娘至上主義
ジョディの葬儀後、ジュリエットが落ち着いたのは半月後だった。もちろんまだ半月だ。寂しそうな顔をするし、突然泣き出すこともある。その都度一緒にいて娘の心のケアに心がけた。
あれほどの喪失感も、ジュリエットを守らなくてはという気持ちになれば我慢できる。ジュリエットはジョディの残した娘だ。誰よりも幸せにしなくてはいけない。その使命感が俺を生かした。
ただ俺は宰相補佐だ。いくら代わりの人間がいるからと言えども、長く休んではいられない。
我がロバーツ侯爵家は代々宰相を輩出する家柄だ。要するに頭がいい。父親は文官になって過労死するのは嫌だと騎士団へ行ってしまったため、宰相だった祖父によって鍛えられたのは俺だった。
正直言って、幼い子供に何という教育をするのだというぐらい、腹黒さに重点を置かれた教育だ。腹が黒くない奴が綺麗ごとを抜かすなという祖父の謎理論を基準にした教育になっている。
今の宰相はそんな祖父の指導を受けた伯爵家当主で、彼は俺が30歳になったらその椅子を明け渡すとまできっぱりと宣言していた。
今、俺は29歳。
このまま放置していたら、来年には引継ぎが行われてしまう。
冗談ではない。
宰相補佐という立場でさえも、家に帰れず、最愛の妻に負担をかけ、さらには亡くしてしまった。
生涯をかけて愛し守ろうと思っていた妻が亡くなったのは、俺の仕事の忙しさが原因だ。俺にはジュリエットしか残っていない。
いっていらっしゃいと見送ってくれたジュリエットの笑顔を思い出しながら、復帰した職場で真っ先にしたことは上司である宰相に辞表を提出することだった。
「やめます。お世話になりました」
「はあ?! 何を寝ぼけたことを!」
目を見開いて飛び上がったのは宰相だ。最近めっきり頭が寂しくなっている。だがまだ肌は艶々であるし、この激務であっても痩せることなく腹も出っぷりだ。
大丈夫。
まだまだ現役で宰相を務められる。あと50年は問題ない。次の後継者を育てる時間もたっぷりある。
「俺にはジュリエットしか残されておりません。彼女と一緒に過ごす時間が欲しい」
「それほど時間が欲しければ自分で何とかしろ」
ふんと鼻を鳴らしながら宰相は俺の提出した辞表をわざわざ見せつけるようにして、破り捨てた。粉々に破られた辞表から目をそらさず睨みつける。上着の内ポケットに手を入れた。
「こんなことだろうともう一通用意しています」
「今後50年、お前の辞表は受け取らん」
ふんぞり返った宰相にイラっとする。どうしてもこの人と話すとイライラする。祖父を思い出すからだろうかと勝手に思っているが、単純に馬が合わないのだと思う。俺にとって最悪な人だ。
「……どうなっても知りませんよ?」
「やって見せろ。お前の希望を叶えるために」
このやろう。
できるわけがないと言わんばかりに嗤われて、カチンときた。確かに俺も惰性でこの忙しい職場を仕方がないものだと思っていた。だからこそ、繁忙期には泊まり込みで仕事をしていたのだ。悪性の風邪の流行で人手が足りないと言われ、駆けずり回っていた。
一番守らなくてはならないものをおざなりにした結果がこれだ。
この国の文官が忙しいのは単純に募集する枠に原因がある。嫡男以外の貴族は食い扶持を稼ぐ必要があるのだが、人気なのは身分が保証される文官職と騎士職だ。どちらも試験が難しいのだが、一度なってしまえば国の中央にいることが可能だ。
ところがだ。
人気の職業と言いながらも、物理的に人数が足りない。
この国の貴族家の数は200家ほどだ。そこから長男を外して、国に仕える人間がどれほどいるのか。
文官職と騎士職が取り合っている状態だった。やはり騎士職の方が華やかで、とても人気がある。文官など体のひょろっちい人間のすることだと蔑まれることもある。確かに大臣職ならばふんぞり返れるが、よほどの身分がないと下っ端からのスタートだ。騎士と違って手柄も立てにくく、下手をしたらずっと下っ端のまま。
そのため、文官職を望む人間は少ない。
人手不足のため、一人の負担が増える。過労のため脱落。
それを知った新成人たちは魅力的な職場とはみなさない。当然、新しい人材が入らない。
残った文官でさらなる仕事を分配、さらに脱落。
忙しさゆえに、給料がよくても異性との出会いがない。どんどん独身者が増え、金を持っている人間が使う暇がなく、金だけは溜まる。
女に騙されてすべて貢いでしまい、捨てられた文官が出る。すべてを失って絶望した文官は仕事に逃げる。こんな人間が増殖し、とても腐った集団を作り出している部署もある。
正直に言って、下働きの女性すら避けて通る部署だっていくつか存在する。鬱陶しいほどの負の空気を纏っていれば誰だって近寄りたくはない。
すべての原因は文官の人手不足だ。
文官になろうという人間を増やせばいい。つまりは推薦状をもらった人間なら試験を受けさせる。
試験の内容は変わらないのだ。質など変わらない。同時に分かりやすく身分によって出世できる到達点を変える。文官としてもっと上の階級に上がりたいのであれば、数名の推薦を取る。
どこかでほころびが出るかもしれないが、数年は大丈夫なはずだ。調整しながら走ればいい。この方法は騎士団の方ではすでに行われていたため、さほどひどいことにはならないだろう。
俺は文官の条件を変更して募集した。
一昔前なら下級貴族が入ってくることを忌み嫌った人間が沢山いたことだろう。だが、文官たちは今死の危機に瀕している。恐ろしいほどの圧力で文句を言おうとする選民意識の強い貴族を黙らせた。
息を吹き返した文官たちは職場ごとに団結した。集まった人材の中でさらに自分たちに益になるように引っ張らなくてはならない。人材確保のため魅力的な職場作りが始まった。
まずは腐ったものを捨てた。
あれほど嫌がっていた腐の奴らが一斉に爽やかに生まれ変わった。匂いまで違う。腐った生ごみから爽やか朝摘み野イチゴのような匂いになっていた。
やればできるじゃないか。
にやにやしてその変化を見守りながら、新しい文官たちを迎えた。
熾烈な人材争奪戦の始まりだ。取り繕うのが上手い文官たちは爽やかな笑みを浮かべ、新人たちを囲い込んでいく。
何も知らない新人たちは仕事ができる風の先輩たちの幻想に騙され、キラキラしていた。そのキラキラが近いうちにカサカサに変わるのだろう。
ははは。
何だ優秀な人間は沢山いるじゃないか。
我が国もまだ捨てたものじゃない。他国のようにもっと門戸を広げた方がいいのかもしれない。
ようこそ文官職へ。
絶対に逃がさない。
俺の最愛のために犠牲になれ。




