PART35 不撓不屈ナイツプライド(前編)
マリアンヌの白いブラウスが真っ赤に染まっているのを見て。
咄嗟にジークフリートはその場から大きく飛び退いた。カサンドラとファフニールに挟撃される位置取りだけは避けなければならない。
腕の中の少女の呼吸は浅い。瞳の焦点も定まっていない。
(マリアンヌ嬢がここまでやられるとは! 認識が甘かったのか……!?)
雨の中で、カサンドラとファフニールが互いを一瞥する。
『いい仕事をしたな。あの小娘は我が殺す。それによって、完全なる世界法則の上書きが完了する』
「お断りするわ。彼女を倒すのは私よ」
『……何だと?』
邪竜の声に剣呑な色が混じった。
『状況を理解出来ていないのか。我の法則が完成すれば、それで全ては完了するのだぞ』
「貴方の意見なんて聞いてないわよ。それに彼女と戦うのは私だと、脚本にも書かれていたでしょう?」
『貴様…………』
思わずジークフリートは眉根を寄せた。
(仲間割れ、か?)
明らかに意見が噛み合っていない。
今すぐに互いを攻撃してもおかしくないほど、悪逆令嬢と大邪竜の表情は、互いへの敵意を滲ませていた。
その刹那。
「ごちゃごちゃと、何を……!」
腕の中から響く声。
見れば美しい深紅眼に、昏い焔が宿っていた。
「……マリアンヌ。貴女が見るべきは、こちらよ。ほら」
カサンドラは服のポケットから、シルバーのネクタイピンを引き抜く。
びくんと、マリアンヌの肩が震えた。ジークフリートはまずいと呻きそうになった。
「返して欲しいでしょう?」
「…………カサンドラさん」
「遺品よ。これがなくなってしまえば。これを失ってしまえば……貴女のお父様がこの世界にいた証なんて、なくなっちゃうわ。だから欲しいでしょう? なら立ち上がって、全力で戦いなさい。それが貴女にできる、最後の親孝行──」
「黙りなさい」
カサンドラはマリアンヌの顔を見て、息を止めた。
深紅眼から、マグマが噴出するが如く、激昂の光が漏れている。
それは稲妻のように空間を裂き、見る者を震え上がらせる威光を携えていた。
「絶死に値します──死になさい。ここで今すぐに死になさい。でなければ生きているのを後悔するような死に方をさせますわ」
ゆっくりと立ち上がり、マリアンヌは流星のヴェールを全力で展開させる。
各所から黒い火花が散る。どす黒いそれは、時間が経って血液が凝固していく様にも似ていた。
(マリアンヌ嬢……!)
誰がどう見ても、感情のボルテージは負に振り切れていた。必死に押さえ込もうと、表情を苦悶に歪めていても、感情が憎悪に染まるのに時間はかからないだろう。
そんな彼女を見て、カサンドラは嬉しそうに微笑んでいる。
このままでは、また同じだ。彼女は憎悪のままに戦うことになる。
自分は──騎士として、あるいは騎士でないジークフリートという一人の男として。
また見ているだけなのか。
(……オレは)
眼前の光景。
大邪竜と悪逆令嬢に相対して、小さな背中で立ち向かおうとする少女を見て。
ジークフリートの胸中に、不意に原初の記憶がよぎった。
『その力を、扱いこなせるようになれ』
『ジークフリートはしょーらい、最強の男になるな!』
────最強の騎士になりたかった。
決して崇高な義務感はなかった。
ただ、期待に応えたかっただけ。
(ああそうだ、騎士を手段と捉えていた)
ゆっくりと立ち上がり、マリアンヌの隣に並ぶ。
彼女はこちらを見ない。眼前の敵だけ見ている。眼中になかった。
(オレは誰かの期待に応えたかった。誰かのために在りたかったんだ)
師と仰いだ保護者と。
受け入れてくれた親友と。
彼らの眼差しが、ジークフリートの進む道を決めた。
(そして今のオレは。彼女のために在りたいと願っていたはずだ)
旅館での会話を忘れてはいない。絶対に忘れてはならない。必ず呼び戻すと約束した。その約束を守れずに、何が騎士か。
胸の内側で、バチリと火花が散る。
ジークフリートの瞳の中で焔が燃え盛った。
それは覚悟と呼ばれる、戦士に最も必要な、大事なパーツだった。
