PART17 点火-Ignition-
ヴァーサス準決勝、ロイ・ミリオンアークVSクライス・ドルモンド。
下馬評では実力者であるロイの奮戦に期待を寄せつつも、最後は地力で勝るクライスが決勝戦へと進むという見方が一般的だった。
もちろん中には、逆境でこそ強さを見せるロイの資質を取り上げ、彼に軍配が上がるという予想をしている者もいた。
とにかく共通していたのは、決着がどうなろうとも、手に汗握る試合運びが見られるだろうという期待だ。
しかし試合が始まれば。
観客たちは、自分たちの見込みが甘いものだったと思わずにはいられなかった。
「どんどん行くでえ!」
唇をつり上げて、クライスが腕を振るう。
トンファーだけでなく腕全体に展開された焔が弾け飛び、アフターバーナーに近い理屈で彼の身体を加速させる。その速度は音を置き去りにし、余波が観客席を保護する魔力シールドを軋ませた。
「ぐうう……っ」
四方八方から飛んでくる攻撃。目で追うことなど到底できない。
交錯のたびにかろうじて防御を固めるロイだが、受けきることができず、衝撃に身体が悲鳴を上げる。
(ま、まずい! まったく相手になっていないぞ!? 速度感が違う……移動先を予測しようにも、高熱で身体がぼやけて見えるから予測しきれない……!)
副次的に生み出される蜃気楼が、超高速で機動するクライスの身体を観察眼から守護しているのだ。
余りにも無駄のない戦闘スタイル。
今のクライスは自分と比べて、一挙一動からして根本的に質が違う。
はっきりと分かっている。現在進行形で思い知らされている。
(ポ、ポテンシャルが……違い過ぎる……!)
何もかも──次元が違う。
(か、勝てない……!)
バキン、と音が響いた。
一拍遅れてロイは、自分が構えていた剣が、半ばで砕け散っていることを認識した。
正しい形で受けることができていなかったため、耐久性が限界を迎えたのだ。
(こんな、一方的に……!?)
確かに上位存在相手に追い詰められることは、入学以降の数多の事件において経験していた。
だがそれらはあくまで、人の理を捻じ曲げ、踏みにじる、超常の存在たちを相手取ってのこと。
対人戦においてここまで圧倒されるのは遠い記憶以来になる。
その記憶は、まだ禁呪を使っているなど知らなかった、学園に入る前の御前試合で彼女と戦っている時の──
「は……?」
ロイは愕然とした。
自分は今、この強敵に何を重ねた? 何を幻視した?
何か致命的なポイントを、無自覚のうちに認めていることになる。
彼は走る者だ。遠くに光る星を目指して、肩で息をしながら、ずたぼろの身体を引きずりながら、それでも走る者だ。
だが今の思考は、自分は彼女に追いつくどころか、眼前の男の背中を追って走り、そして追いつけていないことになる。
「ふ、ざ……!」
彼に追いつけないのなら。
「ふざ、ける、な……ッ!」
恐らくそのまた先を走っているであろう、彼女には。
「ふざけるなよ、ロイ・ミリオンアーク……ッ!!」
ロイの目に激情の光が宿る。
構えを切り替え。安定した攻防一体の型から、極端に防御を重視した型へと。
(──! 雰囲気変わったな、王子様っぽさ全部かなぐり捨ててるやん!)
一見すれば追い込まれた末のミスチョイスにも見え、観客席から諦観ともつかない悲鳴が漏れる。
だが、相対するクライスはロイの狙いを正確に察知していた。
(流石にそんだけ分かりやすく待ち構えられると、こっちも動きにくいなあ……!)
