INTERMISSION43 デビルズ・ホリデイ
「ベル君! 次はあっち!」
「ちょっ、待った待った走んなって」
王都の大通りを、奇妙な二人組が闊歩していた。
片や子供用のブランド服を着た、オレンジ色の髪を躍らせて走る幼い少女。
片や鍛え上げられた巨躯に緑のタンクトップと迷彩柄のズボンだけ着た、刈り上げた金髪の大男。
少女に手を引かれる男の絵面は意外にもサマになっていた。
「ほら早く走って!」
「あのなあ、ぬいぐるみは逃げねえって」
「ぬいぐるみは逃げないけど人生におけるチャンスはすぐ逃げちゃうでしょ! 購買機会も同じ! 特にプレミア製品は時間の経過で値段をつり上げられることもあるから、コレクターとしてはちゃんと店頭で買わないとだめなの!」
「そ、そうか……」
よく分からない理論と言葉を並べられ、男は何も言い返せなくなった。
すれ違う人々は『恐らくいいところのお嬢さんと、その護衛だろう』と微笑ましい表情を向けてくる。
半分は正解だ。この少女ミュンは、ある高名な家系の末っ子である。
だがもう半分は誤りである。大男は決して護衛ではない。
「なんだってオレサマがこんな目に遭わなきゃいけねえんだよ、ったく」
男──ベルゼバブは頭をかきながらぼやいた。
悪魔とは、地獄の主であるルシファーが生み出した疑似的な上位存在である。
来るべき終末の勢力として。
あるいは、終末の向こう側の聖戦における手駒として。
『まあそのあたりを我が輩たちが理解する必要はない。我が輩たちは定められた在り方に拘泥するのではなく、別の生き方をしてもいい。創造主であるルシファーはそれを望んですらいる』
『押忍!』
全体の総数はルシファーだけが把握している。
広大な地獄に住処を持ち、そこで生活する者。
人間との契約によって裏側の世界──人間にとっての表側の世界──へと現れ、悪行を行う者。
その在り様は様々だ。ルシファーは一切の制限を設けず、配下、あるいは自分の子である悪魔たちに思うがままの行動をさせている。
『もしお前が人間界に召喚されたとして、好き勝手に暴れても良いということだ。しかし我らは術式による召喚ではどうしても本領を発揮できない』
『え、マジすか。え? 嫌なんスけど……』
『諦めろ』
そして悪魔には序列とは言わずとも、明確な力量差がある。
下級中級上級と暫定的に分けられるその階層は、上級悪魔は完全な顕現ならば人間の国家一つを一晩で焼き尽くせるだけの力を持っていた。
ベルゼバブはこの上級悪魔に当てはまる。
(……『強力な悪魔を呼び出す人間は限られる。強い情念を持ち、魔法に長けてなければならない』……だったっけ。それがまさか、こんなガキにすら当てはまるとはな)
ベルゼバブを精神体だけでなく実体として召喚できたあたりに、才能が如実に表れている。
とはいえ流石に子供相手の契約とあって、ベルゼバブの権能は大幅に制限されていた。
自力で限界を解除したところで、精鋭騎士に勝てるかどうかといったところだ。地獄での自分との落差に愕然としたのは召喚された直後、一週間前の話。
今は契約を履行する中で、なんとか順次力を取り戻している段階だった。
「あーあ。アモン先輩も結構長いことこっちにいるらしいけどよ……気持ち、分かっちまうなあ」
子供部屋に呼び出され己の不幸を呪った。
ロクな力も振るえない自分に何を望むのかとヤケになりながら聞けば、召喚者であったミュンはか細い声で言った。
『────わたしの、遊び相手になって』
再三の確認。
上級悪魔は、完全な状態であれば国一つを焼き尽くすだけの力を持つ。
それを呼び出して遊び相手とは。
