PART23 天魔轟臨/クローズ・トゥ・ジ・エッジ(前編)
地獄を統べる大悪魔。
そう呼ばれながらも、実態としては彼単体で地獄という一つの世界を構成してしまうほどの巨大な、余りにも巨大かつ強力な存在。
この世界において『上位存在』と分類される中でも、異常なまでの規模と威光を保つ存在。
そもそも上位存在とは、人間が生きる世界には本来現出し得ない個体を指す。
具体的な指標としてはあらゆる物理法則からの離脱、またその他の形而上的なルールが通用しないことがある。
例えば上位存在は、身体を破壊されても死なない。
例えば上位存在は、自分に合わせて周囲の世界を塗り替える。
存在の位階が違う以上、向こう側がその気にならなければ意思疎通は不可能。
時にその有り様は災害であり、時に守護者であり、時には神そのものと言わざるを得ない。
顕現の記録は各国が機密情報として蓄えており、身体の一部などを入手できた際は、国宝という名目で保管、様々な観察や実験が行われることとなる。
だが人間が上位存在の身体を破壊したことはあっても、絶命せしめた事例はほとんどない。
挑むことは勇敢ではなく愚行。
現れることは希望ではなく絶望。
ならば。
そんな上位存在が、二個体相対している今ここは。
まさしく、世界の終わりに最も近い場所だった。
滅亡のカウントダウンが途端に超高速で秒を刻み始め、あっという間にゼロになった。
そう言えば現状の理不尽さの、1%でも示せるかも知れない。
「なんだこの空は。相も変わらず美的センスのないやつだ」
手始めに空が引き裂かれた。
ファフニールが塗り替えた世界を、更に塗り返す──否。ズタズタに引き裂き、天空を星の一つも煌めかない漆黒とした。
「風景も良くない。我々は下位種族を、存在の脆弱さから軽んじる節があるが……彼ら彼女らは文化を発展させていく生き物だ。その趣を理解することの意義は教えたはずだがな」
次に景色が切り替わった。観光街がかき消え、燃え盛る荒野になった。
一帯を、現実世界から切り離し別次元へと誘ったのだ。かつて国王アーサーが行った、位相をズラすという絶技の広範囲版と言えば良いか。
「そして観客は──こんなところか」
神の御業にも等しい行いを、片手間のように二連続で成し遂げ。
ルシファーの視界にはファフニールとカサンドラと少年。
そしてロイ、ユイ、ユート、リンディ、ジークフリート。
最後にマリアンヌだけが残っていた。
「……あん、た、被害を出さないよう気を遣ったの……?」
「む……マリアンヌの友人か。元気そうで何よりだ」
恐る恐る声をかけたリンディに、しかしルシファーは首を横に振る。
「回答はノーだ。奴らが逃げられないよう、おれの世界に引きずり込んだ。ただそれだけだ」
「……ッ、そう。それで、私たちごと殺す?」
「興味はない。好きにしろ」
頷いて、リンディは倒れ伏すロイと、そのすぐ傍で呆然としているマリアンヌとユイに駆け寄る。
「ユート! あんたはジークフリートさんを拾って!」
「……! あ、あぁ……」
遠目に、紅髪の騎士が倒れ伏しているのは見えていた。
だがリンディに声をかけられて、やっとそこでユートは息を吹き返す。呼吸が止まっていた。絶死の場で、胸の上下すら致命傷になるのではと怯えていたのだ。
『……ルシファー。ルシファー、貴様は……!』
「喋るな」
再度腕を振るうも、ファフニールが飛んだ。
その巨体からは想像もできない俊敏さで宙を舞い、ルシファーが放った衝撃は大地に地平線まで亀裂を刻むに留まる。
「愚かなやつだ。神域へのアクセスを獲得した途端に、これか。浅はかな考えで亀裂まみれの計画を練り、疑いもせず実行に移すとは……」
言葉を紡ぎつつ、ルシファーは己の左手を見た。指の先が光の粒子となって解けつつある。
端末の器が、既に崩壊を始めていた。
それもそのはずだ。あくまでマリアンヌに打ち込まれた因子は、端末顕現のトリガーとするための代物。そこを起点として本体すら降臨するのは想定外の運用である。
「出力を制限しても、リミットは64秒か」
根本的に、この端末ではルシファー本体の意識が運用するには存在が小さすぎる。
崩れていく自分の身体を確認して、ルシファーは一つ頷く。
黄金の瞳が、正面に大邪竜と禁呪保有者を捉えた。
「論外だ。世界を8回は滅ぼせる」
翼が広がった。
漆黒の、夜すら飲み込む凶悪な六対の翼。
そこから無数の、真っ黒な光が放たれた。一筋の閃光と呼ぶに相応しい、極限まで凝縮されたレーザー。
上空でランダムな回避機動を取るファフニールを、そのレーザー群が絡め取るようにして捉える。
『ご……ッ!?』
堅牢な鱗が砕け、肉体を穿たれ血飛沫が舞う。
翼を根元から断たれ、ファフニールは全身から粘性の血をまき散らしつつ地面に墜落した。
(く、そ……ッ。なんだよこれは。何もできねえ、何かできると思えねえ!)