甘い動きを見せた瞬間、防御をすべて解除してのカウンター。
そのワンチャンスにすべてを賭ける、とロイは全身を使って表明していた。
「でもまあ、随分と弱気やねェ」
「諦めていないだけですよ……!」
互いの立ち位置を、互いに正しく認識した。
故にここからが第2ラウンド──運命の分岐点。
◇
ロビンの隣でぼーっとロイの試合を見ていると、ドタドタと足音が響いた。
視線を向けると、顔色を変えたユイさん、リンディ、ユートがこちらに走ってきている。
「お、おいこんなところにいたのかよ……! やべえぞ!」
「アレどうなってるわけ!? 前に見た時と別人じゃない!」
ああ、やっぱり……なるほど。
リンディのやつ、クライスの呪詛を見抜けていなかったんだ。この運動会の間、クライスと話す機会もなかっただろうしな。なのに、ロブジョンさんの『禍害絶命』は見抜いた。
恐らく間で何かが起きたんだ。そのせいで能力が跳ね上がった……いや、事情を鑑みると、封印が緩んでいるとでも表現するべきか。
間で起きたこととは、言うまでもなく、あの魔眼使いとの戦いだろう。
「ええ、あの男の肉体的魔力不適合が解消されているようですわね」
「素知らぬ顔で言っているが、犯人はこの女だ。先天性ではなく呪詛の類だったらしく、解呪していたぞ」
すかさずロビンがビッ! と親指でわたくしを指す。
わたくしは笑みを浮かべると、その親指を握って、曲がらない方向へ曲げた。
「イッダダダダダダダ!! おい! やめ……イダダダダダ!! ごめん! 悪かった! 即告げ口はさすがになかった!」
素直に謝れるのはいいことだ。
満足したのでロビンの指を放す。心の底から痛そうな顔で、彼は指が元の形に戻っているかを確認していた。
「随分と仲いいみたいだけど、一時期クラブやってたころに知り合ってたの? 『世紀のエース』と」
「ええ、クラブを抜けてから会うのは今日が初めてですが」
わたくしの言葉に三人は微妙な表情を浮かべた。
「え……その割には息ぴったり過ぎません……?」
「まあ、気になるけど、それはともかくとしてだ。何だって解呪したんだ? ロイへの嫌がらせってことはないだろうが」
ユートの問いに、思わず鼻を鳴らす。
愚かな問いだな。
「解除可能な呪いであることに気づいてしまった以上は、それを見過ごすことはできません」
「……悪がどうこう抜かしてる割には、やってることはずっと正義の味方よね、アンタ」
リンディの指摘にユイさんとユートが深く頷く。
ふざけるな、悪役令嬢相手に何を言ってやがる。
「いえ、逆です。わたくしはこの世界から、わたくし以外の悪の痕跡を残らず滅却したいだけ。で、あるならば、そもそも取れる選択肢は一つなのです」
わたくしがそう言うと、隣の席に座りながらユイさんが口を開く。
「私は……マリアンヌさんの行動を支持したいです」
「ユイ、アンタまで……」
リンディとユートは顔を見合わせると、ユイさんにならって席に腰かけた。
「確かユイ・タガハラさんだったか。次期聖女様だよな? 敬語の方がよければ……」
「ええ。初めまして、ロビン・スナイダーさん。今はただの学生なので、敬語は大丈夫ですよ」
「そうか、助かるよ」
視線を重ねた二人は、小さく頭を下げ合う。
なんか礼儀を守ってるのムカつくな。礼儀を守るのならこの会場で最も強く最も偉大なわたくしにもっと敬意を払えよ。
「で、何で解呪を支持するんだ? 同じ中央校だろ?」
「多分なんですけど、この中でロイ君に一番近いのって、私だと思うんです。ロビンさんも結構似てるとは思うんですが」
「……ああ、不愉快なことにあいつの気持ちはかなり分かる」
「だったらきっと、分かるはずです。全力の相手を倒さなければ、自分の価値は証明できないと。だからマリアンヌさんが気づいても解呪しなかった場合、それを最も責めるのはロイ君だと思います」
ユイさんの言葉に、ロビンは顔をステージへと向ける。
防戦一方となっているわたくしの婚約者を見つめながら、スカイマギカの頂点に君臨する男は、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「……一言一句違わず、同意見だ。話の分かる次期聖女様だな」
その言葉を聞いて、ユイさんは苦笑した。
「あはは……どうします? 私が聖女になったら、教会がプロリーグのスポンサーとかにつきましょうか?」
「スポーツ憲章的に無理だろ。王族だって観戦以外の干渉は基本的に禁止なんだぜ?」
「分かってます、言ってみただけですよー」
「ハッ、ジョークは練習中らしいな」
うわ……なんかユイさんが突然ギャルゲー主人公っぽい懐への入り方をしてる……
そうこうしている間にも、全身に炎を纏うクライスが、部分的に適宜撃発させて加速し、ロイへ襲い掛かる。
防御の構えにスイッチしてからはジリジリと押し込まれていくような展開が続いている。
あのままじゃ長くはもたないな。
「相当キツい戦いになるでしょう。というか……アレ、わたくしの場合、ツッパリフォーム発動しないとあんまり相手したくないのですが……」
凄いな、ちょっとを通り越してめちゃくちゃびっくりだ。
詠唱を同じ節数に絞った場合、パッと勝ち筋が思い浮かばないぞ。もちろん負けるつもりはないが、じゃあ現実的にどうやって勝つのか、という点で良い案が出てこない。
〇みろっく めっちゃくちゃ強いじゃんクライス……
〇第三の性別 まあ中央校のロイ、ウエスト校のクライスって位置づけだしなあ
〇火星 前にも言ったがルートによってはクライスがラスボスになるんだからそらそうよ
〇red moon しかもどっかの馬鹿が勝手に覚醒させてるしな……
【うっさいですわね! 理由はもう言いましたわよ!】
〇みろっく ちょっと気になったんだけど、クライスの呪詛が解呪されたのって初めてなの?
