悪魔
青年が二人、狩りの獲物を担いで山を下りてくる。
「ゼン、今日も大猟だったな!」
ゼンの担いでいるイノシシをちらりと見やり、俺は自然と笑顔になり言った。
「まーな。ピンスもだいぶ腕が上がったんじゃないか?」
「ゼンのおかげだよ」言うと俺は走り出す。「村まで競争な!」
「おーい、こっちは獲物担いでんだぞー」
笑いながら言うゼンに、俺だって薬草籠持ってるって! と、笑いながら答えた。
結果は、イノシシを担いでいるというハンデを負っているにもかかわらずゼンの圧勝だった。
ぜーぜーと座り込む俺をよそに、ゼンは息一つ乱さず獲物を解体場へ運ぶ。
「まだゼンには勝てないか……体力も付いたと思ったんだけどな」
息を整えて解体場に行くと、先にイノシシの解体を始めていたゼンが笑って迎えてくれた。
「鍛え方が違うからな。年季が違うって言うか?」
「それ言われちゃあ言い返せないな」
二人で手早く解体していく。
「それでも、ピンスは頑張ってるよ」
「ありがとう」
「あれからもう一年か?」
言いながらもゼンの手は止まらない。解体の終わったイノシシの肉を、用途ごとに分けて適当な場所へ移動させる。こっちは食用、こっちはあぶら、毛皮――。
「そうだな……あれから一年か。早いような短いような」
俺は一年前――初めてゼンと出会った時のことを思い出す。
********
その日、俺は父の指示で森に入っていた。今の時期しか採れない薬草を確保したいが、村には他に手が空いている者がいなかったのだ。
普段はもっぱら家事ばかりして家から出ないため体力はないが、まぁ、薬草集めなら何とかなるだろう。小さな村で細々と暮らして行くには、皆で協力しなければ。
薬草の群生地に着くと、俺は奇妙な獣が倒れているのを見つけた。クマ……にしては手足が長いが、オオカミにしては鼻が短い。
あまり家から出ない俺の知らない獣なのだろうと、気にしないことにした。獣の死体は好ましくないが、どうこうできるモノでもなし。いずれ土に還るだろうと、気にせず頼まれた草を摘むことにした。
夕方。朝からの採集のおかげで、ようやく手持ちの籠が薬草でいっぱいになった。今日はもう引き上げようと振り返ると、先程の獣がこちらをじっと見ている。
「あれ、生きてた……?」
よく見ようと近付くと、獣は体を起こそうとして失敗し受け身も取れずに倒れた。
「無理すんなって、ほら、俺の弁当やるから」
なぜか放っておけなくなり、俺は弁当の残り(肉を食べた後の骨や果物の皮など、弁当とは呼べないが、まだアレンジ次第では食べられるため取っておいた)を獣の鼻先に置き、帰宅した。
翌日、再び父に指示され薬草の群生地に行くと、昨日の獣が木の根元に座ってこちらを見ていた。
「あ、キミは昨日の。元気になって良かったね」
「おー、昨日のアレのおかげでね」
返事が返ってくるとは思っていなかったので驚いた。さすがの俺でも獣が人の言葉を喋らないことは分かる。
「なに、キミ、なんなの?」
そう問うと、獣はにやりと笑い俺との距離を詰める。まだ空の籠を抱きしめ後ずさるが、獣もこちらに近付いてくる。
――獣?
恐怖は興味に変わる。
「キミ本当何なんだ? 昨日はもっとオオカミみたいな顔してたよな?」
もっとよく観察しようと俺が身を乗り出すと、獣は逆に腰が引けたようだった。
「はー、負けだ負け! オレが威嚇しても平気な人間って何だよー」
すねたようにこちらに背を向けると、元いた木の根元にどっかりと腰を下ろす。まー今の力じゃ迫力も半減だろうけどさー、などとつぶやいている。
「で、何なんだ?」
「何でもいいだろ」ぼそりとつぶやく。「実家で楽しくやってたのに、いつの間にかこんな知らないところに放り出されてそのまま放置だ。やってらんないよ」
一度もこちらを向かないまま言い捨てると、背を向けて丸くなった。
「もういいだろ、さっさと薬草摘んで帰れよ」
「まあ、薬草は摘むけど……。ちょっと早いけど、ほら」
そう言って、弁当を差し出す。
「実は、弁当を余分に作ってある。一緒に食うか?」
「……おう」
顔だけでこちらを向き、獣が答えた。
そしてまた次の日。
「お、まだ居た! だんだんと毛づやが良くなってきてるな」
弁当を差し出しながら声をかける。
「行く当てがないからここに居るだけだし。犬猫じゃあるまいし、毛づやって言うなよー」
二人して笑う。
今日は父からの指示は受けていないが、家のことを手早く終わらせてここに来ていた。
次の日もその次の日も。俺は毎日獣に会いに行った。
どうにか口実を見つけて(見つけられなくなってからは人がいない隙を狙って)森にやってきた。