ユートは意識を失っているジークフリートを背負い退避していたが、大きく揺れた地面に足を取られ転びそうになった。
もしもマリアンヌの意識が明瞭であれば、まるで今の自分たちはパニック映画の一般人たちのようだと自嘲しただろう。
「それで、どうだ」
ゆっくりと、ルシファーが歩く。
両眼に憎悪を滾らせ、ファフニールの落下地点にたどり着き、竜の眼を覗き込む。
「お前は……おれの大切なものを穢した。お前の汚い手で触れることなど到底許されざるものに触った。代償は滅死だ。消え去る覚悟はできたか」
『ぐが……ッ。システムの、分際で! 理由もない破滅をただ出力する、意思なき人形の分際でェェッ』
超高速で身体を再生させ、ファフニールがルシファーに対して憎悪の声を上げる。
喉元が発光し、それが順次せり上がり口頭へ到達。
大きく顎を開け放ち、指向性を持った業火をそこから放った。
「見苦しい、聞き苦しい。度し難いな。負け惜しみすら三流ときたか」
指の一弾きだった。
右の人差し指をピンと弾けば、ファフニールの息吹は跡形もなく砕け散った。
「それと、先ほど意思なき人形と言ったが……見る目がないのは知っていたが、ついに視力も失ったのか? おれは今、おれ自身の意思でここにいる」
最大火力が瞬時に霧散し、ファフニールは呆気にとられている。
そして呆気にとられていたまま、首を根こそぎ吹き飛ばされ、胴体すら抉り散った。
すぐに再生が始まるだろうが──それより彼の方が早い。
ルシファーは静かに右手を伸ばし、今度こそ息の根を止めようとして。
「カサンドラ!」
「準備完了したわ」
ふと響いた、ファフニールに従っていた二人の声。ゆっくりとルシファーは振り向いた。
カサンドラの背後に展開されているは、水によって形成された巨大な砲塔。
その狙いが定められる。ルシファーは眉一つ動かさない。
「圧縮水流貫通砲ッ!!」
水の砲塔から撃ち出される、水の砲弾。
十三説詠唱の恩恵を受けたそれは都市の一区画程度なら跡形も残さず蒸発させられる威力だった──が。
「こざかしい」
ルシファーは甘んじてそれを受けた。
顔面にクリティカルヒットしたそれが破壊の嵐を巻き起こす。
しかし数瞬の後、嵐は中心点から叩き切られた。そこには無傷の大悪魔が佇んでいる。
「このおれに。よりにもよっておれに、禁呪の力が通じると思ったのか」
「通じるわけないわね……だけど!」
「抑制結界展開!」
少年が叫び、地面に両手をつくと同時。
砕かれた水の砲弾、ルシファーの周囲に飛び散った水滴一粒一粒が光を保つ。
大悪魔を中心点として、光と光が結ばれ幾何学的な模様を描いていく。
「ほう──そうか。顕現術式から逆算したのか?」
感心したような声を上げるルシファーは、腕を組み自分を取り囲む文様を眺めた。
「これは見たことがなかったな。それもそうだ、おれを呼ぶ者がおれを止めるはずがない。上位存在をあえて召喚した上で迎撃しよう……など、よほどの馬鹿か、あるいは相当に頭がキレる者でなければ実行には移さんだろうからな」
「何をごちゃごちゃと! お前は邪魔なんだよ!」
少年の叫びと同時、輝きが一層強くなる。
ルシファーは腕を組んだまま、嘆息した。
「一つ忠告するが、夢と現実の区別は付けられるようになっておけ」
同時。
光が黒く変質した。
抑制結界の主導権を、あっさりとルシファーが奪い取ったのだ。
「……え?」
「真っ向から砕いてやってもいいが。しかし……召喚術式に最も精通したおれを、召喚術式ベースの抑制結界で止めようというのは少し考えが甘すぎるぞ」
絶句するしかなかった。
通用しないどころか、逆に手中に収められた。
少年が描いた抑制結界が色を変え、宙に浮かび、そのまま再生途中のファフニールへ絡みつく。
『な……!? なんだこれは!? ルシファー、貴様こんなこざかしい真似を……!?』
「おっと、やつには効くのか。ならば大したものだ」
気づけば少年のすぐ傍にルシファーがいた。
「そうか。上位存在の力を借り、糸に操られ踊る人形だと思っていたが……上位存在への対抗策を用意していたか」
「ヒッ……」
至近距離で瞳を覗き込まれ、少年の喉から恐怖の息が漏れた。
だがルシファーは数度まばたきをすると、鷹揚に頷く。
「心意気は認める。些か力不足が過ぎる、という指摘は野暮だろう」
「……へ?」
「む……噛み砕いて伝えるべきか。そこそこに気に入った、と言った」
少年と、すぐ傍で迎撃態勢を取ったカサンドラを眺め、ルシファーは言葉とは裏腹に表情を憎悪に歪めていた。
「だが裁定は変わらない。お前たちはここで死ね。彼女の心を踏みにじった罰として世界ごと砕けるがいい。おれには縁のない話だが、あの世とやらで泣いて詫びろ」
「……! か、カサンドラ、ぼうぎょを」
「死ねと言っているだろうが!!」
怒号と同時、ルシファーが左手を天にかざす。
既に半ば光の粒子と化していたそこを起点に、莫大な力の波動が発生し────
その光景を。
生気を失った瞳で、ずっとマリアンヌは眺めていた。
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