〇適切な蟻地獄 治療系に必要なスキルを周回しまくって全カンストさせても解呪できなかった
〇適切な蟻地獄 だからこれ何かフラグ回収しないとイベント発生しないんだろうな、とは言われていたから、いつかは見つかるであろうルートとして扱われていた感じかな
〇日本代表 で、お嬢はこれどうやって解呪したの?
【え? わたくしの宇宙の中に取り込んで存在の中核まで分析したら呪詛があったので、破壊しただけですが】
〇無敵 なんて?
〇木の根 いや……あの……よく分かんないんですけど……
【わたくし、何かやっちゃいました?】
〇外から来ました やってんねえ!
〇苦行むり 考え得る限り最悪の意味として、やってる
〇宇宙の起源 これ多分なんだけど、理屈をつけて精査すると、やってることはデータ改竄系のチートなんじゃないか?
〇つっきー それだ!
【お……!? わたくしついにチート系主人公の仲間入りですか!?】
〇トンボハンター は?
〇TSに一家言 今更??
〇無敵 一般的に異世界転生ジャンルで使われているチートとは違ってお前の今までの行いはソシャゲのランキングバトルで明らかにおかしい桁数のスコアを出すために使われる方のチート
〇太郎 このチート野郎が
【わたくしはッッッ! 野郎ではありませんッッッ!】
〇太郎 このチート令嬢が
〇苦行むり 一気に誉め言葉っぽくなってるけど大丈夫か?
〇T−指定 チート令嬢とミッション成功で韻が踏める
〇日本代表 ミッション成功したことない
前から思ってたんだが、根幹の設定はともかくとしてこういう状況だと神様知識が全然役に立たないんだよな。
適職巫女とか適当言ったことあるけど、本当に見えてしまう身としては、真摯に神の存在や救いを信じてる人が報われねえなあと思う。まあ、その人たちが信じる神様とこいつらは違う存在だけどさ。
「パワーもスピードも、そしてテクニックも向こうの方が数段上ですね」
その時、試合をじっと見つめていたユイさんが、冷たい声で指摘した。
「こういうことを聞くのはあまり好きではありませんが、アナタならどうします?」
水を向けると、ユイさんは首をかしげる。
「え、確かに強くて速くて上手いですけど、それだけなら……あっすみません、前提として、ヴァーサスのルールですか?」
「もちろんそうですわ」
「ああ、ですよね。じゃあ、被弾覚悟の一撃で勝負を決するしかないと思います」
……多分だけどユイさん、わたくしに言われるまで、殺し合いを前提に置いて考えてたな。
「お前今絶対殺し合いのつもりで考えてただろ」
わたくしが言わなかったことをユートが言った。
「い、いいじゃないですか! 私試合に出ないですし! それなら戦う可能性としては戦場を考慮するでしょう!?」
「この次期聖女ヤバくね?」
ユイさんを指さしたロビンが、訝し気な表情で問うてきた。
無言で頷いた。この人は、ヤバい。
「ああもう、とにかく……今のクライスさんは、タイプとしてはユート君に近いというか、同じジャンルで別方向に派生した戦い方に感じます。スピードでは向こうが圧倒的ですね。ただ他の攻撃力や持久力では流石にユート君の方が断然上です」
「でしょうね。今のクライスとユートが戦った場合、7:3でユートが勝つと思いますわ」
わたくしの言葉に、ロビンがぽかんと口を開けた。
「え? あれ? この人って確かあれだろ、ハインツァラトゥスからの留学生で王子様っていう」
「そうだぜ。だが今は普通の学生だ、気楽に接してくれ」
「……んじゃあそうさせてもらいますけど。で、どんだけ強いんだよこの人」
わたくしたちは何ともいえない表情で、黙って肩をすくめた。
