INTERMISSION34 聖女の資格
「ここは見てくれこそ最悪だが、住めば都ってやつだ。栄養バランスを考えた三食がきちんと届く。ありがたくて涙が出るが、煙草がねえのが唯一腹立つとこだな。お前一本持ってねえか?」
「生憎、非喫煙者です」
ユイさんの隣に佇み、わたくしは随分と見ていなかった顔と再会していた。
少しやせただろうか。いや、分からない。近くで見たわけでもない。ただ空気感は違う。なんというかあの時は、悪魔が聖女ロールしてたからこそ聖女聖女していた。
今は違う。素はこんな感じなのか。
「アナタ、幽閉されてましたのね。後々の処遇には興味がなかったので、何も聞いていませんでしたが……」
「悪魔に取り憑かれたやつはここでしばらく隔離されるんだよ。なんでも魂の免疫力が落ちてるとかで、しばらくはまた狙われやすいらしい。地下空間は地脈から建築材の段階で悪魔祓いの刻印を結んでるからな、絶対にたどり着けねえ」
ああ、道理で居心地悪いわけだよ。
「大丈夫ですか?」
「お気遣いありがとうございます。大丈夫ですわこれぐらい」
「いや、効果がないと逆に困るんです」
ユイさんは真顔だった。
肩をすくめる。あの大悪魔が人類の技術如きでどうこうできるとは思えねえ。
「で、どうしたんだよ」
「こちらのセリフですわ。アナタが呼んだのでしょう?」
わたくしの問いに、二人は顔を見合わせた。
「リインさん、あなた何かしたんですか?」
「まったくもって身に覚えがねえが……あれか? あたしの中にまだ『激震』が残ってるから、とかか」
「あー……」
なるほど。
これは禁呪保有者が発する力場なのか。
ん? でもおかしいな。ユートからは感じたことがねえんだが……
〇火星 推測するに、禁呪だからじゃなくて、『激震』だからだろうな
〇日本代表 あー、あの時確かに分子の振動を操作してたもんな。無自覚のうちに、周囲の分子を禁呪の力で振動させて、それがお嬢のところまで伝播してたってことか
珍しくコメント欄が即座に情報提供してくれた。
助かる、ちょうど切らしてた。
「マリアンヌさん、それじゃあどうして大聖堂に?」
「ああ、懺悔しに来たのです」
「………………一緒に埋めに行きます」
「死体を作ったわけではありませんよ!?」
どいつもこいつも、わたくしへの認識がバグってんだよ。
「へえ、懺悔か。道理でしょぼくれてると思ったぜ」
鉄格子越しに声を投げかけられ、わたくしは思わず振り向いた。
リインは冷たい目をこちらに向けていた。
「言ってみな。あたしは確かに元悪魔憑きだが、それより前は普通に聖職者だったんだぜ。まあド田舎の不良シスターだがな」
「……不要です。ここは大聖堂、貴女以外の適任者は大勢います」
ユイさんが切って捨てた提案。
だがわたくしはジークフリートさんの言葉を思い出していた。顔見知りだからこそ、言えないことがある。
「お願いできますか?」
「マリアンヌさん!?」
わたくしはスカートを整えると、鉄格子の向こう側にいる聖女に向かって、跪いた。
おろおろするユイさんに対して、リインが静かに人差し指を唇に当てる。
「馬鹿。神聖な祈りの時間に聖女が慌てるんじゃねえ。静かにしてろ」
「……ッ」
声色には、有無を言わせぬ説得力があった。
こほんと咳払いして、リインは滔々と語り掛ける。
「神の声に心を開いてみな。これは外から聞こえるもんじゃねえ。お前の内側から自然と生じている声だ。耳を澄ませるんだ、自分の内側に。外の音は、あたしの声以外聞かなくていい。目も閉じな」
「…………はい」
「お前の内側にも、神はいる。誰の中にもだ。もともといるんだよ。そしてその声に応じて、天にいらっしゃる神は声をかけて下さる。だが狙いの精度を上げるためには、お前の内側からの声が必要だ」
「…………」
「聞こえるか。今お前の中で、お前の中の神はなんて言ってる。神と呼ぶのに違和感があるなら、認識できない自分の一部でいい。自分の本音を無理に引き出そうとはするな。ただあるがままにして、出てきた言葉を全部言っちまえばいい」
リインの言葉がするりと脳にしみ込んだ。
自分の中から自然と出てくる言葉。
暗闇の中で、ただ漠然と跪く。浮いているような感覚すらあった。
だから口から言葉が零れたことには、自分の声を自分で聞いてから気づいた。
「わたくしには……分からない……」
「……ほう。何がだ?」
「……最初から無理だったと。分かっているのに。それでも手を伸ばしてしまう。これは、正しい行いではあっても、恐らく正解じゃない」
背後で、ユイさんが息をのむ。
理論的にはもう、考えられるものなんて全部考えている。
既に彼女は手遅れだった。彼女の望む通り、これ以上の悲劇が起きないよう防ぎきれたのは、まぎれもなく最上の結果なのだ。
だが。
あの消えていく瞬間、笑いながら泣いていた彼女の顔を、夢に見る。
「なら諦めるべきだったのか。けれど、諦めるなんて……」
「なるほどな」
目を開いた。
数度頷き、リインはわたくしを正面から見つめた。
「なんだ。お前あれだな。根っこは人間なんだな」
リインははっきりと、憐憫の色を浮かべていた。
「やっとわかったぜ。記憶の中……あたし、っつーかあたしの身体に憑りついてた悪魔相手に啖呵を切った姿と、全然合致しなかったんだ。お前さては、ただ真っすぐなだけであそこまで到達したな? 時々いるんだよな、そういうやつ」
「……それは」
「だが今の声は、神に届いた。神はお前の苦悩を許す。それはあっていい苦悩だ。お前は悩んでいい。天の声はお前の懊悩を、煩悶を、それは正しいものだと認めている」
