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買い物帰り




 ーカラカラカラ。

「ただいま戻りました」


 涼やかな音をたてて木戸が開かれる。その向こうで声を上げたのは妙齢の女であった。腰まである艶やかな金の髪を室内を抜けた風が悪戯に擽っていく。買い物帰りなのだろう。両手で抱え保つように紙袋を保持している。

「……おかえり」

 そんな女を気怠げな声が迎えた。よく見れば小さな白い腕が木張りの廊下に混ざっていた。

「お暑いですね」

 見えないのを良いことに、女は苦笑を浮かべて腕を見やった。自身の飼い主でもあるこの主のだらしが無いのはいつものことだ。それでなくとも、このところ暑い日が続いている。あんなところで寝転んでいるのも、きっと寝台が暑くてたまらないからだろう。

 そんな推察をしながら、履物を脱いで廊下へ上がる。日差しが届かないおかげだろう、ひんやりとした感触は確かに気持ちが良い。履物の中で蒸れていたこともあってその心地良さに知れず弛緩するような吐息が漏れた。

「お昼は何?」

 居間から声だけがやってくる。すでに動く気力がないのだろう。荷物を台所へと運びながら、女も声だけを返す。

「暑さが厳しいので冷麦でも、と考えておりました」

 食欲のあまり湧かないこの時期の定番メニューである。のど越しも軽く、食べる気が無くともある程度は摘むことができる。それに調理の手間も薄い。まぁ、竃の大鍋を使わなくてはならないことだけが気が重いポイントではあるが。

「……そう」

「すぐお召し上がりになられますか?」

 主の気の無い返事に問いを投げる。荷物の整理を終えて、振り向いた廊下の光景には先程まであった白い腕が消えていた。

 あら、と心中で呟く。あの様子ではしばらく動くことはないと考えていた女にとってその光景は些か不思議なものだった。数瞬後、さらに小首を傾げることになったが。

 廊下に姿を現したのは黒い長髪を無造作に背中に流した少女であった。暑かったためか、だらしの無いだけか身に纏った襦袢はすっかり肌蹴てしまっており鎖骨どころか発展途上の乳房すら見え隠れしている。足の方も惨憺たる有様で、その白い肌はすっかり付け根の方まで見えてしまっており、もし女以外の誰かに見られたのならどこで襲われたのかと心配する程であろう。そんな明らかに露出過多な肌の表面は汗に濡れて妙に艶やかであり、だらしが無いのは間違いないにも関わらずどこか目を離せない独特の色気を放っていた。

 そんな惨状でも、女にとっては見慣れた主人である。むしろ動き出したことに驚きながら近づいてくる様子を観察する。居間よりも廊下の方が涼しいことに気付いたのだろうか、その場に寝転ぶのはさすがに止めて頂きたいな、などと考えながら。

 女のそんな思考を想像だにせずに少女は歩を進め、廊下の端に腰掛ける。台所が土間になっているおかげでまだ体裁は整っているものの女としては主がいつその場で寝転がり出すか気が気では無い。そもそも丁度良いからと座るところではないのだ。

「……すぐ作れるのかしら?」

 女のそんな内心など知ったことでは無いとばかりに黒髪の少女は女へ視線と疑問を投げかける。その様はどこか物憂い気で儚さを感じるものの、服装で全て台無しである。

「……ええ、と。はい。お湯を沸かす時間は頂きますが」

 一瞬、何を言われているのかわからなくなった女であったが、すぐに自分の疑問への答えなのだと気付いた。そして、そう言い出したということはすぐに食べるということなのだろうと判断し準備にかかる。水瓶から必要分を鍋に移して竃に乗せる。薪をいくつか竃へと放り込むと、火種の用意にかかる。