だって禁呪保有者だし。夏休みで異常にパワーアップしてるし。
本当に何なんだろうなこの王子様。
「どっちかっていうと、俺に3:7で勝てる向こうがバケモンだと思うぜ」
そのユートは、クライスの戦いぶりを見て頬を引きつらせていた。
だろうな。十三節の完全解号状態に入った禁呪保有者相手に、禁呪を持たない人間が対抗できるケースは少ない。
強いて言えば強力な加護を持った騎士ならば、と思うが、同じ魔法使いと言う領域では難しい。ユイさんやアルトリウスさんといった例外を除けば、それはもうユートのお父さん、ハインツァラトゥス国王ぐらいしか思いつかないぞ。あの人もあの人でどういう戦い方なのか知らないけど。
「言うなれば準禁呪保有者……といったところですね」
ロビンに聞こえないよう、小さな声でユイさんが囁いた。
それは、なるほど、言い得て妙だな。
「勝てると思うの? 今のミリオンアークが……」
「勝ちます」
リンディの言葉の途中で、わたくしは強く断言した。
一同から驚愕と困惑の視線が向けられるのを感じながら、わたくしは足を組んで息を吐く。
「はっきり言ってしまうと……このままずるずると押し切られるのが結末として一番高い可能性に見えます」
「ああ、俺も同意見だぜユイ。防御に回ったのは、カウンターを見せ札として機能させるっていう意味なら失策じゃねえ。だが時間稼ぎにしかなってないのも事実だ。逆転の策がないのなら──」
「いいえ、勝ちますわ」
勝つよ。あいつは勝つ。
逆境でこそ己の価値は証明できる。やつが今までの鬱屈を吐き出すなら、今までの溜めを昇華するなら、この瞬間でしかありえない。
根拠をと言われても、わたくしにとってこれは事実だ。
──だから、第三者から見れば。
これはきっと、祈りと呼ばれるのだろう。
◇
ユイたちの分析通りに試合は進んでいる。
加速し続けるクライスに、ロイはまったく追いつけていない。ここまで圧倒的なスピードで勝利をものにしてきた『強襲の貴公子』が、己の領域であるスピードの勝負で手も足も出ていない。
「カウンターが怖くても、こうやって削っていけば問題ないやろ!!」
相手に反撃の暇を与えないすれ違いの殴打を繰り返し、クライスは着実にロイを削っていく。
かろうじて耐えているものの、拮抗が崩れるのにそう時間はかからない。観客たちの意見はほぼ一致していた。
(…………)
もう目で見ることは諦めて、音や空気の揺れだけを材料にロイは防御し続けている。
剣を折られたのは、実のところ僥倖だった。構えをコンパクトにできる分、動きのロスが少ない。
仮に武器が破損していなければ、既に決着がついていた可能性すらある。
だが──幸か不幸か、そうはならなかった。
(要らない……)
ロイの感覚が研ぎ澄まされていく。
視界がクリアになっていき、身体の中心から発せられる信号の一つ一つを感じる。
今の自分にできる動きを、彼は完全に掌握できている。
(おれに、マリアンヌ以外のものなんて、何も要らない……)
見据える先にはクライス・ドルモンド──同世代の格上。
走るべき道にて、彼女以外で遠のいていく背中は。
一番、ロイにとって許せない存在だ。
「おれとマリアンヌの間に入るな……!!」
予兆も何もなかった。
今まで防御をかろうじて続けることしかできなかったロイが、完璧なタイミングでクライスの攻撃に対応し、反撃を叩き込んだ。
「う、お……っ!?」
稲妻を巻き付けた刃と、焔を纏ったトンファーが激突しスパークする。客席が騒然する。
クライスの靴のかかとがステージを削った。押し込まれているのだ。
(急に追いついてきた!? ちゅーか出力が全然違う!?)
