INTERMISSION41 ギフテッド
かったり~~~~~。
「マリアンヌ、顔にかったるいって書いてあるよ」
「あらら? ごめんあそばせ、わたくしそんなこと思っておりませんことよオホホ」
「発言の全てが嘘過ぎる……」
ロンデンビア王国から解放され数日後。
心身ともに快調のわたくしは、夏休みをいいことに裏カジノを潰したりとかとか他校の訓練を見学して『へえ……やるじゃありませんか。決勝に来るのはここですわね』って強敵ロールしたりとかしようと思っていたのだが。
「貴重な機会、って言っても別に君には関係ないか」
わが婚約者ロイは、普段の王子様然としたマントを脱いで、汚れてもいい作業着姿で隣に座っている。
わたくしがロンデンビアの留置所で暇を持て余していたところ、彼とユイさんがいの一番に駆けつけてきたのは記憶に新しい。
「ミリオンアーク家は本当に広く影響力をもっているのですね」
「父さんが文化面の発展に尽力してるからね。貴族はただ椅子に座ってるだけが仕事じゃない、ってよく言われるよ」
ここは王国を代表する、伝統的な工芸職人の方の工房だ。
幼馴染でしかなかった頃はただ友達として、今は将来の結婚相手として、こうしてミリオンアーク家の定期的なレッスンに付き合わされることがある。
今回はいわゆる陶芸だ。
【こちらの世界にも人間国宝の概念があるとは……】
〇第三の性別 第一王子が仕組みを作ったんじゃなかったっけな。文化の保護とかは大体あいつがやってるはず
〇火星 サイゴンの陶器懐かしいな。サブクエの報酬でもらえるから一定数獲得して売り払うっていう金策が効率的だった
職人スゲー系の話なのに金策に使うなよ。
コメント欄に出てきたサイゴンというのは、この工房の持ち主であり、人間国宝に指定された超有名な職人さんのことだ。
なんか別件で出払っていたらしく、今はサイゴンさんの一番弟子の方が、わたくしたちの陶芸を指導してくれている。
「ピースラウンドさんは、確か陶芸は初めてだったでしょうか」
「え、ええ。なかなか大変ですわねこれ」
作業の手を止めて周囲をきょろきょろ見回していると、作務衣姿の一番弟子さんが声をかけてくれた。
「棚に並んでいる作品は、そのサイゴン先生の?」
「ええ。意外かもしれませんがあの人は多作なんです。先日も新作をオークションにかけて、売値を全額寄付しましたからね。そのうえで僕らに給料を払っている、すごい人ですよ」
「へぇ……」
言われてみれば、この工房は確かに職人のためのものって感じがするが、ここに来る途中で工場を横切った。
ブランドネームをつけた量産品で稼ぎを得ているのだろう。抜け目のないことだな。
「もちろんミリオンアーク様のご支援あってこそなのは前提ですがね」
一番弟子の人はそう言って視線を横に滑らせた。
わたくしの左隣では、ロイが真剣な表情で粘土をこねくり回していた。
形は丁寧につくられている。こいつ、このゲームやりこんでるな。
そしてその奥。わたくしからロイを挟んだ席。
ロイの父親にしてミリオンアーク家現当主、ダン・ミリオンアークの、シャツを袖まくりして頬に汚れをつけながら陶芸に勤しんでいる姿が、そこにあった。
「……む。集中を切らしてしまったか」
ダンさんがわたくしの視線に気づき顔を上げた。
手元を見られた。わたくしが作っているのはどんぶりである。割と形にはなってきているのだ。
「いえ、あと少しですわね」
「なるほど。筋がいいのかもしれんな」
「そういうダンさんはもう三作目ですか」
「流石に何度か通っているからな。息子や将来の娘に、精度はともかく手馴れ具合で負けるわけにはいかん」
〇無敵 言っちゃあなんだけど、意外だよな
〇日本代表 分かる。お嬢とダン、意外と普通に会話はできるよな
人のことなんだと思ってんだよ。
お父様と同世代ってことは、王国が最後にやったデカい戦争で最前線に出ていたってことだ。いうなれば先達である。婚約者の父親、つまり将来の義父であることを抜きにしてもぜんぜん尊敬できる。
まあ陰謀パートではわたくしを利用していたが……なんていうかこう……この人さ、なんか陰謀全然向いてない気配があるんだよなー。
「マクラーレンのやつも、芸術分野は意外とこなれていた。陶芸は私に速度こそ負けるが、良い作品を作っていたぞ」
「ああ……お父様も引っ張ってきたことがあるのですね……」
