PART21 浸食侵犯フルクトゥス(後編)☆
「なあカサンドラ」
「何かしら、協力者さん」
観光街の空気は凍り付いていた。
横を通り過ぎようとしていた生徒らも、攻撃魔法の出現に動きを止めている。
「さっきから気になってたんだけど……お前さ、マリアンヌと知り合いだったの?」
「この国に来たとき、偶然知り合っていたわ」
「えっ? マジ?」
「ええ……人生で、一番の親友になれたかもしれない。友情を感じるのは生まれて初めてだったわ。だけど、運命なら仕方ないわ」
「えっえっえっ、ちょっ、えっ? そ、それはちょっとその……いや、えぇ……? だ、大丈夫か? やめとくか?」
「いいえ──もう遅いわよ。賽は投げられたもの」
言葉と同時。
カサンドラさんの全身から、絶対零度の殺気が吹き荒れた。
「ジークフリートさん──!」
「承知している!」
動けないわたくしをユイさんが抱えて飛び退く。加護を発動させたのだろうか。
入れ替わりに飛び込んだのは、大剣を振りかぶったジークフリートさん。
「先制攻撃を確認した以上、実力を行使させてもらう!」
満身の力で叩きつけた刀身は、しかし張り巡らされた水のヴェールが受け止めた。
衝撃に大地が砕け散り、舗装されていた道路がめくれ上がる。
「あれは──水が衝撃を受け流してる!? 魔法制御のはず、だけどあんな完璧に……!?」
わたくしを抱えたまま、ユイさんが呆然とした声を上げた。
数度切り込むが、ジークフリートさんの斬撃は彼女に届かない。
カサンドラさんが表情を変えないまま、防御用ヴェールの後ろで攻撃用の水の翼を展開した。騎士がそれに対しガードの姿勢を取って。
「……ッ!?」
直後、ジークフリートさんが咄嗟に身をよじる。彼らしくもない明確な回避行動。
放たれた水の刺突が空を切った。間合いを取り直し、ジークフリートさんは剣を正眼に構えた。彼の頬を一筋の汗が伝っている。
数秒遅れて気づく。カサンドラさんは、紅髪の騎士が大剣でガードを構えたのを見てから、そのガードをすり抜ける形で攻撃を再構成したのだ。
「ジークフリート!」
フォローに入る形でユートが飛び込んだ。知らないうちに詠唱を済ませたのか、両腕を焔で覆っている。だが『灼焔』ほどの出力はない、別の魔法だ。十三節詠唱をしている暇なんてなかったのだろう。
「ユート! 無茶は!」
「分かってる! だけどこいつ、マジで強ぇ!」
二人がかりで攻め込むも、まるで余裕が崩れない。
凄まじい連撃をいなし、受け止め、カサンドラさんは涼しい表情で不定形のヴェールを操る。
「あの出力……十三節の完全詠唱としか考えられません……!」
「みんな逃げて! ここから離れてッ!」
「こっちに避難を!」
リンディが素早く避難を叫び、ユイさんとロイは危ない位置に居た通行人を引っ張り、あるいは抱えて避難させていく。
わたくしだけが何もできていない。
安全地帯に置かれ、ただ現実を受け入れられないまま震えている。
……死んだ? お父様が? まさか。
そんなはずない。殺したって死にそうにない人だ。
ふと足下を見た。
戦闘の余波に吹き飛ばされたのだろう、シルバーのネクタイピンが転がってきていた。
恐る恐る、震える手で拾い上げる。血がこびり付き、清潔な輝きを失ってしまっていた。ルビーにはヒビすら入っている。
もう買い取りはしてもらえないな、なんてよく分からない考えが浮かんだ。
「……おいカサンドラ。いいんだよな? マリアンヌが相手と知った上でも」
「ええ、構わないわ。貴方は貴方のお話を書きなさい」
「オーケイ」
カサンドラさんの後方で事態を眺めていた少年。
彼は指に引っかけたキャップをくるくる回しながら、わたくしの方へ歩いてくる。
「……ッ! マリアンヌさんに近づくな!」
「おおう。主人公っぽいな今の」
慌てて間に割って入ったユイさんを見て、少年が醜悪な笑みを浮かべた。
「違う違う。そいつを傷つけたりは──いやまあ、傷つくといえば傷つくのか」
「何を、訳の分からないことを! 何が目的でこんな!」
「おい、マリアンヌ。マクラーレン・ピースラウンドの最期の言葉を教えてやろうか?」
思考が止まった。
「カサンドラに串刺しにされて、ズタズタにされて、八つ裂きにされて」
ジークフリートさんとユートがいつの間にか膝をついていた。
肩で息をしている彼らの頬は、血に濡れている。
「足手まといの騎士を庇って。市民に攻撃が届かないよう力を割いて。馬鹿だよな、まあそういう馬鹿だって分かってたからやったんだけど」
チリ、と嫌な音がした。
「それでも最期にこう言ったんだよあの男」
チリチリと何かを焦される音。
その音は頭蓋骨の中で響いていた。
わたくしを急かすその音がどんどん音量を大きくしていって。
「『私を超えた自慢の娘が、必ずお前に勝つ』──だってさあ!」
最後に。
ブツンと、頭の内側で嫌な音がした。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!」
恐ろしいほどに自分が冷静だった。
喉が張り裂けるほどの叫びを上げながらも、思考の一部は瞬時に回転し、絶叫の裏側に詠唱を貼り付けた。
十三節詠唱完全解号の、理論上の最速起動だった。
一気に飛び出したわたくしは右の拳を思い切り少年の顔面へ叩き込もうとして。
「貴女の相手は私よ、マリアンヌ」
冷たい感触。
透き通った水が、渾身の力で打ち込んだ右ストレートを受け止めていた。
「アナタは! アナタが……ッ!」
「あら……そんなに怒って、マリアンヌ。大丈夫よ、安心して」
突破できない。
事前に詠唱を済ませていたというのは分かる。だが、なんで。
なんでだよ。なんで、なんで!