鍔迫り合いの格好で、クライスは至近距離でロイの目を、そこに宿るものを見た。
衝撃波になぶられる金色の髪の奥、碧眼を走るどす黒い稲妻を見た。
「殺してやる……!」
「んな……ッ!?」
必要なトリガーは、あとは激情だけ。
資質は元々持ち合わせていた。夏休みの時には手の届かなかった領域も、積み上げてきた修練により、今までとは違う。
──ロイ・ミリオンアークは既に、『七聖使』としての最低限のラインをクリアするに至っていた。
「ッツアアアアアアア!!」
「ふ、ぐ……っ!」
拮抗した鍔迫り合いを、ロイが強引に弾き飛ばす。
距離を取り直したクライスは、顔を上げた瞬間、人生最大の悪寒に襲われた。
(え? 俺っち、本当に人間と戦ってる?)
存在感が肥大化する。
眼前に佇むのは一人の人間ではなく、もっと大きく、偉大で、恐ろしくて。
まるで人々を見下ろし、天に坐するような──
【擬似認可を許諾】
【第四天との接続安定化を確認】
【第六天との接続活性化を確認】
【迎撃権限を譲渡】
【限定指定解放:雷霆下すは天空の審判】
「絶翔せよ、墜崩の翼……天空の神威を振りかざそう」
ユイが目を見開いた。
ユートとリンディが身を乗り出した。
警護任務中のジークフリートですら異常事態に背筋を凍らせた。
火花と共に稲妻が散る。
見る者が見ればそれは、彼のやるかたない憤懣と慟哭が形を取ったものだとすぐに分かるだろう。
進むべき道を進みたいだけなのに、自分の力が足りないことへの嘆き。怒り。悲しみ。すべてを混ぜこぜにした負の感情を燃料に、その稲妻は無作為に放出されていた。
来賓席の更にその上段、玉座に腰かけて試合を見守っていた国王アーサーは、『不完全だのう』と小さく呟いた。
直接見たことのある権能ではないが、彼は同じ領域の力を、親友たちが振るっていたその完成系を知っている。
同様にリンディもまた、ロイの覚醒が、禁呪保有者における完全解号と比べると一歩か二歩程度劣っていることを見抜いていた。
端的に制御ができていない。草花への水やりに、バケツをそのままひっくり返しているようなものだ。夏休みの際に対峙した洗練された使い手と比べれば稚拙に過ぎる。
だが、完成されていないのは見て分かるが。
二人はその段階で既に、ロイが完成された覚醒者たちと変わらない総出力に達していることもまた分かっていた。
完全に力を引き出すには至らずとも、ロイは特殊な二重覚醒者。既に超常の領域すら飛び越えた絶理の神域。
「フッ────」
一振りだった。
ロイが距離を詰めて、剣を振るった。クライスの防御が間に合ったのは奇跡だった。突き出した左腕が剣を受け止める。
半ばで折れた刀身を稲妻が補填していることに気づいた時には、もう遅い。
派手な破壊音と共に、クライスの左腕のトンファ―が砕け散った。
(──アカン。今の速度でもう一発打たれたら負け……負け? え? いやこれ、死ぬんちゃう?)
ヴァーサスの試合において装着を義務付けられている、選手の生命を守る緊急防御用の魔導器。
だがクライスの目算では、今のロイはその防御結界を貫通できる。
(そうだ、これだ。おれが欲しかったものはこれだ)
極限まで遅滞したスローモーションの世界の中で、ロイが唇をつり上げる。
負ける気がしなかった。全能感に満たされてすらいた。
誰であろうとねじ伏せる力。
誰にも追いつかせることのない速度。
ロイは自分が全てを手に入れたと確信していた。
今の自分ならば宇宙にすら届く。
あの流星を撃ち落とすのは絵空事ではない。そうだ、自分には、自分だけにこそ、その資格がある。
だから今目の前で体勢を崩している格下など、目に映るだけで邪魔な石ころだ。跡形もなく消し飛ばしてしまえばいい。
成すだけの力が、今の自分にはある。
稲妻が虚しく走る夜空ではなく、雲の上、人々を異なる次元から見下ろすだけの力がある。
(そうだ。これだ。おれが欲しかったものは──)
本当に?