すとんと。
その言葉が、胸の一番奥に落ちた。
「お前は今、背負う荷物が重すぎてしんどいんだろうな。一人で無理して背負おうとした結果がこれだ。なら二つに一つだ」
「二つに一つ、ですか」
「荷物を捨てろ。あるいは、一緒に誰かに持ってもらえ。それしかねーぞ」
リインの視線がわたくしからユイさんへスライドした。
「諦めることは。いいやそれより……諦めたことを忘れる、ってのは簡単だ。背負った荷物を精査して、要らねえもんから順番に廃棄する。世の中の人間は大体これをやってる。別段これは間違ったことじゃねえ。その人その人にあてがわれた役割は、神が与えて下さったものだ。それに見合ったことをするのは正しいことだ」
「……ですが、それでは」
「ああそうだ。捨てたくねえもんまで捨てる羽目になることだってある。だが本当にゴミ箱にポイするわけじゃねえ。そういう朽ち果てた祈りも、神様は拾ってくださるんだ」
懺悔はいつの間にか終わっていた。
あれほど気負ったり、いろいろ考えていたのに。
リインはほんの数分で、わたくしに与えるべき明瞭な言葉を見つけているようだった。
「ほら、もう立っていいぞ。一人で立てるだろお前」
「……ッ」
「だが遠くまで歩くとなったら話は別だ。荷物を捨てていくのを選ぶやつがごまんといる。そうしたくねえのなら、仲間と荷物を分け合え。時々入れ替えて、みんなで苦楽を共にしろ」
「……仲間」
「そうだ。お前は恵まれてるだろ。だがそれは偶然じゃねえ、必然だ。為すべきことを為し続けた人間は、自然と背中に人を率いてるもんだ」
「……それはその……実体験、ですか」
「あたしゃ反例だ馬鹿」
立ち上がり、スカートについた砂を払う。
ユイさんに目を向けた。彼女は困惑した様子で、わたくしとリインを交互に見ている。
こほんと咳払いをしてから、わたくしは鉄格子の向こう側の彼女にお辞儀をした。
「ありがとうございます」
「あたしじゃねえよ。神様にお礼を言うんだな」
不良シスターってなんだよ。
超立派なシスター様じゃねえか。
だからこそ、彼女が悪魔に憑かれたという事実に、言い知れぬものを感じた。
頭を振った。踏み込んで聞いていいことじゃないと思った。
改めて頭を下げる。
「次来るときは煙草を差し入れます。銘柄は?」
「いいのか? 禁輸指定されてるやつなんだが」
それ違法ドラッグってことじゃねえか。
危うく犯罪の片棒を担ぐところだった、ぶっ飛ばすぞこのクソアマ。
鋭くにらむと、リインは怖い怖いと笑った。
だがどうしてだろうか。
そのヘラヘラした笑いには、限りなく長く、そして険しい道のりを歩いてきた人だけが持つ影があるように見えた。
マリアンヌとユイが地上に上がると、やはりまだ大騒ぎは続いていた。
ユイは近くの神父を捕まえると何事か告げた。神父は頷いて走っていった。
「原因について把握したと告げました。次からは気を付けてくださいね」
「ええ、そうしますわ」
二人はそれから中庭に歩いていった。
マリアンヌは既に大まかな事情をユイに説明していた。とはいえ配信関連は抜きにして、禁呪系統の神聖パワーが逆流したとだけ言った。
(さっきの説明マジで一から十まで大嘘しか言ってないな……)
「彼女もまた……確かに、聖女の資格を有していたのですね」
虚偽過ぎる申告をしてしまったことにマリアンヌが嘆息している横で。
中庭のベンチに腰掛けて、ユイは沈痛な面持ちで呟く。
「私はまだ、全然だめですね……」
「そんなことはありませんわ。アナタそもそもまだ次期聖女でしょうに。いろいろと、勉強してる途中です。ならこれからですわよ」
なんとなく肩の荷が下りた感覚があった。
だからマリアンヌはスマートに慰めの言葉をかけられる程度には回復していた。
その様子を見てから、ユイはそっと視線を地面に落とす。日を遮るような形で、自分の顔が黒い影を作っている。
「もっと、です。もっと勉強しないといけない。人間は、どういうことがうれしくて、どういうことが悲しいのか。私はそこをまだ全然知れてない」
「と、いいますと?」
「………………私……学校に入学する前は、なんにもなかったんです」
「……?」
何もなかった、という言葉は、あまりにもがらんどうな響きを持っていた。
マリアンヌは首をかしげる。
「ですが無刀流の鍛錬などはあったでしょう?」
「鍛錬は、ほとんど無意識でやっていました。何かが必要だとは思いませんでした。何かを得ているという感覚もなかった。ただ人を殺すのが上手になっていくんです。毎日……毎日……ものを壊し続けて……」
今でも目を閉じれば、過去はすぐ傍にあった。
ただ人体の知識を学んだ。明日のための学習ではない。若者が社会にはばたくための知恵ではない。誰かの明日を奪い去り、破壊するための知識。棍棒と何が違う。
「……本当に、何もなかった」
だが。
そこで言葉を切って、次期聖女は、親友となってくれた少女の目を見た。
「紅い目」
「?」
何もできないまま。
ただ、殺人技術を磨いて。
そうしてある日、聖女としての加護が発現して。
学園へ入学することとなって。
自分でつかみ取ったものなど何ひとつなかった。
常に、誰かが何かを求めて、それに応じていた。
それしかないのだと思っていた。
そして入学式の日。
ユイは、人生をまるごと変える真紅の煌めきを見たのだ────
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