PART11 継がれた希望(後編)
大聖堂の地下にて、次期聖女ユイと元聖女リインが顔を合わせている。
対峙と呼ぶには場に緊張感はなく、むしろ荘厳な静謐の色が強かった。
「私は、聖女の資格とは何なのかを聞きたいです。それはあなたが考える条件でもいい」
「まあ待て、落ち着けって」
まくしたてるような勢いで言葉を続けるユイに対して、リインが手をかざして制止する。
「……お前に必要なのは神の声なんだろうな。だがお前は今、自分の耳を自分の手で塞いじまってるような状況だ。まずその手を下ろさないといけねえ」
「……はい」
一言一句聞き逃さないように集中するユイだったが、その様子を見てリインは苦笑した。
「バーカ、それを止めろって言ってんだよ」
「え……?」
「暗記が必要なゲームじゃねえし、相手に何をどう伝えるかの見本教材でもねえよ。そのまま自分の中に落とし込め」
それだけ言って、椅子の上でリインは足を組む。
到底シスターには見えない姿勢だというのに、不思議とユイもリラックスして、格子越しに用意されていた椅子に腰かけることができた。
「前提の確認だ。お前には最初に自分で定めた答えがある。そしてそれと現実の折り合いをつけようとなんとかもがいているな」
「……はい」
見抜かれていることにかすかな動揺はあった。
誰かにそれを伝えた覚えはないし、感づかれないようにという意識もあった。
そんなことはお構いなしに、リインの言葉はユイの心境を覆っているヴェールを剥ぎ取りにかかる。
「お前が最初に自分で定めた答えっていうのは──『自分は本当は生きていてはいけない存在だ』ってことだな?」
「はい」
即答かよ、とリインは小さく舌打ちした。
「お前の事情は大体は知ってる。存在を否定されたはずの古武術……もとい、殺人技巧の継承者」
「そうです。他人を殺めることが本来の存在意義である私は、この世界を平和にする上では役立ちません。現状は、禁呪保有者や七聖使との争いの中で、役割を与えられていますが……」
ユイの言葉を聞きながら、リインはふと引っ掛かりを覚えた。
(──与えられた? おいおいコイツ、そのレベルからあのバカ女に存在を支えられてんのかよ……いや、じゃあそこが起点にもなるか)
論理の筋道を一瞬で修正しつつ、腰かけている椅子の肘置きを指で叩く。
「少なくともお前はその役割ってモンは果たしているんだろ」
「……はい」
「なら今まで歩いてきた道を否定なんかすんな。お前自身が否定したとしても、天に座する神様は見逃しちゃくれねえんだ」
ユイは息をのんだ。
その反応を見て、ここがボトルネックだとリインは確信する。
「だからお前がお前自身にするべきことは、否定じゃなくて赦しだ。お前が自分に聖女の資格を見つけられないのは、赦しの作法すら知らないからだろ」
事実だった。
自分を救えない人間には他人を救えない──などと短絡的な言葉遣いに走りはしないが、少なくともユイにそのあたりの感覚が備わっていないのだろうとリインは見抜いた。
「それでも……私は……」
「分かってるっつーの。それでも、お前はお前を赦せないんだろ? 気持ちは嫌ってほどに分かるぜ」
一つ息を吐いた。要らないことを言ったな、と頭を振る。
「ここで、あたしだけは赦してやるって言うのは簡単だ。だがそれは救いじゃねえ……まあみんなのための聖女じゃなくて、そいつのお母さんにでもなるつもりならアリだが」
「……寄り添い過ぎています、よね」
「そうだ。多くの人々を救うために必要なのは距離感だからな」
やって来た個人に対しての寄り添いは必要だ。
しかしそれがいき過ぎたものになっては意味がない。
最初にリインが指摘した通りに、ユイはもう自分が何かを学び取らなければならないなどとは考えずに彼女の話を聞いている。
だがそれこそが、ごく自然に行われる──聖女として必要なパーツの、継承の儀式として成立していた。
「しかし、しかしだぜ。神は決して否定してはならない事項に気づいている」
「……それは、何ですか?」
「お前は、お前を赦してくれる仲間を持っているはずだろ? 否定は、その仲間たちまで否定するって意味だぜ?」
「……!」
ユイは言葉を発することができずに、ただ唇を震わせることしかできなかった。