(……ま、部屋にあるものだけで召喚術式組んじまうんだからな。いわゆる天才ってやつなんだろ、このガキは)
ならば上級悪魔が呼び出されたことにも納得がいく。
もし十年程度たってからの召喚なら、ミュンは完全な状態の自分を召喚することに成功していたかもしれない。
たらればの仮定をするのがベルゼバブは苦手だった。
「ベル君! ちゃんと持っててよね!」
「はいはい」
両手いっぱいの買い物袋を抱え直し、ベルゼバブは通りを見渡した。
業火に包まれた地獄にはないものばかりだ。単純な利便性が違うし、満たせない欲求を満たすことができる。
「じゃあ次は第二区画まで行くから、ちょっと休憩ね!」
「そりゃ助かるね」
末っ子ではあっても、彼女は貴族の子供だ。
それが自分だけを引き連れて往来を闊歩するなど、ベルゼバブでも不用心だと分かる。
(まだこいつの両親の顔も見れてねえからな。つーかほかの人間が屋敷にいねえ)
人間社会には疎いものの、彼の認識ではむしろ人類は群れることで真価を発揮する生き物だ。
だというのに、ミュンが住む屋敷に他の人間は見当たらない。
「……フン」
調べる必要のないものを調べようとしているな、とベルゼバブは自嘲する。
外に出たのは、書物などを読んでミュンの家がどんな立場なのかを調べるためだ。
だがミュンは自分も連れて行けといい、仕方なくベルゼバブは厳重にロックされていた扉を破り、彼女を連れて外に出た。
「なあ、ミュン」
「何よ?」
次の目的地へ向かう道すがら、ふとベルゼバブは問う。
「おまえんち……なんだっけ。ハートセチュアだっけ。パパさんママさんは来ねえのか?」
「……っ」
いつかは聞かれると思っていたのだろう。
ミュンは虚をつかれたというよりは、時が来てしまった、という硬い表情になった。
「飯も定期的に届く、届くっつーかあれ材料がコソコソと裏口に置かれてる感じだが。面倒見てくれる人はいるんだろうな。だが顔を出さねえのは、理由が分かんねーんだよ」
「……そう、だね」
「…………まあ。知らなくていいことだと、思うけどよ」
いざ切り出してみてから、芳しくない反応にベルゼバブが後悔し始めたときだった。
「……ッ!?」
道を歩いていた二人のそばに馬車が停まった。同時、前方を歩いていた男たちが立ち止まる。
ガバリと振り向けば後方もまた三人組に塞がれていた。
(囲まれた!? こんな市街地でか!?)
ベルゼバブの背中を冷たい感覚が駆け抜けた。
地獄で、先輩と慕っていたアモンに頼み込み尋常な立ち会いの場を設けてもらい──初撃が交錯した瞬間に感じた、濃密な死の気配。
(やっ、ばい……! 何だこの感覚!? 人間がオレサマをビビらせてるってのか!?)
こちらを囲む全員が、よく見ればそのローブに家紋を刻んでいる。不思議なことにそれは、全員が一つの部隊だと意識しなければ、まったく気づけなかった。
その家紋をベルゼバブは知っている。ミュンの方がもっと知っている。
「──本家の方々、ですよね」
「その通り。ハートセチュアの機密情報部ってとこです」
「猟犬部隊……!」
ハートセチュアの機密部隊が、武器をこちらに向ける。
「分家になりすますのは良いアイデアでしたが。多分リンディ様の発案だろうなー……書類とかもどっから役所に手を回したんだか完璧に偽造されてましてね。さすがの才女ぶりで、手を焼かされますわ。だがこっちも仕事だ。戻ってきてもらえますかね」
(狙いはミュンか……!)
ベルゼバブは逡巡し、まずミュンの様子を確認した。
怯えていた。状況にではない。眼前の相手にだ。
(ぐっ……分かる。悪魔のオレサマですら分かっちまう、こいつらはマトモじゃない! 小さな子を怯えさせて連れ戻すって、おかしいだろうが……!)
