INTERMISSION29 長い長い旅の終わり(前編)
夜のとばりが下りた。
激戦に次ぐ激戦を終え、傷だらけになりながらも戦士たちが生還する。
その光景を眺めて、二人の兄妹は、優しく微笑んでいた。
「ほら、お兄様。やっぱり全部解決してしまったわ」
「ああ。お前の言ったとおりだったな」
「マリアンヌさんで良かったのよ。最初からあの人がいれば、あんなことにはならなかったって、マイノン思ったんだもの」
「……それはそうと。いつまでその口調なんだ」
兄の問いに対して、妹は数秒黙ってからふにゃりと笑った。
「そうね。最後ぐらいは……もう、いいかな」
「……我々も行こうか」
戦場全体を見渡せる小高い丘に佇んでいた二人は、ゆっくりと歩き出す。
それは兵士たちが帰還するような、勇ましい姿でなく。
動物が最後の力を振り絞って巣へ這いずるような、痛ましい背中だった。
「あのー、ロイ。ちょっとそろそろ降りませんか?」
「……あ、ああ。うん」
婚約者が天使にジョブチェンジしたのを、マリアンヌはまあそういうこともあるかと受け入れていた。
それはそれとして、未だ黄金の翼をはためかせるロイと共にマリアンヌは浮遊していたが、もう『外宇宙害光線』に戦闘力はない。身体の片端から銀河がほどけ、光の粒子に還元されている。
「ってロイ、そっちじゃありませんわよ、ああもういいですから! 疲れたのならこのまま真っすぐ降りて!」
「……ご、めん」
おいおい大丈夫かこいつ、とマリアンヌが眉根を寄せる。
顔色は悪く、最後の勝鬨をかっさらった時の元気はもう見る影もない。
(全力疾走を終えたランナーが、アドレナリンによって感じなかった過負荷を一気に受けているようなものでしょうか)
ゆっくりと地面へ近づき、両足で大地を踏みしめると同時、ロイが片膝をついて蹲る。
マリアンヌもまたボロボロの身体故、ふらつきながらもしっかり佇んだ。未だ折れたままの片足がひどく痛い。胸と片腕を覆っていた装甲が霧散し、片目の補助モニターも掻き消える。サジタリウスフォームの解除。
脂汗を浮かべながらも背後に振り向く。すぐそこに、倒れ伏した『外宇宙害光線』の巨躯が横たわっている。
モンハンのクエストクリア画面みたいだな、とマリアンヌは思った。それからアイテム受け取り時のラストアタック画面は二人で矢を放つシーンだろうとぼんやり考え、頬が熱を持つ。慌てて頭をブンブン振った。
「……ッ。ああもう、無茶してるときのこいつ、無我夢中になってて心臓に悪いですわね」
背中をさするぐらいはしてやろうかと思ったが、巨大な翼の根本があるので触ることができない。
もう戦闘終わったしこの翼邪魔じゃない? いい加減解除すれば? と声をかけようとした。
その時。
「マリアンヌ! ロイ!」
どうやら後方の戦場もケリがついたようだ。
兵士をひきつれ、ユートと青騎士が駆け寄ってくる。
「ああ、ちょうどよかった。どなたか水とか持ってませんか? 彼の消耗が激しくて……」
「────ッ!?」
視界に映るユートたちの顔色が変わった。
急停止する王子と、彼を守るべく兵士らが前に飛び出し構える。
明らかに、マリアンヌたちを……正確には彼女の隣で蹲る青年を、警戒していた。
「え? 何やってますの?」
マリアンヌは気づかなくて当然だった。
この世界において、誰よりも神々の庇護を受ける女だから、気づくはずがない。
だが他の人々は違う。
「お前の隣にいるやつは、それは誰だッ!?」
身に浴びてきた神秘の、量も質も違う。神聖な存在に対して、マリアンヌの感覚は完全に麻痺している。
だからこそほかの面々が、違いに気づけた。そこにいるのを、ロイ・ミリオンアークであると断言できないほどの違いがある。
きょとんとしているマリアンヌの隣で、ロイ本人もまた呻きながら頭を振っていた。
(────そうだ。おれは誰だ)
視界が定まらない。ロイの視界の中で、世界があり方を変えている。
違う──逆なのだ。
