長閑な一日
ああ、優しい日の光が目に眩しい。
思わず目を細めた。
ジュリエットとの約束の日が穏やかでよかったと心から思う。
王都郊外にある公園は一般に開かれているが、その奥にある小さな湖と庭園は貴族専用の場所だ。入り口には守衛が立ち、きちんと管理されているから安全な場所である。
屋敷から馬車で1刻程度の距離であるが、ようやく連れてこられた。ずっと一緒に出掛けようと約束していたのだが、なんだかんだと延期になってしまっていたのだ。
ようやく一緒に来ることができたのが嬉しいのか、ジュリエットは朝からはしゃぎっぱなしだ。14歳になって徐々に女性らしくなっていたと思っていたが、やはりこういうところを見ればまだまだ子供だ。
「お父さま! 早くいらして! 池に鳥がいるわ」
ジュリエットは弾ける笑顔で俺を呼ぶ。その笑顔を見ただけで、疲れが一気に吹き飛ぶ感じがする。
「あまり大声を出すと逃げるぞ」
そう答えながらも、ゆっくりと歩いた。今の俺に走るという無謀はできない。ただジュリエットを一人にすることはできない焦りから、できるだけ早く足を動かす。まあ、つもりでしかないのだが。
それを見かねたハワードが遠慮がちに申し出てきた。
「伯父上、僕がジュリエットについていますから、ゆっくりと歩いてきてください」
「すまないな。久しぶりに歩いたせいなのか、どうも体が動かん」
「働きすぎなんですよ。ジュリエットも嬉しいのはわかるけど……」
呆れたような口ぶりだが、仕方がない。ジュリエットとの約束を果たすためなら、1週間の執務室監禁生活がなんだというのだ。おかげで今日一日分の時間が取れたのだから素晴らしい。
人員を増やしたにもかかわらず、仕事の質も上がったにもかかわらず、仕事の量が増えるという理不尽な現象が最近起こりつつあった。職場改革を進めてだいぶ楽になっていたのにもかかわらずだ。
計画性のない王族のせいで、突発の行事が多く入ってしまっていた。しかも他国の王族もやってくるものだから、準備に上も下も大騒ぎだ。今城では文官たちの殺意がピークに達している頃だろう。誰でもいい。混乱を招く王族を暗殺してほしいものだ。
「旦那さま。足元がふらついています」
昔から面倒を見てくれている護衛がふらつく俺を支えた。
まともな睡眠を取ったのは一昨日だった。そろそろ意識が限界突破しそうだ。
「ああ、なんだか地面がふわふわする」
「……どこかで休憩を」
「今座ったら、天国のジョディに会えそうだ」
ははは、と笑いながらよたよたと歩く。
まるでジジイのようだが、鉛のような体を動かすのは非常に困難だった。若い頃なら3徹ぐらい酒を入れれば何とでもなったのに、今は2徹でこのありさまだ。そろそろ引退を考えた方がいいのかもしれない。
ゆっくりと歩いた先にはジュリエットとハワードが揃って待っていた。連れてきた侍女たちが敷物を広げ、手早く食事を用意している。
「もう、お父さまったら、仕事をし過ぎよ!」
ジュリエットがふらつく俺を見て、ぷりぷり怒りながらも心配そうに顔を曇らせた。少し前なら心配して泣いていたというのに、いつの間にやら素直じゃなくなっているような気がした。これが子供の成長なのだろうか。
「忙しい時期だから仕方がない」
「お父さまが倒れてしまったら元も子もないのよ。だから適当に手を抜いていいと思うの」
ジュリエットの優しさが染みわたる。その労わりの言葉だけで、辛さが昇華しそうだ。
「ありがとう、ジュリエット」
「うふふ、お父さま大好きです」
はあ、俺の娘が可愛すぎて辛い。
「あ、そうだわ。お父さま、わたし、来週、王城で行われる催しに参加したいのです」
「うん? 来週?」
思いついたようにジュリエットが話題を変えた。来週の王城での催し、と聞いて首を傾げた。
「そうですわ。なんでも有名な歌姫を呼んだサロンが開かれるとか。わたしも参加したいわ」
じっと訴えるように見つめられて、息をつめた。ここしばらく忙しすぎて、どうでもいい催し物は頭の端の方に追いやられていた。ジュリエットも年頃で、来月には王城での茶会に参加する。着々と成人に向けて動いているのだ。
「だが、未成年は親の同伴が必要だろう?」
忙しすぎて、俺は同伴できない。
俺はぐるぐると唸った。
「そのことなのですが」
俺たちの会話を静かに聞いていたハワードが口を挟んだ。ハワードを見れば、彼はのほほんとした顔でお茶を飲んでいる。
「母がその日、同伴してもよいと言っていました」
「カトレアが?」
妹のカトレアなら任せても安心だ。だが、何かが引っ掛かる。
引っかかりが気持ちが悪くて、じっとハワードを見つめた。ハワードはにこりと邪気のない笑みを浮かべた。
「母はジュリエットのことを娘のようにかわいがっていますから心配しているのです。女性の繋がりは作っておいて損はないと常々言っております」
「……そうだな」
俺が再婚しないものだから、ジュリエットの教育に関してはカトレアに任せっきりだ。カトレアはロバーツ侯爵家の娘であったから、ジュリエットも侯爵家の娘らしく育っていた。
「行ってもいいの?」
ジュリエットはパッと顔を上げた。俺はその嬉しそうな顔を見て苦笑した。
「本当は俺が連れていきたいが……今は難しい。カトレアの言うことをよく聞くんだぞ」
「もちろんよ! ありがとう、お父さま」
あまりのはしゃぎように、やはりこういうことは男親では難しいと苦く思う。どうしたって男と女の活動の場が違うのだ。俺が同伴していくよりも、カトレアの方がジュリエットのためになる繋がりを教えるに違いない。
娘の成長を喜びながらも、一人取り残された寂しさを感じた。
ちくりとする胸にぐっと拳を当てた。
この痛みは喜びとするべきだ。
そう心から思うのに、いつまでたっても苦しさばかりが胸の奥に広がっていた。
催しに参加したジュリエットはうっとりとした顔をしていた。よほど素晴らしかったのか、歌姫の話と華やかなサロンの様子をしきりに話していた。
「本当に素晴らしくて。成人になったら劇場に見に行きたいわ」
「それはよかった」
「それからカトレア叔母様に色々な方を紹介してもらったの。素敵な方が多かったわ。わたしも他の方たちのように素敵な女性になれるかしら」
ジュリエットの話を静かに聞きながら、相槌を打った。ジュリエットは時には同じ話を繰り返しながら、いかに素晴らしかったのかを話し続ける。
「女性が多かったのかい?」
「そうね。やはりお母さまと一緒に来ているデビュー前の令嬢が多かったわ」
何か思い出したのか、ぽんとジュリエットの頬が赤く染まった。
「どうした? 顔が赤いぞ?」
「少し思い出してしまっただけ。未だに興奮していてドキドキするの」
両頬に手を当てて思い出し笑いをするジュリエットを見て、心がざわついた。その仕草がとても大人びていた。
いつまでも子供だと思っていたが、確実に大人になっている。
あとどれくらい一緒にいられるのだろう。