静かに右手を伸ばした。
ハッとした表情になり、ミュンが彼の横顔を見上げる。
「ベル君……」
「必要なら。取れ……今のオレサマがどこまでやれるかは分からねえけどよ。ただ、助けを求めるのなら、『手を取る代わりに最大限の働きをする』」
「っ!」
数秒の躊躇を挟んでから、ミュンは確かに、ベルゼバブの右手を取った。
契約がここに完了する。
願われたからには応えなければならない。
「舌噛むなよ!」
「きゃぁっ!?」
ぐいと引き寄せてから、ミュンの小さな身体を抱き上げ、ベルゼバブは唯一残された路地裏のルートへと飛び込む。
当然待ち構えられていた。潜んでいた機密情報部隊の2名が捕縛用ワイヤーアンカーの矛先を向けてくる。
「邪魔だ!」
制限がかかっていようとも、存在のあり方が違う。
無詠唱にもかかわらず腕の一振りで、人間二人を天高くに吹き飛ばした。
驚異的な脚力で地面を蹴り上げ跳躍。ビルを二つ三つと飛び越え、薄暗い路地裏に着地。
走り出してから後ろを見ると、ローブの男が一人、腕を伸ばせば届きそうな距離にぴったり張り付いている。
「んな……ッ!?」
「身体強化をもうかけてたのかい? さすがに用心深いなあ」
フードが外れ、赤茶色の髪を撫でつけた若い男の顔があらわになっている。間違いなくエースだ。制限されているとはいえ、上級悪魔であるベルゼバブが振り切れていない。
その背後にやや遅れながらも他のメンバーが続く。
「ミュン様が個人的に雇ったのかな? いい腕だけど、相手が悪い。金が目的なら倍額出すから諦めてくれないかな」
「うっせーよ! オレサマは二重契約は結ばねえ主義だ!」
走りながら、ビルの壁面を伝っていたパイプを引きちぎり投げつける。男はこともなげにそれを木っ端みじんに砕き、追走の手を緩めない。
(代償が手をつなぐことじゃ何にもならねえな! 当たり前か!)
悪魔の用いる契約術式は、代償が大きければ大きいほど悪魔に対して加護をもたらす。
例えばアモンのケースのように自分の身体を差し出せば、その個人存在に相当する力を引き出せる。
例えばマリアンヌのケースのように将来的な破滅を約束すれば、それに付随する影響すべてを包括する規模での力を引き出せる。
現状のベルゼバブの契約では、小指の爪ほどの力も引き出せない。
(クソッ……駄目だ、追いつかれる!)
抱えた少女一人守り切ることができない。
こんな無様を晒すとは、とベルゼバブは自嘲した。
「ミュン。ワリイけど……逃げ切れるか?」
「えっ?」
「誘いしは影の中、触れれば裂ける刃の花」
「……ッ!」
ベルゼバブがたった二節の詠唱を完了させると同時。
二人分の影が膨れ上がり、彼女の身体をすっぽりと覆った。それはベルゼバブの影の中に引きこまれていく。
「何だ──聞いたことのない詠唱だな。影の中に対象を引きずり込む攻撃魔法をミュン様の保護に転用した? 器用なことするね」
聞いたことがないのは当然だろう。
これは悪魔が用いる、人類の属性分類に縛られない、いわば悪魔属性の魔法だ。
「ッシ!」
両手をフリーにしたベルゼバブが、影の中から双剣を引き抜いて戦闘態勢に入る。
それを見て秘密部隊の面々も、身に纏う特殊魔導器の出力を意思伝達で調整した。
「どうしますか」
「殺傷した場合、ミュン様の身柄を確保できるか分かんないな。生け捕りにするしかなさそうだけど、できる? 多分彼、みんなよりは強いよ」
「了解です。隊長の援護に徹します」
「助かる。帰りにご飯奢るよ」
統率のとれた動きで、他のメンバーたちが左右に散りベルゼバブを取り囲む。
「じゃあ、やろっか」
「……ッ!」
踏み込みを目で追えなかった。
赤茶色の髪の男が気づけば眼前にいて、短刀を突きこんでくる。双剣をクロスさせてそれを受け止める。火花が散り、両者は至近距離でにらみ合った。
王都メインストリートに面したメイド喫茶。
「はい、では愛情たっぷり注がせていただきますわね」
「まったく……好きにしたまえ」
「いえいえ、ご主人様と一緒に唱えることで、すっごくおいしくなる呪文なんですわよ!」
「……ッ。我が輩を辱めるために、わざわざ招待状を送りつけてきたのか? そもそも悪魔に飲食は不要だと言っただろう」
「そう言わずに」