「そういうことだ。生きていてはいけないっていう否定は、それだけ重いものなんだ」
できれば──それを自分以外に向けてしまうかもしれないという危機感も抱いてほしかった。
自分を簡単に否定できてしまう者は、他人も簡単に否定してしまう。
「……肯定、するべきなんでしょうか」
「そんなことはねえよ。肯定と否定の二択しかないわけじゃねえ、もっと時間をかけて見てやりゃいいんだ」
自分のことを、存在するだけで周囲を不幸にする病原菌のようなものだと認識していたとしても。
そうとは見ていない他人がいることもまた、忘れてはいけない。
「だからお前はさ、自分のゴールを設定した方がいいんじゃねえか」
「え……?」
「お前、最終的にどうなりたいわけ? 資格はともかくとして、資質は恵まれてるじゃねえか」
何故彼女がそんな話をするのか分からず、ユイは目を白黒させる。
それを見たリインは己のこみかみを指で叩いた。
「言ったろ、全部聞こえてんだ。お前の聖女としての資質が歴代でもトップクラスだってのはみんな言ってることだ。初代聖女様兼王妃……ユキだったか。それに負けず劣らずとか評価してるやつもいる」
そう告げて、リインは数秒黙った。
権能を試している間に聞こえてしまった会話を思い出していた。
(まあ、評価してるやつって、教皇サマだけどな)
恐らくそれは評価ではなく事実なのだろう。
聖女の資格を失ったリインにも分かる。力の強大さに関しては、ユイの右に並ぶものはそういない。
「私のゴール……」
「あーあー、今すぐ決めろって話じゃねえんだ。だが、何時かは決めるもんだ。それを忘れるなよ」
顔を上げたユイの目には、戸惑いがあった。
それでもここに着た時よりは、ずっと前を見ることができている。
「……ありがとうございます。確かに、気が楽になった気がします」
「それはあたしが何かしたからじゃねえな。お前が吐き出すことのできた荷物に、神様が力添えしてくださっているだけだ。一人で背負うことを強い続けた先は自滅しかあり得ねえ、気をつけろよ」
「……はい」
立ち上がり、ユイはリインに対して頭を下げ、それから出ていった。
地下に静けさが戻り、元聖女は細く息を吐く。
(フン。外はどうやらめんどくせえことになってるらしいな。教会の次期聖女を巡るいざこざだが……その実、渦中にいるのはあのバカ女か)
鼻を鳴らして、リインは頭を振った。
(……ま、関係ねえか。ガラじゃねえことしたもんだから疲れたぜ、ったく)
懐に手を伸ばそうとして、まだこんな習慣を身体が覚えているとは、と彼女は苦笑した。
煙草はもうない。与えられることもなく、得られることもない──自分で捨ててしまったのだから。
◇
日が沈んでからさらに時間がたち、子供だけでなく大人たちも眠りこける深夜。
ふと目が覚めたリョウは、アパートの中庭に気配があることに気づいた。
(こんな時間になんだ? まさか偵察……いや、それにしては気配を全然殺せてない。明らかに素人だな)
物音を殺して部屋から抜け出し、寝間着姿のままそっと中庭の様子をうかがう。
そこにいたのは、月光の下で目を閉じて佇むマリアだった。
リョウと同じように寝間着姿のまま部屋を出たらしい彼女は、棒立ちの姿勢のまま目を閉じ、眉根を寄せ、何やら力んでいる。
「むむ、むむむむむ……」
唇をへの字にしたり真一文字にしたりと、目は閉じているのにせわしなく変わっていく表情。
少しだけ噴き出しそうになりながらも、リョウは笑いをこらえつつマリアの背後へと忍び寄る。
「……アンタ、何やってんだよ」
「うひゃああっ!?」
声をかけると、マリアはその場で跳び上がって悲鳴を上げた。
その反応に微かな満足を覚えた後に、リョウは肩をすくめながら歩み寄る。
「夜更けに随分を気合の入ったことをしていると思ったら……一体全体何をしてんだよ? 瞑想したいのなら力みを抜くのが第一歩だから、真逆というほかねーぞ」
リョウの口調が普段よりも少し崩れているのは──本人に自覚があるにせよないにせよ──相手が相手であることと、他の誰も起きていないだろうという夜更けの特別感がさせるものだった。
そんなことは知りもしないマリアは、びっくりしすぎた余りに滲んだ涙を拭いつつ、キッと振り向く。
「い、今わざと驚かせようとして近くまで来てから声出しましたよね……!」
「そんなわけないだろ」
