書籍版発売記念SS:ネームレス・ネーミング
あれはわたくしが悪魔に意識を乗っ取られた聖女リインを打倒して少し経った時のことだった。
「そういえば、マリアンヌさんっていつから二つ名をつけられているんですか?」
昼休みの食堂で、ユイさんがだしぬけにそう聞いてきた。
わたくしはパスタを巻くフォークの手を止め、首をかしげる。
「二つ名? とくにありませんが……」
「え、あれ!? この間ジークフリートさんと試合をした時『流星零剰』って呼ばれてましたよね?」
「知りません」
〇適切な蟻地獄 嘘つくなよ
〇無敵 よっ! 『流星零剰』さん!
知らん。記憶から完全に排除している。
意味わからんしな。何がどういうことなんだよあの名前。
「アレはまだ幼年部だったころにつけられた名前だね」
わたくしが完全に拒絶の姿勢を示していると、隣でロイが肉を一口大に切り分けながら苦笑する。
「へえ! そんなころから……」
「ああ。マリアンヌに限らない話だけど、二つ名というものは活躍しているからこそつけられる。その中でも御前試合で無敗記録を更新した彼女は圧倒的に注目されていたよ」
ロイの補足を聞いて、ユイさんは感嘆の息をこぼす。
正直どーでもよかったけどな。連勝記録とか、意味ないし。勝ったか負けたかの二択でどっちになれるかが問題なんだよ。
「候補名の数も多かったし、総投票数なんて歴代最高だったんじゃないかな」
「投票制ッ!? 二つ名ってそういうシステムでつくものなんですか!?」
ユイさんが驚愕の声を上げる。
わたくしもそう思う。この国おかしいよ……
「僕は『閃光少女』に一票入れたんだけどね」
「ありましたわねそんな候補」
元ネタが分かりにくいんだよなあ。
今それを名乗っても、偽マフティーの偽物にしかなれない気がするし。わたくしにマフティーの清廉さがあるかどうかも微妙。
「じゃあロイ君の『強襲の貴公子』っていうのも?」
「あれは確か3,4年前ぐらいにもらったものだよ」
いいよなあ普通にいい感じの二つ名で。
正直羨ましい。緩急をつけつつペースを握って一気に攻め込む戦闘スタイルとも合致している。
「…………」
「何見てんのよ」
ここまで無言を貫いていたリンディに対して、ユイさんがじっと視線を向ける。
「私はないわよ。御前試合の成績も大したことないし。勝率7割じゃ、こいつらの世代じゃ目立てないわね」
〇火星 いや強
〇みろっく 7割!?
〇red moon 常時勝率7割を馬鹿にしていいのは藤井聡太ぐらいしかいねえだろ
「す、数字としては凄い成績な気がするのですが……」
「でもそこにいる女は10割よ?」
こんにちは、10割女です。
「どちらかといえば、これから先ユイさんが二つ名をもらうかもしれませんわね」
「えぇ?」
わたくしの指摘にロイとリンディが頷く。
だが張本人は微妙な表情だ。
「卒業後に聖女となることは暗黙の了解に近いですし、つけられるなら今のうちかと思いますが……」
「確かに、魔法学園入学後に二つ名をつけられるケースもあると聞くよ。十分あり得る話だね」
「は、はあ……」
あんまり自分のことという自覚がなさそうな表情で、ユイさんは曖昧に頷く。
わたくしも正直これって貴族の遊びだよな……という気持ちはあるものの、既に自分が被害を受けた以上は、より多くの人に被害を受けてほしい。
「変なのにしたくないのなら、僕らでいい案でも考えておくかい?」
爽やかな笑みを浮かべてロイが言う。
「え、アリなんですかそれ?」
「僕も『強襲の貴公子』ってあらかじめ友人に伝えておいて、その人に発案してもらったからね」
テーブルが沈黙に包まれた。
ユイさんとリンディが『うわ……』みたいな顔をしているのを見て、ロイがだんだんと、事態を察知していく。
いやお前それ自分で考えてたんかい。面白過ぎるだろ。
「……いや、すまない。口が滑ったというか。今のは聞かなかったことにしてくれると嬉しいかな」
「そうですわね。強襲の貴公子もこう言ってますし」
「いいんじゃない? あの強襲の貴公子が言うのならしょーがないわね」
「強襲の貴公子さんが言ってるわけですからね」
「殺してくれ!!!!!」
ロイは椅子から落ち、食堂の床をゴロゴロと転がり始めた。
国内有数の名家の嫡男にあるまじき姿を見て、周囲の生徒たちがギョッとする。
「あら、強襲の貴公子って床を転がるんですわね」
「面白いですね~!」
わたくしとユイさんがにこにこ笑顔で追撃を加える。
「ちょっと、やめてあげなさいよ。強襲の貴公子がかわいそうでしょ?」
制止するリンディとて表情は清々しいものだ。
我々は弱みを見せた人間に対して一切容赦しない。隙のある人間が悪い。
「ぐっ……さ、流石は『流星零剰』じゃないか」
「殺しますわよアナタ!!」
隙のある人間が悪いけどわたくしは悪くない!! 勝手についた名前だもん!!