繁盛している店内の片隅には今、ぼさぼさの黒髪を伸ばしっぱなしにした陰気な男と、ミニスカメイド服の令嬢がいた。
男は手に持った論文集を読みながら、メイドの言葉に仕方なく頷いている。
「それではご一緒に唱えましょう! まーぜまーぜですわよ」
「はあ……まったく。人間の文化は分からんものばかりだ」
「ではご一緒に! まーぜまーぜ」
「…………ま、まーぜまーぜ……」
「緊張してます? こういうのは初めてですか? 経験はどれくらい?」
「質問がおかしくないか?」
「失礼。まーぜまーぜ」
「ま……まーぜ……ぐぅ……まーぜまーぜ……」
「まーぜまーぜ。まーぜまーぜ。まーぜまーぜ」
【星を纏い、天を焦がし、地に満ちよ】
「詠唱が洩れている!!」
男性客はメイドの凶行に絶叫した。
「では続きまして、オムライスにケチャップでお絵かきさせていただきますわね。ハートマークなどのご希望はありますか?」
「……好きにしたまえ」
「かしこまりましたわ、ご主人様!」
黒髪のメイドはにこやかにオムライスの上でケチャップを躍らせる。
できましたわ! とメイドが胸を張り、男性客は面倒くさそうに論文からオムライスへ視線を移動させる。
【ごしゅじんさまだあいすき! あのだいあくまをなんとかしろ】
「神聖言語で書かれているんだが!?」
男性客は再び絶叫した。
黒髪メイドは首を傾げ、それからあっと口元を覆う。
「あら、あら……申し訳ありませんご主人様。このような文字……アナタが理解できるとも知らずに……!」
「…………ッ!? 謀ったな!? 悪魔に神聖言語が読めるかのテストをしただろう今!」
「いいえそんなことは決して」
「しらばっくれても──あ……ッ!? あ……! そう、か、さっきの重複詠唱も感知性能の計測か……!」
「チッ、流石に気づきますか」
何か壮大な心理戦を繰り広げている二人組だった。
しかしその時、店内に一人の少女が駆け込んでくる。
客やメイドたちが何事かと少女を見やる。
「……ッ」
少女──ミュンは店内を見渡し、一組の男女に視線を向けた。
彼女の優れた直感が告げていた。この二人だ。この二人が、今この場で最も頼れる人間だ。
「すっ、すみません!」
男女の間に飛び出し、呼吸する時間も惜しみながらミュンは叫ぶ。
「お願い……ベル君を助けて……!」
その悲痛な声を聞いて、男女は顔を見合わせた。
「……わたくしとご主人様、どちらが引き寄せたと思います?」
「間違いなく我が輩ではないぞ」
「ですわよねー。9番入りますわ」
「てんちょー9番入りまーす……え? いやマジで? ここ詰め所兼ねてんの? えっ?」
頬を冷たい汗が伝う。
都市部から引き離し、再開発地帯にまで陽動できたのは良かった。
(こいつら……ッ! いや、ザコ共は大したことねえ。だけどリーダーの野郎が別格だ!)
双剣の輝きは失われていない。
だがじりじりと押されている。
「意外だったよ」
「ああ!?」
剣戟の最中に、赤茶色の髪の男は、余裕の表情で口を開く。
「ミュン様を人質に取られたら手出しできなくなっちゃうから、そこの対応がネックだった……思いつかなかったかな?」
「はあ!? ──あ、そうかそうすりゃよかったのか! クソ、全然思いつかなかった……! テメェやるな、オレサマより悪魔じみた発想だぜそれ!」
「………………ああ、はいはい、そーだね」
幾度も切り結びながら、絶妙なタイミングで飛んでくる援護砲撃を捌いていく。
外見や口調からは想像しがたいが、ベルゼバブはパワーによる強引な押し切りではなく術技による圧倒を得意とする。
合間に詠唱を挟みつつ、剣戟に淀みはない。
「意外と実戦慣れしてるじゃないか、どうやってミュン様と知り合ったのかな」
「部屋に生えたのさ!」
「冗談が下手だね。笑えもしない」
「悪かったなあ、生憎最近本を読み始めたんだ……!」
このままではまずい。
ミュンを保護する振りをして、建物の陰に紛れ込ませてなんとか追っ手とは引きはがした。
屋敷を一つ丸ごと用意されていたぐらいだ、他にもきっと隠れ家があるだろう。
(あいつは賢い。オレサマの方がつえーけど頭はあいつの方が遥かに出来がいいんだ。だから大丈夫……! 死ぬほどムカつくけど、制限されたオレサマにできることは、時間を稼ぐことだけ……ッ!)