(あの日、おれは何を誓ったんだっけ)
流星を共に見た少女に何を誓ったのだろうか。
誰よりも強くなると宣言した少女の隣で、何を想ったのだろうか。
(関係ない、強くなりたいんだ。強く在ればいいんだ。最初にどう思っていたかなんて──)
身体に力を伝導させ、クライスの身体を真っ二つに切り裂こうとする。
だが、上手くいかない。自分の中の何かが必死に抗っている。
(何故だ。おれは力が欲しかったはずなのに。それだけのはずなのに。だっていつも、あんなにも、強くなりたいって)
だからこうして強くなった。
問題は明快に解消された。
本当に?
ロイの脳裏を、満天の星空と、隣でそれを見上げる少女の光景がよぎった。
少女は言う。幼いころも、成長した今も、同じことを言う。
『あの流星のように、わたくしは輝いてみせますわ!』
『アナタが見て驚くような……誰もが目が離せなくなるような』
『そんな流星に、いつか────!!』
星々を映し込む透き通った紅色。生まれ始めて、他の総ての存在を忘れてしまうほどの衝撃を受けたその輝き。
深紅の瞳がロイを捉えて放してくれない。
強くなりたかった。
では、それは何のために。
ロイ・ミリオンアークの身体が斬撃を放とうとする。
アーサーが静かに腕を起き上がらせた。ユイやユート、ジークフリートもまた防護用シールドを砕いてステージへ飛び込もうとした。間に合うはずがない。今の彼は誰も追いつけない。
彼女以外は追いつけない、だから。
『────笑いなさい、ロイ』
本当にその言葉を自分の耳が拾ったのか分からない。
でも視界の隅、周囲の友人たちが何か叫びながら身を乗り出している中で。
ただ一人深く椅子に腰かけたまま、じっとこちらを見つめる少女が。
そう呟いた気がした。
(……あ)
脳髄の奥がスパークした。
自分の願いなんて知っている。力の濁流に塗りつぶされそうになっても、けれど、些細なきっかけで思い出せる。それは何にも汚されない強い光を放っているから。
だからこそ、それを裏切ってはいけない。
ロイ・ミリオンアークは、あの日の少年と少女を裏切ってはいけないのだ。
突然、世界が晴れた。
視界すべての解像度が上がった。風の一つ一つを肌が感じ取った。生まれ変わったような心地がした。
それはロイが無自覚のうちに、『七聖使』の二重覚醒に伴う破壊衝動を、強引にねじ伏せた証拠だった。
刹那────ゴン!! と強い音が響き渡る。
斬撃をキャンセルしたロイが、至近距離でクライスに頭突きを見舞った音だった。
たたらを踏んで後ずさったクライスが、信じられないものを見る目でロイを見る。何故自分が生きているのか分からなかった。
「ほう?」
「え……」
アーサーとユイが声を漏らして、動きを止めた。
ユートとジークフリートも目を見開き硬直する。
ただ一人、宵髪赤目の少女だけが、それでこそだと微笑んでいた。
「はははっ」
致命打となるはずだった攻撃を止めて、ロイは笑う。
「そう、だ……おれが、欲しかったもの……」
あの日ロイは、誰が相手でも勝てるような暴力を欲したわけではない。
視線の先にいるのは、ただ一人だけだった。
彼女が夢想する宇宙に、自分も届きたいと思ったのだ。
「こんな力じゃない。おれが欲しかったのは、欲しいのは。手に入れなきゃならないのは!」
キッとまなざしを鋭くして。
ロイは自分の根源の願いを口にする。
「それは翼だ! あの宇宙へ向かうための、翼なんだ!」
──変化は劇的だった。
ロイの身体から無作為に放出されていたおぞましい稲妻がピタリと静止する。
代わりにバチバチと、身体の表面にごくわずかな雷撃が姿を現した。
規模こそ縮小したが、密度が、安定感が違う。
誰が見ても分かった。
さっきまでの彼の方が、多分、より多くの相手を殺せる。
けれど。
今のロイ・ミリオンアークの方が──ずっと、ずっと強い!
