断章-2 Knight Stand Alone
時は少し巻き戻る。
旅館への撤退中。
ふらつく身体と朧気な思考の中で、ジークフリートはずっと一つの後悔に苛まれていた。
(何をやっているんだ、オレは……)
何もできていないではないか、無辜の人々を守る盾などと言っておきながら。
余りの不甲斐なさに自嘲する笑みを浮かべる気力すら失われていた。
(マリアンヌ嬢は、立ち上がった。お父上を喪ったのに。それなのに、オレは!)
打ちのめされていた。
まだ若く、華奢で、戦いとは縁のない日々を送っていてもおかしくない少女だというのに。
(……あんな不幸な別れ方で、いいのか。許されるのか。ああいった理不尽から彼女を守れなくて、オレはどのツラを下げて騎士を名乗るんだ)
歯を食いしばる。一歩歩くごとに軋む身体も気にならない。後悔と己への失望がその身を焦していた。
(何かができたはずだ。何かが。そして今からでも……何かができるはずだ。オレの時もそうだった。誰かが手を貸してくれていた)
俯きながらも。
ジークフリートが想起するは、己の父親に関する記憶。
王国屈指の騎士となる男の、原初の離別の記憶だった。
断章-2 Knight Stand Alone
到底人間の域に収まっていない身体能力。
騎士として加護を授かる前からだった。
物心ついたときには孤児院にいた。ジークフリートは五歳の時、庭での遊びの最中、ひとっ飛びで孤児院の建物を乗り越える大ジャンプを繰り出した。
その圧倒的な力が他者に振るわれなかったのは幸運と、そして彼が幼児に相応しくないほど成熟した精神性を有していたことが原因だろう。
他の子供たちの面倒を見る立場が、落ち着いた言動を彼に与えていた。
何よりも──他者と自分は違うということを、直感的に理解していた。
「その力を、扱いこなせるようになれ」
「ジークフリートはしょーらい、最強の男になるな!」
師と親友が自分を受け入れてくれた。
孤児院の施設長は異常な身体能力を誇る子供に、顔色一つ変えず教育を施した。
他の子供たちが時に怯える中、同年齢の親友は彼のそれを才能であると賞賛した。
二人がいなければ、ジークフリートの歩んだ道筋は、今よりもっと薄暗く、血の臭いのするものになっていたかもしれない。
やがてジークフリートは騎士としての道を志した。
王国の辺境にある孤児院だったからこそ、王都の栄光に憧れた。強き者が光を浴びるこの国で、一旗揚げられると親友に期待され、師にはその教えを受けた。
二人は協力を惜しまなかった。
親友はアルバイト先のツテをたどり、格安でジークフリートに家庭教師を紹介した。
施設長は格闘術・剣術を教えた。
まさにスポンジが水を吸うが如く、ジークフリートはあらゆる教養を身につけ、自身と常識のズレを客観的に理解した。今の彼の特徴である『やや天然』とは、無意識下で計算された、自身の異常性を隠す処世術に他ならない。
「君の頭脳なら、騎士でなくとも、王都に行けば働き口はいくらでもあるだろうね」
ある寒い冬の日。
ろうそく一本だけを頼りに勉学に励むジークフリートに対して、家庭教師は素直な感想を述べた。
「……そうでしょうか」
「今君が解いているのは、騎士訓練校の入試過去問だ。歯ごたえがないだろう。このペースなら、商売の勉強をしても大成しそうなものだね」
「ありがとうございます。しかし……」
「ううん、君の性格も少しは知れたつもりだ。期待されているからには、応えたいんだろう?」
恥ずかしそうにはにかみ、ジークフリートは頷いた。
誰も彼の心配などしていなかった。
時は流れ、騎士志願書にサインをできる年齢になった。
「いいんだな?」
「はい。オレの夢は、施設長とあいつが期待してくれた通り、この国で最強の騎士になることですから」
その言葉に満足げに頷いて、施設長は志願書の保護者欄にサインをした。
一次試験は筆記試験。
辺境から少し馬車で移動した先の地方受験会場には、孤児院の子供たちが正門まで応援に駆けつけた。
「ジークフリートお兄ちゃん、がんばれー!」
「悪いやつ全部やっつけちゃえ!」
「いや、筆記試験なんだがな……」
苦笑しつつも、自分が騎士となるための第一歩に変わりはなく、胸が高鳴ったのを覚えている。
そして彼は一次試験を歴代最高得点で通過した。
全てが順調だった。
不安なことなど何一つなかった。
だが──実技をメインとした二次試験を目前に、施設長が倒れた。
病院に駆けつけたジークフリートに、ベッドに横たわる施設長と、傍らで沈痛な面持ちで座っている親友は、滔々と語った。
親友が施設の運営を引き継ぐこと。
なぜなら、施設長はもう長くないから。
呆然とするジークフリートに対して、施設長は一枚のメモを渡した。
「これがお前の……実の両親の連絡先だ」
「……ッ!?」
「二人は……私の、学生時代からの友人だった。お前は孤児院の前に捨てられたんじゃない。両親の腕の中から、私の腕の中へと、直接譲り渡されたのだ。ジークフリートという名も、彼らが名付けたものだ……」
頭が真っ白になった。
言葉を何か告げようとして、息が漏れるだけに留まった。
脳味噌が粘土になってしまったかのように、相づちを打つことすらできない。
「すまない、ジークフリート。本当はずっと……ずっと知っていたんだ……お前の親の顔も。声も……お前に、知らないままで育つことを強要したんだ……決して悪い奴らではないんだ」