なんでこんな薄っぺらい壁すら破れないんだよ!
「犠牲は、乗り越えるためにあるの。だからきっと貴女も分かってくれるわ」
「何を! 何を、訳の分からないことを……ッ!」
水のヴェール。薄皮一枚程度のそれを、打ち破れない。
拮抗が続く。無理に押し込もうとしても、一ミリたりとも前へ進めない。
流麗な水越しに視線が重なる。
カサンドラさんは少し悲しげに微笑んで告げた。
「だって今──犠牲に報いようとしているでしょう?」
愕然とした。
「……あ、なたは。アナタは、まさか」
「ええ……マクラーレン・ピースラウンドの殺害任務を言い渡された時に、運命を感じたわ。お父上を喪って、貴女はまた強くなる。もっともっと強くなれる。だって私がそうだったもの」
バチン、と身体が弾かれた。
のけぞるわたくしに、水の刃が殺到する。それらを裏拳で払おうとする。
刃はしなって迎撃を回避し、そのままわたくしの肩に食い込んだ。
「ぎっ……!」
「お風呂で、会ったとき……知らなかったわ。知らなかったのよ、マリアンヌ。知らないままここまで来てしまったのよ、私たち」
激痛に瞼の裏側で火花が散り、その場に蹲りそうになる。
ユイさんが飛びかかり、しかし鞭のようにしなる『禍浪』を受けて吹き飛ばされた。
「きっとこれは運命だったんだわ。貴女が禁呪保有者だなんて──ともすれば悪夢。けれど、今回に限ってはこの上ない幸運よ」
「……ッ!?」
顔を上げて、ぎょっとした。
彼女は泣いていた。
カサンドラさんは、その碧眼から涙を流しながら、そして、笑っていた。
「お互いにもっと高め合えるわ、マリアンヌ。さあ学びなさい、こちらも学ばせてもらうから……!」
何だ、よ。
何勝手に覚悟完了してんだよ。
こっちは全然、だって、わたくしたちは、友達で。
〇宇宙の起源 だから逃げろ何突撃してんだよ本当にこれは逃げないと駄目だって!!!
〇みろっく 待って待ってどうなってんのこれ
〇苦行むり 負けイベの前倒しとかじゃない!負けたら本当に死ぬぞこれ!!!
「マリアンヌ嬢、下がれ! 今の君では無理だ!」
全身から加護の光を解放し、ジークフリートさんが血を吐きながら立ち上がる。
「ここはオレが食い止める! ユートすまない、皆を連れて逃げるんだ!」
「冗談、じゃねえよ……! 友達を見捨てろって……!?」
「友達だからこそだ、頼む……!」
大剣を握り、深く息を吸って、騎士が再びカサンドラさんを見据えた。
「それ以上の狼藉、看過するわけにはいかない! 目的がなんであれ、貴様たちはここでオレが──」
「ああ、違う。違うよジークフリート。お前の相手は違う」
不意に。
少年がキャップを上に投げてはキャッチして遊びながら、唇をつり上げる。
「もう役者は揃ってるんだよ。お前には適切な相手がいる。とびっきりの悲劇を、いや……恐怖劇を演じて欲しいんだ」
「……ッ!?」
「こいつがそう願ってるんだ──そうだろう? 大邪竜」
その名を少年が告げた瞬間。
────夜が訪れた。