「……ッ!」
「失礼、お見苦しいところを。試合を続けてもいいでしょうか?」
ロイは『天空』の力を引き出し、暴走状態に陥り、そして自ら暴走を振り切って、自分に制御できる範囲の出力に狭める形での運用を構築・開始した。
その間、僅かに十数秒ほどの出来事である。
「……ははっ。自分で勝手に変わったと思ったら、半分ぐらい元に戻って、続けようって……勝手やな。あんまモテへんやろ」
「貴方よりは多分モテています、意味があるとは思いませんが」
「あったまきた!」
軽口を叩きながら、クライスは左腕に新たな焔を纏わせて踏み込む。砕けた得物を雷撃で補填したロイが迎え撃つ。
両者の腕が振るわれるたびに激突の火花が散った。攻防が音を超えた速度で繰り広げられる。
そしてその攻防は、時間が一秒経過するごとに、爆発的に加速していく。
(ヌルいお坊ちゃまじゃあないってのは知っとった! せやけどそれでも認識が甘かった……! センスだけやない、積み上げられた技術と勝負どころの度胸を持っとる、とんでもない強敵や……!)
(軽薄でヘラヘラ笑っていて、けれど誰よりも戦いに真摯に向き合っているのが分かる! そうでなければここまでの技量は得られない……!)
完全な制御には至らずとも。
莫大な出力を、今のロイは自分の手足のように動かしていた。
故に試合の趨勢は──完全な互角。呪いから解かれたことで準禁呪保有者の位階に相当するクライスと、『七聖使』の権能を部分的に引き出して操るロイ。
(久しぶりに全力で、自分が思い描いたとおりに動ける。こんなに嬉しいことはないんやけど──だから、気持ちよく勝たせてくれんかなあ! ロイ・ミリオンアーク、いい加減にしてくれやッ!!)
(ああクソッ、こんなところで負けるわけにはいかない。マリアンヌが見てる前なんだぞ!? だというのに、なんて嫌な──目障りな存在なんだ、クライス・ドルモンド……ッ!!)
相対し、激突するのは、マリアンヌのおかげで人生が始まった男と、マリアンヌのせいで人生が狂った男。
男たちの戦いが、更なる激化の一途をたどっていく。
◇
「一時はどうなることかと思って……危なかったがそれが落ち着いて……でもその次はこれかよ……」
ロイの様子が落ち着いたのを見届けた後。
わたくしの隣の隣に座るユートが、頬を引きつらせながら、ドン引きした声を上げた。
「どうしたのですか?」
「いや、正気じゃねえだろあいつら……一秒未満の世界で戦いながら、なんで笑ってんだ……?」
まあ、そうだな。
あのスピードの戦いで笑うって、どうかしてるとしか思えないよな。
でも、とわたくしは隣のロビンをちらりと見た。
「悔しいですが。ロイが成長する上で、わたくしはかなり邪魔だったのかもしれません」
「あ?」
「ライバルですわよ、ライバル。ユイさんやユート、今はいませんがジークフリートさん……アナタがたはライバルと言うには、もう身内になってしまっています」
その言葉に、ロビンはなんとも言えない顔になる。
「心当たりがあるでしょう? アナタには」
「……うるせえよ。お前が言うな」
◇
激化する戦闘は観客のほとんどを置き去りにしていた。
ロイは既にクライスと同等以上の速度で動いている。
二人が身に纏う雷撃と焔が弾けるたびに大気が爆砕する。
(────決める!)
永遠に続くかと思われた攻防の最中。
突然ロイの身体を駆け巡る魔力が活性化し、クライスは驚愕と微かな歓喜を感じた。
「雷霆来たりて、邪悪を浄滅せん」
詠唱が始まった。間違いなく決め手になる。
ロイが振るう剣に、次々と展開される魔法陣が突き立っていく。妨害する暇がない。むしろ並行して詠唱できている向こうがおかしい。
「今こそ胎動の刻、比翼連理を広げて、軍神の加護ぞここに在り」
このタイミングで仕掛けてくるとは──という驚きが先行したが、遅れて納得がやって来た。
何故なら自分もいつ仕掛けるのかを悩んでいたからだ。戦闘スタイルからしてロイが先手を取ってくるのは自然だ。
クライスは笑みを深めながら彼我の間合いと角度を確認して、ごく自然にカードを切る。
「至高の神威を身に纏い、開闢の混沌を超克し、我はあの流星を撃ち墜とそう!」
ロイの両足が地面を噛みとめ、瞬息のうちに踏み出そうとする。
焔を纏いながらも、クライスの冷たい両眼は刹那を見逃さない。
「第一剣理・真化、展開」
その時──クライスが後退し、空中に飛び散っていたトンファーの木片が、炎を纏う。
マリアンヌとの戦いでも見せた、砕けた破片を空中機雷として扱う、クライスの決め技の一つ。さらに今回は左腕のトンファーをまるごと爆弾に変換した威力倍増型だ。
例えカードの内容を知られていたとしても問題はない。二人の間にある問題は、カードの質とタイミングなのだ。
(加速体勢入っとるよなァ!? もう減速は間に合わん、これで仕舞いや!)