「ピースラウンドの血筋は傍から見ていると、魔法研究以外のすべてをそぎ落としているんじゃないかと不安になるからな。だがいざ触れてみれば卓越した才能を発揮することもある。あいつは特に絵が──」
そこでダンさんは言葉を切った。
何故か彼は苦々しい表情を浮かべていた。
「いや、なんでもない。続けよう」
「……はい」
ちなみに間に挟まっていたロイは作業の手を止めて、何故か恍惚とした表情で会話をずっと聞いていた。
こいつ多分脳内で将来の家庭環境的な妄想始めてるな……
焼き窯から出てきた陶器を最後に削り、仕上げた。
一作目が無事完成した。
焦げ茶色をベースに色を散らしたどんぶりである。こちらの世界で深い器はあまり見かけない。あったとしてスープ用のこじんまりとしたやつだ。
本当はラーメン用なんだが、まだ納得のいく麺を作れてないからな。当面はサラダボウルになってもらおうか。
「…………」
「ふんふんなるほどなるほど」
で、だ。
目の前に座ってるジジイ誰だよ。邪魔なんだけど。
「キレイだねえ」
「当たり前です」
「いや君じゃなくてこっちね」
「は??」
〇木の根 初動ディスコミュニケーションやめろ
〇つっきー 一応言っておくけどそれがサイゴン先生な
外行き用のカジュアルなスーツを着こなした、小柄なおじいさんだった。
わたくしは静かに背筋を伸ばす。
「失礼しました。お初にお目にかかりますわ。わたくしはマリアンヌ・ピースラウンド。こちらのロイ・ミリオンアークの婚約者として、本日はお邪魔しております」
「ああ、君が噂のね」
「サイゴン先生」
サイゴンさんが意味ありげにロイへ視線を飛ばした。
二作品ほどを仕上げた婚約者は、微かに頬を赤くして首を横に振った。
「ふふっ。どんなお嬢さんかと思っていたが、これは面白いね」
全員既に作品を仕上げていた。冷静に考えると肝心のサイゴン先生の指導を受けてないがこれでいいんだろうか。
先生はダンさん、ロイの作品を順に見た後に、わたくしのどんぶりを見て細く息を吐く。
「これは何か、イメージの元があったのかな」
「サッポロ一番味噌ラーメンを意識しました」
「なんて??」
バターを載っけたやつな。この黄色がバター。
白い模様はもやしである。
ロイとダンさんは首を傾げ、まーたおかしなことを言ってるよと嘆息する。
「……師匠。これは……」
「いい出来だね」
一番弟子の人はわたくしの作品を見て絶句していた。
ジジイはにこりともせずただ頷く。
誰か褒めてくんない? こちとら人生初挑戦なんだわ。よく器の形にできたと思うよほんと。
「ああ、ダンさんとロイ君は、いつも通りに着替えて下さって結構。ただ……マリアンヌちゃんだったかな。君は少し残ってもらっても?」
「え、居残り補習ですか」
「うん。少し気になるところがあってね」
「はーい……」
しぶしぶながらも、作業椅子に座りなおす。
それから周囲を見るとミリオンアーク親子がわかりやすく驚愕していた。
「え、居残りって……あの優しいサイゴン先生に……?」
「どれだけ出来が悪かったんだ……」
うるせえよ! 未経験だっつってんだろダボ!
サイゴンの下で一番弟子として研鑽を積んでいる青年は、視界が歪むほどの衝撃を受けていた。
工房の裏手で水を一口飲み、深く息を吐く。
(……恐ろしい才能だ)
彼とてたぐいまれなる才能を持ち、それを師に見いだされたエリートだ。
陶器を作る以外のすべてをそぎ落とした生活に身を置いて十年近く経っている。
だから分かってしまう。自分より遥かに優れた才能がある。
(形造りの段階で……ほとんど直感的に、完璧な手順を踏んでいた。彼女に説明しようとしたら、説明の十歩先を歩いていた。天性のものがあるとは、ああいうことなのか)
幼いころの自分は技術を見て盗んだ。
サイゴンは穏やかな師であったが、陶芸の根幹は決して言葉にしようとしない。そこを感じ取るべく必死に食らいつき、気づけば工房を一時的に任されてもいい弟子にまでなった。
立ち上がりそっと工房の中を覗き見れば、二作品目に取り掛かろうとするマリアンヌを、サイゴンが対面に座り込んで見守っていた。
「さっきのはよくできていたよ」
「ありがとうございます」
だろうな、と思った。妥当な評価だ。
サイゴンの工房という名義で出品したとして。隣に一番弟子の作品を並べたとして。
どちらの方が高い評価を集めるのか、考えたくない。それほどのレベルだった。
しかし。
「だけどあれじゃあ少し足りないね?」
(は?)