一矢報いて落ち着きを取り戻したのか、ロイが席に戻って来る。
わたくしは彼の皿から肉をスッと取って一口に食べた後、ユイさんに顔を向けた。
「え? 今、僕の肉……」
「ではどうします、今のうちにユイさんの二つ名を考えておきます? もちろんおもちゃにするつもりはありますが」
「あるんじゃないですか! いや、結構嫌というか、怖いというか」
「ねえ、今、僕の肉……」
「そう言わないの。私たちだって本気で嫌がらせをしたいわけじゃないわ。何なら、今ここで本命の名前さえ決めておけば、ミリオンアークみたいに身内から出してそれに決めちゃうことだってできると思うわよ」
「お気遣いならいいんですが……」
「ねえ、今、僕の肉……」
ぐちぐちぐちぐちうるせえな。
もう胃に入ったもんはしょうがねえだろ。
「ではそれぞれ候補を出しますか。まずはロイから」
「話を振って全部流すつもりだろう!?」
「そうです」
「認めてるじゃないか!」
絶叫を上げ続けるロイだが、話が進まないからさっさと本題に入ってほしい。
無言で続きを促し続けると、彼は何かをあきらめた様子で口を開く。
「分かった、分かったよ。案を出せばいいんだろう? 強いて言えばそうだね……『無垢なる刃』とか」
「ダメーーーーーーーーーーーに決まってんでしょうが!!」
わたくしはブチギレて、ロイの頭部を思いきり引っぱたいた。
強襲の貴公子はもんどりうって地面に転がった。
「何で僕殴られてるんだい!? 結構いいと思ったんだけど!?」
「ニトロプラスを敵に回すと採算が取れないからですわ!!」
「無刀悪鬼にしなかっただけマシだろう!」
「黙りなさい!」
わたくしは追撃のパウンドを放ち、ロイを完全に沈黙させた。
なんでこんなストレートの危険球を放り込めるんだよ。下手したら死人が出るレベルのデッドボールだぞ。
「マリアンヌの突然の発狂の理由は分かんないけど……私も案を出したらいいかしら?」
「ではお願いします」
あわあわしているユイさんを放置して、頬についた返り血を拭いながらリンディに発言を促す。
彼女は腕を組み、不敵な笑みを浮かべた。
「『人類の到達点』」
「却下です」
連載再開まだ? もう流石に無理かな? 無理だよな……
「何でよ!? 『人類の到達点』って書いてハイエンドって読むのよ! めちゃくちゃ良いと思わない!? あとタガハラは愛に対してダルい価値観とか持ってないわよ!」
「正直良いとは思うのですが、それはそれ、これはこれというか」
さっきから出てくる案が聞き覚えのあるやつばっかなんだよなあ。
こればっかりは転生しておいて良かったと思うわ。危うくとんでもないネタ被りをかましてしまうところだった。
あとユイさんは地味に愛に対してダルい価値観持っててもおかしくないと思う。次章あたりで掘り下げがあるんじゃないかな。
「それだけ言うってことは、君はよほど自信のある案を出してくれるんだよね?」
「そうよそうよ。こっちを足蹴にしといて、つまんない案が出てきたら容赦しないわよ」
ロイとリンディが半眼になってこちらを見てくる。
「いや~……その、皆さんちょっと、私の意見って……」
ユイさんが何か言っているが気にならなかった。
お前らみたいな丸パクり意見とは、わたくしはステージが違うんだよ。
「フフン────『破滅フラグばかりの乙女ゲー世界に転生してしまった…』ですわ!」
◇
「危なかったわね……」
「ああ。一迅社を一番怒らせてはいけない時期だった……」
わたくしはロイとリンディにボコボコにされていた。
顔の面積が五倍ぐらいになってる気がする。これ大丈夫? わたくしちゃんと生きてる?