世界は変わっていない。変貌しているのはロイの方だ。
(なんだ、これは。おれは……おれは、何を……)
バックドアじみたアクセスとはいえ、ジークフリートは既に器として完成されていた。本人の資質と、絶え間ない研鑽により、既に彼は七聖使としては十二分に完成されていた。
だがロイは違う。まだ発展途上であり、そもそもアクセス自体が完全な形になる前の先取りだ。いわば先行融資を受けている状態に過ぎない。
(天空の力を、引き出して……ておす? 何だ、それは。おれはそんなの知らないはずなのに、知っている。おれはずっとそれを待っていた。誰が? おれが? どうして──)
思考が底なしの沼に沈んでいく。
人格が過負荷に融解していく。
ロイ・ミリオンアークが、ロイ・ミリオンアークではない、誰かに。
「何言ってますの? 何か視力にデバフでももらいました? これはロイ・ミリオンアークです。一応わたくしの婚約者ですわよ」
それは夜闇を引き裂く白光のような声だった。
「ほら、消耗が激しいのは分かりますが、あんまりにも顔色が悪いから別人扱いされてますわよロイ。シャキっとなさい!」
ぺしぺしと頭を叩かれ、ゆっくりロイは顔を上げた。
真紅の瞳が、自分を映しこんでいる。
(……ああ、そうだ。おれは彼女の目に、映るために)
いつも彼女は、自分ではない、ここではない、遠い遠いどこかを見ていたような気がする。
果てのない空を、その向こう側を。
だけど今だけは違った。
「あっ」
刹那に、黄金の翼が一気に粒子へ還った。
頭を叩いて何か不具合が起きたか、とマリアンヌは青ざめる。
「……だ、い、じょぶ、だよ」
力ない言葉と同時、へらりと笑って。
ロイはそのままぐらりと地面に崩れ落ちる。
冷たい草むらの感覚──ではなく。何かひどく温かいものに包まれる感触がした。
うおおおおおおおおい!? これ大丈夫じゃなくない!?
ぐしゃりと倒れ込んだロイを抱きかかえ、最速で呼吸を確認する。大丈夫、息はしている。
「……ッ、治療班!」
金縛りが解けたように、青騎士さんの一声を皮切りに騎士の方々がわっとやって来た。
「ピースラウンドさん、貴女も重傷と聞いていますが」
「これぐらいどうってことないです、早く彼を!」
「いや見た感じ臓器の損傷や片足の粉砕骨折があるんですが……」
「こんなのツバつけとけば治りますわ! 世界を滅ぼす大悪魔や宇宙の外側に存在する邪神相手でもないのに、わたくしが深手を負うはずがないでしょう!」
「なんて??」
治療担当の騎士さんは完全に頭のおかしいやつを見る目で見てきた。
なんて失礼な人だ。
それはそれとして、わたくしの膝に頭を載せて寝息を立てているロイに対して、順次治癒魔法がかけられていく。
「命に別状はなさそうだネ。魔力循環も安定しているヨ」
「そう、ですか。それは良かった」
「ウムウム。まあ……キミが引き戻したんだろうサ。すんでのところだった、ファインプレーだヨ」
「……?」
「分かってはいたが、知らぬは当人ばかりカ。道のりは長そうだねえ、ミリオンアーク君」
意識を失っている彼が返事をするわけもなかったが、青騎士は不憫そうな顔を向けていた。
なんだなんだ。ていうか随分と気安いな。何? 知らんところで仲良くなった? だとしたら嬉しいな。正直学校だとこいつ、わたくしたち以外相手に薄っぺらい笑みを張りつけ過ぎてて見てて心配になるもんな……
「これ以上の処置となると、一度ベースキャンプに運び込んで、外科的方法になるでしょう。いいですか?」
「ええ、お願いします。その男を死なせたら国王を脅して戦争仕掛けますからね」
「ははっ……やべ……吐きそ……」
〇red moon 治療してくれた人を脅すな
〇第三の性別 モブ騎士さん顔面蒼白じゃねえか
頑張りすぎだ、まったく。
最後に一度だけやさしく、豊かに実った麦のように輝く黄金の髪を撫でて、わたくしは嘆息した。
死んだらどうすんだよ。お前はメインヒーローなんだから、お前なくしてハピエンにはたどり着けねえだろうに。