頭頂部からつま先までを稲妻が走った。
(足りない?あれで?)
一番弟子は愕然とした。
明らかに、人生初の作品でありながら、今の自分にも匹敵する作品を生み出していた。
だというのに師匠の意見は厳しい。それは一番弟子の努力の結晶をも否定するような錯覚を生んだ。
「……ええ。何かこう、足りませんわよね」
「!」
そしてあろうことか、マリアンヌ本人も認めた。
「テーマを決めてしまったから、でしょうか。作りながらこれ以上は広がらないなと思って切り上げました」
「君は不思議な生徒だね……まず心を開くのが、陶芸の第一歩なんだ。だけど君はもう、心を開きさえすれば、最後の光るものに手が届いてしまうだろう」
「……ふむ、なるほど」
「分かったかい?」
「いえ全然」
「えっ今の反応なんだったの? ま、まあそうだね。要するには一度、無心になってつくってみなさい」
「分かりました」
それきり静寂が下りた。
粘土の形を変える、本当に微かな音が続く。回転用のペダルの踏み込みは小気味よく、断続的だ。
間違っても初経験の手際ではない。
だが驚愕の本質はそこにはない。
(なんだそれは)
一番弟子が呻き声を押し殺せたのは奇跡だった。
普段はとぼけながらも、言葉を尽くして指導してくれる師匠が。
無言で、ただマリアンヌの手元を見つめている。
「あー、こうでしょうかね」
「うむ」
二作目が出来上がり、サイゴンはそれを眺め感嘆の息を漏らした。
「どんぶりは持ち帰っていい……こっちは、仕上げた後、私の部屋に飾ってもいいかな?」
「えっ、恥ずかしいのですが……」
「まあまあそう言わずに。何なら買い取るよ」
「さ、流石にそれは恐れ多いですわよ!? 分かりました、分かりました。差し上げますので」
ありがとう、と微笑んで、サイゴンはマリアンヌの陶器を焼き窯へと滑り込ませた。
「一ついいかね?」
「はい、なんでしょうか先生」
窯の火を調整しながら、サイゴンは背中越しにマリアンヌへ問うた。
「十年後、二十年後も、魔法使いを続けているかい?」
「…………」
「うん、やっぱり。短慮じゃなくて、多分、そういう人生設計に価値を見出してないんだろう?私も若い頃そうだった」
マリアンヌは居心地悪そうに周囲を見渡した。
婚約者たちに聞かれていないか心配なのだろう。
「君のような子は滅多にいない。特出した才能で、華々しいステージの中央に立っているのに……ロングスパンのキャリアをまるで考えない。囚われないと言っていい。何故なら君はもっと別のものを見ているのだろう」
「なんだか、過大評価されている気がしますわ」
「そんなことはない。私はおいぼれだが、まだ手元に狂いはない。何より私の目は、ここ最近になってやっと研ぎ澄まされてきたと思っている」
「……! アナタほどの人が、ですか」
少女は確かに驚いていたが、一番弟子のそれとは比べ物にならなかった。
遥かな高みにいると思っていた師匠。だが、最近になってやっと? 何を言っている?
「遠い未来でもいい。その時私が生きてるかは分からないが……魔法使いに飽きたら工房に来なさい」
明確なスカウト。
サイゴンが自分から弟子を取ったことはない。
完全に唯一無二の資質を見出したのだと、いやでもわかった。一番弟子は自分の視界がぐらりと揺らぐのを感じた。
「どうしてそこまで?」
「君の作品は人の人生を狂わせるほどの力を持っている。私が陶芸を続けているのは、金や名誉のためじゃない。誰かの人生を変えるためだ……君になら、と思うよ」
一番弟子はそれを聞いて、音もなく工房を離れた。
最後のフレーズは致命的だった。
(見てろ……!)
工房の一室、弟子としては破格の、割り当てられた個人作業室に勢いよく駆け込んだ。
(マリアンヌ・ピースラウンド……! 必ず超えてみせる……!)