「……まだるっこしいわね」

 その様子を黙って見ていた少女が不満気に声を上げる。女に少し竃から離れているように言うと、彼女は小さく腕を動かした。

 何かを捕まえるように指を摘んで持ち上げる。すると、まるで連動するように鍋の中の水が持ち上がって空中で球形を成す。まるでそこだけ重力が失われたかのような不可思議な光景。それを見て、女は主に気付かれないように小さく苦笑する。結局の話、主は手伝いをする為にわざわざここまで来たのだろう。おそらく竃の暑さで女が参ってしまわぬように。ひどく怠惰でありながらどこか優しく憎めない。身内に甘く、内側に入れたものを決して見捨てない。それでいて外側の存在には一切の執着を見せない。それがこの黒髪の少女の形をした化け物への、女の正直な評価だった。

「……できたわよ」

 少女はそう女に声をかけると廊下に寝転がった。鍋の中からは湯気が立っており、ポコポコと沸騰した音がしている。楽になった己の仕事と主の様子を見て、女はため息を零した。

「お湯を頂けるのは有り難いのですが、もう少し身形を整えてお過ごし下さいませ」

 そう言うと女はゆるりとした動作で少女へ近付き手を伸ばす。

「嫌よ。暑いもの」

 それに対して言い訳にもならないことを口にしながら、少女は身をよじってその手から逃れようとする。広いわけでもない廊下で、寝そべっている時点で逃れられるわけがないのだが。

「この程度の熱など、やろうと思えば遮断も出来ましょうに」

「それでは風情がないじゃない。夏は暑いものよ」

 女に手を引かれて姿勢を正されながら、その言葉を否定することもなく益体も無いことを口にする。

「そうおっしゃるなら、せめて服装を……んっ!?」

 困ったように表情を陰らせながら小言を口にする女の口を自らの口で塞いで、少女はしてやったりと初めて表情を変えた。

「こうしていればなんだかんだと近付いてくるでしょう、貴女は」

 耳元で囁かれる言葉に、女は恥ずかし気に頬を染める。が、それはそれこれはこれとばかりにその体を突き放すと無言で少女の衣服を整え始めた。

「あら私、襲われてしまうのかしら」

 一度脱がせたほうが早いとばかりに腰紐を解けば、こっそり身を寄せた少女の軽口が耳に届くが、当然それは無視する。が、完全にスルーとはいかなかった。完全に前が開いた襦袢の向こうに見える汗に濡れた白い肢体が、確かになんだか艶事めいた淫靡さを纏っていたからかもしれない。女は頬どころか特徴的なその長耳を朱色に染めながら手だけはなんとか止めずに動かし続けた。


 ややあって、なんとか整え終えたことに安堵の息を吐く女と不満気な表情を浮かべる少女がいた。空気としては腕白盛りの子供になんとか制服を着せ終えた親子に近いだろうか。

「どうせなら汗を拭いてから着せてくれれば良いのに」

 唇を尖らせて文句を言う少女。そうしていると年相応に子供らしい。が、狙いのわかっている女としてはその様に釣られてなどいられない。

「わたくしの作る昼餉など不要、と仰られるなら御用命をお受け致しますが」

 少し哀しげに眉を伏せる。肩も力無さげに落として見せると少女は少し慌てたように表情を二転三転させて、元あったような無表情へと還る。

「……もぅ。セリのそう言う所は狡いと思うわ」

 整った衣服と表情で廊下の縁に立つ少女はまるで人形のような美しさだが、口にした言葉は感情豊かに不満を伝えてくる。申し訳ありません、と女も精一杯に姿勢を正して頭を下げた。

「まぁ、いいわ。とりあえずご飯にしましょう。いつまでも沸かしているの疲れるのよ」

 そう言うと少女はまた、廊下へと座り込んだ。台所の土間へと素足を投げ出して遊ばせる。その様を女はくすりと微笑んで見ると、かしこまりました、と竃へと向かっていった。

 鍋の水は、未だ強い熱源に晒されているかのようにポコポコと湯気を湛えていた。


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