INTERMISSION36 少女が見た流星(後編)
中庭のベンチでユイは、静かに息を吐いた。
「本当に何一つ、自分の意思でやったことなんてなかったんです。学園に入学するまでは何も」
「…………」
「だから私……私って、マリアンヌさんに会う前、本当に何もなかったんです。生きていなかったんです」
さすがに言い過ぎっていうか怖いって言葉遣いが怖い、とマリアンヌは頬をひきつらせた。
しかしどうやらこの親友、何か思い悩んでいるようだ。
マリアンヌは腕を組んでしばし思案した。
「──愛は人に与えた時、本当に美しい花を咲かせる」
「……?」
「遠い昔……本当に遠い昔に、読んだ本に書いてあった文章ですわ」
愛はため込んでおくべきお守りじゃない。
自分の中でぐるぐる回しているだけではいけないのだろうと思った。
「わたくしの中にある親愛は、届いていますか?」
「……ぇ」
「いつか花を見せてください。まあどうでしょう、タイミング次第というか、よく考えたらその花を枯らさなくてはならないのでは? やべっ話の始動ミスったな……ああいえ。とにかくこう、過去がどれほどのものだったとしても、きっとそれは今のアナタを否定するものにはなりえません」
彼女はどこからともなく紅茶の入ったティーカップを取り出すと、それを優雅に一口すすった。
「だって今のアナタにはわたくしがいますわよね」
「────────────────」
言葉を失った。
「だから大丈夫ですわ。わたくしのいない頃は、薄暗い場所にいて、日の光はなかったかもしれません。ですが今はわたくしが、どこへでも手を取って引っ張り出して差し上げます」
続く言葉を聞いて、ユイは数秒黙り。
それから、耐えられないとばかりに噴き出した。
「ぷっ、は、はははっ」
「は……ハァッ!? 人が真剣に慰めてるのになんで笑ってますの!? あっこれもしかしてわたくしカッコつけすぎました!? ヤダー! ギャー! 恥ずかしい! 殺してください!」
「あははは……ああ、ちが、違うんですよ、もうマリアンヌさんってば」
顔を真っ赤にしてギャンギャン叫ぶマリアンヌに対して。
ユイは笑い過ぎて、あるいはそうではない理由で目に浮かんだ涙を指で拭う。
(……手を引いて光の下へ、だなんて。もう私、眩しいぐらい、照らされてるのに)
言葉にせずとも。
ただ暖かいこの場所が、ユイにとって何よりもの救いだった。
そうしていい空気になっていたところ。
バッギャルオオオォォオオオオオオオォォオォン!!!
と、大地を揺らす咆哮がとどろいた。
「は?」
ばっさばっさと翼をはためかせて、中庭に中型のドラゴンが舞い降りてきた。
「は?」
マリアンヌはティーカップを唇につけたまま硬直した。
素早く立ち上がったユイが、一歩前に出る。
「ど……ッ、どういうことですのこれ!?」
見ればドラゴン以外にも、しっぽの先に焔を宿した火小蜥蜴が数十匹、教会敷地を飛び回っている。
神父や職員たちがあわを食ってサラマンダーを追い払う。
「タガハラ様!」
走ってきた小太りの神父が、儀礼用と思しき短剣を投擲した。
ズパン! と小気味いい音を上げ、小さいサラマンダーの尻尾が切り飛ばされる。
サラマンダーの尻尾は一日もあればまた生える、今はとにかく鎮圧が最優先ということだろう。
「何があったのです」
「そ、それが……数日後近くでサーカスをする予定だった雑技団が、ステージの前に祈りを捧げに来ていたのですが……先の教会での連鎖爆発でパニックになってしまった動物たちが逃げ出したと……!」
なるほど、とユイは頷く。
それから避難を促すため振り向き、マリアンヌが顔面蒼白でカチャカチャカチャとティーカップを震わせているのを見た。
「……マリアンヌさん」
「…………はい」
「その、そんなに気にしないでください……事故みたいなものですから……」
「これが! これが気にせずにいられますか!?」
絶叫するマリアンヌ。
呼応するようにして、恐怖に怯えている火竜は雄たけびを上げた。
「ああもう……制圧します!」
「タガハラ様ッ!?」
踏み込みは神速だった。気づけば間合いはゼロになっていた。
ユイが火竜の頭の下を、獣と見間違うほどの低姿勢で潜り抜けたのだ。
そのまま胴体に掌を添えた。掌底やアッパーと見るには静かな動作だった。
「無刀流、絶・破」
肉を打つ重い音が響いた。
いたずらに相手を傷つけないよう調整しつつ、だが動けないように痛みを与える絶技。
火竜が大きくよろめき、飛びずさった。
「祝福を打たずにこの威力ですか……」
マリアンヌは頬を引きつらせた。
「いえ、通常祝福の五割程度の威力を、最近は常に発動してるんです」
「はい??」
「……マリアンヌさんから教わったんですよ。色々と。だってそうじゃないですか、多分。友達ってそういうものですよね?」
はにかむ彼女を見て、マリアンヌはティーカップを取り落としそうになった。
マリアンヌはユイから、高出力を瞬間的に引き出す技術を盗み。