「絶対にそうです……!」
睨みつけてくるマリア相手に苦笑を浮かべながら、リョウは彼女の後ろにあったベンチに腰掛ける。
「で、結局何してたんだよ」
「……お昼に出せたあの、輝く……大きな人」
リョウの表情から余裕がはぎとられた。
「あの輝く人をを自分の力で出せるようになれば、リョウさんの力になれるんじゃないかな、って……」
何かを言おうとして──無様に空気を唇の端からこぼすことしかできなかった。
(いや止めさせるしかないだろ。あんなもんを自由に出せるようになられたら終わりだ、そこから知識や記憶が流れ込むかもしれない……)
それは頭で分かっている。
だがマリアが率先してやっているという事実が、強く制止する第一歩を留めていた。
「で、でも私なんかが、頑張ったって……意味ないですよね」
相手が何も言わないからか、俯いてマリアは沈痛な息をこぼす。
それを聞いてリョウはとっさに声を出してしまった。
「それはない。俺たちなんかよりも、アンタの方がずっと才能があると思う」
「え?」
「……俺たちは結局、路傍に捨てられたゴミみたいな存在だ。アンタは違う、才能がある。強い力を持って、それをきちんと使う資格があるんだ」
ここまで言葉を続けているのは、リョウの意思によるものではなかった。
ただ彼の胸底から湧き上がる衝動が、あらゆる立ち位置や都合を無視して、彼の唇を動かしている。
「お前は俺達みたいな連中とは違うっていうのは分かってるはずだ。それは間違ってない、何もかも違うんだ……俺たちとアンタは違う、選ばれているかどうかですべてが違うだろ、だから……」
「ど、どうしてそうやって自分を否定するんですか!?」
リョウの言葉を遮って──マリアが悲鳴を上げた。
胸の前で手を握り、少女の潤んだ眼差しが少年を射抜く。
「今の言葉は全部、自分を否定するためのものです……! でもそれは、否定する理由があるからじゃない! リョウさんは今、自分を否定するためだけに、自分を否定しています!」
「……それ、は」
「今まで歩いてきた道を否定するのは……それは、多分とても楽です。だって、否定って、それだけで終わりじゃないですか。良くなかった、してはいけなかった、って。でもそれ、ただの言葉じゃないですか」
「ッ!」
図星だった。
彼を否定しているのは、彼自身がそうするべきであるという理由があって……それだけだった。
客観的な理由があるわけではなく、確信があるわけでもなく、ただ自分の価値を高く見ることのできない性根のせいで発生する防衛行動に等しい代物。
「リョウさんは、自分で自分を赦してあげるべきなんだと思います」
言葉を失う少年の手を取って、マリアは彼の瞳を見つめて告げる。
それは聖女のようで、他人の人生を狂わせる運命の女としか言いようのない瞳で──
「それでも嫌だ、自分が赦せないって言うのなら……私は、全世界があなたを否定しても、私だけはあなたを赦したいです」
少年の呼吸が詰まった。
マリアの言葉は、今まで彼が、それが正しいと思ってきた人生の全てをひっくり返してしまうような威力があった。
「だって……お姉さんを助けたいっていう気持ちに、いいとか悪いとか、ないと思うんです。だったらきっと……」
「やめろ!」
立ち上がって大声を出したことに、リョウは遅れて気づいた。
自分からそんな声が出ることがあるのか、と驚きすらした。
「俺は何か、自分以外の誰かに評価されたいわけじゃない!」
「私だって評価しなきゃいけないと思ってるわけじゃないですっ!!」
初めて聞いた痛切な悲鳴に、リョウはビクリと肩を跳ねさせる。
「誰かに評価されたいとか、そういうのは大事だけど……! でもそうじゃないんです! だってリョウさんは評価されたいからやってるわけじゃないでしょう……!?」
「そう、だ。そうに決まってるだろ……!」
誰かに褒められるために行動しているなど、もってのほかだ。
むしろそういう連中は唾棄すべき存在だと認識しているからこそ、リョウはここまで走り続けることができていたはずなのに。
「分からないんです。リョウさんは、最終的にどうなりたいんですか?」
「え……?」
意識したこともない問いを投げかけられて、リョウの思考がフリーズする。
自分の目的は分かっている。この間違った世界を正すことだ。