のちに彼はサイゴンの元から独立し、陶芸家として名をはせることになる。
不思議なことに、ほとんど縁など想像できないのだが、彼の工房からは一定期間ごとにピースラウンド家へ新作が贈られることとなるのだが、それはまだ未来の話である。
陶芸体験教室を終えて、マリアンヌは工房を出てうんと伸びをした。
将来を踏まえて、ロイは少しサイゴンや弟子たちとあいさつをしている。ダンも付き添うかと思われたが、マリアンヌと共に先に外へ出ていた。
「本当に彼一人で良いのですか?」
「ピースラウンド家の方が、子供を実地に送り込むだろう。あいつはもう一人でこれぐらいできる」
「成程、確かに社交界などはもう数年ほどわたくしだけで参加していますね……」
「いや君よくサボってないか?」
「オホホ」
「ああ、ロイの言っていた通りか……」
「何がです? オホホって言ってるときは発言が全部嘘とかそういうのですよね? 絶対わたくしが嘘をつくときのフレーズとかまとめられてますわよね!?」
将来の親子としてはかなり砕けた会話だった。
苦笑するダンの前で地団太を踏み、それから彼女は嘆息して、切り出した。
「それで、ひとつ質問があります」
「何だい」
「お父様、絵が得意だったのですか?」
「……! 聞き逃していなかったか」
当然です、とマリアンヌは腕を組み鼻を鳴らす。
「聞いたことがありませんわ。家に絵なんて、適当に飾りで置いてただけなのに」
「だろうな。私がこういった文化事業として、私の父と共にやつを連れて行った時のことだ」
今でも目を閉じればすぐ思い出せる。
目元を隠すような鬱屈とした黒髪。
夜闇より深いそのヴェール越しに透ける真紅眼。
相対したものを圧倒的な力でねじ伏せる若き鬼神。
学友として近づこうとする人間はあまりいなかった。
彼は卓越しすぎていた。むしろ排斥される対象だった。
捨てられた教科書を探して裏手のごみ置き場にやって来た彼を、ダンは拾い上げ、すすを払った教科書片手に迎えた。
『君がマクラーレンか。俺はダン・ミリオンアークだ』
『……ぼくに何か用か』
『俺には分かるよ。君は将来、王国最強の魔法使いになる。今のうちに仲よくしようじゃないか』
『…………お前馬鹿か? ゴマをするのが下手すぎるだろう』
『頭を下げに来たんじゃない。俺は将来、王国の中枢に食い込むほど、政治面で最強になってみせる。分かるかい? 俺たちが手を組んでこの国を最強にするってわけだ!』
『…………お前……馬鹿なんだな……』
『な、なにおう!』
付き合いを深くしていくのには、マクラーレンの気質が障害だった。
だが気づけば隣にいることはできるようになった。
そうして、家がよく力を入れている様々な習い事に、彼も連れ出すようになった。
ある日のことだ。
王国でも有数の絵描きのアトリエに見学に行った。
そこで作業スペースを借り、二人で絵を描いた。
絵描きはダンの絵を、粗削りだが光るものがあると褒めた。
絵描きはマクラーレンの絵を見て、一切の表情を消した。
『人を破滅させる力がある絵だね』
言葉の意味は分からなかった。
だがその絵描きは数年間精力的に活動を行った後、突然引退し、貴族の子だけでなく貧しい子供たちも参加できる絵画教室の活動に傾倒した。
『彼のような人材がそういるとは思えない。海から一滴の水を探すようなものだ。しかし……彼はもう道を決めてしまっていた。あれから個人的に何度か連絡したんだよ。魔法を使って人を殺める以外にも、君には素晴らしい道がある。誰かの希望や、誰かの夢になれると。にべもなく断られてしまったがね』
それを聞いて、不思議とダンは嫉妬しなかった。
むしろ誇らしかった。自分の友人は決して、冷徹な戦闘マシーンなんかじゃないのだと胸を張れた。なんと嬉しいことか!