ユイはマリアンヌから、低出力を常態化させる技術を模倣した。
教えることも、教えられることもある。それがユイは心地よかった。
「しかしこれぐらいでは、まだ動きますか……」
痛みによろめきながらも、火竜は正面から少女たちをねめつける。
鋭く硬い鱗に覆われた巨躯が、驚くべき瞬発力でスタートを切った。ドラゴンの突進、まともに受ける選択肢はない。
ユイは横に転がった。それからハッと気づいた。気配が追随してこない。
「マリアンヌさんっ!?」
火竜の真正面。彼女はティーカップ片手にベンチに腰かけたままだった。
ドラゴンの口の奥から、人間を瞬時に焼き尽くせる火力の焔が溢れている。あと数秒で超至近距離。周囲の人々が悲鳴を上げた。
「ええ、そうですわね。あまりしょげてばかりでもいられないのでしょう」
ぴたりと。
まさにマリアンヌの小さな身体を食いちぎるべく飛びかかった飛竜が、鋭い牙が彼女に触れるか触れないかと言ったタイミングで止まった。
「リインさんに諭していただきました……ユイさんに、励ますつもりが教えられました。そろそろわたくしも、前を見るときなのでしょうね」
カップから紅茶を一口すすり、砂糖が足りないなと顔をしかめる。
それから視線を上げた。
彼女の真紅眼に走る赫色の稲妻を直視して、火竜はじりと後ずさった。
「やれますか? アナタにわたくしが滅ぼせますか?」
離れたところにいたユイさえもが額に汗を浮かべた。
凄絶なまでの圧迫感。
一歩、また一歩と、ドラゴンが後ずさる。
異様な光景だった。見ているだけで胸が圧迫される。
動けない火竜。動かないマリアンヌ。
膠着しているようにも見えたその場面。
「何だ。随分遅いと思ったが、オレの思い過ごしか。懺悔室を破壊したりしたわけではなかったのだな」
「いえ、破壊はしましたわ」
「そうか……」
彼が歩いてくる姿を、マリアンヌは最初から見ていた。
少女と火竜が対峙する中庭を、横切る形で歩み寄ってくる男。
紅髪の騎士──竜殺しジークフリート。
「お待たせしてしまっていましたか」
「オレも野暮用があったものでな。まあ、警邏している部下に差し入れを渡すだけだったが……」
中庭の日時計を見れば、彼に見送ってもらってからゆうに二時間は経過していた。
マリアンヌが随分懺悔に時間がかかっているのを心配して来たのだ。
「なんの騒ぎかと思えば、竜か」
ジークフリートを見た瞬間に、火竜がびくん!と跳ねた。
「伏せなさい」
ズバァ! と翼が空間を断つ音。
だがそれは攻撃ではなく、火竜が勢いよく伏せの体勢を取った際の音だった。
大空の覇者であり、ひ弱な人類など足蹴にできるはずの飛竜が地面にへばりつくようにして平伏している。
その光景を眺め、マリアンヌは紅茶を一口すすって、それからジークフリートに微笑みを向けた。
「ドラゴンテイマーとして食べていけそうですわね」
「転職先に考えておくよ。その時はマリアンヌ嬢、君が助手をやらないか? ショーの終わりは、平伏する竜を君がまたいで通って終わりだ。言うなれば──」
「ドラまたマリア嬢って訳ですわね。アナタ本気でしばき倒しますわよ!?」
自称悪役令嬢はティーカップを振り回す勢いで絶叫した。
「あっ……そういえば好かないのだったか。すまない」
「んもおおお……」
ちなみに伏せなさいというイケボを聞いてマリアンヌはとっさに伏せそうになっていた。
危ない危ないと内心で冷や汗を拭っている彼女に、ユイがそっと話しかける。
「マリアンヌさん……もしかして牛柄ビキニとか……」
「最後のは牛のモノマネじゃありませんわよ!? ていうか牛柄ビキニって何ですか!?」
「知らないのか、マリアンヌ嬢。昨年に突然ブームを巻き起こした特殊なコスチュームだ。とはいえ、かくいうオレもまた聞きでな。部下たちが何やら熱心に話しているのを聞いただけなのだが……」
神父たちや雑技団のメンバーが、ドラゴンの周囲に集まる。完全に鎮静化した様子に困惑していた。
サラマンダーも順次回収されていく。
事態は決着した。マリアンヌはほっと一息ついて、それから紅茶を一気に飲み下した。次は砂糖も取り出せるようになろうと思った。
「そうだ、ちょうどいい。タガハラ嬢。牛柄ビキニとはどういう服装で、何のために着るものなんだ?」
「…………ッ!?!?」
刹那の出来事である。
ジークフリートの問いを受けて、ユイは顔面蒼白になって顔中に汗を浮かべ始めた。
人差し指同士を突き合わせながら、彼女は視線をあっちこっちに飛ばす。
「えーっとー。わた、私も知らないっていうかー」
「知ってる反応だな」
「知ってる反応ですわね」
二人は顔を見合わせると、それから揃ってユイにきょとんとした顔を向けた。
「いやいやいや、ビキニの時点でもうやましい感じ出てませんか!? 普通に考えてわかってくださいよ!?」
「ユイさん……その……言いにくいのですが」
「いや、マリアンヌ嬢、ここはオレが言おう」
口をもごもごとさせたマリアンヌを手で制して。