「リョウさんは今の世界を作り変えた後に、どうするんですか? 自分のことを、世界を変えるための道具として扱いたいのかもしれませんけど……それだけじゃないはずなんです。じゃないと、あなたの存在している理由が、あまりにも寂しいじゃないですか」
マリアは涙すら浮かべながら語っていた。
(この女、なんで、俺のことを、こんなに……)
生まれて初めてだった。
先生の元に集った兵器の中で、一番出来がいいのは自分だ。
それでも人間として価値があるわけじゃない、むしろ社会的な観点からでは評価されない人材ばかりだった。
だから自分が生きている理由は、この世界を構築している人々とは別のレイヤーにあるのだと思っていた。
単一の目的のために設計されて活動する機能。
自分はそうなのだと信じていたし、普通の幸福など発生し得ないと思っていた。
「…………じゃあ何だよ。お前を信頼すればいいのかよ、自分の母親みたいに」
「わ、私なんかが、支えになれるのなら、ですけど」
マリアの返事を聞いて、リョウの理性がぐらりと揺れた。
この女に自分の全てを委託したいという欲求が臓腑の底から湧き上がって来た。
貫いてきた運命のレールがすべてこの女に踏み荒らされている。
簡単に心の中に入ってきて、簡単に意思に干渉してきて、今やもうかつての自分はいなくなってしまった。
「……別に、必要ないと思うけどな。まあ考えておくよ」
リョウはそれだけを絞り出すように告げた。
「それよりもう寝ろ。他の連中が起きるかもしれないだろ」
自分の胸の奥底に宿った微かな焔、その存在を絶対に気づかれたくなくて、リョウは余りにも不自然なタイミングで話題を切り替えた。
しかしマリアは素直にうなずき、それから申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「すみません、私が練習してたせいで起こしちゃって。意味ないのに……」
「意味がないとまでは思わない。まずは集中してみろ」
「し、してるつもりなんですよぉ」
「感覚的に掴めてないんだろ、さっきは見るからに集中できてなかったし……そうだな。試しに、自分が今最も見たくない光景でも思い浮かべて、それを覆したいとか考えてみるといいんじゃないか」
余りに軽率な発言だった。
それを聞いたマリアが、数秒困惑して、数秒納得の頷きをして、数秒目を閉じた。
(今私が最も見たくない光景、多分それはここに住んでるみんなが殺されて──)
マリアは未来を否定したい。
マリアは未来を否定するための権能を持ち合わせている。
マリアは故に当然その力を発動する。
マリアンヌ・ピースラウンドではなく、マリアと名付けられた少女が発現させた権能。
その名は仮定惑星摂理。
その効果は、仮設上の存在に過ぎないような、あり得る可能性を観測できるようになること。
その具体例は──否定され上書きされた事象を直視することだった。
◇
大聖堂の教皇の間。
豪奢な椅子に腰かけた教皇は、ある人物の調査結果報告書を眺めていた。
(……豪商の家に生まれ、商人として教育を受けた末に後を継ぎ、受け継いだ商売を拡大させて商会として発展させた、か)
それは国内に住む、ある商人の報告書だった。
教会とは何も縁のない存在だ。教皇がわざわざ調べさせる理由は一つもない。
指示を受けた機密部隊も困惑していたほどだ。
しかしそれを確認する理由が教皇にはあった。
(ふむ……教会とは何の縁もない人生を送っているか。それでいい、安心した。要素をすべて排除しただけでこうなるのが一番楽なのだがな)
本人にしか分からないことを内心に思い浮かべていた、その時だった。
「何やってるんですかアナタはァァァァ──────!!」
「ぶふぉあ!?」
壁をぶち抜き全壊させながら飛び込んできた影。
背後からは神父たちが慌てて追いかけてくる音が響く。
そんなことには構わず、赤目の少女は黒髪を振り乱して叫ぶ。
「人の因果を操作して! 人の人生を危機から遠ざけて! だから何だっていうんですか……!?」
全身に人智を超えた神秘を身に纏い。
天上から舞い降りたとしか思えない戦女神が、目の前に降臨した。
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