断章-3 Childhood's End
思い出す。
疲れ切った身体と、朧気な思考が、勝手に過去の記憶を引き出している。
早く眠りたい時に限って脳が激しく活動する。
仕方ないので、そのまま、少し想起に身を任せようと思った。
「掃除は行き届いているようだな」
「父さん、人の家に上がっておきながら、その言い草はないよ」
目の前でロイ・ミリオンアークと、その父親であるダン・ミリオンアークが会話している。
ここはわたくしの実家であるピースラウンド家屋敷、その客間だ。
特に使用人とかも雇っていないので、適当に自分で茶を淹れる。
「ほう。長女自らとは殊勝な心がけだな」
「父さん、その言い方は……」
婚約関係にある以上、こうして定期的に顔を見せに来る。
魔法学園への入学を直前に控えた今、入寮する前に最後の機会とみたんだろう。
わたくしはニコニコ笑顔を浮かべたまま、ミリオンアーク親子の前にコップを叩きつけた。
「はいどうぞ。トールバニラノンファットアドリストレットショットチョコレートソースエクストラホイップコーヒージェリーアンドクリーミーバニラフラペチーノですわ」
「「なんて??」」
どうした? 泣いて喜べよ。
「む……う、うまい……」
「本当だ……マリアンヌ、これはなんていう、いや名前はもういいや。どんな飲み物なんだい?」
「遙か昔に世界を統べた創造神スターバックスコーヒーが、邪神ドトール、ルノアール、サイゼリヤを退けた後に世界平和の証として大陸の川という川に流したと伝わる伝説の甘味液体ですわ。飲むだけで不老不死になれるそうです」
「これどこからどこまで信じたらいいんだ? 私としては一から十まで異常者の発言だし、一刻も早く息子との婚約を解消したい」
「全て異常者の発言なのは分かるんだけど、僕は異常者と結婚したいかな」
「ロイ……!?」
こいつが一番異常者の発言をしていないか?
思わず当主と顔を見合わせ、揃っておののいてしまった。
「ええい、マクラーレンの娘という時点で嫌な予感はしていたというのに……! 大体その、なんだ! ロイが言い出した婚約に、一も二もなく頷きおって! こんな頭のおかしい女なのになんで婚約は素早かったんだ!」
「ミリオンアーク家とくっつけばウチらマジ安泰じゃね? マジヤバ~ってお母様が言っていましたわ」
「相変わらず雑だなあ、クロスレイアさんは!」
当主が不満そうに唇を尖らせ自分の膝を叩く。
まあまあとなだめるロイの姿を、わたくしは無感動に眺めていた。
親子というのは、気安いのか。
少々の緊張感を常に挟んでいる親子も、世の中にはいるのだろうか。
よく分からないな、とだけ思った。
魔法学園に入学し、臨海学校まで間もなくと言った頃。
王城の客間にて、わたくしは紅茶を嗜んでいた。
「では、婚約について破棄する予定はないと」
「ええ。将来的にはミリオンアーク家から破棄を通告されることを夢見ていますが、こちらから通告しても意味ないのでしませんわね」
「何言ってるのかマジでよく分かりませんけど、分かりました」
対面に座っているのは第三王子グレン。
彼はにこにこと笑っていた。
「では、私からの求婚は保留と」
「話聞いてました? 現在のロイとの婚約関係は破棄しないと言ったのですが」
「はい。婚約関係と実際に結婚するかどうかは別問題ですよね。付け加えるとこの国の式場の契約はもちろん、役所の婚姻届受理は全て私の指示で覆ります」
「はあ……ん? ……ッ!?」
今すげえナチュラルに恫喝されたのか!?
「阿呆! 王子として恥を知れ!」
「イデッ」
流石に見かねたのか、グレン王子の隣に座っていた第二王子が、眼鏡野郎の頭をぽかっと叩いた。
中身が入ってない分いい音だったな。
「すまないな、ピースラウンド。こいつは最近お前のことになるとどうもヤバくなる」
「い、いえ。なんというか、こう……はい。特に否定はできませんでしたわね……」
さっきから言動全てが狂ってるしな、このメガネ。
それはそれとして。
「で、ええと……お名前は何でしたっけ」
「王子に名乗らせるの、清々しいぐらい頭がおかしいなお前……まあいい。ルドガーだ。なんだかんだで長い付き合いにもなりそうだな、お前とは」
「そうでしょうか? あ、そうですね」
グレン王子が全然諦めてない以上、その可能性は高い。
「なんというか……お二人とも、そして第一王子も含めて、本当にあのアーサー国王の息子なのかと言うぐらいキャラが違いますわね」
正直な感想だった。
しかし、グレン王子とルドガー王子は顔を見合わせ、苦笑していた。
「いや何、すみません。あの人はあの人で、僕らと似ているところもあるんですよ」
「妙なとこで心配性なのを見ると、自分にも心当たりがあって驚いたりするな」
グレン王子は目にかかろうかという水色の髪。
ルドガー王子は短く刈り上げた紺色の髪。
兄弟って言う割には似てない。
だけどこう。
並んでると……確かに血のつながりは感じた。
ふーん。
わたくしとお父様、お母様も。
並んでみれば、こういう風になんのかな。
……まあ、並ぶ機会がねえから無理か。
記憶が告げている。
想起が悲鳴を上げている。
まだ何も、これからだったのに。
父親と対等な関係になれば、対等に語り合えたはずだ。
庇護する者、される者という関係に興味がなくとも、渡り合えるようになればきっと。
家族の時を過ごせたかもしれない。
夢は砕け散った。
失って初めて気づいた。
ああそうだ。
わたくしはずっと、お父様とお喋りがしたかったのだ。
お母様を交えて、三人で。
温かく。
会話と、笑顔に彩られた空間で。
いつか。
撤退に成功して、旅館でしばしの休息を取るよう言われた。
わたくしは旅館の屋根に登って、月を見上げた。
月はカサンドラさんのようだと思った。
綺麗に光っているから。
誰よりも美しいから。
そして、裏側を見せないから。
────望んでいたいつかがもう訪れないことを思い知らされて。
月の輪郭が、ゆっくりとにじみ始めた。




