘を用いようとしても作用しない。そのまま椅子から転げ落ちてしまった。
「え!? あ、だ、誰か……!」
駆け寄った後に、自分にできることのないマリアが無自覚に部屋の位相的遮断を解除する。
唇をけいれんさせながら、教皇は彼女へ最後の力を振り絞って囁いた。
「かく、れなさい……!」
「でっ、でも!?」
「はやく……!」
息をのんだマリアの頭上で、処女宮の主が姿を顕現させる。
視界がかすむ中で、少女の姿がかき消えた。
それを最後に教皇の意識は闇に落ちていった。
◇
「ジジイは気の毒だったな」
「死んだ感じ出さないでください」
教皇が倒れたというニュースが王都を騒がせてから数日が経過した。
拠点である安アパートの一室で、マリアとリョウはちゃぶ台を囲んで食後の安い茶をしばいている。
「命に別状はないそうですが、まだ意識が戻らないのは心配ですね」
「殺しても死なないようなやつだ、心配するだけ無駄だろ」
そっけなく言うリョウだったが、彼が時折、教皇が床に臥せている大聖堂の方面を見て物憂げな表情を浮かべていることをマリアは知っている。
「……これから、どうするんですか?」
教皇が倒れた以上、次期教会トップの公示は早急に行われるだろう。
しかしその存在を伏せられていたリョウからすれば、勝負のテーブルに着くことすら難しくなってしまった。何せ彼の後見人は意識を失っている。
「姉さんに改めて宣戦布告する必要がある」
ソファーに腰かけるリョウは、ローテーブルの上に足を投げ出した。
「行儀が悪い上に、本来はちゃんとした机でやる動作を横着してちゃぶ台でやってるからめちゃくちゃダサいです。一刻も早くやめてください」
「お前ジジイのところに行ってから性格違くない?」
言いつつも、リョウは、そしてマリア自身も理由は察していた。
「多分、戻りつつあるんだと思います」
「そうかよ」
せいせいするぜ、とだけ言ってリョウは顔を窓へと向けた。
「私がマリアである限りは、私はあなたの味方であり続けます」
「…………」
「さ、幸いにも、多分記憶をなくす前の私が使っていた力なんですけど、色々使えるようになりましたし! お手伝いできますよ!」
むん、と力こぶを作って見せた後に、マリアはあの晩以降自分で力を引き出せるようになった、宇宙人間たちの力を思い返す。
弓矢で山一つ簡単に消し飛ばしたり。
姿を完全に消しつつ王都中の音を聞き取ったり。
城壁を蒸発させられるような槍を二本出したり。
「記憶をなくす前の私って世界を滅ぼそうとしたりしてたんですかね?」
リョウは目を閉じて無言を貫いた。
あんまりシャレになってない言い分なだけに、肯定しても否定してもヤバそうだったからだ。
「と、ともかく、リョウさんの手伝いをしたいんですが。宣戦布告って……」
「姉さんがいる魔法学園のクリスマスパーティーに乗り込む。先生も許可してくれた」
決然とした声だった。
「クリスマスパーティー?」
「本来、聖夜っていうのは建国の英雄の誕生日だ。しかしその祝いと色々な風習が混ざり合って、プレゼントを贈り合う行事になっている」
未だ一般常識に疎い面のあるマリアに対して、滔々と説明が続く。
「もちろん聖夜当日は建国の英雄のために祈りを捧げるし、その大礼拝が次期教会トップの発表の場になるわけだが……それに先んじてプレゼントを交換するパーティーがあちこちで開かれる。学校も例外じゃない」
通ったことねえからパンフで読んだだけなんだが、と自嘲するような笑みを浮かべるリョウ。
「じゃあ、パーティーに参加するっていうことですよね。いつですか?」
「今からだ」
「報告連絡相談を知らない人?」
急とか言ってる場合じゃないレベルの話にマリアが顔を引きつらせる。
とはいえ今晩予定があるはずもなく、気構えの問題ではあったが。
「……じゃ、じゃあ、どうやって潜入するんですか?」
「ああ。その方法ってのが、サンタクロースだ」
「正気ですか?」
リョウは壁にかけられた服を指さした。
真っ赤なサンタ衣装と、茶色のトナカイ衣装が、ぐったりとした様子で吊るされている。
「ていうかサンタクロースって何なんですか? こんな真っ赤な服で出歩くんですか? 普通に考えて騎士が飛んできません?」
「お前マジ危ないことばっか言ってっから落ち着け」
子供たちの夢を轢き潰しそうになっているマリアを制止して、リョウは咳払いを挟んでから話を続ける。
「『サンタクロース』っていう上位存在が、遭遇した人間の中でも子供相手にプレゼントをしていたらしい。それが由来だ」
「何がしたかったんですかねその個体……」
「上位存在にその辺を求めても無駄だろうな。で、俺はサンタ、お前はトナカイになってパーティーに行くわけだ」
「ああ……トナカイの方が顔を隠しやすいですもんね」
入手できた女性用サンタ服がペラペラ腹部露出仕様で着られると任務に集中できないのが明らかだったから──そうリョウが正直に語るにはあと十ぐらい年を重ねる必要があった。
「あ、ついでに市街地の中でも貧民地区を一周してプレゼントを配るからな」
「地味にちゃんとサンタさんやるんですね……」
「見ろ。仲間たちがもう控えてる」
「危ない集会にしか見えないですねコレ」
指さされた窓から下を見ると、リョウ一味が既に着替えてスタンバイしている。
安アパートの広間に集まったサンタとトナカイたちを一望して、マリアは頬をひきつらせる。
光景の治安自体は渋谷に似てる……渋谷ってなんだっけ……と呟く彼女の隣で、リョウは颯爽とサンタ帽をかぶった。
「さあいくぞ、メリークリスマスの時間だ!!」
「テンションやばくないですか」
男は陰キャでも陽キャでもコスプレするとテンションが上がってしまうということを、マリアはマリアンヌではないので知らなかった。
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