わたくしの膝から離れ、担架に乗せられ運ばれていくロイを見送る。
バツの悪そうな顔でユートが近づいてきて、隣に立った。
「ユート、無事でしたか」
「なんとかな……ワリィ。最後の最後に力になれなかった」
「あれぐらい一人で倒せました」
『その言い草は傷つくなあ』
とっさに戦闘態勢に入ろうとした。
だが完全に、気持ちの糸が切れていた。振り向こうとして足がもつれる。魔力循環がおぼつかない。
「マリアンヌ!」
倒れそうになったわたくしを抱き留め、ユートが冷や汗を浮かべながら顔を上げる。
さっきまで背を向けていた方向。横たわり、分子に還元されつつあった『外宇宙害光線』が、眼球代わりに二つの恒星(らしき光)を、こちらに向けていた。
「……すみませんユート、しばらく肩を借りても?」
「全然いいぜこれぐらい、気にするな」
「では」
ぎゅっと体重を預けた。
こいつとはお姫様抱っこをしたりされたりだったから、顔が近いのには慣れてる。ただまああれだな、こうして密着するのはさすがに気恥ずかしいものがあるな。すげえ露骨に胸がつぶれてるけどもう勘弁してほしい。わたくしも恥ずかしい。
重くねえかなと顔を見上げると、やつは真面目な表情で上位存在を見ながらも、頬から耳まで真っ赤になってた。
「……あら? あらあらまあまあ。やはりからかい甲斐があるのはアナタですわね。これから先はからかい上手のマリアンヌさんと呼びなさい」
「うっせーな! どういうことだよ! あと別にからかい上手ではねえよ! 俺の耐性がねえだけだから勘違いすんな!」
「自分で言ってて悲しくなってきませんかそれ」
「…………めちゃくちゃ悲しい……」
ユートは本当に悲しそうにしゅんとしていた。
色仕掛けに弱い王子、マジで良くねえもんな。
『あの、ボク放置してイチャイチャしないでくれる?』
「あら、失礼」
ユートにもたれかかったままだが、会話に支障はない。
「では改めて、別れの言葉を。アナタとは似たものを感じましたが、どうやら根底は異なったようですわね」
『と、いうと?』
「最初の自己紹介の段階で気づくべきでしたわ。アナタは……遠くから旅をしてきた、と言った。わたくしはそれを、遥か彼方の宇宙からこちらにやって来た存在なのだ、と解釈していました」
『うん』
「矢印の向きが逆でした。旅をしてきたのは、アナタではなかったのですね。人類たちの道筋の結晶体こそがアナタ。誰かにとっての既知であり、我々にとっての未知。加えてその中でも、恐らくは発光現象……光の要素を抽出して集めたのがアナタでしょう」
『……満点だ。ボクは、他の四体とは違う。他の四体は既に上位存在として枠組みがあった。けどボクは、召喚術式の中で指定された要素をまぜこぜにされた、キミたち人類がつくった存在だ』
〇日本代表 え?
〇無敵 今なんかやばいこと言ってたな
今の発言──聞き逃すわけにはいかない。
「……今の。恣意的に要素を指定して、イチから上位存在をくみ上げた、ってことかよ」
「ええ。そういうことになりますわね」
さすがユート、一瞬で同じ結論にたどり着いた。頭のいい奴は好きだぜ、会話のテンポが歪まないからな。
まあそれはそれとして。
「でしたらわたくしの勝利は最初から揺るがなかったと言わざるを得ません。本物の未知によって構成された混沌を、一度見ていますもの」
『ああ……混沌様とすら、遭ったことがあったんだ……すごいな、キミは』
「無論、超すごくてよ」
ふふんと胸を張ると、横でユートが嘆息した。
何だよと半眼になって陰キャ太郎をねめつけていると、アンノウンレイが最後の力を振り絞って声を発した。
『ねえキミ』
「はい」
『名前を教えてほしいんだ』
「……名前、ですか」
『うん。多分、もし次にキミとボクが出会うとしても……その時の『外宇宙害光線』は、このボクじゃない』
「…………」
え、そうなんだ。上位存在って英霊召喚システムみたいなものだったりすんの?