『消え失せろ』
カサンドラが何かする前に、ファフニールがブレスを吐き出した。
流星を右手に集中させ、マリアンヌが対抗すべく威力を集中させようとする。
だが────
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」
少女の眼前で、紅髪が踊った。
飛び込んできたのは、鎧を身に纏った騎士。
「……ッ!? ジークフリートさん!?」
大邪竜のブレスを、彼は真っ向から剣で受け止めていた。
禁呪保有者ではない、単なる騎士だというのに。
「自分を見失うな、マリアンヌ嬢!」
絶句するマリアンヌに対して。
極光を真正面から防ぎながら、背中越しにジークフリートは叫ぶ。
「憎しみを抱くのが人間だ──しかし、憎しみに呑まれてはいけない!」
「……ッ」
「君が求める輝きは、本当にそんなものだったか!?」
押し負けそうになる。
余りの威力に、剣が軋みを上げていた。だが譲れない。
この瞬間だけは、絶対に譲るわけにはいかない。
「あの日、オレを救ってくれた光は……!」
ファフニールのブレスに対して。
両足で踏ん張り、一歩、一歩ずつ。
真っ向から押し返していく。
「オレの人生を丸ごと変えてくれた君の輝きは……ッ!」
苦悶の息が漏れる。マリアンヌがやめろ、逃げてと叫んだ。
退くはずがない。
少女のために戦うのは──誰かのために戦うのは、騎士の本懐なのだから。
「そんなものじゃ、なかったッ! そんな風にくすんではいなかったッ! だから──だから、オレはここにいるッ!!」
満身の力をもって。
ついに騎士が、大邪竜の息吹を真っ向から耐え抜いた。振り抜かれた剣がブレスの残滓を断ち切る。
肩で息をして、全身を駆ける激痛に顔を歪め。
それでも佇む大きな背中。
「……ジークフリート、さん」
ぎゅっと胸元で拳を握り、マリアンヌは自分の視界が勝手に滲むのを止められなかった。
『まだ理解が及んでいないか、竜殺しの騎士よ』
つまらなさそうにファフニールが鼻を鳴らす。
『貴様の眼前に存在するは、邪竜であり、運命でもある。悲嘆しろ。絶望に沈め。貴様の運命は、ここで果てることだ』
それは厳然たる事実だった。
否定のしようも、覆しようもない真理だった。
だというのに──彼は。
ジークフリートは、唇をつり上げ不敵な笑みを浮かべる。
「運命! そうか、運命か! 面白い……! 相手として不足はない!」
『……ッ』
まるで邪竜など眼中にないと言わんばかりに、ジークフリートは勢いよく後ろへ振り向いた。
「見ていてくれ、マリアンヌ嬢」
視線を重ねて、騎士が少女に優しく語りかける。
雷雨の中でもその眼差しはハッキリと見えた。
「あの日、君に光を見た。君がオレの人生を変えたんだ。だから君に報いてみせよう。今、ここで」
「……ジークフリートさん。わたくしは……わたくし……」
「いいんだ。少し休めばいい。代わりにオレが証明する。君には憎しみ以外にも、たくさんのものがあって。そのおかげで、オレがここにいられるんだと。だからただ、見ていてくれ」
剣を携え。
騎士は少女を背中に守り、一歩前に踏み出た。
「君が最高の騎士だと信じてくれた男は──運命如きに屈したりはしない!」
「………………」
『何を勝手なことを! 貴様など、我の存在の木っ端だろうが!!』
堂々と向かってくるジークフリートと、その背後で立ちすくむマリアンヌを。
唇を噛み、何かひどく恨めしそうに、けれど眩しそうにカサンドラは見つめ。
激昂するファフニールは再びブレスで一帯をまとめて薙ぎ払おうとして。
分岐点が訪れる。
未来は切り替わる。
小石が水面に波紋を広げるように。
惑星に流星が落ち、生態系を次世代へ進めるように。
一人の少女から始まった破壊と創造が、ここに一つの極点を導き出す。
お読みくださりありがとうございます。
よろしければブックマーク等お願いします。
また、もし面白かったら下にスクロールしたところにある☆☆☆☆☆を★★★★★にして評価を入れてくださるとうれしいです。