両眼に決意の光を宿らせ、ベルゼバブが男の身体を弾き飛ばす。
間合いが開き、互いに仕切り直しを理解した。
(召喚されたオレサマがやられたところで、本体は死なない……! こいつらに対抗神聖権能はない! この身体を捨てちまってもいいんだ!)
キッと相手を見据え、ベルゼバブが双剣に魔力を通す。
赤茶色の髪の男は、短刀だけでなく脚部プレートアーマーからも魔力光を放ち始める。
激突までは数秒もない。
(……ハッ。なんだよ、このオレサマが、気づけば随分と入れ込んでたんだな)
世界がスローモーションになる。
限られた世界に閉じ込められた少女に、気づけば情が移っていた。
ああそうだ。分かっている。あれはかつての自分だった。弱くて、強い存在の言いなりになるしかなくて、それが嫌でずっと腕を磨いてきた。自分の意思で、尊敬できる相手に頭を下げるのは苦ではなかった。忌まわしい過去を振り切るために、高みを目指していた。
(なんで、なのか。道端に転がってるゴミに戻るのは嫌だから、だと思ってた。ああクソ──オレサマは、オレサマのために強くなるんだって思ってたのに……)
両者同時に、踏み込んで。
「────そこまでですわ」
天から声が降り注いだ。
一同、ガバリと空を見上げた。なんの変哲もない青空だ。
声はもっと低いところにある。直ぐ側に建っていた雑居ビルの屋上だ。
そこに、ミニスカメイドが立っていた。
「……ッ!? 嘘だろ、なんで君がこのタイミングで……!?」
ここまで一切の動揺を見せていなかったリーダーが、初めて狼狽を見せた。
同時、機密部隊の手元の得物が一斉に弾け飛ぶ。
「どうにもわたくしとは関係のないところで陰謀が回っているようですが。それをまったく関係のない第三者に砕かれる気分はどうです?」
不敵に微笑むことすらせず、彼女は絶対零度の表情で天を指さす。
「目には目を、歯には歯を、悪には悪役令嬢を。喜びなさい。アナタたちのような三下が、悪の極点と相見える栄誉を得たのです」
なんの変哲もない青空──いいや違う。煌めきがある。
昼の青空には似つかわしくない輝きが、空を埋め尽くしている!
「降り注ぐは破壊の雨! 陸を裂き、海を断つ裁きの極光! 立ち向かえるのは選ばれた善なる者のみ! 聞きなさい、強靭な悪でなき者たちよ。アナタの居場所はこの世界にはない!」
きらめき全てが、こちらに狙いを定める砲口。
それを理解して男たちは青ざめる。
しかしどういうことか、助けられた青年の方が驚愕と恐怖は強かった。
「んだ、そりゃ……!? ルシファー様の波動が、なんで人間から……ッ!?」
一歩でも動けば撃つと、少女の赤い瞳が告げていた。
身動きが取れなくなる男たちの中で、リーダー格の男が静かに唇を開く。
「──撤退するよ」
「隊長、しかし」
「上には俺から言っておくさ。ここでやり合ってみなさい、骨折り損だよ。悪いけどご飯奢るのはナシ……ああいや。慰労会はやろっか」
それだけ言って、彼は少女を見上げた。
逆光を背に爛々と輝く真紅眼に、へにゃと笑いかける。
「ということで。見逃してくれないかなあ」
「ふうん。そちらが退くのなら、追いはしませんが……これ、リンディには言わない方が?」
「……あんまり、言ってほしくはないんだけど」
「かしこまりました。言います」
「容赦ないね君」
肩を落としてから、男は部下たちに合図を出し、その場から一目散に撤退していった。
驚くべきスピードでの撤収。元より追っても意味がないだろうに、と少女は嘆息する。
「さて。片付きましたけれど……なんでさっきからずっと固まってますの? 先生」
「……思わぬ再会でな」
「で、なんだったのです? あの、チェンソーマンをチェマと略してそうな三下たちは」
「え……人間のけなし方分かんねえ……です」
背負って運んできた幼女を地面に下し、わたくしは見本的なチンピラ外見の男を見やる。
なんかこう、凶暴な面の割にはものすごい勢いで恐縮している。
隣に立ってる先生のせいかな。
「来る途中に聞きましたが、彼がベルゼバブで間違いないのですね?」
「そうだよ。ベルゼバブでベル君」