分かっている。
もう成人まで間もない年齢なのだから理解出来ている。自分のこの身体能力こそ、きっと実の両親を困惑させ、或いは恐怖させ、自分をこの孤児院に誘ったのだろうと。
ぐちゃぐちゃになった思考の中で、ジークフリートは呻きそうになった。
今更何を。自分の親がどうこうなど、そんなの。
「王都へ行く前に……本当の父親に、一度ぐらい会っておくといい」
「オレの父親はあなたです!」
驚くほどに感情的な声だった。
それが自分が発したものだと遅れて気づいて、ジークフリートは驚愕した。
「……ジークフリート……」
施設長が驚きに目を見開く。
椅子から立ち上がり、親友がジークフリートの肩に手を置いた。
「オレの……オレをここまで育ててくれた……オレを導いてくれたんだ。父親とは、血筋だけで決めるものじゃない。オレにとっての父親はあなただ」
天井を見つめてから、施設長が静かに瞳を閉じた。
まぶたの端から静かに涙が零れていくのを見て、ジークフリートも泣いた。
ジークフリートは無事に二次試験を終えた。
主席合格の報が来るのにさほど時間はかからなかった。
お祝いをし、新生活に必要なものを見繕った。
寮生活に持ち込めるものは限られていたが、施設総出で彼にあらゆるものを買い与えた。
遠慮しようとしながらも、押し切られ、ジークフリートは苦笑しながらそれらを受け取った。
やがて準備も終わると、成すべきことは果たしたと言わんばかりに、施設長は安らかに逝った。
「王都へ、向かいます」
騎士訓練校の学生寮に入寮する前日。
ジークフリートは施設長の墓前で、父に報告をしていた。
「あいつは施設を、うまく経営しています。時世も味方しているようです。政府からの給付金が増えるとのことで、暖房器具を買い直せると喜んでいました」
何気ない報告を、微笑みながら告げる。
墓石は綺麗に磨かれ、ジークフリートの穏やかな顔を映し込んでいた。
花束を備え、彼は立ち上がった。身体に流れる血は異なっていても、多くの教えが血肉となっている。ならば疑いようもなく、二人は親子だった。
「ジークフリート……なのか……?」
横から聞こえた声。
彼は思わず振り向きそうになった。その声には途方もない困惑と、同時に、絶対に他者には向けるはずのない愛情がこもっていたのだ。
足音で判別できる。男女二名。手には何か抱えている。そう、例えば、ジークフリートが今捧げたような花束だ。
「ああ……ジークフリート……わた、したちは……」
「何も言わないでください」
鋭い声が喉から迸った。
施設長から少しだけ、話を聞き出せていた。
自分の一族は、定期的に亜人が生まれていたことがあると。肌に鱗が生え、翼の根元のような奇妙な突起が背中にある子供。
生まれる度にその赤ん坊たちは捨てるか、殺されていた。近年に入ってからはすっかりなくなっていたが──隔世遺伝だろう。ジークフリートは外見的な特徴こそなくとも、一族に悪夢の再来を予感させ、しかし時代と共に育まれた倫理観に助けられ、孤児院へと預けられた。
「この名をもらったことに、感謝します」
「……ッ。私たちが愚かだったんだ、ジークフリート……許しを乞う資格もない」
「いいえ。オレは確かに、まっとうな世界で、普通に育つことはできなかったと思います」
感情がぐちゃぐちゃだった。けれど言葉を必死に紡いだ。
ジークフリートは墓石を強く、強く見つめた。横を見そうになる自分を律し、その余りに涙ぐんですらいた。
顔が見たい。声を聞きたい。目と目を合わせて、優しく語り合いたい。
だが──もう遅い。遅いのだ。
「オレは王都で、騎士になります」
「……ああ。聞いていたよ」
「オレは……オレは。偉大な父がいたから、オレはこうして育つことができたのです」
振り向くことなく、ジークフリートは男女が歩いてきたのとは逆方向に歩き出した。
「さようなら」
ハッキリと告げた。
もう会うことはない。ジークフリートは自分の人生を歩き出していた。
今にして思えば。
(オレはあの時、何故二人を拒絶したのだろうか)
どうしても必要だった気がした。
二人の存在を受け入れてしまえば、今まで積み上げ、築き上げてきたものに対して、裏切っているような気がしたのだ。
ジークフリートはまだ当時、成人していない。
アイデンティティの確立のために、自分の意思で、父親が誰なのかを確定させた。
(……多くに恵まれ、悲劇に足を取られなかったからだ)
一歩違えば、自分の過去は暗いものだっただろう。
だがそうではなかった──そうでないように、助けられていた。
(だからオレは、これから絶対に、マリアンヌ嬢を助けなければならない)
強い義務感と、意志があった。
今先頭を歩いている少女は、肩で風を切って歩いている。けれどその背中は驚くほどに華奢なものだ。
見ただけでは分からない。けれど胸の内で、どれほどの感情が渦巻き、それを押さえ込んでいるのか。
(彼女をこのままにしておけるはずがない)
騎士として、だけではない。
彼女にとって、今の自分は頼れる大人だ。そう期待されている。
ならばジークフリートは、その期待に応えたいと切に思った。
(騎士として、オレは……彼女に、何ができるのだ……?)
日が段々と沈んでいく。
ジークフリートの懊悩に答えは出ないまま、決戦の時は近づいていた。
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