だから間違えた。
喜んでいる場合じゃなかった。
それを、伝えて、説得すればよかったのに。
お前が見ている道よりこっちの方がずっといいと、泣いてでも引っ張っていけばよかったのに。
「私はあの時、本当は……」
想起から戻り、ダンは目を伏せた。
(言うべきだったんだ、そちらで大成すればいいと。人殺しの技術を磨くよりもずっと、ずっと、ずっといいじゃないかと)
言葉にならない。
相手は彼の娘だ。それを言ってどうする。
重苦しい沈黙の中、しかしマリアンヌ張本人は、全てを見透かしたかのように頷いた。
「ああ、なるほど、なるほど。理解しました」
風に黒髪がなびく。
マリアンヌは揺れる自分の長髪を手で押さえながらダンを見た。
はっきりと分かるほど、彼女の真紅眼には憐憫の色が宿っていた。
「アナタ、狂う事もできなかったんですね」
「────────」
その言葉はダンにとって、怒りのあまり唇を噛みちぎりそうになるほどの図星だった。
かつての仲間たちは、ダンを置き去りにした。
意図はわかる。わかってしまう。
先にラインを踏み越えた。踏み越えた先で、踏み越えるべきではなかったと知ったのだろう。
だから彼らに追いつかんともがく自分を、なだめ、すかし、最後に切り捨てた。
友情と天秤にかけて、ダンの安寧を守ったのだ。
ふざけるな。
思い出すだけで、心臓をかきむしられたような不快感が全身を駆け巡る。
俺を置いていかないでほしかった。
俺を連れて行ってほしかった。
どうして彼らと肩を並べられなかったのだろう。
どうしてただ背中を眺めるだけのでくの坊になってしまったのだろう。
理由は分かり切っていた。
ダンが最も許し難いのはそこだった。
「私は、歩みを止めたんだ」
「……!」
「マクラーレンも、アーサーも、クロスレイアさんも……今はいないあいつも……私が最後の最後まで諦めなかったのなら、きっと、最後には許してくれたと思う。仕方ないと、いつも最後に泣きべそをかきながら、走って追いかけてくる。それがダン・ミリオンアークなのだからと」
声色は樹海に音が吸われるように、鬱屈した鈍さを孕んでいた。
「だが、私は……最後の最後に踏みとどまった。踏みとどまってしまったんだ。怖くなったんだ」
ダンは知る由もない。
本当に、あと一歩だった。
最後のラインにつま先は届いていた。そこから少しでも前に進めば、彼には第四天の加護が降り注いでいただろう。
だがそうはならなかった。ダンは最後の最後に、正しい選択をした。
「……昔話を、し過ぎたな。そろそろロイも戻ってくるだろう」
話はここまでだ、とダンは切り上げた。
マリアンヌは彼の言葉を聞き終えて、地面を見つめ何か考え込んでいた。
「気にしないでくれ。君に話すことじゃなかった。すまない、忘れてくれ……」
弱弱しい声。
普段のことなら、マリアンヌはそんな声をするなと叱り飛ばしていたかもしれない。
だが彼女は声を荒らげることもなく、静かに唇を開いて。
「『よしてくれよダン、ぼくなんかじゃ3日で飽きるのがオチさ』」
「────────」
「……きっと。お父様ならこう言いますよ」
ダンの瞳に少女は映っていなかった。
そこには困ったような顔をして、分かりにくいけど誰より優しく、誰より強い、親友の姿があった。
「はー……わたくしも、そういう感じで。ある騎士に、背中を押されたというか……向き合ってもらったことがあります。彼のようにできたとは思いませんが」
「……君、は」
「わたくし今日は先に帰りますわ。アナタは少し、時間が必要でしょうし」
言うだけ言って、彼女は颯爽と歩き出した。
背中を見た。息子と同い年の少女だというのに。
それは魔剣を携えた彼に、そっくりだと思った。
「ロイ」
「……ッ。父さん」
自分の息子がもう工房を出て、入り口で気配を殺しているのは察知していた。
ダンはマリアンヌの背中から目を逸らすことなく、わが子に語りかける。
「あの子の背中は、遠いか?」
「……うん。すごく遠い。遠いのに、大きい。追いつきたいのに……僕なんかよりずっと速く走っている……」
「ああ、そうだろうな。あいつもそうだった」
それが誰を指すのか、ロイとてすぐに分かった。
「お前は……私のようにはなるな……」
「父さん…………」
うなだれる父の隣に、貴公子は静かに歩み寄る。
彼もまた遠ざかっていくマリアンヌの背中を見つめた。
そして。
「父さん、おれが諦めるって本当に思ってるの?」
ダンは顔を上げた。そこで初めて息子を見たような気がした。
澄み渡るような碧眼に、底知れない情念があった。淀んでいるように見えるのに、恐ろしいほど純色でもあった。
きっとかつての自分もそうだったのだろう。
「……追いつきたいのなら。帰ったら久々に、剣を見よう」
「本当!?」
金髪を揺らし息子がガバリと振り向く。
微笑みを浮かべる父親と並ぶその姿は、穏やかで、優しい親子の光景だった。
時代は繰り返す。
だが悲劇で終わった後に、また悲劇が再演されるとは限らない。
そうであってくれと、ダン・ミリオンアークは心の底から祈った。
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