「待ちくたびれたー」
俺を見つけると、獣が迎えに来る。
「俺じゃなくて弁当待ってたんだろ。はいはい、お待たせだ! 今日は豪華に作ってきたぞ」
何日か前から持ってくるようになった敷物を広げ、二人してその上に座る。
楽しい午後のひと時。獣と俺は交流を深めていった。
そんな生活を続けていると、父から話があると呼び出された。
「ピンス、森で何やってる?」
父の書斎で。まっすぐにこちらを見ている父。
「人と会ってる」
「人?」
「家から追い出されたって、森に棲んでる」
それを聞くと父は少し考えてこう言った。
「もう森には行くな」
腹が立った。獣が貶められたようで、あの楽しい時間を否定されたようで。
「何だよ急に! 父さんが森に行けって言ったんだろ!」
「それは薬草を採るためだ。ピンス、お前が悪魔と接触していると噂が立っている。ほとぼりが冷めるまでは家にいろ。森へは近付くんじゃない」
「あいつは悪魔なんかじゃない!」
「ピンス、待ちなさい!」
父の止める声を背に、俺は家を飛び出し、獣のもとへ走った。
始めて来る夜の森。通い慣れた道を進むが、小さな明かり一つでは心もとない。
途中何度も転びかけて、やっと獣のいる広場に辿り着いた。はたして獣はいつもと同じ場所にいたが、様子がおかしい。
「おい、どうしたんだよ」
声を掛けるが、獣は喉の奥で唸るだけで返事をしない。
「返事……」
と肩に手を掛けようとすると、地面に押し倒された。
「なっ……! どうしたんだよ!」
獣の息遣いが荒い。
「ピンス――」
息のようなかすかな掠れ声で、名前を呼ばれた。
押し倒された時に取り落とした明かりが、獣の顔を照らす。
その顔が苦痛に歪む。
「ぐ……っ!」
獣が苦しそうな声を上げる。そのまま崩れ落ち、俺に覆いかぶさるようにして気を失った。下敷きになった俺は、何とか獣の下から這い出る。強い光がこちらを向いており、まぶしい。
「お前は、まさか本当に」
「父さん……?」
光を当てられているので相手の顔は見えないが、父の声だった。
「ピンス、夜の森は危険だ。早く戻ろう」
まだへたり込んでいた俺に手を差し出してきた父の手は、血で赤く染まっていた。
「父さん、どこか怪我を?」
「その悪魔の返り血だ」
忌々しそうに手を拭う。ほら、と促されるが、俺は父の手を取れずにいた。
もう一度獣を見やる。息は荒いが生きている。助けたい。
「いやだ!」
俺は父の手を振り払い、父から守るように獣を覆い被さる。だって、あんなに楽しそうに弁当を食べる彼が、悪魔なはずがない。
「彼は悪魔なんかじゃない! 俺の――、俺の大切なひとなんだ! いや、悪魔だろうが構わない!」
俺がそう言うと、獣の体が淡く光った。それが次第に強くなり、ついには目を開けていられないほどになり、辺りは光に包まれ、オレは気を失った。
頬をぺちぺちと叩かれ、意識が浮上する。
「ピンス、ほら、起きろよー」
肩を揺すられる。心地の良い声。まどろんだまま、ずっとこの声を聞いていたい。
「ほら、もう目は覚めてるんだろ? 起きろー」
バレている。仕方がなく目を開ける。
「おはよ、ピンス」
こちらをのぞき込む顔があった。――誰? 怪訝な顔をしていると、その誰かは楽しそうに笑った。
「オレだよオレ。ここで逢瀬を重ねた、獣」
「は?」
改めて彼を見ると、毎日会っていた獣とは似ても似つかない姿をしている。獣っぽさはなく、引き締まった体つきをした好青年だ。俺はからかわれているんだろうか。
「見た目変わったし、性質も変わっちゃったからなー」
耳に心地良い話し方は、逢瀬を重ねた獣のものだったので、とりあえず説明を聞くことにした。
彼の名はゼンで、やはり元々は悪魔だったらしい。あの獣の姿は、彼の種族の特徴だそうだ(後で聞いたが、悪魔にも色々な種類がいるらしい)。
最初に彼が語った通り、ある日気付くとこの森に来ており、途方に暮れていたところを俺に助けられた、とのこと。
最初は、俺を獲物として見ており、気を許したところを喰らってやろうと考えていたそうだ。
「俺、危ない橋を渡ってたのな」
穏やかな声に耳を傾けながら、人ごとのようにつぶやく。我ながら危機感がないが、仕方ないだろう。
ゼンは先を続ける。ゼンが今のゼンになったのは、昨夜のことらしい。キッカケは、俺を守りたいという気持ちだったそう。悪魔が人間を守りたいなんて普通は考えられないよなー、とゼンは笑いながら言ったが、ゼンみたいな悪魔なら、そんな気持ちを持ったとしてもおかしくないと思う。
「さて、帰りますか」
一通り話し終わると、ゼンが言って立ち上がった。