背中に背負っていた幼女が元気よく返事をした。
わたくしは関係者であろうアモン先生を睨む。やっぱりお前が引き寄せてたんじゃねえか。
「そう睨むな。我が輩とてこれは想定外だ……悪魔同士が現世で、実体を得た状態でバッティングするなど普通は考えられん」
「序列とかありますの? えーと72柱いるとしたら……あんまり序列覚えてないのですが……アモンは確か相当に上の方でしたわね? あれ? ていうかベルゼバブって72柱とは別枠でしたっけ……?」
「ない。基本的にはルシファーをワントップに置いた、箒型の指揮関係だ。とはいえ奴は、我が輩たちを進んでコントロールの外に置きたがっている節があるがな」
「ああ、すっごく分かりますわ……」
序列差があんのかなと質問すれば、ないと言われた。
じゃあなんでこいつはこんなにキョドってんだ……と訝しんでいると、男はハッとアモン先生を見た。
「アモン先輩! お久しぶりっス!」
「めちゃくちゃ序列あるじゃないですか!?」
すげえ綺麗に90度のお辞儀を繰り出してるぞ。超体育会系じゃんか。
普通にその辺の人間より礼儀できてるってこれ。
「いや……そいつが特殊と言うか……そいつは向上心の強い悪魔で、自分より強い者にはへりくだって教えを乞うんだ」
「向上心の強い悪魔??」
向上心のない悪魔は天使だったりすんのかな。
「にしてもアモン先輩、そちらの方から、すっげえ濃いルシファー様の気配を感じるんスけど……これは……?」
恐る恐る顔を上げてこちらを見るベルゼバブの言葉を聞いて、得心がいった。
そういや先生も見た瞬間に分かったって言ってたな。基本的に悪魔の軍勢とルシファーはつながりが密接だから、因子を直接感知できるってことだろう。
「……奴が直接因子を打ち込んだ。人間相手では、有史以来初だな」
「ヒョェッ」
ベルゼバブは奇妙な声を上げ呼吸を詰まらせる。
「つーことはルシファー様の将来の奥さんってことスね……! お初にお目にかかります、姐さんッ!」
「なんて??」
マジであり得ない発言が飛んできて、流石のわたくしも絶句した。
〇木の根 おい……これ……
〇日本代表 上級悪魔のベルゼバブですね……
〇外から来ました ちょっと待って!?原作だと4つぐらいのルートで主人公パーティ皆殺しにした中ボスのくせに強すぎる激ウザキャラがなんで頭下げてんの???
どうも強キャラっぽいが完全に舎弟の姿勢を取っている。
「すみませんこんなザマで……! 見た感じアモン先輩は人間の身体を使ってて、全権能を封印してるのに隣にいるってことは、やっぱそれでも強いってことスよね……! たかが権能制限だけでこんな恥を晒しちまってマジごめんなさいッ!」
「……ッ!? アナタ……悪魔としての権能をすべて封印して、人間としての力だけでここまで!? 魔法の技術は全部後天的ということですか!? 王立魔法学園の教師にその制限付きで上り詰めたと!?」
さすがに聞き逃せない言葉が連続して、アモン先生を見る。
彼はさっと顔を背けた。
「や、オレサマが驚いてたのは人間の身体を使ってるとこだけスよ。元々先輩は研究者でしたし、人間界に行ったならそりゃ人間の魔法を研究するでしょうよ。で、先輩はチョーすごいんで、チョーすごい仕事してても不思議じゃないッス!」
「だとしてもですわよ!? ていうか人間の身体を使ってるって……ああ、ルシファーと話してるときにそんなことを言ってましたわね」
どうやらこの人はこの人で、相当な縛りを自分に課しているようだ。それにもかかわらずあの魔法の精度とは恐れ入る。
恩師のすさまじさにちょっと言葉を失っていると、幼女がわたくしの元を離れ、ベルゼバブに駆け寄り、彼の身体をぽかぽか叩き始める。
「ベル君のバカー!」
「あー……ワリ、心配させちまったな」
「判断能力が遅い! 戦力差の分析が稚拙! 障害物の使い方も下手くそ! 本当に負けちゃうかと思ったんだからね……!」
「ダメ出しが的確すぎてつれえわ」
なんかコンビとして売れそうだな。具体的にはTwitter男女漫画で。