『ほかのみんなは分かんないけど。ボクはこの瞬間のためにイチから構築された。次に召喚されても同じ出力とは限らない。だからボクという個体は多分、この消滅を以て、存在にケリがついちゃう』
「それ、は……ええ。素直に残念です。立場が違えば、アナタにはいろいろ聞きたかった」
ほかの世界では、どのような天体が観測されたのか。
到達したのか。移住は。環境は。光は。
興味は尽きなかったが。
『だからこのボクが最後に、ボク自身の証明として持てるものが欲しいんだ』
「かしこまりました」
ユートに支えられながらも、わたくしは右手で夜空を指さす。
「わたくしの名前はマリアンヌ・ピースラウンド! 誇り高きピースラウンド家の長女にして、最強の魔法使い! アナタが存するであろう果ての宇宙から、人々が安寧を営むこの星までを伝う、『流星』の担い手ですわ!」
「うわっアブねっ」
ユートが一瞬で防音の結界を張った。
あっ、禁呪保有者ってデカい声で自白したら死ぬんだっけか……
〇トンボハンター いい加減学習せぇ!
いやでもそこから追放ワンチャンない? ないって言われてたな。はい。終わり終わり! 閉廷!
『……はは……なるほど……そうか、未知も既知もまぜこぜにした流星か……そりゃ、勝てないや……』
ついにアンノウンレイの頭部まで、還元が始まった。
いよいよ完全解決だ。
「せっかくなのでわたくしのことを覚えていきなさい。あとは……」
〇宇宙の起源 モルカー超面白いよって言っておいて
「ええ。モルカーが今とっても面白いですわよ……え!? 何!? モルカーって何ですの!?」
〇宇宙の起源 PUIPUI!
どういうこと!?
『分かった、覚えておくよ……マリアンヌ・ピースラウンド・モルカー……』
「ちょっと!? 訳の分からないものとくっつけないでくれます!? 面白いものと面白いものだからとはいえ……って誰がおもしれー女ですか!?」
「そのノリツッコミしといておもしろくねえ女は無理があるだろ」
ユートの指摘はどこまでも的を射ていた。
アンノウンレイの巨躯が完全に光に還る。
残ったのはコアだけだ。コアの中にはいまだ二つの人影がある。
と、その時。
「……ッ?」
コアから力が抜けていった。
威圧感というか、存在感が薄くなっている。それを感じたのか、ユートの身体からこわばった様子がなくなる。
だがそうじゃねえ。力の抜け方に指向性がある。
吸収されている。
「!」
ガバリと顔を上げた。
草原広がる一帯。幾重にも隠蔽魔法を行使しているが、アンノウンレイよりさらに奥に、誰かいる。
何者だ、と声を上げようとして、息が詰まった。
間違いなく、アンノウンレイの何かを回収していった。コアから抜き取っていった。
その人影はローブを纏っていた。
それに刻まれたマーク。見間違えるはずもない。
ハートセチュア家の家紋だ。
ぞわりと背筋が凍る。
何か、見てはいけないものを見たという確信があった。
声を上げる間もなく、その人影はちらりと意識をこちらに向けて、しかし何の反応もせず消えていく。
「……おい嘘だろ。どういうことだ。どうなってんだよ」
不気味なまでに静かな回収劇だった。
何が起きたのか、と分析しようにも情報が足りない。
「マリアンヌ、おい、見てるか。見えるだろ。これはどういうことだよ」
「ちょっとうるさいですわね。考え事をさせていただけますか」
「違う! 見ろっつってんだよ!」
横で急に大きい声出すなよ。
なんだなんだ、とユートの視線の先をたどる。
力を失ったコアは、輝きを弱めながら消滅しつつあった。多分本質的なものを抜き取られたんだろうな、と思った。
だが。
「……は?」
中に埋め込まれていた二人。
前例を参照するに、恐らく召喚する際に生贄となった二人。
知った顔だった。
アズトゥルパさんと、マイノンさんだった。
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