「……帰るって、どこへ?」
ゼンがどこかに行ってしまう気がして、情けない顔になる。
「そんな顔するなって。ピンスの家に帰るんだよ」
「俺の?」
「そ」
まぁ行けば分かるって、と言い、スタスタと歩いて行く。
「あ、待てって」
追いかける。家までの道は、俺は無言だった。ゼンのことを父に何と言おうか、そのことで頭がいっぱいだったし、ゼンはゼンで特に話し掛けても来なかったから。
「ただいまー」
家の前に着くと、ゼンが躊躇うことなく玄関のドアを開ける。
「は、ちょっと、まだ心の準備が」
しかし時既に遅し。ゼンはそこが自分の家であるかのように振る舞っている。
「ゼン、お帰り。おお、ピンスも一緒か」
玄関先で父が出迎えてくれる。
「はい、そこで一緒になりました」
「で、今日の首尾はどうだった?」
ゼンはいつの間にか担いでいたリュックを下ろすと、ウサギを二羽取り出した。
「今日はこれだけです」
「上出来! 二人とも疲れただろう、ゆっくり休みなさい。ウサギはこちらで処理しておくから」
はーい、と返事をして父にウサギを渡し、俺の部屋に向かうゼン。何が何だか分からないままに、俺も後を追う。
部屋に入ると、外に声が聞こえないよう声を低くしてゼンを問い詰める。
「どういうことだ?」
「見ての通り、ピンスの父上はオレのことを下宿人だと思ってる。設定としては、家族と生き別れて行き場がない男、だな。まー嘘でもないし」
「なぜ?」
「昨夜のことは、ピンスは覚えてる? あの時にオレは悪魔ではなくなったんだけど、その副作用みたいなもので、周囲の記憶が書き換わったらしい。――もしくはその逆か」
「逆?」
「オレがピンスを守るために周囲の記憶を書き換えて、その副作用で悪魔ではなくなったのかもなーって思った。あの時まだオレは悪魔だったし、父上にはピンスは悪魔に心を売ったように見えてたんじゃないかな。現にオレは酷く背中を切り付けられてヤバかったし、父上が止めなければ、父上と一緒に来ていた奴がピンスを殺してたと思う」
ゾッとした。顔から血の気が引き、手足が冷たくなるのが分かる。今さらながらに震えが来る。
そんな俺の肩を、ゼンは優しく撫でる。
「なんせ人間のためを思って何かするなんて初めてだし、何が起こるか分からないよなー」
はぁ……とため息をつく。ゼンの体温を近くに感じ、少し落ち着いた。
「それじゃ、今のゼンは何なんだ? 悪魔ではないんだろ?」
「それがなー、よく分からない」
「自分のことなのに?」
「そ、自分のことなのに。ピンスといれば、分からなくても生きて行けそうな気がする」
それから俺はゼンに教えて貰って外での仕事を覚えた。逆に俺は家事全般を教える。あの夜のことは、父も含めて村の誰も覚えていないというので、わざわざこちらから話題を振ることはしなかった。
********
そんな持ちつ持たれつの生活をしながら、一年も過ぎた頃。今では俺たちは一緒に狩りをする仲だ。とはいえ、イノシシを担いだゼンにすら走りで負けるありさまなので、俺はもっぱら弁当係だと思っている。
「今、一年前のこと思い出してたんだ。やっぱりアレは夢だったのかなぁ」
イノシシの解体後の片付けをしながら、ぽつりとつぶやくと、隣で一緒に作業していたゼンが答える。
「ホントのことだってば。あの時はたぶん、ピンスを守るためには、まぁ、無我夢中だったんだ」
ふぅん……と答えると、また新たな疑問が。
「でもよ、その前に俺はゼンに襲われそうになったよな?」
「あー……それは……」言いにくそうだ。「月のない晩だったし、オレは悪魔だったし、己の欲望に従ってしまいました、的な?」
それって、もしかして――?
あの時のゼンの表情。それを思い出し、俺は察してしまった。
「ま、父上に止められて未遂に終わったんだけどなー」
軽く言うが、身内以外でこんなにストレートに好意を寄せられたのは初めてだし、何と返していいか分からない。赤くなってしまった顔を見られないように、ゼンに背を向けて狩りの道具を整備し始める。
「もう悪魔じゃないから襲ったりしないってー」
ごめんごめんと言いながら、片付けを追えたゼンが隣に座る。
「違う、そうじゃない」
顔を背けながら小声で。
「……俺も、ゼンとならいいかなって、ちょっと思った」
ビックリした顔で俺を見る。それから笑顔になり、抱きしめられた。
「まだまだ先は長いんだ。ゆっくりやってこーな」
これからもよろしく、と耳元で囁かれた。
三題噺のお題メーカー(https://shindanmaker.com/58531)さまよりお題を頂きました。
「悪魔」「残骸」「きわどい記憶」:BL