「あ、あの、でも言ってることは間違いではないですし」
二人を羽交い絞めにして止めてくれたユイさんが、わたくしの顔をそっと撫でながら二人を諫める。
助かる。これ以上ボコられたら生命の危機だったと思うわ。
「れ、令嬢じゃなければ即死でしたわ」
「そういう問題なんですかね?」
膝をガクガクさせながら立ち上がるわたくしに、ユイさんが顔を引きつらせながら指摘する。
いや令嬢じゃなかったら本当に危なかったと思う。
高貴バリアありきで防御していたまである。
「で、では、とりあえずわたくしの案が一番いいということで……」
「ンなわけないでしょうッ!?」
「君は正気を失ってるのか!? 今更だな!」
リンディとロイが再び吹き上がる。
お前らは他社だからもう論外なんだよ! 馬鹿が!
「黙らっしゃい! わたくしが正しいと言ったことが正しいのです」
「こいつを殺さないと国の災いになるんじゃないの」
「僕も同意見だ。間違いなく世界の危機になるな」
好き放題言ってくれる。
わたくしが世界の危機なのは今に始まったことじゃないだろ。禁呪保有者だし。
「どうにもこれは、満足いく案は出なさそうだね」
いつの間にか貴公子スタイルを取り戻したロイが、優雅に食後の紅茶を飲みながら告げる。
かなりムカついたが、言う通りではある。三人それぞれが出した案を見たユイさんの表情、どん底だもんな。
「……ま、まあ、あれですね。ほら、こう、本番で良くない案が出てきても動じない練習みたいな、あはは」
苦しすぎるフォローを聞いて、わたくしたちはそろって顔を伏せた。
言われてみるとそれぞれの案が良く無さ過ぎるな。ていうか版権ネタに頼りすぎだろ。この小説こんな調子で大丈夫か……
「だから! 私は二つ名とか気にせず頑張ります!」
右手を胸に当てて、ユイさんが叫ぶ。
活躍を見れば二つ名をつけられるは自然に思えるが……とはいえ、本人が言うのであれば、そういう形でもいいか。
「分かりましたわ、ユイさん。アナタの投票会が来た時にこそ、至高の二つ名を決定しましょう」
「『流星零剰』のセンスには負けるけどね」
「リンディ、表に出なさい」
わたくしは青筋を浮かべながら、手をバキボキと鳴らした。
「悪かったわよ、しょうがないでしょ、アンタだって爆笑した後に真顔になってたような名前じゃないの」
「あれは想定外過ぎて出てしまった笑いであってですねえ……!」
リンディが苦笑しながらわたくしに謝る中。
視界の隅でユイさんがロイに話しかけるのが見えた。
「そういえば結局のところ、マリアンヌさんの二つ名って誰が言い出したんですか?」
「さあ? 投票会の時にはもうあったから、誰が言ったのかは分からないな……」
「そうなんですね……じゃあ、『流星零剰』ってどなたが言い出したんでしょう……?」
◇
そこはシュテルトライン王国でも知る人ぞ知る、完全会員制のVIP専用バーだった。
単なる貴族というだけでは存在に気付くこともできず。
薄暗い場所に住む裏世界の住民ですら噂を聞くにとどまる場所。
そんな場所でロックグラスを煽る、ブラックスーツに身を包んだ男の姿があった。
彼以外の人間は、王国政府中枢に影響力すら持つ貴族の関係者ばかり。
蒼穹に落ちた一点の墨汁のように、彼の存在は異質だった。
「おや、久しぶりにお会いしましたね」
手洗い場から戻って来た一人の貴族が、その男性の顔を見て笑顔で近づく。
「ああ……ミューズマールさん、ご無沙汰しております。なかなか顔を出すこともできず、申し訳ありません」
「いえいえ、最近もお忙しそうですからな」
無表情でウィスキーを煽っていた男は破顔して、貴族に対して会釈する。
貴族の男性は、スーツの男のグラスの中身が残り少ないのを確認すると、バーテンダーに目くばせをした。
指示を受けたバーテンが頷いて、棚から超一級品の酒瓶を取り出す。樽に使われた木材も一級品、熟成期間は職人が目を光らせている。製造は国内だが、諸外国の好事家が神の酒ともてはやして求める逸品だ。ボトル一本でその辺の平民の年収が吹き飛ぶだろう。
「よろしいのですか?」