クライスが両眼に勝利の確信を宿す。
◇
「勝負アリですわね。まったく、ガチンコでいくべきと言ったのは、アナタ自身ですのに……」
◇
判断と加速と証明は刹那のうちに行われた。
クライスからの意思伝達で、木片が空中機雷と化して連作爆発を起こす。
しかしそれをまったく無視して、ロイの一閃が、クライスの身体を捉えていた。
「超零電導/自在雷光・鎖閃斬断──!」
剣から伝達された雷撃が、内側から身体を焼き、クライスの思考を明滅させる。
(えっ)
直撃を受けながらも、彼は確かに、己が空中に撒いた機雷が爆炎を噴き上げているのを見た。
背後へと超高速、稲妻の速度で抜けていくロイは、制服にすら焼け焦げた跡がない。
(まさか、今、瞬間的に反応して、爆発するよりも速く機雷の中を駆け抜けたんか……!?)
(おれはいつも追いかける側だ。だけど、だからこそ! 彼女以外には、追いつかせないッ!)
衝撃になぎ倒されそうになるところで、クライスは最後の意地を振り絞って踏ん張り、耐える。
だがもうできることはない。体勢は崩されている。自分が足掻こうとも、勝敗がひっくり返すことはない。
歯を食いしばり、敗北の屈辱に身を焦がしながら、クライスは背後へ振り向き──それを見た。
「ぇ…………」
呆然とした声がこぼれた。
視線の先では、ロイが瞬時の判断で防御の構えを取ってこちらを睨んでいた。
(────あ)
その瞬間に、全てを理解した。
(そうや。体勢もクソもない、勝つためには、今攻撃するべきやった。何してんねん、今の一瞬に全部を賭けてれば、まだ、結果は……)
愕然とした。
明らかに、自分はもう勝負を諦めていた。勝利により近かったロイが最後まで気を抜かなかったのに。
「ははっ」
乾いた笑みがこぼれる。
右手のトンファから炎がかき消えた。
(なんや……俺なんかよりも、君の中の俺の方が、強かったっちゅうんか)
身体に力が入らない。
膝から崩れ落ち、そのままクライスはステージ上にあおむけに倒れ込んだ。
「そら、勝てんわ……」
諦観ではなく、納得がその言葉を呟かせた。
敗者として見上げる空の青さは、しみるほどに清々しかった。
◇
クライスの背が地面につくのと、試合終了を告げるブザーは同時だった。
『き──決まったァアアアアアアアアアアアアッ!! 優勝候補のドルモンド選手、準決勝で散る! 強い!! 中央校だから!? あの天才の婚約者だから!? 違う!! 全部違うッッ!! 揺るがない事実は一つだけ!! 彼は、ロイ・ミリオンアークは、ひたすらに強いッッ!!』
会場が爆発的な歓声に包まれる。
事態を理解するのに数秒かかった。
「……っ」
ロイは真っ先に観客席を見た。
そこに座る少女は──彼が最初にこちらを見ることなんてわかりきっていたので、即座に──苦笑しながら、ちゃんとアピールしろと促す。
全身が震えた。胸の奥底から熱い何かがせり上がって来た。暴発しないように一度だけ俯いて、それから、顔を上げる。
「おれ、の」
沸き立つ会場の中心で。
勝利者が、『強襲の貴公子』が拳を天高く突きあげて。
「おれの……ッ」
ロイ・ミリオンアークが、腹の底から叫ぶ。
「おれの、勝ちだァアアアアアアアアッ!!」
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