ジークフリートは年上の兄貴分として、真面目くさった表情で唇を開く。
「タガハラ嬢。肌の露出面積の多い服装だからといって見境なく欲情するのは、年頃の人間として間違ってはいないかもしれないが……少し、冷静になった方がいいぞ」
「んもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
最終的にはユイが牛になった。
「教会は全部知ってるっすよ。それでこっちもちゃんと説明してもらったからオールオッケーですわ」
「なんと……!?」
書庫に入ってきた兄の言葉を聞いて、二人の王子は瞠目していた。
「兄上は……最初から何もかも把握していたのですね」
「う〜ん……まあ、色々あったんすけど。あ、一応二人には書類で後で渡しときます。結構気分悪くなるやつだから気を付けてほしいんすけどね。しばらく普段とは違う悪夢しか見れなくなっちゃったぐらいだし」
ったく、世の中ってやつは、とぷんすこする第一王子。
憲兵団の仕事だな、と二人の弟は即座に把握した。
第二王子は騎士団を、第三王子は査問会を統括する。
そして国王直轄の憲兵団は事実上第一王子が掌握していた。
「まあそういう感じで、そこは心配しなくても……くあ……いいっすよ。仮にバレても、泥沼から這い上がったおとぎ話にできると思うし。シンデレラストーリーって言うんだっけか?」
「……しん、でれ?」
「ああうん、なんでもないす」
ごまかすように咳払いをしてから、マルヴェリスはまた一つあくびをした。
「しかし兄上。世論に対応できたとしても、タガハラ自身は……仮に育てられた組織からの命令を、まだ無意識に実行していたり、あるいは逆らえない状態だとしたら……」
「そっちはもっと大丈夫でしょ。あの赤目の子がいるんだから」
迷いない断言。
弟たちは大いに驚愕した。めったに他人に興味を示さない兄が、まさか彼女のことを憶えているとは。
「知った上で、タガハラさんを見たんすけど、これなら大丈夫だーってなったっていうか。今の彼女はもう人形じゃないすね。赤目の子が、全部ひっくり返してくれたから」
それからマルヴェリスは(気持ち)真面目な表情を浮かべて第三王子グレンに目を向けた。
「グーちゃん、くれぐれも目を離さないようにしてくださいね」
「……と、言いますと」
「タガハラさんの心配なんかしてる暇あったら、あの赤目の子がどっか行っちゃわないようにしてあげなきゃまずいすよ。あの子のほうがよっぽど不安定じゃないすか……もしあの子が壊れたら、連鎖して全部終わりになっちゃう感じすらある。マジヤバい」
「……ッ。言われずとも大丈夫ですよ兄上」
「ならいいや」
グレンはたきつけられたと自覚があったが、あえて乗った。
その様子を眺め、ルドガーは嘆息する。
「悪い兄だ」
「好きな子の力になりたいだなんて、我が弟ながら青春すねー。全然縁ねえから分かんねえや。カルピスのCMみたいですわ」
「……かる、なんと?」
「あー、寝起きだからちょっと言葉がうまく選べないす……」
時々こういう異次元言葉を使う兄のことが、ルドガーは嫌いではないし好きだが、やはり不思議なものは不思議だった。
教会の騒動を終えて、マリアンヌはジークフリートと共に大聖堂の大広間にいた。
不慮の事故とはいえさすがに申し訳ない気持ちはある。だが神父たちは『なんかこれ以上はピースラウンド様に何してもらってもヤバイ気がするので気持ちだけ受け取っておきます』と片付けの手伝いを固辞した。
「それではユイさん、また今度」
「はいっ」
明るい表情で、マリアンヌとユイは一時の別れを告げた。
「仕事の合間に、またユートも含めて遊んでやってくれ」
「あら。その時はジークフリートさん、アナタも来るのでしょう?」
「……やれやれ。まあ、有給は十分確保しているから問題ないが」
「騎士団、有給あるのですね……」
なんだか知らないうちに内政チートでもやられてんのかな、とマリアンヌは訝しんだ。
第二王子ルドガーの政策は実に現代的である。マルヴェリスに時々相談しつつ行われているそれには、そこはかとない、ファンタジー世界からは遠いものを感じる。
ここで考え込んでも意味はないか、と頭を振った。
「せっかくの夏休みですし、星でも見れたらいいですわね。ユートとジークフリートさんはもちろん、ロイやリンディも誘いましょう」
「……ッ、そうですね」
星。
あの日一人きりで見た流星。
けれど今なら、誰かと一緒に見ることができる。
きっとまた思える。そう確信があった。
生きていてよかった、と。
彼女は何度でも、その喜びを教えてくれるから。
「ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」
その光景を見て、ユイの背後で小太りの神父がやばい声を上げながら干からびる勢いで涙を流していたが、一同は見なかったことにした。
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