「以前お世話になりました例の商談……あれは大変助かりましたからな。ああいえ、これはほんのお気持ちです」
「顧客に得がなければ、ビジネスは成立しませんよ。そして幸いにも私も得をすることができましたからね」
バーテンは淀みなく、美しい手つきで二つのグラスにロックで酒を注いだ。
受け取った男と貴族が、互いのグラスを掲げる。
「サトウさんに」
「感謝の極みです」
こつんとグラス同士がぶつかる。
佐藤と呼ばれた男は琥珀色の酒を舐めるように一口だけ含むと、深い笑みを浮かべた。
「どうですか、Mr.サトウ。私はこのボトルを買うのに十年かかりました」
「素晴らしい……深みが違いますね。しかし香りは抜けるようだ」
佐藤と呼ばれた男は、瞳を閉じて味わいに表情を緩める。
変な癖もなく、真っすぐに舌を過ぎていく味わいに、自然と彼の顔は天使のような笑みを浮かべていた。
「お気に召したのなら何よりですよ」
「この逸品をいただけるとは、正直言えば……少しばかりビジネスに影響しそうです」
その言葉に二人して笑いを上げる。
実際問題としてはそんなことはあり得ないと分かっているからだった。
佐藤なるビジネスマンが仲介した事業の成功率は、実に100%である。その数字は彼の冷徹さに裏打ちされたものだった。
「ああ、そういえば……」
「うん?」
佐藤とのつながりをなんとしても逃したくない貴族は、演技臭さを極限まで打ち消した様子で言葉を続ける。
「お聞きになりましたか、教会を巻き込んだ、陛下の暗殺未遂事件……あの事件を解決したのは、あなたが目をつけていた令嬢だったとか。さすがのご慧眼ですな」
貴族の言葉に、佐藤は首を横に振った。
「当然の結果ですよ。むしろ、あなたにだからこそお教えしたい……」
声を落とす佐藤に対して、我知らず、貴族は身体を傾けて傾聴する。
「マリアンヌ・ピースラウンドこそが次代を作る中心であることに、私は疑いを持っていません。もちろん、既存の価値観が破壊されていくことはあるでしょうが、彼女の側に乗っている方が、最終的な損得は段違いだと思っています。ただし、いささか荒波になるのは確実です」
その言葉を聞いて、貴族の男は薄ら笑いを浮かべた。
佐藤から聞いた情報であるのならば、間違いはない。
「サトウ、貴方ほどの方が言うのであれば、間違いはないでしょう」
「恐らくピースラウンド家の処分を問われるタイミングはいくつもあります。それら全てをあなたが彼女に寄り添った決断を下せるのなら。価値観が根底から覆されてもいいのなら。あなたの栄光は約束される」
それは自らの商品を売り込むかのような口調だった。
だが貴族の男は、佐藤がマリアンヌに対して、商品以上の価値を抱き、感情的に入れ込んでいることもまた、把握していた。
(──であるなら乗るべきだな。逃す手はない)
彼の、貴族の男の、自分が損をしない選択肢に対する嗅覚は異様に発達している。
だからこそこのバーに通えているのだ。
彼は佐藤の言葉を聞いて、貴族院でも孤立した立場にあるピースラウンド家のバックアップを務めることを決めた。それが大いなる苦難の道だが、最終的にはすべて報われることなど知る由もない、それでもこの瞬間に決めたのだ。
「承知しましたよ。確か彼女の二つ名である『流星零剰』も、案を出したのはあなたでしたね」
自分が得をする選択肢に鋭敏な嗅覚を働かせた後に、仕事を終えた貴族の男は、世間話としてその話題を佐藤に振った。
「ええ、今でも鮮明に覚えていますよ」
佐藤が唇を釣り上げる。
薄暗い店内で、その笑みは光に妖しく浮かび上がった。
「彼女の特徴ではなく、本質的なところを掴んだ名前だと思っています」
「はあ……正直に言えば、私のような者では、あなたの思索の全貌を掴むことは難しい」
「彼女はこれ以上ない輝きを放つ存在です。そして、最も眩しい瞬間は、今はまだ遠い。もっと先にあることでしょう……そしてその先には、燃え尽きるタイミングが来る。だからこその『流星零剰』です」
もらったウィスキーを一口舐めて、佐藤は嗤う。
「そう思いませんか?」
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