「これで買い食いを嗜めるような光景があれば完璧ですわね。まあ、悪魔は飲食不要らしいので叶わぬ夢ですが」
「え? 完璧ってよく分かんなかったスけど……そりゃ悪魔だってうまいもん食いてーんスよ姐さん。アモン先輩なんて人の身体使ってるんだからなおさらでしょうよ」
「アモン先生?」
「…………」
先生は再び尋常じゃないスピードでわたくしから顔を背けた。
飲食不要ってマジ何言ってたんだ? もう完全に大嘘じゃん。ただ倹約して金貯め込んでるだけじゃんこの人。
マジ何やってんだ……あ。
「────自罰感情ですか?」
「違う!!」
聞いたことのない怒鳴り声に、ビクンと肩が跳ねた。
声を発してから、ハッとアモン先生はばつの悪そうな顔になる。
「すまない。律しきれなかった……」
「……いえ」
び、びっくりした。
でもあんまり触れない方がよさそうな話だなこれ。
なんだか夏休みに入ってから、加速度的に面倒事のレンジが広がってるなあと思い、わたくしは嘆息するのだった。
「アナタは屋敷に戻りますの?」
「ううん、お姉さまから、予備の隠れ家は前もって教えられてたから、そっちに行きます」
「そうですか……お姉さまと言うのは……いえ」
何事かの会話をしている二人を眺めながら、二体の悪魔は肩を並べ、互いの目を見ないまま口を開く。
「……アモン先輩は……オレサマ達とはもう、別勢力ってことでいいんスかね。あ、や、全然戦おうとは思わないッス。別にどうするのかは自由ってルシファー様も言ってたし」
「…………ああ」
淡白な返事。今に始まったことではない。
「けど、選ばれたってことは……姐さんは終末を生きて越えられる、ってことスよね」
「そうなるな」
「……あのガキは、無理ッスよね」
「……我が輩たちに選別権はない。ルシファーがピースラウンド嬢に因子を打ち込んだのは特例中の特例だ。二人目はまずない」
いっそ冷たいと言えるほどの断言。だがその冷たさは、先達から後輩への思いやりの裏返しだった。深入りするなよ、というアドバイスなのだ。
しかし手遅れだ。
「…………いろいろ……考えなきゃ、いけないから……だからルシファー様って、オレサマ達に好きにさせてるのかな、って思いました。オレサマ、正直頭の出来はあんまりだから、向いてなくて困っちゃうんスけどね」
「まあ……ほどほどに考えろ」
そスね、とベルゼバブは頷く。
視線の先では、気丈に振る舞うミュンを、マリアンヌが微笑みながら励ましている。
「アモン先輩は、どう思うんスか。ルシファー様、終末の後に勝てると思いますか」
「分からん。だが……」
アモンは言葉を切り、幼女と戯れるマリアンヌから、視線を空に上げた。
果てなき青空だった。無限の可能性を秘めた世界が、どこまでも広がっている証左だった。
「勝手な妄想だ……我が輩らしくもない……」
「?」
「ルシファーとピースラウンド嬢が、仮ではなく真に手を組めば……もしや、と思っている」
「そ、そんなにすごいんスか姐さん」
「一度ルシファーと合体して力を引き出し、使いこなし、オーバーロード状態の七聖使を正面から撃滅した」
「エッチなことしたんスか!?」
「そういう意味の合体じゃない!!」
「いやでも、どう考えてもそういう言葉スよ!?」
「だから違うと……ハッ!?」
そこでアモンは気づいた。
見ればマリアンヌはゴミを見る目でこちらを見ながら、ミュンの耳をふさいでいる。
「ちっ、違っ……ピースラウンド嬢、誤解するな! 我が輩は決して下賤な話はしていない!」
「そうッスよ! オレサマとアモン先輩は真剣に姐さんの性交渉の経験について話してました!」
「この馬鹿!! 黙っていろ!!」
「アモン先生……その……一応教師と生徒なので……そういうことは……その……わたくしの聞こえないところで……」
「やめっ……やめろ、やめてくれ。その純粋に引いてる顔で目を背けないでくれ。違うんだ。違う、違うんだ────!!」
陰気な外見からは想像もできない悲痛な叫びが、澄み渡る青空に響き渡った。
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